その次は何かというと四番目には精進であり、この精進というのは繰り返し、繰り返し、悪いことは徹底的に捨ててしまう。悪いことは起きそうになっていても絶対に起こさないでくい止める。いいことはどんどんやる。いまからいいことになりそうなものは精進をしていいことにしてしまう。こういう四つの法則が精進の道なんだと。だから、いまいいことが起きそうなものはどんどん起こしていかなくちゃならないし、拍車をかけなくちゃいかん。悪いことはやめてしまうというのが、これが精進なんです。
こういうふうに布施、持戒、忍辱、精進とくると、五番目には禅定ですね。ここへ来てようやく宗教というものになってくる。こういう上の四つをちゃんと行じられると、また徹底しようとすると、心の乱れというものをどうしたらいいかという気持が出てくる。そこで座禅をするとか、読経をするとか、念仏を称えるということで、心を冷静にちゃんとしなけりゃならない。この修行が第五番目の救いなんだね。この五つの救いをミックスしたものが智慧です。
欲を捨てて、高ぶらないで、忍耐をして、それを繰り返し精進して、そして心の動揺のなくなったところに仏さまの智慧というものが働いて白いものは白く、黒いものは黒く見える。しかも、それが白というものと黒というものの調和のかげんが、われわれの世の中のむずかしさというものになって、これをちゃんと整理してうまく取り扱うのが仏さまの智慧なんですね。
こういう六つの救いの道というものが法座の中の基本になっているのだ、この基本に基づいて人事百般何んでも持っていらっしゃい。迷って困る問題はこの六つの問題で全部解消するんだと、まあ、こういう話しをしたわけなんです。
どうです。みなさん、毎日やっているでしょう。やってはいるんだけれども、わからない人をわからせるんだから、これはなかなか大変な仕事なんですよ。この仕事をしていくのが忍辱です。ほんとうに耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ばなければ入会してくれませんよ。そしてご法をちゃんと守ろうという人間をつくらなければ世の中は平和にならないんですよ。世の中の平和といっても、世界の平和なんてこないんですよ。みんなそういう気持にしなければ、ですから容易なことじゃない。大変な仕事なんですよ。
私はそういう話しをしておわかれをして、今度は平和会議を七十四年に西ドイツでやってもらうということで、そして宗教家を訪問して七十四年にできるような準備をしてもらって、ドイツの宗教家が一丸となって、京都会議を私ども日本の宗教者がやったような形にしていただきたい。このお願いにいろいろな人をたずねて訪問したわけであります。