妙佼先生
──身をもって行じた信仰者のかがみ
いまは昔と違いましてサラリーマンが多くなりまして、みんな月給がよろしい。昔は自分の商売というのが多かったかもしれない。自由商売だから時間には余裕があるかもしれないけれども、決まり切った時間で決まった収入があるというような安定した人はきわめて少ない時分であります。佼成会の始まった三十八年前は。そういう不安定で──私が何回かもうお話しをしたのでありますが、中野の坂上に職業安定所というのがあるわけなんです。そこへ皆さんが三時起きをして弁当をこしらえて──五時には整列をするわけですから、三時に起きて奥さんはお弁当をつくってだんなさまを出すわけなんです。そこに集まる人がどのくらいいるかというと、全部で五百人ぐらい集まるんですよね。それでどのくらい一日に仕事をするのかというと、百人から百二十人。そうすると五分の一ぐらいの人が仕事にありついて、後ろの方は「きょうはご苦労さんでした」というので、弁当を持って出かけて行くけれども、そのまま弁当を持ってうちへ帰って来る。このように職業がない時代、そういう時代に会は始まったんですね。
創立したのが昭和十三年で、十六年に戦争が始まったのですから、戦争に持ち込むためにいろいろな無理なことが社会に横行しておったわけです。もうすでに早い人は戦争の始まらないうちに召集令状が来て、召集されてもう行っている人もあるわけなんです。宣戦布告をして戦争を始めるというときには、一挙に半年でもってあのアメリカをやっつけてしまう。そういう計画でいたんですから、それは大変な野望を描いて、青写真は戦争にまっしぐらに進んでいる。そういう時代に会は始まっておるわけであります。
私どもはそういうことは知る由もないわけです。国がそういう状態ですから私どもの身辺というものは、杉山さんがお話しになりましたが、着物のしまが縦であろうが横であろうが、斜めであろうが、そんなことは構わない。ひざに穴があけば継ぎをして着なければならない。そういう時代であったわけであります。したがって栄養が不足しておる。そして心が不安定である。経済状態もよろしくないので、病人はどんどん増えた。肺病患者が出るのは栄養が足りなくて、そして非常に不規則な生活で、不安定であると、こういうことが大きな原因であったと思うのであります。そういう時代に会は発足したんですね。
杉山さんなどはどちらかというとしょなしょなしていた方で、ちょっとやわらかい方の口なんですけれども、その人がやっぱり、横段でも縦段でも構わない、しまもかすりも横も縦も言わずに、身なりを構わず前かけをしたり、もんぺをはいたりして、一生懸命に手どりをして歩いたと。そういうことが言えるわけであります。