そういうことでありますから、始まった当時のことを考えてみますと、信者の方もご無理をなすったに相違ないけれども、妙佼先生も、お年をとっておって無理をしたんですね。夜も昼も──きょうはどこへも行くところはなかろうと思っておるというと、あべこべにそういう日には夜中に人が来て、お医者さんのまるで回診のようなつもりでどんどんと戸をたたく。起きてみると病人が苦しんでしょうがないから来てくれというわけなんです。そして夜中に起きて行って、たとえば痛む神経痛などは、痛みのとまるまでお経をあげたものです。九字を切ったり、お経をあげたり、話を聞かせたり。そういう時代ですから、どちらが負けるかという、病気と人間が根比べをするような状態──。
そういうときでありますから、これはもう本当に、さっき言われたが金銀の論法よりも実行だと。本当の真心の実行だと。これは真心でなきゃやれない仕事なんですね。頼まれてもちょっとできない。それも夜中に来てくれたからといって回診料をくれるわけじゃなしね。全くそれは無報酬でもって喜んでそれをやっていったんですね。
まあそういう修行をずっとやったんです。しかし現実はというと、妙佼先生自体も入会するときにはお医者に見放されたような状態が、入会をして先祖供養というものを本当に心からするという、その心の姿勢が直ったときに一週間でもって、医者の見放した病人がたちまちに丈夫になった。その恩返しにどうしたらいいかと言うから、人助けをすることだとこう言うと、それをもうそのままに行じた人。言葉のとおりに実行した人。それが妙佼先生なんです。
二十年間そういう激しい、経済的にもよくない、健康的にもよくない、まあいろいろの人間苦というものがあったわけです。戦争に巻き込まれるという時代のことを考えますと──いま私どもはこんなに幸せでありますが、一歩朝鮮海峡を渡りますと、韓国がその私どもとやや似たことをやっているんです。どこの国と戦争をするという当てはないでしょう。まあそれは、あるといえば北朝鮮──同じ民族が、思想が違うために真っ二つになっている。そして財政はよろしくない。アメリカ側にいろいろのことを言ってアメリカの特高、日本の特高と同じような形でもって大統領がやたらに言論の自由を束縛したり、行動の自由、言論の自由、結社の自由、もうすべてのことが束縛されている。これは非常によくないというので、私どももルーベン会議に、そういうことをしちゃいかんというので、韓国に対しての勧告を決議したのであります。