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開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会

  • 法話コード=開祖-1963-10-28-A
    先生名=庭野日敬開祖
    行事名=核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
    日 時=1963(昭和38)年10月28日
    録音分=73分
    場 所=第二道場
    出席者=

    掲 載=『佼成新聞』1963(昭和38)年10月25日号1面
     見出等 「平和達成へ更に努力ー使節団アメリカでも大活躍」

  • ○司会 (一同 拍手)ただいまは会長先生の随行されました、内田北九州教会長より、海外での会長先生の、ご、ご活躍の模様などお話しいただきました。
     それでは、あー、次に、去る24日、ご帰朝されました、恩師会長先生より、ただいまからご帰朝のお言葉を賜りたいと存じます。では会長先生お願い致します。(一同 拍手)
    ○庭野会長 (咳払い)えー(咳払い)、本日は、本部のご命日を期して(咳払い)、今度の、渡航の報告会をしてくださるっていうので、かくも盛大に、(咳払い)この、報告会迎えたのでありますが、不幸にしてきょうは、朝から雨でございまして、40日間(よんじゅうんちかん)、旅行中は一つも雨に遭わずに、とても天候に恵まれて、時には、ヨーロッパにおいては、飛行機が、(咳払い)ロンドンに行っても降りられないで、またパリへ帰るっていうようのこともたびたびあるんだなんていうようのことを、案内の方に聞かされまして、え、そういうことになると、その先その先と予定がくるうので困ったがというようのことも、まあ、ちょっと一抹の不安も、あまりこの旅行の日程がぎっしりとしてるので、え、心配をしたのでありますが、(咳払い)バイブルの中に、いー、「信ずる者は幸いなり」っていう言葉がございますが、まあ、あ、信じて、幸いで行こうじゃないかというので、必ずお恵みをいただけるものと、ま、こう、頭で決めて出かけたのであります。幸いに信ずる者は幸いでございまして、天候には誠に恵まれたんでありますが、きょうは雨に降られてしまったのは、これはもう皆さんに報告するわたくしのサンゲでございます。ま、どうやら、それも、いま、晴れたようでございまして、外にも皆さんお立ちになっていただいているようでございますが。
     (咳払い)内田さんからたいへんにどうも、会長の宣伝をしてもらって、相当高い、何かその宣伝費を差し上げたようの(一同 笑)形で、え、40日間(よんじゅうんちかん)、まあ、おいしいごちそうを共に食べたんですから(一同 笑)、え、その分で(一同 笑い)、うまくほめていただいたのかも知れません(一同 笑)(一同 拍手)。
     (咳払い)このたびの、この、核兵器、いー、禁止、宗教者の、使節団という団ができたっていうことは、これはもう時が来たのでありまして、そこにたまたま、松下先生のようの、いー、立派のお方が団長である、ま、団長っていうのは、わたしども出発直前に決めたのでありますけれども、自然とそういう、リーダーをやられた方が、松下先生であったために、い、たちまちに、この、宗教界のあらゆる方が、賛同して、そして、使節団がまとまったのであります。

  •  どちらかというと、先ほども(咳払い)、内田くんの言葉からもありましたように、世界の平和っということに対しては、一つの、お、執念、エヘ(笑)、というほど、考えているらしいっていうことをいわれましたが、そのとおりでありまして、この世の中の争いということをなくしなければならないっていうことがわたしの念願でありますので、そういう意味では、松下先生と一緒に旅行へ出て、いろいろの、各国を回られて、え、外交辞令っていうものはなるほど、日本(にほん)の国で考えたように、わけにいかないと。向こうの国の国柄やら、宗教のあり方やら、いろいろのことが違いますことと、非常に難しい問題を、まとめていこうというのには、松下先生のように、この大きな包容力をもって、あまりその一つのことに、いー、固執(こしつ)しないと。わたしは固執(こしつ)しないようの自分で性分のつもりでおったんですが、松下先生と一緒に旅行してみるというと、どうもわたくしどもは少し、まだその、自分の思うとおりに、持って行こうっという気持ちがその、執念のごとく、現れてるわけであります。ところが、旅行に出てみるというと、そういうわけになかなか、向こうさまはいうことを聞いてくださらない。ま、幸いに、いー、出発前からの、お会いしようという松下先生のスケールであったところの、宗教家に対しては、順々と、第いちばん目に、いー、ローマにおきまして、バチカンのパウロ6世、法王に、ま、総員謁見ということでお会いすることもできましたので、滑り(「すみ」と発音)出しがよかったし、だんだんと、その先その先と、ジュネーブにおいても、ソ連においても、また、あ、ロンドンにおいても、それぞれ、予定の、宗教家にお会いしようというメンバーには、会えたのであります。
     ところが残念ながら、政治家には会いないと。1国を代表してるところの、大統領、首相(「しゅそう」と発音)というようの方に、いちばんこの問題をわれわれがその、宗教家として申し上げたいという、念願で出たのでありますが、それが、あー、全然、かなわないということになりまして、(咳払い)団長は、え、しかもお忙しいということで、え、ロンドンで、すでに、いー、団から離団致しまして帰国ということになり、団長が離団して帰るということになりましたところが、え、禅宗の、管長でありますところの、高階瓏仙先生は、ソ連に行って88歳の老齢を引っ提げて、え、仏教を説いてくるんだということを去年の12月、わたくしどもの対談の時に、松下さんとわたしと、イシザカ先生と四人の対談の時にそういう話であったんでありますが、え、それを非常にこれまた高階先生は、年寄りの、一つの失言といいますか、そういうつもりでいったんでありましたが、フルシチョフがいないで、お会いできないという時の、非常にこの高階先生は、気持ちが動揺したようでございました。

  • もし、いなくて会えないならば、だれか適当の者があいさつにぐらい来そうのもんだというような、なかなかこれはまた、え、相当もう、活発の意見でありました。向こうのソ連のほうではわたしども信仰者なんて認めてないかも知れませんが、世間を、わたしどもや、もう高階先生のようなこの宗教の固まった人間っていうのは、まあ、一つの道からいえば確かに、はるばるその、使節団がソ連まで渡ったんだから、政府の代表として、だれかそのフルシチョフがいなかったから、適当の者が来て、誠にご遠路ご苦労さまとあいさつして、してもらってこう、これはまあ、お年寄りの耳の遠い人ですからいろいろ事情あんまりわからんで、頑徹(がんてつ)にそうおっしゃること非常にわたしごもっともだと思う。その、老人の怒られた顔を見てわたしは本当に、なるほどこの、ご老人さすがに、15,000カ寺の管長さんを、務められて、日本(にほん)仏教会の会長にもなるという人だから、これだけのなるほど、一つの信念を持っていなさる人だなあと、こうわたしは非常に、え、高階先生のその人柄にわたしはほれ込んで。老人素晴らしいとこう思ったんでありますが、ロンドンに帰ると、と、おれはもう、ほかのところ行く必要がない。ロサンゼルスぐらい直行するから、もうおれも離団するっていうので、え、名誉団長と団長と離団して、ロンドンではもう四分五裂(「しふんごれつ」と発音)になっちゃったわけなんです(一同 笑)。ま、しかしこれはあの、感情的になったとかというんでなくて、お年寄りで、体が非常にお疲れであると。それから、まあデンマークとか、あー、(咳払い)スウェーデンっていうようのところの見学というようのことを、そういうことはもう自分に必要がないと。とにかくもっぱら、そのフルシチョフに仏教を説いてきたいというその念願で、おいでになったことは、え、ソ連で朝めしの時に、いー、高階先生のいわれた言葉を聞いてるとまったくもう、それに、い、固まって行ったわけでありますから、それが会えないってことですから、もうロンドンに来たら、おれはもうサンフランシスコへ行って、あー、ロサンゼルスへ行って、みんなの来るのあすこで待ってるから、先にわたしは行ってひとつ休養するというので、先にもう、団から離れちゃいました。
     そういうことで、団の性格が少し尻が細くなってきたようの形なりまして、え、そこで、団長が別れるにあたって、あと、だれかが団長に、なると、いうことをしなきゃならんのだが、どういうふうにしたがいいだろうっていう、まあ相談受けたんであります。そこで、まあ、どういうふうにするかっていうことで、いろいろ、考えたんであります。

