さて、いま私は諸行無常、すなわち、一切のものは変化することが真理だと申しましたが、私たち宗教者もまた変わらなければならぬことを認める勇気が必要です。あたかも傲慢な人間が、その傲慢な自分を否定し懺悔しなければ救われないように、宗教者自身もまた、否定しなければならぬものは何かについて謙虚に反省してみなければなりません。
では一体、その否定しなければならぬものは何か、それはドグマであり、宗教者のエゴイズムであります。これに宗教者が捉われている限り、宗教協力も、従って人類に平和をもたらすこともできないのであります。私たち宗教者が単なる伝統と偏見に固執し、諸行無常と諸法無我の真理に背を向けている間に、世界の現実はどんどん変化しております。
四十年前の第二次世界大戦が始まった時に較べて、人口は約二倍の四十二億、そして国の数は三倍の約百六十を数え、東西両陣営間の問題に更に南北問題が加わって複雑化しております。いや、宗教の世界においてさえ著しい変化が現われております。欧米の諸大学では、東洋思想すなわち中国哲学、インド哲学、日本の仏教とくに禅、そしてイスラムに関する講義が行われるようになっております。
イスラム教は砂漠の国々だけの宗教ではなくなって来ております。ヒンズー教も印度だけのものではなく、いろいろな形をとって世界の国々に輸出されております。日本のIARFのメンバーである椿神社にもアメリカの青年が神道の勉強に来ております。仏教においても又然りであります。私どもの立正佼成会でも、アメリカにいくつかの教会を建てておりますが、しかし私たちは、アメリカが神道や仏教の国になるなどとは毛頭考えてはおりません。キリスト教が世界を支配するということもまた、あり得ないでありましょう。そこで、いろいろな宗教が存在するということは、真理を具現化するために相互に補完し合い、助け合うためであるという認識が大切になってまいります。
いみじくも日本の伝教大師は〝一目の網は鳥を得ること能わず〞と申されております。大師は今を去る千年以上も前の方でありますが、これを今日的に解釈いたしますならば、網の目が一つしかない網では一羽の鳥も得ることができないように、諸宗教も又、協力という網の目を密にしなければ人類に応答することは出来ないということであります。中世から近代になって、私たち宗教者も又、ドグマによる傲慢とエゴイズムのとりこになっていたことを反省したいものであります。そして、漸く互いの宗教を尊重しつつ、諸宗教の背後にある真の宗教とは何かを模索している段階が来ているわけであります。私は、その先駆者的集団であるIARFの皆様の先見性と英知に讃辞を惜しまないものであります。
タイトル名
別巻_00_00_第二十四回国際自由宗教連盟(IARF)世界大会〈オランダ〉記念講演〈プリンストン〉開会合同礼拝式の挨拶-0004
タイトルヨミ
ベッカン_00_00_ダイニジュウヨンカイコクサイジユウシュウキョウレンメイ(IARF)セカイタイカイ〈オランダ〉キネンコウエン〈プリンストン〉カイカイゴウドウライハイシキノアイサツ-0004
作成者
佼成出版社
(
コウセイシュッパンシャ
)
作成日
1982-11-15
和暦
昭和57年11月15日
言語
jpn
ボリュームタイトル
庭野日敬法話選集
ボリューム
別巻_第0章_第0節
人物キーワード
庭野日敬,開祖さま
内容
別巻_第二十四回国際自由宗教連盟(IARF)世界大会〈オランダ〉記念講演〈プリンストン〉開会合同礼拝式の挨拶