第二バチカン公会議において、私は、いまは亡きパウロ六世猊下にお会いしたとき、猊下は、仏教徒の私に向かって、「キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がキリスト教徒のために祈る――そのような状態にならなければ、宗教が人類に貢献する道はない。いまや人類という言葉は隣人という言葉と同じ意味になりつつある」と申されました。その時私は、宗教者は宗派をこえて互いを隔てるカベを打ち破り、その砕かれた小石をもって断絶の溝を埋めなければならぬと決心をしたのであります。すなわち世界平和の達成には、政治のエゴのみならず、人間精神の改革が必要であり、そのためには宗教そのもののルネッサンスが必要ではないでしょうか。
爾来、私は世界の宗教――キリスト教・ユダヤ教・イスラム教・ヒンズー教・シーク教・神道・仏教など、心あるあらゆる人々と共に、争いではなく協力を、奪うことではなく惜しみなく与え合うことを、そして学び合い、互に力を合わせて、平和を阻害する要因を除去するために、世界宗教者平和会議を組織し、努力してまいったのであります。
すでに述べたごとく、私たちは今一度すべてのものが変化してとどまることがないという諸行無常の真理を忘れて、相対的な物質のみに執着し、あるいはまた、私たちが諸法無我という真理を見失って、天地のすべてのものに支えられているという事実、目に見えぬものにも生かされているという事実に気づかぬために、感謝を忘れ、愚痴と怒りと貪りの心のままに生きていないかを、互いに反省したいものであります。
さて第三番目の涅槃寂静でありますが、いま述べた、愚痴と怒りと貧りという――この誤った心を仏陀は煩悩の炎に譬えておりますが、その炎を吹き消した状態を梵語で「ニルバーナ」つまり涅槃寂静と呼ばれたのであります。この煩悩の炎を吹き消した安穏の境地に達することが仏教徒に与えられた一つの命題ということができましょう。
つまり、いまを去る二千五百余年前、仏陀は人びとが煩悩の炎によって自らを焼きつくそうとしている危険性に警鐘を鳴らされたわけであります。
ただし、ここで注意しなければならぬことは、とかく自分の涅槃寂静だけに安住し、現実の改革に取り組むことを忘れがちであることに対して、私たち仏教徒は十分に留意する必要がありましょう。