  • で、考えた結果が副団長が3人いるから、まず年の上の人から順々にしようっていうことで、橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生からまず、ヨーロッパの最後、デンマーク、スウェーデンというとこだけは、橋本さんが団長して、アメリカは非常に会うところがたくさん、いろいろあるから、アメリカへ行ったら、どちらかその年の、上のほうが先に団長すると、こういうことで、ところが、まあだんだんそれで戸籍調べしましたところが、わたしがいちばん若輩でありまして、で、いちばん最後わたしと、こういうことなったんでありまして、別に内田さんの話のようのいいわけあったわけじゃないわけだ。それでまあ順々にそういう形になって、わたしがいちばん最後、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ハワイ、でまあ本部へ。この、日本(にほん)に帰るまで、団長っていう役でまあ帰ると。まあ、そういうようのことで、ま、回って来たんでありますが。順序としてはいま、申し上げたようのわけでありますが、まあ、だいたいもう、内田さんが非常に細かに皆さんに、手紙で報告したり、いろいろのことで皆さんもうご存知だと思いますが、報告は回った順序、いま、申し上げたようの順序で回ってまいりました。
     宗教家は皆その人その人の、持ち味を生かして、非常にわたくしどもの提唱に対しては、非常の賛意を示していただきました。ぜひとも世界平和をもたらすためには、まず精神界のほうが先に、いー、まとまらなくちゃいけない、ということを、世界中の宗教の指導者はみんな考えているようでありまして、いまさら、わたしどもが新しくいい出したことというようのことでなく、むしろ、ソ連のギリシャ正教の大、いー、主教さまなどは、広島の第3回目の、あの、(咳払い)会合に、参加をされて、ソ連からはるばる日本(にほん)に来て、そしてその、この核兵器禁止の問題に対しては、もうわれわれよりも、先輩であったことがわかったわけであります。
     そういうわけで、まあ、あー、世界中、人類の中で、おそらくこの核兵器禁止ということを嫌だっという人はいないんじゃないかと。ところがゆきがかり上ですね、やっぱり、このー、米英ソの3国は持っておるから、気の毒に保有国のほうは、これがいけないと、こうはっきりいってしまうと、いけないものは早く捨てなさいといわれると困りますから、なんとかその理屈をいいたい。これはまあ、あの、いま、あ、米英ソ3国だけをわれわれは非難、しるわけにはいかないと思うんであります。立場が変わると、わたしどもでも、やっぱり大東亜戦争の時分には、え、なんとかして聖戦ということにもって行こうというので、外国の人にいわれても、なんとか日本(にほん)の、戦争することが正当の戦いなんだと、ま、こういうふうにいいたいっていうの、これは日本(にほん)人の人情でありまして、そういう時に戦争が悪いっていうことは全然知らなかったかっていうと、戦争をすることはいけない、ということを知っておったと思うんです。

  • ところが、戦争始めてしまうとですね、やっぱりこれはそのなんとか、日本(にほん)の戦争っていうのは正しいんだと、ま、こういうふうにその、やりたいのがこれは人間の、人情だと思うんであります。
     ですから、核兵器持っている国はやっぱりそういう意味では、禁止という言葉を非常にその、アメリカのこの軍縮局長さんは、頭にだいぶきたようでありますから、もう禁止って言葉が気に入らなかったら引っ込めてもいいんだと。こういうもの必要のない世界創ろうっていうのがわたしどもの考えなんだと。まあいうことで、だんだん説明していくうちに、おしまいには、とうとうまあ、その、アメリカという国だけが、世界中どこの国にも軍縮局というようのものをこしらって積極的に軍縮問題に取っ組んで政府がやってるところは、見当たらないじゃないかと。アメリカだけがこういうわけで一生懸命でやってるんだというようのことで、だいぶこの軍縮という問題に対しては、禁止っていう問題をアメリカへ持って行くというとすぐ、ソ連をどうするんだと。まあ、いうことで、これ、ま、ちょうどわたしどもの戦争中の意思と同じことでありまして、ましては局長というお役があって、軍縮局というところに席を置かれる方にしては当然のことだと思うんで。ま、そういう意味では、もう、向こうのいうことよくわかりましたし、いろいろお話をしてるうちに、やっぱり主旨においては一致してんだと。しかし、これを具体的にということになると、そこに非常に問題だと。まあ、そういうことで、ま、そこでわたしども宗教家のできることというのは、そういうものを必要のない、お互いの相互理解、いままでは宗教家が、なかなかよその教団のいうこととか、ほかの人の、ことを聞かないっというのが、宗教家の、いままで過去の宗教家はそういう宗教家であったと。ところが、これからの宗教家はそういうことでなくて、壁を、壊して、橋を架けなければならない。お互いに橋を架けて交流し合って、行ったり来たりして、そして手をつないで、本当の平和を築くというそういう、核兵器のいらないような世界を招来させる方法を考えていかなくちゃならないんじゃないかと。そのいちばん原動力になる心の問題の解決を、まず宗教家が受け持ってやろうっていうようのことで、ようやく話が、向こうが納得してくれたわけであります。
     (咳払い)ま、しかし、持ってる人は気の毒だとこうわたし心配して、あのー、最近に出る時に、やめなさい、やめていただきたいなんといってお願いするのでなく、持ってるほう気の毒だから、そういう気の毒の状態をだれかが声掛けないというともう振り上げた拳(こぶし)を下ろすとこがなくて困ってるとおなしように困るだろうから、早くその、核兵器の禁止って問題をその大きく、世界中の人類から声が出て、え、そして、いま現在持ってる国だけで、もう、あとの国はそういうようのをこしらえる必要ないようの状態を早くつくってもらいたいっていうことを、願っているんじゃないかと。

  • まあ、そういうところまで話をしてみたいっていうようの気持ちで行ったんでありますが、まあ、そんな、言葉もやっぱり通じません、やっぱり言葉の違うところで、思うようにもう、まいりません。ま、しかし、だいたいそういう意味では、そのことを、この軍縮局長さんが、これはまあ公表してないことを発表したんですから、ちょっと問題だかと思うんでありますけれども、だいたいこの持ってるところの3カ国は、いま現在では軍縮、だんだんと縮めて行こうっていうことで、人工衛星のようのそういうものに核兵器を積んで、え、そして、もう、うーん、この、ばらまかれた日にはたいへんのことんなるわけですが。持ってる国がその3国でもって、内々(ないない)に、そういうものに積むということは絶対にしないという約束を、ほとんど決まっておるんだというような、内緒のことまで局長さん発表して、その、自分たちもやめることの方向に努力してるんだということの所作を、まあ、示されたわけであります。ま、そこまで人類はもう、みんな、核兵器を禁止することを願っておるということがよくわかりましたので、それ以上いろいろのこという必要もないと思いまして引き下がってきたようのわけでありますが。
     ここで、わたしどものこれからの問題でありますが、日本(にほん)におきましても、まだまだ宗教家の中に、他教はみんな邪教だと、いうようのことを、このちっともです、臆面なしに、そう加減もしずに平気でですね、他教みんな邪教だっというようのことがいえるような人が、世の中にたくさんいる。そういう考え方の人がいる、そういう独善的な、排他的な、そういう思想の人がいることがやっぱり危険なんでありまして、どこまでも寛容の精神でお互いに人の人格を認め合って、人さまの宗教の教義の違うところが、どういうところに起点があるかというような、要するにお互いが、持ちつ持たれつのその関係、要するに仏法でいうならば諸法無我の法則といいますか。で、そういう意味でお互いの、孤立して世の中にだれ一人としていられるものないんで、みんなその関係があるんだという。われわれは、ともにこの娑婆に生まれていま現在おんなし時代に生まれているというその、一つの共業(きょうごう)、仏教でいうと共業(ぐうごう)っていいますか、そういう同じ業に生まれて、いま現在、地球上にわたしどもは存在してるわけですから、この、大きな現実の因縁をわたしどもは深く感じて、早くそういうことを取り除く考えをお互いがしなきゃならないと思うわけであります。そこで、え、具体的にこれを、そういう条件つくるっていうことなりますと、どういうことになるかというというと、これ難しい問題でありますが、わたしどもの今後のあり方っていうものは、そういう意味で、大乗を標ぼうして、わたしどもはこの法華経を信奉してんでありますが、大乗仏教の思想っというものの根底にあるものをよく考えた時に、排他的、独善的ということがこれが、ま、いちばんいけないことでありまして、そういう意味で相互理解という、こと、寛容の精神、で、しかも、六波羅蜜の中に、出てきますような、忍辱のよろいを着て、われわれは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、お互いがやっぱりそのおのおのの分担されたところの使命を果たすっていうのには、相当忍び合う、お互いに忍耐し合う、そういうことが必要じゃないかと思うわけでありますが。

