陰を信じる
妙佼先生はもう亡くなって二十年たちました。しかしなくなったけれども妙佼先生はいつもいらっしゃる。そういう感じですね。仏さまは「常にここに住して法を説く」と、こうおっしゃってるから、本当に佼成会を思っている魂だから恐らくお釈迦さまとおんなじに私どものそばへ常についておって、法を説いてくださっていると思うんです。
ですからどんな難問題が起きても、神さまに本当にお願いをして、お祈りをこめて、その解決に自分が本当にへりくだって──よく言われた言葉の中に、「人間の皮をかぶっているうちはなかなか本当のいいことはできない」と、こう言われた。それはやっぱり人間の皮をかぶってるんだ、みんな。皮がなくなるために、日本ではなくなると焼き場へ持って行って燃しちゃうんです。そうするともう皮がなくなって骨だけになる。皮や肉がみな燃えちゃうんです。ところが肉がついて皮をかぶってるうちは、色気があったり欲気があったりしてなかなか本物になりにくい、こう言っておられた。「だから人間の皮をかぶってるうちはどうせ大したことはできない。これをよく心根にしみて噛みしめておこう」と、いうことをよく言ったんです。
ですから、お互いさままだ人間の皮をかぶってるわけです。よほど精進をして経文をよく拝読してですね、仏さまのお説のとおりに精進しようという誓いがないとね、うっかりすると本化になったかと思うと迹化になったり、もう迹化以下になっちまって地獄・餓鬼・畜生の方に行っちゃったりするかもしれません。本化というのには、本当の菩薩にならなくちゃならない、本化の菩薩になりたい。そのことがお経の中にずうっと書いてございます。
先週の日曜日ですか、立正大学の久保田正文先生が法華経の信解品のお話をされました。第六回目だと言いましたが、そのお話の中に非常に大切な言葉が一つあったわけです。それは、信解品というのでやっぱり信というのがまず先であると。しかし、これは支那の偉い人の言った言葉だとこう言っておっしゃられたんですが、恐らく天台大師のおっしゃった言葉じゃないかと私は想像しているのであります。こういうことを言われているそうですな。「信有って解なければ無明を増長し、解あって信なければ邪見を増長す」とこういう言葉があるそうであります。