現代社会への警鐘 三法印の教え
さて現在の私の精神的な土台となっているものは、申すまでもなく仏陀の教えであり、菩薩としての使命感であります。ところで、仏教のいちばんの根本の教えとなるものは三法印であると申しても過言ではございません。その三法印とは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静、この三つを申します。
第一番目に諸行無常とは、一切の現象は、時々刻々に変化しているということであります。心も物質も、固定不変と見える木や石でさえ、常に変化しており、物質の究極のものとして不変と思われていた原子でさえも、その内部では常に動き変化していることが近代科学によって、明らかにされております。ましてや、私たちの体もまた時々刻々に変化していることは申すまでもありません。とは申せ、人は老い、やがて滅する、そのようなはかない意味での変化を中心に仏陀は、この諸行無常を説かれたのではありません。すべてのものは変化する、変化するものであるからこそ、現在の瞬間、瞬間にベストを尽くせというのが真の仏陀の教えであり、それはまた、おごれる者に自制を促し、不幸なるものに希望を与えて精進せしめるという――それがこの真理を仏陀が説かれた真の精神であります。
第二番目に諸法無我でありますが、この諸法無我とは、すべてのものは、他と関係なしに孤立して存在するものではないということであります。すべてのものは、相依相関の間柄にあるということであります。私が東京からロンドンへ飛行機で来るためには、操縦するパイロットをはじめ、安全飛行のために絶えず地上から通信を送ってくれる人、機体を整備した人、燃料を補給した人、その燃料を地底から掘り出した人、機体の材料である鉱物を掘り出した人、機体を設計した人、というようにみてまいりますと、一機の飛行機は、まさにジェットエンジンの推進力だけでなく、世界中の人々の努力によって支えられて飛ぶことができるわけであり、そのお陰さまで、私もいまこうして皆さまにお会いできるわけであります。もっと突っ込んで考えてみますと、機体のジュラルミンやチタニウムなどの原料である鉱物も燃料も、人間が造って地下に埋めたわけではなく、自然から与えられ、それを利用しているにすぎないわけであります。ところが人間はそれに気づかず、自分の力だけで行動し生きているというごう慢さをもつようになったことを反省したいものであります。あるいはまた自然との協調ではなく、自然を征服するという憍慢さによって、人類はいま公害や資源の枯渇という形で自らの首を絞めているのが現状ではありますまいか。