  •  そこで、回ってまいりました、いろいろの国の状態をちょっと参考までに申し上げて、え、そしてその人間のあり方っていうものは、ちょっと行き過ぎるとこういうふうになるんだっと、いうことの一つのこれが、考える、糸口になりゃあしないかとこう思いますので、このあいだずーっと旅行してますというと皆さんがいろいろの、ことを、おっしゃる。で、その中で、非常におもしろい言葉が出たわけであります。
     非常にこの、ヨーロッパの社会保障のよくできた国。例えば、スウェーデンのようのところは、社会保障は非常によくできてる。わずかの国民の数(かず)が750万という国でありますが、750万のところへ、家数(いえかず)が320万戸あるっていうんですから、750万で320万というと半分はないんですけれども。子どもさんがいて親子3人という家族があることになるとうちが余ってしまうわけであります。3人平均となると余るわけです。ですから、別荘を持って何軒ものうちのある人が、いま、たいへんあるわけであります。ま、結婚すればすぐその別のうちへちゃんと所帯を持つっということが、日本(にほん)のように不都合でなく、すぐにできるわけであります。で、その国の状態聞くというとまた、非常にうらやましい点があるわけでありますが。毎年(まいとし)、おういう鉄筋コンクリートで建てた、石で建てた、レンガや石で建てたところの、容易に壊れることのない、焼けることもないという、そういう建築が、政治の力において毎年5万戸ずつですね、その小さい国で5万戸ずつ毎年(まいとし)建たってる。不景気の時は7万戸だという、1年に。景気のいい時は5万戸なんだこれ。それちょっと聞くと、わたしどもにはこう、景気のいい時に余計建って、景気の悪いとき少なくしちゃよさそうなもんだと思うんですが、これは社会保障よくするために、景気悪くなると失業者ができる。そこで2万戸余計に建てて、やっぱりその失業救済ということで、不景気になると7万戸建てるというそういう政策を30年間やってきたっていうんだ。これは、スウェーデンでは、社会党の政治だそうですから、社会党が30年、政党、政権がつながってる。ところが、その社会党政権だといいながらまたおもしろいことにはですね、自由陣営のこの、国のですね、政治と変わらないということですね。例えば、国営のものというものが誠に少ない。ちょうど、いま、現在の日本(にほん)やなんかとおなしように、本当の、例えば、ま、日本(にほん)でいうならタバコとか、酒なんかもいくらかあるんですが、砂糖とか、まあそういうこの、郵便物だとか、鉄道とかっていうようのことになるでしょうか。

  • その、国営のものっていうのが誠にその、自由陣営とちっとも変わらないで国営、全部すべてが国営じゃなくて、自由にもう皆さんが、もう闊達(かったつ)に、やると。
    ま、こういう点が非常にわたしはおもしろい国だと思うんであります。ですから、社会主義だといっても、みんな国営になってしまうかと思うと、やっぱりその国柄によって、そう簡単にいかんもんだなっていうことにもなると思うんでありますが。
     ところで、そういうふうに社会保障はよくて、する国が、税金はいちばん高い国だと。ま、こういうところにまた、ひとつわたしども考えをしてみなくちゃならない。われわれはもう税金さえ安ければいい、というようなことで、何か共産党が政権取ると税金ちっとも納めなくてもいいようの政権のようでございますが、そんなことで国が行くか行かんということが、ま、すぐわかると思うんですが。別に共産党のわたしはあの攻撃運動してるわけでありませんけれども。ま、そういう意味では、税金が非常に高い。例えば、高額所得者は10日働いて1日(いちんち)が自分の生活費で、10日(「とおか」と発音 正・9日)は税金に取られる。普通のいちばん最低の労働者が3日(みっか)働いて1日(いちんち)は税金だと、2日(ふつか)が自分の生活。ですから、だいたい生活が同じような生活になるようにしてるようであります。ま、そういうようなことで、非常にこの生活が、もう、お、非常にこの差がなくなってるわけですね。こういうふうになって、どういうバランスでいくかというと、軍事費が20パーセント、社会保障が30パーセント、で、あとが50パーセントが、え、すべてのこと、教育とかいろいろのことを賄ってるんでしょう。そういうことで、いま、申し上げましたように非常に、そのー、高い、そこで社会主義の国であると。で、その国がどういうふうにやってきたかというと、戦争という場合、要するにこの兵器、武器という場合になるとどういうことになるかというと、ここの国はですね、世界でですね、米英ソ3国を離すというと、750万の人口しかない国がいちばん最新式の優れた武器をみんな持ってるっていうん。スウェーデンはその4(よん)番目だっていうんですから。そのぐらい最新式の武器を持っていつでも戦争に立ち上がって、750万が火の玉となって戦うという自信持ってる。それで中立を守ってるわけなん。
     ですから、あ、これもですね、社会党、まあこないだ、中立っていう問題で、池田さんと、この3党首のあれ会談聞いてると、ま、そんないろいろのことを聞いて来たもんですから、どうも社会党さんがちょっとまだ、小児病をのびないんじゃないかと思うような、こうちょっと精神年齢を鑑定しなくちゃならんほど遅れていやせんかと思うようのその政治観念がですね、中立ということが守れるっていうのには、やっぱり自分自体の力がちゃんと、軍事力を持って、そしてもうその、どこからも、侵せられな、侵されないっというような、そういう国の中立は中立が成り立つけれども。

  • うっかり中立だというので、どっこにも関連しないで、なんにも持たんで、無鉄砲にといっても、いま現在われわれは、ま、理想、平和ということから理想を考えれば、そういう世界のほうが好ましいん。
    好ましいけれども、いま、ちょっとあのEECが、さの、いろいろのこといっても、ちゃんと自分ではその中立っということで、どこにも別にその世話にもならなければ、従いもしないと。自分の思うところのはっきりとしたところ、自分の、独立したところの、立場をとって、そしてその意見を主張していくと、こういうまあ、国になってるわけです。これやっぱり、なるほどいろいろの条件をよく考えないと、これはうっかりできないもんだっていうことを、まあよく、う、わからしていただいた。こういう面をいうと非常に、たいへんに、え、素晴らしい国なんですがこの国が、わたしはいちばんの悩みになっているものは何かっていうと、だんだんそういうふうになってくるというと宗教心がなくなっちまう。なんでも物でもってすべてのことをそろばんずくで割り切ってですね、中立問題でもそろばんで割り切ってるわけ。親子の関係もみんな割り切ってるわけだ。もう夫婦がちゃんと、この若夫婦ができた以上、年寄りは隠居してしまって、え、そして養老院に楽々と行っていられるように社会保障があるから、ま、それはちゃんと設備がある。ところが、この国の人はどういうことなったかというと、そういうふうですから、まあ無理がないんでしょう生活に。日本(にほん)のようにがんとかですね、肺病患者なんてものは極めて少ない。ですから、病気のために、しん、死ぬというのは、割合年の若いうちに老衰で死ぬっていうん。これはもう全然意欲がなくなってしまうそうですな。もうその若手が、あー、ちゃんとこの、自分の子どもが成長したと、で、それにもう嫁をもらって、孫ができたのを、その、ま、日本(にほん)であれば、おばあちゃんに守(もり)してもらわなくちゃならんとか、へそくり少し出してもらわんと子どもに教育できんとか。まあ、いろいろこの、親子関係ですね、これ貧乏の国だけに、わたくしどもはうまくできてると思うんです。ところが向こうはその何もかにもちゃんとうまくいってですね、もう楽々ともう、孫の面倒なんか見て、守(もり)しなくとも、養老院で楽々と、こりゃあ、その、老人はその生活できることはできるんですね。ところがなんの意欲もなくなるから、もう老衰してしまうんですね。まあ老衰でこれまあ自然の大往生ならこれはまたもう、まあ、あまり早く死ぬの歓迎するってのおかしいですけれども、これはまあ大往生できるんならこれ結構なんですが、老人の自殺が非常に多いっていう。

