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...「捨てる」修行 一 お釈迦さまは「己の悪しきことはなしやすく、善きことはなし難し」とおっしゃっておられます。現在の人間も、やはりそのとおりです。なぜそうなのかと言いますと、何十万年も前の、人間がただの動物にすぎなかったころは、いわゆる弱肉強食で、自分が生き残るためには他の一切のものを犠牲にし、殺したり、奪ったり、いじめたりしてはばからなかったわけですが、そういう大昔の習性が心の奥底に残っているために、現在では“悪いこと”とされているそういうことの方を、つい、しやすくなるわけです。(中略)したがって、人間が人間らしくなる向上の尺度は「みんなの幸せのために、どれだけ“私(自分のわがまま)”を捨てることができるか」という一点にあると言ってもいいのです。ですから、すべての倫理・道徳も宗教も、つきつめれば「みんなのため、できるだけ“私”を捨てなさい」と教えているわけです。 (昭和47年03月【佼成】) 「捨てる」修行 二 二「私を捨てる」ということにも、いろいろと段階があります。第一は、「内心ではそうしたくないのだけれど、法律や制度に従って、しかたなくわがままを抑える」という段階です。文明国の一般社会人は、おおむねここまでは到達しているわけです。 第二は、法律や制度に反しない程度のわがまま──たとえば自分をよく見せるためにウソをついたり、自分の儲けのために多くの人を悪徳に誘うなど──を「これはよくないことだ」と考えて、未然に抑える段階です。いわゆる倫理・道徳に従ってみずからを制御する段階で、せめて人間みんながここまで到達できたら、世の中は見違えるように良くなるでしょう。 しかし、この段階でもまだ、人間がほんとうに向上し、ほんとうに救われたとは言えないのです。なぜならば、それは悪心を無理に抑えつけて行為に現わさないだけのことで、その不満足感が心の奥底のどこかに残っていて、いろいろな禍いをするからです。ではどうすれば、ほんとうに“私”をすっかり捨て切ることができるのでしょうか。 それができるのは、宗教しかありません。最も宗教の持っている要素の一つは、倫理・道徳の教えです。「殺生するな」「邪淫はよくない」というような教えです。ところが、同じ教えでも、とおりいっぺんの教科書などを読むだけでは、魂にじーんとしみ込む力がなく、したがって、なかなか生きて働かないのです。それに対して、自分が絶対に信頼し、帰依している人(たとえばお釈迦さま)が言われたとなると、「どうしてもそうしなければならぬ」という気持ちが燃え上がります。ですから、すぐ実行に現われるのです。これが宗教ならではの力です。 また信仰者は、自分の身の振る舞いや心の動きを、神仏を相手にして常に反省し、改善を誓うようになります。そればかりでなく、同信の人々にすべてを打ち明け、精神の大掃除をして安らかになり、また、指導的立ち場にある人から適切な忠告を聞くこともできます。これが普通に言う懺悔であって、これまた宗教ならではの人間向上の力です。 ところで、宗教の持っている要素の特徴は何かと言えば、冥想とか、坐禅とか、読経・唱題三昧とかいったような行によって、宇宙の大生命(仏)の中へすっぽりと融け込んでしまうことです。こういう境地にはいりますと、知らず識らずのうちに“私”というものは根こそぎなくなり、いわゆる無我となることができるのです。これが宗教以外の何物にもない、最終的な人間浄化・向上の力なのです。 (昭和47年03月【佼成】) 「捨てる」修行 三 いったい心とはどういうものなのでしょうか。人間はだれもかれもが心の中に五欲を持っていて、自分の欲望だけにこり固まっていると言われます。ですからその欲望を捨ててしまわないことには、必ず争いがつきまとうということは当然のことでしょう。何をしても自分の欲望を根本に置いてことを進めていこうとするのですから──。そして、争いを続けているから、悩みや苦しみの度合いもだんだん増えていくのです。 無明の煩悩から生み出される、自分さえよければいいという考え方、自分さえうまいものを食べていれば、ほかはどうだってかまわないという生き方──こう言うと、皆さんは、そんな考えは持っていないと言われるかもしれませんが、しかし、それほど徹底してはいないまでも、静かによく考えてみると、自分を捨てきれていないことに気づかれるはずです。そうしまいとしても、やはり人間というものは自分のことに、つい根本を置いてしまうものです。 