幸福はいくら分けても減らない
最後に、私は昨年六月、国連の軍縮特別総会において、提言の機会を与えられ、カーター大統領閣下、並びにブレジネフ書記長閣下に対し、「危険を冒してまで武装するよりも、むしろ平和のために危険を冒すべきである」と申しあげました。
もとより、宗教者としての私の声は小さく、弱いことも私自身がよく存じております。
しかし、核の脅威、そして人類の三分の一が餓死線上にあって、年に約六百万人の人たちが餓死しているということがいわれております。さらに残る三分の一が腹ふくるる思いをしている不均衡をみるにつけ、私たちはこれで果たしてよいのだろうかという問題意識をもつべきでありましょう。世界にはまた文盲の解決よりも、まだパンが問題のところがたくさんございます。私共立正佼成会におきましては、今までにカンボジアにおいて、子供たちの学校を造り、農業の指導を行い、ラオスでは信仰の中心である国宝・タートルワン寺院の修復に取り組んだこともございます。
しかし、それらの事業は戦争による政変によってあえなく放棄せざるを得ませんでした。さらにベトナム難民の救助、バンクラデシュの子供たちへの食糧援助、ネパール女性の日本における看護婦養成などを微力ながらも続けておりますが、それはまだ事態を揺り動かすほどの力にはなっておりません。
かつて一九七四年、第二回世界宗教者平和会議をベルキーにおきまして、スーネンス枢機卿の協力のもとに、ルーベンで行いましたが、そのとき英国の記者から私はこういう質問を受けたのでございます。「あなたは平和のために、いろいろと努力をしているようだが、効果はあがらないのではないか」と。そのとき、私はこう答えました。「いや、効果がなかなかあがらないからこそ、私は一生懸命にやっているのだ」と。皆さん、それこそが損得や利害打算を捨てた宗教者の使命ではないでしょうか。
今日まで、私は宗教者として平和のために何をなすべきか、何をなし得るかを模索しつつ実行してまいりましたが、確かにその歩みは遅く、足跡は失敗の繰り返しであったといえるかもしれません。「私は、一つの事をしようとして失敗した。あなたもまた同じように失敗した。しかし二人が力を合わせればできることがたくさんあるに違いない」――そうした思いのもとに私は世界の宗教者と力を合わせて世界宗教者平和会議の活動を行っているわけであります。
おそらく今回のテンプルトン賞は神仏が私に「迷わずにその道を行け」というみ心を示されたものと存じます。私はこの受賞を深く感謝すると共に、仏陀の説かれた「一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつは元のとおりであるように、幸福はいくら分け与えても減るということがない」を最後に引用いたし、今後の努力をお誓いして私の講演を終わりたいと思います。
ご静聴、まことにありがとうございました。