  • ですから、肺病やがんで死なないかわりに自殺で死ぬという。
     ま、こういうことをわたしは、きょうの報告にですね、こないだもちょっと申し上げましたし、平和使節なんていうのは、いまごろ始まったことでなくて佼成会はもう25五年、創立以来この平和の問題で一生懸命みんなと取っ組み合って、で、平和をもたらすのには一人ひとりが完全の人になって、自分自分が、家庭の中から平和という、自分そのものが人と争う気持ちのないそういう、人間の完成がだんだんと築かれて、そしてそういう社会がだんだんできて、そういう国ができて、そういう世界に影響を及ぼすと、そういう形、これは誠に遅いけれども、着実にそういう平和問題をわたしども真剣に取っ組んできてるわけで、その問題をたまたま、いま現在はそうあんまりその、理想のこと考えて、そういう着実であるからといってあんまり消極的なやり方じゃない積極的に、この核兵器だけはやめなくちゃいけない、禁止してもらわなくちゃならないと、そういうところに今度、まあ提唱をしたわけでありまして。
    急場を救うための要するに一つの提唱であって、それを実現するのには、佼成会の創立以来の、この仏教精神によるところの人間完成という、人間の目覚めという、そういうことが根本でありますから、アハ(笑)、これはもう基本的のもので皆さんがちゃんと頭に入っているから、わたしはそういうことよりも、回って見たその社会保障やいろいろのその国柄や、そういうことから、わたくしどもの身辺を円満にする上において、もういっぺん考え直してみる必要があるとこう思いますので、これ余計のことをちょっとこう、付け加えて申し上げてるわけであります。
     その社会保障のできた国がですね、そういうふうです。え、イギリスもたいへん社会保障よくできてるというんですが、イギリスの国は、やっぱり大東亜戦争において、いままでの自分の、統治してたところの国が皆そのカニの手をもぐように取られちまって、自分の本国だけになりましたから、アメリカは保障よく、やる、よくできても、そんなにですね、年寄りがまあ仕事しないで楽々できるっていうところまでいかない。そこにですね、体の動かない人や働けない人や、そういう人に対しての保障をちゃんとしてある、やっぱり、保障は、ず、実によくできてなさるそうであります。でありまするから、イギリスの社会保障っていうものは、生きるための社会保障、い、生きるための社会保障、ところがスウェーデンの社会保障は死ぬための社会保障。ですから早く死んじゃったほうがいいってんで、自殺することんなっちまう、ね。ですから、希望がないから、早く老衰してしまうと、こういうその結果をですね、もたらしちまう。

  • だからそこに、まあ、そのー、考え方という問題になってきますというと、最近気がついてきたっていうことは、そこにその、そういう自分が安楽の世界になってですね、自殺を企てるということの奥の奥を考えるというと、30年間社会主義というものにやってきて、宗教心っていうものが、だんだん薄らいで、お寺があって形はできてるけれども、宗教心というものが国民からまるで抜けてしまったと。そういうところに心のゆとりがない、考える、やっぱり未来永劫の要するにその生命力っていうものを考える、判断がなくなってきたと。ま、いうことで、少々、スウェーデンのほうではそういうことに慌ててですね、宗教にもう少し、皆さんが、宗教心を起こすようの方法にもっていかなくちゃならないんじゃないかっていうことが、起こりつつあるん。
     これはやっぱりですね、仏教でいう諸行無常で、世の中は、こういろいろ波が打ちます。のぼったと思えば下がります、張ったものは緩む、また緩んだものは張るというようにですね、たこの綱じゃありませんが、波が打つのでありますが。ま、そういうような順序をこうずっと、いろいろの状態を、見さしていただく時にですね、わたくしどもに、日本(にほん)国民という者は、この前もわたしは、南北米回って来て、日本(にほん)の国民に生まれたってことがわたしは本当に幸せもんだということを痛切に感じたと申し上げたんでありますが。
    日本(にほん)は、何かがないとか、あるとか、ま、まさまざまのこといっておりますが、わたしどもに与えられたところのその問題っていうものは、むしろ日本(にほん)人の現在の状態では、全部がいいとはいえない。どうも、誘拐事件を企てたなんというバカなやつも出てくるし、え、1,500万の借金があったからといってどうも、とんでもないその、人を誘拐しようなんという、まあ物騒のやつも世の中にあります。日本(にほん)人にもそういう不心得者もおりますけれども、しかし人間本来のものをよく正して、まあ、こういう人もやっぱり宗教心がないから、そういうことになってしまうと思うんですが、わたしどもがよくこう考えた時に、わたくしどもの置かれてる日本(にほん)という国は非常に幸せだと。
     例えば、ドイツのベルリン、これまあ東ドイツと両方、お、拝見さして、見学さしてもらったんでありますが、これはたいへんその西ドイツのほう復興して、東ドイツだけはまだ復興しないけど、西ドイツのほう復興したっていうようのことをいままでの報告でわたし聞いておったんでありますが、行って見るというと、わたしの目に映ったところでは、確かに西ドイツのほうは人間が大勢いるし車がたくさんありますから、人はたくさん住んでおるでしょう。

  • ところが戦争後(ご)、まだ傷は決して西ドイツも治っておりません。相当、戦争の罪の深さは深い。東ドイツはやっぱり、これはあのソ連のほうで、まあ、わたしどもにこの見学させる場所1時間ぐらい、バスで見学させるその場所、表通りだけはたいへんによく繕って、きれいにしてあります。ところが、ちょっとこう裏のほうを見ますというと、これはまた人間はだいたい数が少なくてどんどん西ドイツに逃げてこられるってことですから、復興するはずがないんですよね。ですから裏のほう見るというと、これはひどい。これはどっちもですね、けんか両成敗(「りょうさいばい」と発音)という言葉をよく聞いてるんでありますが、まったくもうけんかをしてはならない、戦争しちゃならないっていうことをですね、あのドイツの東西(ひがし、にし)両方あそこの本当のまあ一つの線を引いて、鉄条網の大きな輪をこしらったりいろいろしてその、たいへんのまあその、現在でも、ま、戦争状態といってもいいと思うんであります。ベルリンの町のこの広い町にわざわざですね、バスの通るだけにただ5寸ぐらいの余裕だけでもって行くように広いバスが5台ぐらい並んで行ける道にですね、コンクリでもって、ずーっとこの、何枚もコンクリの5寸ぐらいの厚みの板をこう、コンクリートをこう重ねていく。そして、通れないようにこう道をしてですね、広い道をせまーくして、その一口(ひとくち)からして入って、入るというと、全部、この、ビザを取って、検査をして、え、それだけならまだいいんですが、全部バスで、ま、観光のわれわれはみんな入るわけですが、バスに乗ったそのバスの下のですねトランクまで開けてみんな検査してですね、だれかここへへえってやしないかっていうわけで、ただ、それほど警戒をして、それでしかもその、案内をするガイドがみんな変わっちまうん。
    運転手からガイドはもうとにかく東ドイツから西ドイツに変わる時には、バトンタッチをしてそして、向こうの見学は、向こうのコースで東ドイツのほうで案内してくれると。ま、こういう状態でありますから、まあこの、戦争は致しましたけれども日本(にほん)は、幸いにして、国は二つにならなかった、38度線っていうようのものなかったと。この東、西のあのベルリンのようの状態がなかったと、ま、こういうこともわたしどもに大きな恵みを与えてくだすった。
     そりゃまあ日本(にほん)はそういう意味からいいますというと、戦争のつめ、もうほとんど治ってですね、どっからどこまで、まあ、いろいろの問題は非常に解決してる。どこを見ても戦争以前よりも非常に、ま、何回もわたしはもう全国布教で回っておりますけれども日本(にほん)の国は、非常にそういう点では恵まれている。

