第3章 真実顕現の時代
「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊こそ本会の本尊である」
昭和20年11月、久遠実成の釈迦牟尼仏をご本尊として庭野開祖の誕生日に勧請した。庭野開祖の自宅二階を最初の本部としていたが、会員の急激な増加に伴い、道場や施設の建設が相次いで進められ、さらに社会事業の一環として保育園・学校・図書館・病院などが建設された。
昭和32年9月、副会長として庭野開祖を支えた長沼脇祖が六十七歳で遷化。佼成会は新たな時代を迎える。
翌年1月5日、庭野開祖は『交成新聞』紙上で、「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊こそ本会の本尊である」と宣言。さらに本尊観・行法観の確立を図り、教学研修をスタートさせた。
昭和39年5月15日、名実ともに『人類救済の殿堂』とすることを目的とした大聖堂が完成式を迎えた。
昭和20年
1945
38歳
日蓮聖人第664年遠忌の日(10月13日)に「久遠実成の釈迦牟尼仏をご本尊として勧請せよ」とのご神示があり、開祖の誕生日に勧請。
昭和23年
1948
41歳
宗教法人令の施行に伴い、宗教法人「立正交成会」となる。
41歳
実父・重吉死去。享年72歳。
昭和24年
1949
42歳
本格的な新しい修養道場(現・「発祥の地修養道場」)の落成式。
42歳
「交成育子園」落成式(後に「佼成育子園」と変更)。
昭和25年
1950
昭和26年
1951
44歳
「新日本宗教団体連合会」(新宗連)が発足。会として加盟し、常任理事に就任。
昭和31年
1956
49歳
「読売事件」が起こる。
49歳
機関誌『交成新聞』創刊(後に『佼成新聞』と変更)。
昭和32年
1957
50歳
脇祖遷化。享年67歳。
昭和33年
1958
51歳
真実顕現。本尊は「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」であることを宣言。
51歳
ブラジル日本移民50年記念祭出席と宗教事情視察のため、南米・北米へ。
昭和34年
1959
52歳
全国教区制施行。10教区104支部となる。導き系統の支部組織から全国地域別の支部組織(通称ブロック制)に改編。
昭和35年
1960
53歳
会の名称「交」を「佼」に変更。
53歳
「法華三部経」十巻の写経を始める。
53歳
会長位の世襲制が決まり、長男・浩一が第2代会長に推戴される。
53歳
本仏釈尊像の胎内に「法華三部経」十巻の写経、「法華経の新しい解釈」全五巻、「結願文」を納める。
昭和37年
1962
55歳
立正佼成会の創立の精神や基本的な方針、組織としての目的、会員としての修行目標を簡潔に示す「会員綱領」を制定。
昭和38年
1963
56歳
「核兵器禁止宗教者平和使節団」一行18人の副団長として欧米各国を歴訪。
昭和39年
1964
57歳
大聖堂本尊入仏式。
57歳
大聖堂落成式。