まあ、そういうところまで話をしてみたいっていうようの気持ちで行ったんでありますが、まあ、そんな、言葉もやっぱり通じません、やっぱり言葉の違うところで、思うようにもう、まいりません。ま、しかし、だいたいそういう意味では、そのことを、この軍縮局長さんが、これはまあ公表してないことを発表したんですから、ちょっと問題だかと思うんでありますけれども、だいたいこの持ってるところの3カ国は、いま現在では軍縮、だんだんと縮めて行こうっていうことで、人工衛星のようのそういうものに核兵器を積んで、え、そして、もう、うーん、この、ばらまかれた日にはたいへんのことんなるわけですが。持ってる国がその3国でもって、内々(ないない)に、そういうものに積むということは絶対にしないという約束を、ほとんど決まっておるんだというような、内緒のことまで局長さん発表して、その、自分たちもやめることの方向に努力してるんだということの所作を、まあ、示されたわけであります。ま、そこまで人類はもう、みんな、核兵器を禁止することを願っておるということがよくわかりましたので、それ以上いろいろのこという必要もないと思いまして引き下がってきたようのわけでありますが。
ここで、わたしどものこれからの問題でありますが、日本(にほん)におきましても、まだまだ宗教家の中に、他教はみんな邪教だと、いうようのことを、このちっともです、臆面なしに、そう加減もしずに平気でですね、他教みんな邪教だっというようのことがいえるような人が、世の中にたくさんいる。そういう考え方の人がいる、そういう独善的な、排他的な、そういう思想の人がいることがやっぱり危険なんでありまして、どこまでも寛容の精神でお互いに人の人格を認め合って、人さまの宗教の教義の違うところが、どういうところに起点があるかというような、要するにお互いが、持ちつ持たれつのその関係、要するに仏法でいうならば諸法無我の法則といいますか。で、そういう意味でお互いの、孤立して世の中にだれ一人としていられるものないんで、みんなその関係があるんだという。われわれは、ともにこの娑婆に生まれていま現在おんなし時代に生まれているというその、一つの共業(きょうごう)、仏教でいうと共業(ぐうごう)っていいますか、そういう同じ業に生まれて、いま現在、地球上にわたしどもは存在してるわけですから、この、大きな現実の因縁をわたしどもは深く感じて、早くそういうことを取り除く考えをお互いがしなきゃならないと思うわけであります。そこで、え、具体的にこれを、そういう条件つくるっていうことなりますと、どういうことになるかというというと、これ難しい問題でありますが、わたしどもの今後のあり方っていうものは、そういう意味で、大乗を標ぼうして、わたしどもはこの法華経を信奉してんでありますが、大乗仏教の思想っというものの根底にあるものをよく考えた時に、排他的、独善的ということがこれが、ま、いちばんいけないことでありまして、そういう意味で相互理解という、こと、寛容の精神、で、しかも、六波羅蜜の中に、出てきますような、忍辱のよろいを着て、われわれは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、お互いがやっぱりそのおのおのの分担されたところの使命を果たすっていうのには、相当忍び合う、お互いに忍耐し合う、そういうことが必要じゃないかと思うわけでありますが。
ここで、わたしどものこれからの問題でありますが、日本(にほん)におきましても、まだまだ宗教家の中に、他教はみんな邪教だと、いうようのことを、このちっともです、臆面なしに、そう加減もしずに平気でですね、他教みんな邪教だっというようのことがいえるような人が、世の中にたくさんいる。そういう考え方の人がいる、そういう独善的な、排他的な、そういう思想の人がいることがやっぱり危険なんでありまして、どこまでも寛容の精神でお互いに人の人格を認め合って、人さまの宗教の教義の違うところが、どういうところに起点があるかというような、要するにお互いが、持ちつ持たれつのその関係、要するに仏法でいうならば諸法無我の法則といいますか。で、そういう意味でお互いの、孤立して世の中にだれ一人としていられるものないんで、みんなその関係があるんだという。われわれは、ともにこの娑婆に生まれていま現在おんなし時代に生まれているというその、一つの共業(きょうごう)、仏教でいうと共業(ぐうごう)っていいますか、そういう同じ業に生まれて、いま現在、地球上にわたしどもは存在してるわけですから、この、大きな現実の因縁をわたしどもは深く感じて、早くそういうことを取り除く考えをお互いがしなきゃならないと思うわけであります。そこで、え、具体的にこれを、そういう条件つくるっていうことなりますと、どういうことになるかというというと、これ難しい問題でありますが、わたしどもの今後のあり方っていうものは、そういう意味で、大乗を標ぼうして、わたしどもはこの法華経を信奉してんでありますが、大乗仏教の思想っというものの根底にあるものをよく考えた時に、排他的、独善的ということがこれが、ま、いちばんいけないことでありまして、そういう意味で相互理解という、こと、寛容の精神、で、しかも、六波羅蜜の中に、出てきますような、忍辱のよろいを着て、われわれは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、お互いがやっぱりそのおのおのの分担されたところの使命を果たすっていうのには、相当忍び合う、お互いに忍耐し合う、そういうことが必要じゃないかと思うわけでありますが。