  • え、そしてまたその、先ほどの社会保障の問題というようの問題でありますが、お年寄りになってやっぱりわれわれは希望を持ってですね、孫の成長や、その自分の子どもさんの、孫さんをその成長させるその努力に、まあ、おじいちゃんおばあちゃんになっても協力してですね、自分の生きてるうちはやっぱりできるだけの協力を惜しまないと。で、しかもそういう暇があったらですね、ま、年寄りだけの場所じゃなくて現在若い人が最も必要なんでありますけれども、若くても年寄りも同じでありますけれども、そういう状態になってきてるんだから、いよいよわたしどもは、本当にこの宗教心を起こしてですね、かつては戦争前、戦争中などは、わたしどもが、この法座を開いているというと、当時のジャーナリストが来てですね、わたしにこういうことをいう記者があった。この忙しい戦争下にですね、なんでももう品物を作らなくちゃならん時に、顔を見るというとみんなお宅へ来てるの一家の主婦だと。年ごろもですね、確かにそうなんです。こういう人を集めているなんて国賊だということいわれた。ま、なるほど、一人でも多く軍事工場で働かなくちゃならないって時には、そういうことも、いう筋もあるかも知れません。ま、しかしそういうことをいわれながらも、わたしどもは真剣に、修行を積んできたわけであります。ま、そういう時にそういう修行した方々が、いま、皆支部長になっているわけですけれども。
     ま、そういう、わたしどもは過去からしてのいろいろのことをこう考えた時に、もう少しですね、日本(にほん)国民はやっぱり、わたしどもこれから大いに声を大にして、国際的っていうことになると、決してその頑固だとか、排他的だとかですね、独善的だとかってんでなしに、日本(にほん)国民はもう少し日本(にほん)の国というものをどうするかという国の、国という単位がですね、国際的の場合には国っていう単位が非常に貴重なんだと。
    こういうことを考えた時に、われわれがやっぱり安泰であり、日本(にほん)という国が本当に安泰で団結して、そして国が繁栄してるっていうことが、世界のいろいろの間違った国にそういうその、お、示唆を与え、そしてそういう方々を導いて、これから東南アジアあたりのこの、後進国をやっぱりこれから導くという場合にですね、どうしてもこの国の中でもってわれわれがその勝手のことをいって、まちまちのことをその、醸し出そうというようの考え方の人間がどうも、多すぎるようの気がするんですね。やっぱり日本(にほん)の国というやっぱり、国家なんていうことをいうとこれは、庭野会長まだ明治時代の人間だから、頭古いというか知らないけれど、やっぱり、わたしは愛国心、この国家を守るという国家をもっと繁栄させるという、この愛国心ですね。

  • 本当に人類、愛すという意味からいったならば、やはり国を愛すということで、日本(にほん)の国民そのものがもっとはっきりとしたところの、指導の立場に立つというこの、大きな使命が日本(にほん)国民にあるんじゃないかと。ま、そういうことをわたしは痛切に、い、今度、お、感じてきたわけであります。
     イギリスへまいりますというと、空港で、非常に物騒のほどですね、やかましいような態度を取られたんでありますが、非常にやかましいようの態度を取ったかと思うといっぺんに、この使節団は簡単に、え、税関も通していただいて中へ入れていただいた。で、中に入っていろいろ聞いてみるというと、この前の、いー、岸総理大臣の当時に、岸さんがちょうどお回りになった時分には、岸さんが向こう回るという話を聞くというとたちまちに、フィリピンのあたりでもって、その残虐行為をした日本(にほん)人のその、戦争をした日本(にほん)人、そういう国の首相(「しゅそう」と発音)が来るんだというようのことで、たいへんに新聞でもうたたかれたそうであります。そういう状態の中を、岸首相(「しゅそう」と発音)は忍耐してですね、ずーっと回って来られて、しかもそういう国から、いま現在の東海村の原子力の、おういう原子炉などをですね、買い入れたりして、ま、こういうことをこう考えても、政治家というものはやっぱり大きな考えを持って、いろいろの国策というものによって、世界を導いていくという意味においては、われわれよりやっぱり視野が広くて、その専門家だけに素晴らしいことをしてなさるなっというふうにわたしは感じたわけであり。そのおかげでですね、そういういろいろの日本(にほん)の政治家がみなそういう考えで、やってきていただいたおかげに、6年前のその、岸さんのいらした時分の状態と、ここんとこ3年間というものはもう、イギリスの方がガラリって変わってですね、もういろいろの面で、もうすべてのことを、日本(にほん)人というものの見方が違って非常の信頼感をもって、付き合っていただけるようになったと。
    ま、こういうことを、も、聞いてきたわけであります。
     どこ、行っても、非常に日本(にほん)人は、ソ連に行っても人気がございます。非常に大切に日本(にほん)人だというと大切にしてくださる。ま、こういうことを考えても、先にわたし(「わし」と発音)申し上げましたように、日本(にほん)国民というものの優秀性っていうものを世界中の人類ことごとく認めてると、ことがいえると思うんであります。
     それから最後のアメリカへまいりますというと、あのアメリカで、黒人問題っていうようの問題で、わたしどもは遠くで見ているというと、黒人問題、アメリカはけしからんと。

  • この、自由国家であっていながら、そのおういうその、こと、しちゃいかんというようのことを、わたしどもは頭んなかへひらめくんであります。ところがこれをですね、実際にその、そばにいる方々の話を聞いてみますというと、これもなるほど、そうせざるを得ないっていうところに黒人のほうもザンゲがあるなということを、まざまざと聞かせられた。こういうこともまたわれわれの、こん、今後の、考え方っていうものに、大きなこれ一つの役割があるんじゃないかとこう思うわけでありますが。なぜ黒人を嫌うかというと、ホテルで泥棒があったといっても、お店で、かっぱらいがあったといってもですね、ほとんどがその犯罪というようのものを、不良の少年というようのもののですね、悪(あく)行為が非常に黒人に、ぶ、この数(かず)が多いという。そこで日本(にほん)人、非常にアメリカの人は信頼してるっていうことはですね、日本(にほん)人は絶対に犯罪を犯さないっていうんです。これはですね、日本(にほん)の中に、え、ひどいのがたくさんいるのに、アメリカへ行った人だけはですねえ、ちっとも犯罪犯さんというんですが、これは誠にお恥ずかしい話でわれわれもう、国にいるものはお恥ずかしい話だけど。それが特にですね、このう言葉がですね、2世ぐらい、まず1世は絶対犯さんそうです、言葉のできないようの、日本(にほん)語でなきゃ話せないようの人はもう全然悪いことをしないそうです。3世になると多少あるそうです。もうこれは全然、言葉、こっちの言葉はわからないで、向こうの言葉だけの人。ま、これがなるほど、まあ、その絶対に悪いことしないというようの、それだけを手放しでほめるわけにもいかないっていうその、一つの理屈もまたあるわけですね。それはどういうことかというと、言葉が通じないからすぐあれ日本(にほん)人だとはっきりわかる、ね。自分が正しくならなければ人さまが正しく用いてくださらないから、自分というものを、護身用のためには、自分が正しくならざるを得ないという条件に置かれるわけなんですよ。ですから、これはやっぱりわたしどもはよほど考えてみなくちゃならんとこだと思うんです。自由が利くからという、自由、自由といって、自由でさえあればいいという主張がだいぶ多いんですが、人間に自由っていうものをあんまり自由放題に与えると何をしだすかわからない現在の日本(にほん)の、犯罪の多いことがそこにあると思うんです。
    そういうことで、全然もう日本(にほん)人はひとっつも悪いことしない。その、そういうことがはっきりもう、こんどは統計上出してそのアメリカで信頼してる。お金を貸せば必ず返すっていうんですね、ま、そういう信頼感。

