第1章 第2節 「普門の日」制定と広がる交流の輪
この施設は人々を善に導くとともに心の次元を高め、ひいては文化の向上に役立てることを目的に建設されました。つまり、社会に貢献する文化の一大殿堂であり、仏教真理による人間づくりの大道場にしたいという願いをこめてつくられているのが、この普門館であります。(庭野日敬)
落成直後から普門館は多彩な表情を見せはじめます。
巨人軍の選手たちも駆け付け、子どもたちと交流した「子どものつどい」や、美空ひばりらが出演する歳末チャリティーショー公演、「全日本吹奏楽コンクール」の開催など、大衆文化の新たな拠点となりました。
一方で、当時の皇太子ご夫妻ご臨席の大会や、世界平和を願う宗教者たちの集いも開かれ、社会の幸福に寄与する「普門の精神」を体現していきます。1971年には落成日である4月28日を「普門の日」と制定。宗教・文化・芸術が交差した5年間の記録を振り返ります。
昭和45年
1970
「子どものつどい」を開催。
第1部は、作文入選発表や合唱が行われ、巨人軍の黒江・末次・堀内・高田選手も登壇して会場の子どもたちと「巨人の星」を合唱した。
第2部は、鼓笛隊のパレードで幕を開け、ドンキーカルテットやヒデとロザンナ、牧伸二、九重祐三子ら豪華出演者によるステージが披露された。
初の一般対象行事「明るい社会づくり杉並区民のつどい」を開催。
杉並区長、住民を含む約5000人が参加。
初の貸館行事「第二十回日本病院学会」が3日間にわたって開催。
佼成病院長の小野田敏郎氏(当時)が学会長を務め、大会が開催された。
会場には全国から病院関係者など、約5,000人が出席。
新日本宗教団体連合会シンポジウム第七回教団人セミナー開催。
テーマ「平和のための宗教」
「観世音菩薩像」勧請式を普門館2階正面玄関ホールにて挙行。
庭野開祖、庭野日鑛2代会長、教団職員ら約270人が参列し、観世音菩薩像の安置式が執り行われた。
この菩薩像は、本会の御本尊を手掛けた錦戸新観師による作品である。
国際自由宗教連盟(IARF)東京会議を開催。
8月25日は明治神宮、26日は普門館を会場として、国際自由宗教連盟(IARF)の会議が実施された。
本会議は、立正佼成会がIARFに加盟して以来、初めて開催された重要な国際会議となった。
国内外の宗教者が一堂に会し、加盟後初となる本格的な諸宗教対話の場が持たれた。
「玉川大学音楽祭」が普門館で初めて開催。
本行事は、以降1988年と1989年を除き、2011年まで毎年継続して開催されることとなる。
昭和46年
1971
普門館5階礼拝室でご本尊勧請式を挙行。
2代会長(当時・布教本部長)、教団役職者、普門館職員ら約80人が参列。
落成1周年記念式典を開催。
開館1周年を記念し、4月28日が「普門の日」として新たに定められた。
当日は午前中に1周年記念式典が挙行され、午後には記念公演として音楽劇『普門の華』を開催。施設の節目を祝うとともに、独自の記念日としてその意義を広く示す一日となった。
「美空ひばりチャリティー・リサイタル」を開催。
昭和47年
1972
佼成出版社主催「愛読者謝恩 都はるみショー」を開催
「第20回全日本吹奏楽コンクール全国大会」を開催。
普門館をコンクール会場として初めて使用。
昭和48年
1973
「普門文化センター」設立。
教団としての文化活動推進にあたっての研究・開発機関として、従来の普門館を包括する「普門文化センター」が設立された。
昭和49年
1974
佼成文化協会「芸術会員制度」を発足。
本部所属の東京佼成吹奏楽団、佼成雅楽部、佼成合唱団などの組織化を目的とし、出演者の統一的な把握と活動の充実を図った。
芸術・芸能活動を通じて本会の姿勢や仏教思想の広宣流布に寄与する人々を「芸術会員」として登録。
本組織には、筝曲部、普門民謡グループ、日本舞踊部、鼓笛部などが所属し、文化活動を通じた教化・伝道の体制を強化した。
「ネパール文化親善使節団『民族舞踊と音楽の集い』」を開催。
「国連アジア青年人口会議」を開催。
「東京都青年会議所二十五周年記念式典」を開催。
昭和50年
1975
「第九回世界石油会議東京大会開会式」を開催。
皇太子明仁親王殿下、美智子皇太子妃殿下(現・上皇、上皇后両陛下)ご臨席の下、世界73カ国から約4,800名が参加して開催された。
開会式では、ロッシーニ世界石油会議会長、皇太子殿下、三木武夫総理大臣らによるスピーチが行われた。
普門文化センター主催「ウィーン交響楽団 公演」を開催。
ベートーヴェンの「エグモント序曲」やピアノ協奏曲第5番「皇帝」、モーツァルトの「交響曲第41番」が演奏された。
本公演は、楽団にとって自主開催としては初となる有料公演として実施。