ところが奥さんの方もさるもので、羅睺羅が成長をしておる。もうすでに数え年で七歳になっている。そこで、何とか羅睺羅が寄りついたら主人の気持ちがこっちへ向くだろうというので、「羅睺羅はあんたの子ですよ」「人さまはみんな子供に遺産を与える。だから羅睺羅にもどうか遺産を与えていただきたい」。そう言うと、お釈迦さまは「ああそうか」と言っただけで外へ出て托鉢に行ってしまわれた。そこで羅睺羅に、一生懸命で話をしてお釈迦さまに何とか分け前をもらいたいと言ってねだれというので、お母さんが知恵をつけたわけです。そうして後からとぼとぼついて行く。どこまででもついて行けというのでお母さんが言いつけてあるものですから、羅睺羅は正直にとぼとぼ後について行った。「何か私に下さる物はありませんか」と言ったら、「いや、おれの与える物はこれだけだ」と。「こじきをするのが、これがおれの全財産だ」と。羅睺羅はとぼとぼついて行って、とうとうお釈迦さまとおんなじにこじきになってしまったわけです。
おじいちゃんはこれほど切ないことはなかったわけです。おじいちゃんが嫁をたきつけ、嫁さんが羅睺羅に知恵をつけて、何とかお釈迦さまの気持ちをこっちへ向けようと思ったんですが、一向にこっちへ向かない。じっともう本仏の方を向いておる。こういう状態を本化というのであります。
そういう意味では、あるときは精進をするけれどもあるときはどうもきつすぎてだめだとか、まあそんなにはできないとか、いろいろご都合があるらしいのであります。いろいろご都合のある方は、まだどこまで行っても迹化でありまして、本化ではないのであります。
ご命日にご参拝しようという考えは、迹化でも持っているわけです。きのう導かれた人でも、一度本部へご命日にお参りしようかというので、殊勝な気持ちで、何もわからんけれどもおいでになる。ところが五年も十年も、まあ二十年やった人が──終戦後三十年でありますから、若い人はしようがないですが、大体この前の方に並んでいらっしゃる方はみんな三十年ぐらい前からもう生存していたお方だと思うのであります。そういう方々が、ご命日にどうもまだ九時の読経の時間には来られない。こういう家庭の事情がありますからというのでは、もう迹化も迹化、ちょっと危なっかしい迹化だというような気がするんですね。