  •  で、戦争の時に、日本(にほん)の2世がとにかく非常にこの、自分の本当の国だから、母国であるから、その国に対して何かその寝返りでも打ちやしないかっていうようの向こうで心配したん。ところがもういちばん信用の始まりがそこからだそうですが、日本(にほん)の2世はやっぱり自分の住んでるその国土というものを愛してですね、アメリカに協力したんですね、2世が。非常に勇敢であった、忠実であった。これで日本(にほん)人はやっぱり自分の住んでおるところのその郷土、国土と自分の、す、住んでるところっていうものを守るというその、非常に素晴らしい国民だということで、え、日本(にほん)人を信頼し始めて、それからずーっと調べてみると犯罪は一つも犯していない。公共の事業に非常に力を尽くすと。ま、いろいろの点ですね、正直で絶対にその金を貸しても返すという。ま、そういういろいろの条件を取り上げて日本(にほん)人をアメリカでは信頼してんだと。
     ところが、黒人はなかなかそうはいかないんで、あっちでもこっちでも悪いことしたってばもう黒人だろうといってですね。ま、その悪いことをするからまあ、多少また白人のやったのまで片づけられるかも知れませんな。うん、そういうことで損してるかも知れませんが、学校などでは、ですから黒人の子どもが来て、道徳の、その守れない、無作法な、そういう人が学校へ入ってくるというと、白人系の人はもう、おういうのがたくさん来たんじゃ子どもをあの学校置けないっていうので、どっか移転をしてしまわなくちゃならない。そういうような苦労が非常に、あちらにもこちらにもあるので、黒人の中でも心あるものは、これは黒人自体がですね、嫌われないようの国民にならなくちゃいけない。こういうことを中でですね、指導にある人は非常に反省をしつつあるということを聞いてきたんです。
     まあ、ですから、ま、終極へまいりますと、わたしどもお互いさま、自分ということになるわけです、自分というものが清くなり、自分というものが正しくなる、自分というものが明るくなると、自分ってものの考え方っていうもの変えるということがですね、自分を守る自分を安泰ならしめるという、そのいちばんの条件だということはもう、これもう、仏法の因縁、善因善果、悪因悪果の法則からいっても当たり前のことでありますが、え、まざまざと、そういう問題を見せつけられて、ま、きたわけであります。
     でありまするから、わたしどもは本当に、ただ、わたくしどもの会、という、まあ、やっぱりこの日本(にほん)の国っというものにわたしはさっき力を入れて申し上げたように、宗教団体を本当にそういう方向に、皆さんがともに手を携えていけるような、ことになるのにはやっぱり、相当、佼成会というものがやっぱり、本当に中でですね、われわれの一つの同志が、本当の異体同心となって、仏さまのみ心を体したところの立派の人格者がここへ団結してですね、そして、わたしどもが大いにその、頑張らなければやっぱり日本(にほん)の宗教界を動かすっていうことは、一応、旅行ではうまくいってまいりました。

  • これはいま、申し上げましたように、外へ出るというと、頼るものは自分たちのグループだけだ、ね。言葉の通じるのはグループだね、そういうことんなるからもう、仲よくならざるを得ないという条件に置かれたから仲よかったかも知れない。まあ、そんなことをいうと、人さまにお恥ずかしいんですけども、われわれはそれほど人間皆一人ひとり横着のものなんです。なんとか、のさばられるところはのさばるんだけれど、のさばりようがなくて仲よくしよう、言葉の通じるですね、まあ、目的を同じゅうしてるっていう者は、これこれだってことんなると、仲よくなるのに決まってるん。
     ま、そういう意味で、今度、国帰って来てもですね、その時の気持ちのようでお互いが、各教団が行ければこれは大したもん、ね。そうなれば、いま、申し上げたことはわたし取り消します。条件によってわれわれは仲よくしたんじゃなくて、本質的に、やっぱり自分は理の上に立ってですね、人間本質の上に立って仲がいいんだと、いうことんなります。そういう状態を、日本(にほん)宗教界が、全部がそういう気持ちになって、もう一歩脱皮してですね、宗教界のやっぱり独善的な考え方や排他的の考え方をやめて、もっと大乗仏教の仏さまのこのみ教えの、要するに妙法華経(みょうほけきょう)の精神っというものによって、教えによって一貫したところの国民の宗教心を盛り立てると、そういうその大きな力を、わだ、わたしどもが、課せられてるんだと。ま、こういうところで、わたしどもの布教がですね、本当のこの、法華経の精神にのっとった、仏さまのみ心にかなった活動を展開して、そして、慈悲、に、日本(にほん)の宗教界が、本当にその、こぞって皆さんが手を携えていけるようの条件をわたしどもは真剣になってつくると。そういうことが今後の平和の問題のわたしはいちばんの要諦じゃないかと。
     大いに、幹部、諸公にも話し合ったり、いろいろして、他教団との関係もわたしは、本当に仲よく、力を、お互いに、いー、手を携えていきたいと思っておりますけれども。しかし、本当に他教団をそうして動かすっていうことになると、われわれの教団の中がやっぱりそういう人柄がですね、みんな、一人ひとりがみんなそういう円満の人で、そして堂々と皆さんが説いてごらんなさい。日本(にほん)でまだその、よその宗教界をけなしたりなんしなくてもですね、宗教がなくて、宗教を持たないで、まだ縁がなくて、知らないで、そして本当に迷ってる人がたくさんいるんです。だからどっかの宗教についてる人は、どうかするとですね、この宗教に好きな人は、あっちの宗教へこっちの宗教へ宗教遍歴をして満足してる人がたくさんいる。

  • たまたまどうかするとお導きは、喜んでいると宗教遍歴の人がたまたまですね、観光客みたいなのが来ることがある。で、皆さん導いたと思って喜んでると、またいい加減しばらくたつとまたどっかへですね、40日(よんじゅうにち)たつとまた移転するかもしれない (一同 笑い)。
    そういう意味で、まあ、あ、その、そういうことを排斥する必要ありませんよ、おいでになったの観光客は大事にして、そのうちに、あ、その、その居つくかもわかりませんから。まあ、そういうこともありますけれども、宗教を持たない人にですね、広くわたくしどもが、大きな、宗教の本義というものをかかげてですね、堂々と布教すると、そういう態勢をわたしどもがとって、そして教団というものが、本当に教団の中にいる人がその立派であり、外との関係も立派のお付き合いができるような内容であって、え、そして教義がちゃんと、これだけの仏さまの教えを立派にわたしどもが行じたならば、これはもう期せずしてですね、教団も大きくなるし多くの人に喜んでもいただけるようになるし、え、多くの方をそうしてわたくしどもが、お導きをさしていただくというその使命感に立って努力をすると、おのずからですね、人さまをどうしても正しくなってもらいたいというそういう願いを込めて一生懸命で努力をしているというと自分が、知らないうちに、だんだんと自分が円満になっておるはずでございます。自分だけなんとかなろうとか、自分だけの顔を売ろうとかですね、どっちか、あっちにもこっちにも顔を売ろうとかなんとかいっても、これはもうたかが知れてる、そのー、姑息(こそく)のことを考えても。それよりも一生懸命で人さまのよくなること人さまの完成することを願って一生懸命に朝っから晩まで一生懸命やってるとね、知らないうちに自分が円くなってるんです。知らないうちに、わたしはそうなると思う。
     皆さんが、お導きをした時は、なかなかさまざまのことをいっておる方がですね、このあいだも、こういう人がニューヨークでですね、杉並支部の青年部であったそうですが、コジマカズロウという人が、いま、英語を勉強に行っております。きょうご親戚の人いらっしゃるかも知れませんが、その方がですね、電話をかけてきまして、え、自分はこうして来てるんだから、不都合であったら案内さしてもらおうかっていうんで、うんで、あの電話きた。ああなんにも不都合ないけれども、ちょうどいまお夕飯食べようと思ってるんだから、話をそれじゃするのに、いー、お夕飯ごっそうするから来なさいっていうんで電話かけまして、来てもらった。そしていろいろ話をしてみるとですね、この人の体験などを聞いてみるというと、まったくそれは因果の道理を実によくその現してですね、ま、こんなにやっぱりなるほど、純粋な気持ちになれたかなと思うほど、その青年はですね、奥さんをとにかく北海道へ、お子さんと、お子さんが一人しかいないんですね。

