第二回国連軍縮特別総会 非政府機関(NGO)代表演説
国際自由宗教連盟会長 庭野日敬
私は第一回国連軍縮特別総会において、世界宗教者平和会議を代表して時のカーター大統領とブレジネフ書記長両閣下に対し「戦争のために危険を冒すよりも、平和のために危険を冒すべきである」との勧告を行いました。にもかかわらず、世界の危機状況はますます深刻化しつつあります。そして本日再び、国際自由宗教連盟(IARF)会長としてお話をする機会をお与え下さいました国連関係者に感謝の意を表すると共に軍縮に向けて努力される国連の使命を高く評価するものであります。
二十か国、四十六加盟団体を有するIARFは、人びとの国連支持強化を目指し、さまざまな活動を行ってまいりました。このIARFを代表して、また世界唯一の原爆被爆国日本の仏教徒として私が世界の人々に訴えなければならないことの第一点は、核兵器が配備されたいま、戦争の意味がまったく一変してしまったということであります。
これまでの戦争には当事者双方に、なんらかの「正当性」を主張しうる根拠を見つけることができました。しかし、核戦争がもたらすおそるべき破壊と殺りくの前には、どのような正義も不正義も吹き飛んでしまいます。生き残る者のない戦争に勝者も敗者もありません。傍観者であることさえも許されません。あるのは生命の尊厳に対する冒瀆、ただそれだけであります。そのことを私たちは広島・長崎によって、まざまざと見せつけられたのであります。広島と長崎の犠牲者は、人類が三発目の原爆を絶対に使ってはならないことを教える殉教者でありました。
人類が生き残るためには核兵器を廃絶する以外にはないということも、一年間に使われる六千億ドルもの巨額の軍事費の一部を開発途上国の援助に回すことによって、世界の飢餓と貧困をなくし得ることも、すでに周知のことであります。
過日、フランスに於て開かれました先進国首脳会議は、増大する世界不況に対処する処方箋として、新技術開発の必要性を強調いたしました。併し、それは武器のための技術開発であってはならず、あくまでも人びとの生活をうるおす技術革新でなければならぬ事は当然であります。とはいえ、人びとの生活を変えうるような目ぼしい技術革新は、言うは易く、実現はここ暫く望むべくもないというのが実状であります。私は、このサミット会議が、ベルサイユ宮殿の打ち上げ花火にすぎないと言われる所以は此処にあると思うのであります。なぜならば、この会議が単なる希望表明に終わり、世界不況の根本的原因である超大国の軍拡中心の経済政策、及び米国の高金利政策に対し、その是正を促すことがなかったからであります。よって私はここに、一年間に使われる六千億ドルの軍事費を、半分の三千億ドルにまで削減するという勇気を各国政府首脳に望むものであります。