【機関紙誌】
ここに縁あって来た人は、縁くらい恐ろしいものはないのですから、どうぞひとつこれからさきざき、三日でも竜沢寺の飯を食っておった、あああの人は違うというように、すべてやっていただかねばならん。お願い申すことはそれよりない。 …
克己の人には人格の深みがあり、さらに人格の深みから品位が生ずる。品位から光輝が生じ、またその光輝から威信が生ずる。 ナーガールジュナ・インド(ラトナーヴァリー)
返す返すも今に忘れぬ事は、頸切られんとせし時、殿は供して馬の口に付きて泣き悲しみ給いしをば、いかなる世にも忘れ難し。たとい殿の罪深くして地獄に入り給わば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏のこしらえさせ給うとも、用い参らせ候べからず。…
「お坊さま、このお経の教えは、つまりわたくしも観音さまになれということでございますね」 二宮金次郎・日本(『二宮尊徳』)
「わたしは貴僧に招待されて来たのではなく、ヤソ教に招待されて来たのですから、その悪口は言えません」 山崎辨栄上人・日本(仏教布教大系第十九巻)
一切世間の治生産業、ことごとく取り用いて我が実相智印となす。 慈雲尊者・日本(『人と為る道』)
アクのあるのを愛という。アクのないのを慈悲という。慈悲は平等であって、愛の方は区別がある。こっちが愛したかて、向こうが愛してくれなかったら、これは成立しない。けど、向こうがどうであろうが、言うこと聞いても聞かいでも、…
手は熱く足はなゆれど われはこれ塔建つるもの 宮沢賢治・日本(宮沢賢治全集5)
合掌。私の全生涯の仕事はこの経をあなたのお手許に届け、そしてその中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られんことをお願いする外ありません。 昭和八年九月二十一日 臨終の日に於て 宮沢賢治・日本
我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ。 日蓮聖人・日本(『開目抄・下』)
ほんとうに正しい信仰をもって来るならば、自然と自分はどこへゆくのだと、はっきり行手(ゆくて)がわかってこなくてはならなぬ。仰ぎ、伸びる気持、「自分はあそこへゆくのだな」という、目のあいた気持です。 友松円諦・日本(法句経講義)
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。 親鸞上人・日本(歎異抄)
貴僧は、まだ女を背負っていたのか。 原坦山・日本(仏教布教大系)
実際の体験ある人の書はみな読むに価いする。いわんや実際の体験による信仰を述べたものはなおさらのことである。 清沢満之・日本(近代の仏教者)
大道無門 無門慧開・中国(無門関・序)
広大な宇宙と矮少(わいしょう)な自分とは、同じ一つの道、地続きだということを体得するがよい。 沢木興道・日本(禅とは何か)
弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。 親鸞上人・日本(歎異抄)
百尺竿頭一歩を進める 宏智禅師・中国(従容録七四則)