  • え、そして奥さんを北海道へ帰して、自分がその佼成会に入って一生懸命でその青年部活動をしてみたら、英語の先生として現在のようの形ではまだ物足りないと。もっとその自分の責任上、本当の英語をですね、使える英語を教えてみたいと、そういう考えで、いま、ニューヨークの学校へ入って、え、一生懸命で先生を自分が、あー、本当の英語の先生になるために、先生なった人が、行って勉強してるわけです。
    それ奥さんを北海道へ帰してやってるんですなあ。あー、もう素晴らしい考えでわたしは本当に、その方に合掌しました。
     そして、そういう気持ちになった人を聞いてみるとですね、全然信仰気(ぎ)のない人が、東京へぽつんと来て、そして下宿のおばさんから導かれて、そしてまあ、入ってきて、で、だんだんだんだんといろいろの体験をしてるうちに、体中にノミが食ったとかですね、据え風呂が漏った(「むった」と発音)とか、まあいろいろの現象が不思議にあってですね、そのたびごとにですね、支部長さんに結んでもらうというと、ノミがとにかくどうしようもないほどわいたってんですからちょっと東京でノミのわくなんてのはあんまりないんですけれども、この方が、そのー、たいへんに自分で勝手の欲をもってるんですね。兄さんに、相当のその親の財産わけてもらって、そしていても、まだその足りないで、お、兄さんとけんかをして東京へ出て来て、そしてまだその兄さんの分け前(「わけめい」と発音)が少ないっというようの気持ちで欲張った気持ちでやってるというと、ノミが食ってもうどうしようもない、体中がみんなもうおできになるほどノミが食ったっていう、ね。そして、もうその、ノミの食うのがその欲だなんてばかな話はないと思って自分じゃね、ばかにしてたっていうん。ところがだんだんいわれていろいろの体験からですね、奥さんのいろいろの態度やいろいろのことを結んでもらううちに、確かにわたしは欲だなあ、この汚い根性がいけないんだと思ってですね、ザンゲをしたらピタッとノミがいなくなっちゃったっていう(一同 笑)。いやその青年がね、そういうその体験してるんですね。そういう、今度はお風呂がですね、買ったばかりのお風呂が、その漏って(「むって」と発音)ですね、どうにもならない。そして、まあそのいろいろのことでもう、青年のこれ、夜間法座へ出ていろいろこう結んだり、いろいろしてんの聞いてるもんだから、これは、そのー、こういうところがその、お前は全然その信仰気(ぎ)がないと。そういうところを見せてこういう順序なんだから、これを本当に目覚めればね。この、そのお風呂は漏ら(「むら」と発音)なくなるんだということをそのだんなが奥さんにその自信もってゆったというんですからまあ、ちょっと怪しい材質もあったそうです。

  • 気分的には少々まあ、その、心配であったけれども、まあこの時も「信ずる者は幸いなり」になったわけですが(一同 笑)、まあ、その先輩のいうこと信じて、その前のノミのことがあったもんだから、自信もってゆったってんですねえ。そうしたら奥さんがやっぱりそのいろいろのことを順々こう見せられるもんだから、本当に自分がいけないんだという気持ちになって、奥さんも合掌する気になって、そのー、きたっていうんですね。そうしたところがピタッと、そのー、据え風呂が、漏れ(「むれ」と発音)が止まったっていうんです、ね。
    これはまあ、ノミとかね、据え風呂っていうのはこれは、まあ、あのー、外から来るもんだから、これまあ外因縁(がいいんねん)のほうですから、このほうはまだ問題が少ないんですが、もう一つあるんですね。
     もう一つはどういうことかっていうと、法座へ来てすぐその、いろいろの話をして、結婚して何年何年たってる、というと、お子さんがいないわけです。お子さんがいなくて寂しいでしょうっていったところが、まあ勉強するっというようのこともあったり、結婚してすぐその肺病になって、1年ほど別れていたと。その次に今度は財産の問題で腹立って東京へ飛び出して来たんで、この時また奥さん1年ぐらい別々になって、いたと。ま、そういうような、非常な不遇の生活、夫婦だけれどもその、結婚してっからその、もう2度もそういうまあ破滅になった。そういう状態してる人だもんだから、わたしどものようの状態ではね、子どもを生んでも育てられないんだと、欲しいと思いませんよ。なんてや、その負け惜しみをいってですね、若夫婦だから子ども欲しくないことはないんですけども、やせ我慢で、結婚して5、6年にもなってるんで欲しいんですけれども、ゆったというんですね。そしてまあ、いろいろのことだんだん聞かされるうちに、そういう考えはこれは罰のあたった言葉を先輩に吐いたとこう思ってですね、そして、ま、その、親不孝の人は七面山に行くというと、そのたいへんにいろいろの因縁が出るからということ聞かされて、七面山をお参りに行って来たと。ところが七面山に行くという問題に対してもその時は、ま、少々、半ば不平があった。不平があって、そのー、わたしに行けって、ほかの人が行く人がたくさんあるのにね、わざわざおれに命令するとは何事だっていうようなまあ考えをまたしたり。ところがそれを素直(「すなわ」と発音)になって行かなくちゃだめだっていうことで、素直(「すなわ」と発音)になって行ってきて、そいで行って帰ってきたところが、知らんうちにですね、赤ちゃんがちゃんと始まっちゃったいう、ね、ね。

  • これ、まあその、今度自分の肉体が治っちゃったんですね。そして夫婦がですね、もう思わず知らずのうちに、この、ちゃんと法の、はま、中へはまっちゃった。で、そうして今度の夫婦で別れているのに対してはですね、奥さんも、本当の先生をするっていうのには当然それだけの修行が必要だというので、賛成をしてだんなさまをニューヨークのその学校へやってですね、そういう気持ちだったら、兄さん金を出してくれて、ニューヨークへいま、学校留学してるわけです。ま、そういう話をですね、わたしはニューヨークへ行って佼成会の功徳話聞こうと思っていなかったけれども(一同 笑)、ね。まあ、そのー、そういう人会いたいというからお会いして一ついさめてやろうと思ってまあ、君なんでも、その留学してるというから学生だっていうんだから、いちばんおいしいごっそう、ごっそうしようっていうわけでですね、その、うんと厚いテキを食べさしてですね、一杯飲ましてそしてお夕飯食べて、まあ部屋でもってそういう話を、ホテルの部屋でいろいろ聞いたんでありますが。
     まあそういう話を聞いているうちにですね、本当にこの仏法の因果の法則というものは、本当に素直(「すなわ」と発音)になって聞かなけりゃならないんだなっていうことをですね、コジマさんに聞かされてですね、人にしゃべっているんですよ、わたしはもう40年もしゃべってるんだこういうことをね(一同 笑)。ま、しゃべってるんですけど、あまりにもその人がこうてきぱきとこの、いま、現在にその、生々しいそのザンゲによってすべてのことの変わって行く状態を聞かされるとですね。ああー、もっとこれは精進しなくちゃいけないと、もっとこういう苦しみをしてですね、ですからまあ、おそらくあの誘拐を企てる人とか、意志の弱い人で、何かを見て欲しくなってむらむらと泥棒しる人とか、ま、いろいろの人が皆このですね、因果の法則がわからないでですね、そういう間違ったことを犯してると思うんです。これはやっぱりですね、一人もそういう者がいなくなるという状態をお釈迦さまは願ってですね、われわれ人類全体をとにかく、人類救済のために説いた法門なん。で、その法門がいま、こう、使ってみてですね、こんなにはっきりとこうわかるということが自分たちはわかって認識をしていながら、われわれの努力が足りないために、まだ罪人(ざいにん)を次から次へとかもしだしているっていうことは、これ誠に申し訳ない、と考えなくちゃならないと思うんであり。
     そういう意味で、旅行中にですね、いろいろの宗教団体の状態を聞いて、きのうもちょっと申し上げましたが、ジュネーブにおきまして、WCCの、委員長さんがとうとうとこれはですね、キリスト教が、あー、この、プロテスタントだとか、聖公会だとか、ギリシャ教だとか、えー(咳払い)、この、ローマのようのカソリックだとか、そういうようにこのキリスト教の中でもいく色分かれておりますが、そういう考え方をやめて、まず、キリスト教は1本になってですね、正しくその神の声を聞き、この、本然(ほんぜん)のキリスト教にならなくちゃいけないということを提唱しているのが、ば、WCCであります。

