第1章 葛藤
1938
1970
「どうして親子・夫婦がこんな暮らし方をしなければならないのか」
庭野日鑛は3男3女の長男として生まれ、浩一(こういち)と名付けられた。小学1年の夏、戦禍を避け、母、姉弟と父・開祖の故郷菅沼(新潟県)に疎開。終戦後も菅沼に留まり東京で仏道修行を続ける父との別居生活は10年に及ぶ。帰京後も特殊な家族の形に浩一青年は父や佼成会、後継者に指名されたことへの葛藤を覚える。しかし、家族との触れ合いや恩師、周囲の支えを得て、公式行事への出席や大聖堂の式典で読経供養の導師を務めるなど、少しずつ青年宗教者としての道を歩んでいく。1967年に結婚、翌年には長女・光代(光祥次代会長)が誕生した。
昭和13年
1938
3月20日
0歳
庭野日敬開祖、直子夫人の長男として誕生
「浩一」と名付けられる
「私の生まれるころ、父は「男の子だったら花火をあげて祝うんだ」と母に言っていたそうだが、娘ばかり続いたあとに初めて息子が生まれた喜びは大変なものだったらしく、花火こそあげなかったが、郷里に電報を打つやら知り合いに報告してまわるやらで、とにかく大騒ぎだったということである。」(庭野日鑛「すべてはわが師」2004年 pp..31-32)
【日本の動き】 国家総動員法
昭和19年
1944
昭和20年
1945
昭和21年
1946
11月3日
【日本の動き】 日本国憲法公布
昭和25年
1950
6月20日
『交成』創刊
昭和29年
1954
昭和31年
1956
4月
18歳
日本大学文学部国文学科へ入学
【世界の動き】 米 ジェームズ・ブラウン「プリーズ・プリーズ・プリーズ」
Image

©Heinrich Klaffs,(Licensed under CC BY-SA 2.0)
6月15日
『交成新聞』創刊
10月
【日本の動き】 日ソ共同宣言
昭和32年
1957
4月
19歳
日本大学文学部から、立正大学仏教学部仏教学科へ再入学
立正大学文学部英文学科へ入学(ほどなく仏教学部仏教学科へ入りなおす)
【世界の動き】 米 フォード『OK牧場の決闘』
9月10日
脇祖さまご遷化
昭和35年
1960
11月15日
22歳
庭野日敬会長の第54回目の「誕生会祝賀式典」で、庭野会長から庭野日鑛次代会長への世襲発表
「とりわけ、昭和三十五年の秋ごろ、かねがね父の後継者として自分のことが考えられているらしいことは、何となく感じてはいたのだが、とうとうそのことが教団の責任役員会で決まったと知ったとき、私は大きな衝撃をうけ、それ以来もう勉強どころでなくなってしまったのである。
(中略)泣きわめいてみてもどうにもならない、恐怖をこえた複雑な気持ちが、次第次第に高まっていった。家族と顔を合わすことも苦痛、じっと家にいるさえも苦痛であった。どこか遠い所へ逃げ出してしまいたかった。」(庭野日鑛「すべてはわが師」 2004年 pp..137-138)
昭和36年
1961
8月
23歳
姉・佳子さんと佳子さんの同僚とともに、広島や香川へ行く
この時の日鑛会長はまだ大学生です。「会長位」を引き継ぐことを悩むのは無理からぬものだったでしょう。(中略)いまも目に浮かんできます。厳島神社を望む穏やかな浜辺で潮風にあたりながら、久しぶりにきょうだいでゆっくりと語り合った光景です。とてもいい時間を過ごしました。ただ、何を話したのかと聞かれても忘れてしまいましたが……。それでも、苦悩する弟を元気づけたい、何か力になりたいという思いがあったことは確かなことでした。(泉田佳子『やくしん』2024年10月号 p.37)
【世界の動き】 東独 東西ベルリン境界の封鎖のため、ベルリンの壁構築
Image

11月
鹿児島まで片道24時間の列車旅
なぜ九州の南端までの切符を買ったのだろう。ただ遠くへ行きたい、それだけだったと思う。片道が約千五百キロ、生まれて初めての一人旅で、一番遠い所へ行って帰ってこよう。そうすれば気持ちが落ち着くに違いない。たぶんそれだけのことだったろうと思う。
(中略)とっぷりと暮れた列車の窓から、濃い闇のなかを点々と家の明かりが走るのを眺めながら「父や母たちは心配していないだろうか」と考えたり、ひどく軽率なことをしたような悔いが出たりした。たえず何かを考えつづけながら、何を考えているのかわからない。
(中略)九州に“逃避行”を試みてから、しばらくたったころ、父はしみじみとした口調で私にこういった。
「人間の底にかくれているほんとうの能力というものは、もともと大差はない。仕事ができるかできないかは、努力するかしないかで決まるのだ」(中略)「おれも、自分がなりたくて立正佼成会の会長になったわけではないのだ。自然のうちにそういう流れになったのだ。自然の流れにさからわないという気持ちだけで、あの当時の幹部の総意をお受けしたまでだ。いまだって、やはり同じことで、大勢の幹部や信者さんの後押しがあるから、怠けずに勤めている。」
——そうだ、自然の流れに逆らってはならないのだ。大きな調和の世界に目を開かなければならないときが来たのだ——私はそういう自省に立つことができるようになった。(庭野日鑛「すべてはわが師」2004年 p..139-143)
【日本の動き】坂本九『上を向いて歩こう』
昭和39年
1964
1月12日
25歳
西日本青年部大会で、開祖の名代としてメッセージを代読
「いまにして思えば、父が出席しなかったのも、少しずつ本部の行事に私を出席させ、理事さん方や信者のみなさんとの接点を少しでももたせようとの配慮からだったのかもしれない。」(庭野日鑛 「すべてはわが師」2004年 p.159)
4月1日
【日本の動き】 海外渡航自由化
5月15日
大聖堂落成式典
10月
【日本の動き】 東海道新幹線(東京~新大阪間)開通
【日本の動き】 東京五輪
Image

11月14日
26歳
庭野開祖、直子夫人とともにインド仏跡参拝団に参加
昭和40年
1965
4月
27歳
立正大学文学研究科仏教学専攻修士課程へ進学
6月22日
【日本の動き】 日韓基本条約
昭和42年
1967
1月6日
28歳
『佼成新聞』「ふたりで話そう」連載開始
1月22日
掛場絢子さん(佳重夫人)と結婚
庭野会長のご長男浩一氏の結婚式——ご本人、両家はもちろん、それは教団にとって大きな喜びだった。新しい人生の門出を出発した浩一氏にとって、会長後継者としての第一歩なのだ。「おめでとう」「おめでとう」——佼成会の歴史の一ページを刻んだこの日、会員の祝福は、大聖堂を圧倒し、日本晴れの冬空へ大きくこだました。(「佼成新聞」1967年1月27日 1面)
昭和43年
1968
1月5日
29歳
大聖堂のご親教式典で初の導師を務める
1月19日
長女・光代さん(光祥さま)誕生
3月
30歳
立正大学文学研究科仏教学専攻修士課程修了
10月
【世界の動き】 メキシコ五輪
Image

©Sergio V. Rodriguez(Licensed under CC BY-SA 4.0)
【日本の動き】 川端康成が『雪国』『千羽鶴』などの作品によりノーベル文学賞を受賞
Image
