二日間アナウンサーにいろいろ質問されながら、日本の上代の言葉が上品で、そして人情に厚い、慈悲の深い、その義理人情というものから、劇で心中をあつかったところをあの人は非常にきのうは説明をされておった。心中したなんていうとこれはまあどこにも──好きな人と一緒に心中しようかなんていう気になる。それがいいんじゃなくて、その心中の仕方がいいわけなんだね。その心意気がいいわけなんです。本妻というものは義理がある。そして二号さんには二号さんに対する愛情がある。両方の女に非常に大事な関係があり、大事な義理人情、がある。これを両方義理立てしようとすると心中をどうしてもしなくちゃならない。そういう劇の話をされた。その心中をしながらも、一緒に同じところで死んでしまうと、自分の好きな女と──小春という芸妓とするんだけれども、そうすると嫁さんに悪いというので、時間は一緒に死ぬんだけれども別々の所で心中をしているわけです。こういうことまで外人が日本史を研究して、日本人の義理人情というものの厚さ、そういうものをちゃんと読み取っているわけですね。
ですから私がいつも言う、日本の神道というものの基盤がある。素地がある。素地があったから、この難解の仏教というようなものが日本に来て、直ちに日本的になったということはこれが不思議なんだと、こういうことを言っても、まあ会長は宗教協力をやってるから、ああ言わなければ宗教家はまとまらない。あれは方便でああいうことを言ってるんだと。こういうふうにとる人があるかもしれない。どうもおやじはもう宗教協力、協力だとわいわい言っておる。よその教団なんか構わんでおいて、うちの教団のことを真剣に考えればいいんだがなあと言う人が、私はこの中に一人や二人いると思うんだよ。
まあそういう人もあると思うから、横道のようだけれども、そういうこともあわせて皆さんにひとつ、きょうのご命日──妙佼先生は本当にこれはこり固まったような法華経に精進をした人であるけれども、その中には本当にこの義理人情というようなことをもっておられた。そしてまた他宗の人に対する思いやりも深かった。陰ではぶうぶう言って、「あんな坊主と何のためにあんたはそんなに一生懸命で話をするんだ」なんて文句を言うんです。文句を言うけれども、おいでになるというともう山海の珍味をこしらえてね、「さあさあ、どうぞごゆっくり」というんで、まあ私に言ってることとお坊さんが来たときの態度は、こんな二重人格があるかと思うようなことをやるわけなんです。