今日はいろいろの話が出まして、この佼成会がかつて日蓮宗から破門されたという話まで出ましたが、ただそれだけを聞いておると何が何だかわからないようですけれども、その佼成会の目指すところは、本当に日蓮聖人のみ心であり、法華経の真精神にのっとった布教をして頂きたいということ。まあ、そういうところから身延の一番の総本山であるところから、私どもの考えを率直に申し上げたところ、最初はたいへん歓迎されたんであります。昭和二十三年に、今の旧本部ですね、あの本部ができると、戦後ですから――二十年に戦争が終わったわけですから――ほうぼうから、外国の人までが新しい宗教が東京にあるというのでおいでになった。ところが、そういう私どもの申し上げることが、日蓮宗の癇に障りまして、また日蓮宗の本願人というような身延の町の旅館の方などが、佼成会に大勢入会してしまった。そういうことから破門という、同じ門下でありながら導くとは何事だとういので怒られたのです。そのことはもう門下協議会のできたときから、教義をどういうふうにするか、本尊をどういうふうにするか、この本尊観、行法観、そういうものを決めないと争いが起きるんじゃないか、私が前もってそのことを申し上げたんですが、まあ、そんなことは構わない。一緒にやればいいという皆さんの声が多かったものですから、そのままでやっていた。
当時の門下協議会は、いろいろの教団の、今新宗連に入っておる妙智会とか仏所護念会などの方々も、皆一緒にやろうということで出来たんですが、あの日本山の妙法寺の藤井日達先生までが、そういうことでひとつ一緒になって戦後の混乱を、法華経によって日本を正そうということで協力をはかったんです。この目的はよろしいのであります。皆、思い思いの形でやっていいということでやりましたところが、身延の沢の方々が、佼成会に皆入会しちゃった。それは佼成会のほうがわかり易くて、そして修行のし方がはっきりしてていいと、こういうことで身辺の沢の方が皆入会した。そこで身延の沢の人まで導くとはけしからん、大本願人、本願人というような檀那方を皆導いたもんですから、怒られて破門ということになった。なるほど今日、池田さんの記憶では二十三年から一緒にやろうということが始まったのですからその二年後ですか、昭和二十五年には破門ということになった。