  • その方々がですね、そういうことは提唱してるんですが、これはまあちょっとね、自慢のようのことになりますので、キリスト教の、もし方がいらして、お気に障ったら、ま、あ、ご勘弁を願いたいと思うんでありますが。でまあ、いろいろこの世界の平和っていうことをもたらすために、根本的の理論はないかというので一生懸命で研究してるけれどその根本理がわからないというようの状態の話になっちゃったん。話をしてるうちに。その時にたまたま仏教界のほうへ行っていましたところの、法相宗の橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生のお弟子さんで、安田っていう方が随行で行っておりました。で、その方が、あのう、その、非常にこの具体的な、どうしたらなるだろう、こうしたらなるだろうっていうことを研究してるっていうんで、いろいろのこう例をあげて向こうでいってるけれども、その根本理は何かっていうことを聞いたら、向こうで、じゃあパーンとこないんですね。
    なかなかそのはっきりしたこの根本理がどうして、す、世の中はこう、この、平和にならないかと。人間はどうしてこういうふうになるかっていうことで、まあ、ああいうふうにして、どういうふうにしてって、まあいろいろの具体的の、その方法論ではたくさん出ているけど、根本理がどうもはっきりまだしてない。というと、その法相宗の坊さんが質問をしたわけです。これどうもちょっと向こうで、困ってですね、仏教のほうじゃありますかと今度は聞いてきたわけですよ。そこのところは、ま、これはまあ、さっそくですね仏教側では待ってましたとばかしに、もう、この禅宗の佐瀬さんと、わたしとまあ二人でもうこれをやろうじゃないかっていうわけだ。あの佐瀬さんは、とにかく最後はもう庭野さんあんたやるのに、おれに先やらせろよっていうわけだ(一同 笑)。それでまあ、花を持って、それじゃあまああんたやってくださいってことで、佐瀬さんに花を持たしたわけであります。あとのくくりは、ま、庭野さんやってくださいよっていうようの話だったん。ところが佐瀬さんがはっきりいっちまったから、わたしはいう必要もないからいいませんでしたけれども、それで佐瀬さんいうわけですよ。
     仏教のほうでは、人間は貪・瞋・痴というですね、この三毒があるために争いが起こるんだ。三毒を滅しなきゃならないという根本理をはっきりお釈迦さまは教えてるんだという、ま、話になったわけであります。それからあとは、いろいろの雑談でああそうかっていうようのことでありましたが向こうの方はよくわかったかわからないか知りませんが、ま、そういう場面にちょうど出くわしてですね、いろいろこう話をしてみるというと、キリスト教のほうに、根本理がないってことはない、あるかも知れません。

  • しかし、え、いろいろの具体策として、こういうああいうということをいっても仏教のようにそういう、はっきりとしたですね、「諸苦の所因は 貪欲これ本なり」と。わたしどもはまあ、お互いさまにですね、例えば、共産主義というものは絶対争いなんて起こらない、理論で割り切れて、それに賛成したものは争いがないとこういうことを豪語したところの共産党がですね、マルクス主義がどうでしょう、現在ではもう、ソ連と中共が割れてきちゃった。こういうことになるとやっぱりですね、共産党も絶対理論で、ま、結ばれて、イデオロギーで結ばれて絶対別れないっていうこといい切れない。資本主義はけんかをする、戦争をする、一つの何になるけれども、社会主義、共産主義は絶対ないとこういっていたのがそうもいかない。ちゃんとそういうものは世の中へ出てきた、これはどこの主義でもイデオロギーでもですね、人間がやっぱりそこだと思うんです。やっぱり国が違うというと国の、損得ということがある、利害ということになるというと、中共とですね、ソ連がやっぱり一国を、統治するところの毛沢東とフルシチョフとでは、やっぱり国の利益という立場んなると、ああいうことにならざるを得ないと思うん。
     これを見ても、貪欲(とんよく)がもとになっておるということがはっきりしてるわけです。ま、そういうこと、われわれはもう教義の上では、2,500年前にお釈迦さまお悟りを開いてピタッとこうお示しになってるんですね。これはあのキリスト教のほうでは具体的のことから一生懸命取り上げて、根本理はわからんけれども具体的に行こうとしてる。仏教のほうでは、理の上ではわかっているけれども、やらんでいるっていうことんなると、これは仏教のほうが罪がちょっと深いようの気がしますな。わたしどもわかっていてやらないというの、まあ歌でも、わかっちゃいるけどやめらんねえっていう歌ありますから(一同 笑)、仕方がないっていえば仕方がないですけれども、そういうような意味で、わたしども仏教徒はですね、本当にこの際、謙虚の態度で、仏さまのこのみ教えというものをもういっぺん、真剣にその、仏の恩情をよく心に感じてですね、ちゃんとこういう形で、人間がこういうふうの改革をして、こういうふうな、われわれの三毒を滅して、そしてもう円満の人になれば、争わんでいい世界ができるんだと、いうことをお教えになってるわけであります。
     どうか、そういう意味で、皆さまはもうすでにそういうことに気がついて、それを実践してるんでありますけど、わたしども自体、自分自体が、ということでなしに、もっと多くの人に、この仏法の法則っというものを守らせるということに、もっと力を入れたならば、必ず、社会はもっと明るいですね。

  • 聞きにくいニュースが少なくなるという世界が、まず日本(にほん)という国をよくするということ、そして、外に向かっては、いま、申し上げたように、平和提唱ってようのことで。あらゆる精神界の方々と手をつないで、あらゆる方法もって、この核兵器っていうようのものを禁止して、そして、に、人間本然(ほんぜん)のものに目覚めるような時間までですね、この地球は破壊されたっていうようのことの恐ろしい、そういうことの来ないようの方法すると同時に、一人ひとり着実の、われわれの宗教活動としての積み上げ方式をわれわれは取って行かなきゃならない、ということが、わたしどもに課せられる使命じゃないかとこう考えるわけであります。
     どうか、その意味で、層、一層の、わたくしどもの、広宣流布、要するに、われわれの修行、昼夜常精進の、修行と、こういうことをわたくしどもは、この、お誓いし合っていかなきゃならないのじゃないかと思うわけでございます。
     本日は、たいへんに、くだらないようのことに話があっちこっち、なりましたけれども、まとまらないようの話になったようでございますが、報告はだいぶちょっとそれて、説法調になりましてたいへん恐縮でございましたが、どうか、この、わたしどもの、今度の、平和提唱も、皆さんの朝な夕な、また皆さんのこの何かの時に、いー、会員綱領として読み上げる、この平和境建設、寂光土の建設、というこのスローガン、それには、菩薩道に挺身することを期す、と最後にありますように、菩薩道をわたしども進めて行くっていうことが、わたしどものいちばんの要諦(ようたい)であるわけであります。