じゃ来ないのかと思うというと、才蔵のお昼ごろになるとみんなやって来るんだ。才蔵ってあの大神楽というのがありますね。これは神話の中に出てくるお神楽、お神楽の中に才蔵役というのがあるんで、あれはばかになって人さまを取り持って、ほかの芸を生かすために、才蔵というのはお獅子のしっぽを持って歩いてさまざまに道化て行く。それと同じようにそのとんでもない才蔵のお昼のころになってやって来て、そしてまあ説法の終わるころまでにはもういっぱいなんですね。ところが朝のお経のときにはなかなかそろわない。
こういうのは信解品でなく解信品になってやせんかなと、この久保田先生の朝の宗教の時間の信解品の解説を聞いているうちに、私は何かこうひしひしと感じたんです。