先ほどのお話のように、廊下へうじ虫が出てくるというような、まことにきれい好きな人のところへうじ虫が出てくるんですから、皮肉な話ですけれども、仏さまの方からごらんになると、そういうしあわせな人には、なかなかほんとうのことが悟れないわけであります。ですから意地悪く、どこから出てきたのか知りませんが、一週間に一度ずつ大掃除をするというようなご家庭に、出る必要もなさそうなものが出てくる。そういう不思議があったわけであります。
佼成会の創立当時は、先ほど妙佼先生も「お前たちは自分で勝手に姓名学上の名前をつけて、そして会を発会したと思ってるだろうが、神さまがつくった会なんだよ」と、こういうことをおっしゃっている。いつも、こういう調子で、神さまのご降臨になられたときに言われたことであります。
私がいつも、三月の創立記念日になると、宗教の創立の意義というものを考えなければいけない──「創立の意義」。たとえば仏教というものが生まれたという意義、キリスト教が生まれたという意義ですね。そういうことをよく考えてみようと思うと、われわれの佼成会もそこに誕生したという、創立をしたという意義がなくてはならんわけなんです。そこのところをはっきりしませんと、何ということもなく、ただごちゃごちゃやっておるだけということになるわけです。これではいかんのじゃないかと思うのであります。
妙佼先生が亡くなられて、もう十九年でありますが、神さまがご降臨になってのご指導ということになりますと、もう三十七、八年たつ。その年月の中でだんだんと創立当初の神さまのご指導、ご神示にあらわれた言葉が一つ一つ実現しているわけです。
先ほど妙佼先生がいわれたことですが、これは、はからずも先般私がカナダへ参りまして、私どもが仲間に入っております、国際自由宗教連盟(IARF)の総会があった──大会というのが三年に一度ずつあるわけなんです──ちょうど六年前の京都会議の前の年に、準備会で私がニューヨークへ参りまして、そしてボストンにおいて、その大会のあるところへお招きをいただいた。私がそこへ行きますと、「君は、このIARFの趣旨に同じ考えであるから、とにかく入会しなさい。」というので強引に入会させられたわけなんです。
その入会させられるときに、どうして入会させられたかを考えてみますと、それはある意味では、皆さんの前でお説法もいただいたことのある、今岡信一良さんという大先輩、九十二歳ですが、この先生が日本にいらっしゃる。この先生が私に、もう十年も前にそういうことについてのお話があったのです。
しかしその頃は、自分の教団というものが、まだ世界というようなところで──まあ神さまは世界万国に弘まるなんておっしゃっても、自分自体がまだ十分でありませんので、そういうことを考える余裕もなく、ただ毎日を送っておったわけであります。