私のほうでは、「仏さまがインドでお説きになってから二千五百年もたっています。どうしてそんなことがありましょう」と、考えます。それがわれわれ凡夫の考えで、仏さまからみれば「本物がなくても、即是道場で真の法を保つところが根本道場である」と、いうことなんです。しかし、そういうことは皆さんは一向にわかりませんでした。私でさえも、そのときは「どうも仏さまは、少し頭がおかしいのではないか」と、思ったのであります。
とにかく、仏教がインドからシナヘ渡り日本にはいってきました。天台宗に五時八教の教判があって、そういうものからいろいろの分派ができて、今日、日蓮宗だとか、禅宗だとか、念仏宗などといっておりますが、それもみんなインドから伝わってきたお釈迦さまのお説きになったものではないか。それがいまごろになって、日本がもとになって世界中に弘まるというのは、話がおかしい。妙佼先生は歴史を知らないからあんなことをいっている――こう思っておりました。
ところが、妙佼先生はそんなことにとんちゃくなく、神さまのお告げでいっているだけなんです。しかし、それが、いまになってみますと妙なことになってきました。
世界の先進国といわれる国のほとんどがキリスト教で、発展途上国といわれる国は仏教なんです。日本が代表してアジアの一角からようやく先進国の仲間入りをしましたが。
それが、最近になって世の中がだんだんおかしくなってきました。その原因はどこにあるかといえば、物の追求ばかりしている考えから追いつめられ、七十年代にはいってから、どうしようもない状態がだんだんとあらわれてきました。
そのあらわれが、公害という形になってでてきたり、先進国の人たちが幼稚園のときにはキリストを信じていたのに、大学へ行くとサッパリ信心がなくなってしまう、という傾向が強くなり、この先はいったいどうなるのだろう、という宗教のゆき詰まりをきたしてきたのです。
そして、知らず知らずのうちに、いろいろの宗教、宗派があるけれど、法華経にあるように「二もなく三もなく一仏乗である」と、いう仏さまの声明のように、一つの仏さまの教えの乗物に、みんなが乗らなければ、世の中は幸せにならない、という時代がきたのでございます。