道元禅師が「仏教は自分をほんとうに知るためのものである」と言われているのも、そのような人間の常を指摘されたのだと思います。では〈自己を知る〉とはどういうことかと言うと、それは〈自己を捨てる〉ことにほかならない。自分を知るために、自分を捨てるというのは随分おかしな話のようですが、次第に掘り下げていきますと、それは自分のあり方をわからせてもらうためであり、また自分をわかるためには、自分から離れなければならないということがつかめてくると思います。 (昭和34年04月【速記録】) 「捨てる」修行 四 富士という山は遠くからは非常にきれいに見えるのですが、いざ登ってみるとそうでもない。私も一度出かけましたが、道に紙くずやゴミが捨てられていたりして、なかなか遠くから見ているようなわけにはいきません。 それと同じに、私ども日本に住んでいる者にしてみると、この国は狭くて小さいのにたくさんの人間が住んでおって、互いに争い合っているたいへんな国だ、乗り物にしても、人が混んでいて交通地獄などと言われるほどですし、学校へ入るにも受験戦争というようなことで、どうもたいへんにつまらない国である、というように思っている人が多い。実は私もそう考えていたときがありました。 ところが、たまたま南アメリカから北アメリカを回る機会があって、そのとき気づきましたのは、日本人として生まれたことがどれほど幸せなことであるか、ということです。富士山を遠くからながめるように、外国へ出かけて行って日本を考えてみると、ほんとうの日本のよさが実によくわかるのです。 こういうことから考えますと、自分を知るためには、いったん自分の欲望から離れて、外側から自分を見つめないかぎり自己の姿はわからないということになります。このことを道元禅師は「自己を捨てることは自己を知ることだ」と言われたのであります。そして皆さんもまた、法座の中で先輩から「あなたはまだ捨てきれていない。まず、欲を捨てて」と厳しい指導を受けておられます。それを聞いていて「うちの支部長さんはいつもあんなことばかり言っている」とか「年がら年中あの調子なんだから」などと、思って聞いている人があるかもしれませんが、それはとんでもない考え違いです。 先輩の人達が皆さんに「欲を捨てなさい」「自分を捨てなさい」と言っていますのは、自分自身の幸福も、家庭の円満も、そして商売の繁盛も、すべてそこから始まるものだからであります。これは何も私どもだけが言っているのではなくて、仏教徒は皆そのために修行し、またそのように教えられてきたのです。時代によって表現の仕方こそ違っても、仏教の根底を流れる本質は少しも変わることなく、いつの世にも脈々と流れ続けているのであります。 (昭和34年04月【速記録】)...
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...拝み合う心 一 一〈拝む心〉というのは、宗教のアルファであり、オメガです。これに始まり、これに尽きるのです。原始人は、太陽や月を神として拝みました。はるか天上を規則正しく渡りながら地上に光を投げかけている不可思議な存在に、かれらは言いしれぬ驚きをおぼえ、畏敬の念を懐いたからです。そこには理屈も何もありません。自然にそうせざるをえなかったのです。 小賢しい現代人は「太陽も月も物体に過ぎないじゃないか」「神として拝むなんてバカなことだ」と考えるかもしれませんが、決してバカなことではなかったのです。神秘的なものに驚きをおぼえ、畏敬の念を懐き、あこがれを感ずるところから、人間らしい情緒が生まれ、育っていったのです。また、百万年もの人間の歴史の中で、次々に未知の領域を切り開く力も、そこから生まれてきたのです。 二十世紀が生んだ最大の科学者アインシュタイン博士は、こう言っています。 「われわれが経験しうる一番美しいものは、神秘ということである。そこに一切の科学と芸術の源がある。この神秘という情感を感ずることがまったくないような人間、神秘に対して驚きと畏れの念を懐き、考えつめながら歩きまわるようなことのない人間は、生きていても死んだ者と同様で、その眼は閉じているのである」 幸いなことに、われわれの祖先は“生きていた”のです。“眼が開いていた”のです。ですから、太陽や月を拝んだのです。そして、太陽や月を拝んだその素直な心から、今日のわれわれが育ったのです。それを知らないで、チッポケな合理性とか科学性の中にフンゾリ返って、ひからびた理屈をコネまわしているなど、それこそ大いなる無知と言わなければなりません。 (昭和48年02月【躍進】) 拝み合う心 二 拝む心がなければ人間社会はほんとうに平和にはならないのです。それどころか、もし、すべての人間が拝む心をまったく失ってしまうならば、人間そのものが滅んでしまいます。 拝むというのは、心から尊重することにほかなりません。もし、人間が全然他の人を尊重しないようになれば、いったいどうなるでしょうか。平気で人を欺したり、いじめたり、殺したりするようになります。すると、当然それに対抗する身構えをしなければならなくなります。人を絶対に信用せず、いつもビクビク警戒し、力のある人は力をもって他に対抗しようとし、力のない人はウソやゴマカシで身を守ろうとする、それが人間らしい生き方でしょうか。そういう世の中のどこにも幸せはありません。 (昭和48年02月【躍進】) 拝み合う心 三 人殺しをした人も、盗みを働いた人も、それがどんな業障の人であっても、内心にはみんな仏性を持っているのです。間違ったことをしてしまったのも、因縁によるひとつのはずみであったわけで、根は善良な人間同士なのであります。 私どもが「おはようございます」「ご苦労さまです」「日々有り難うございます」と言葉をかわすときお互いに合掌し合っておりますのも、だれもが内心に持っている仏性を完全に磨き出すためであります。法華経二十番の「常不軽菩薩品」にもそのことが書かれています。このお経は、お釈迦さまの前世を説かれたものでありますが、常不軽菩薩と呼ばれた前世に、何をされたかと言うと、合掌して人さまを皆拝んだとあります。相手がどんな人であろうと、どんな場合であろうとも、絶対に軽視しない、立派な心を持ち、それを行動に現わされたのであります。 立正佼成会で、〈下がる心〉ということを言いますのも、人さまを軽く見ることをしないで、自分の方から下がる心を持とうというわけです。人さまを軽く見るようなことをしていると、常不軽菩薩さまの反対になってしまいます。ですから下がる心でいるためには、自分を一番軽いものと考えていなければならないわけです。人を軽く見ないで逆に尊重して、自分を軽いものとして扱うということから“下がれ”という教えが生まれ、その心をお互いがたいせつにし合っているのであります。 (昭和34年06月【速記録】) 拝み合う心 四 法華経には、この世のすべての存在は宇宙の大生命の現われであるがゆえに、いかなる微かなものにも仏のいのちが遍満しているのだ、と説かれています。どんなにつまらぬように見える人にも、物にも、仏のいのちが籠っており、存在する使命があればこそ存在せしめられているのだ、というのです。 このことが真底からわかれば、どんな人をも、どんな物をも、尊重せずにはいられなくなるでしょう。拝まずにはいられなくなるでしょう。こうして人と人とが拝み合い、人が物を尊重して粗末にしないところに、人と人との和が生じ、人と物との間も調い、そこに心の安らぎと世の幸せが生まれてくるのです。これが仏法のめざす理想の境地なのです。 拝むことは、だれにもできる簡単な所作です。しかもその到達するところは、深く尊い、絶対の世界なのです。願わくば今の世に〈拝む〉という行ないと、ほんとうの〈拝む心〉を、大きく復活させていきたいものです。 (昭和48年02月【躍進】) 今はもう、理屈は抜きにして、自他の仏性を拝み出すことに打ち込まねばならない時なのです。これが、法華経の二十番に説かれている常不軽菩薩の行なのです。常不軽菩薩は、だれを見ても合掌して拝みます。心でも拝み、形でも拝むのです。形も大事なのです。外部の人が立正佼成会に来て、会員に合掌のあいさつをされると、なんともいえないシミジミとした気持ちになる、とよく言われます。日ごろすっかり忘れていた“敬虔”といった情緒が心によみがえって、何か自分を見直す気持ちになるのだそうです。理屈は抜きにして、と言ったのは、そこなのです。 人ばかりでなく、物をも拝まねばなりません。米のいのちを拝み、野菜のいのちを拝み、石油のいのちを拝み、紙や布のいのちを拝まなければなりません。「草木国土悉皆成仏」の意義をシッカリかみしめなければなりません。そうすれば、ひとりでに浪費も止み、したがって公害も減り、自然も生き返ってくるのです。 このようにして、自他の仏性を拝み、物の仏性を拝むことを、常不軽菩薩のように根気よく粘り強く続けていき、世間の多くの人の仏性をめざめさせ、その輪がだんだん広くなり、その輝きがだんだん明らかになったとき、初めてこの世の浄土化の兆しが現われるのです。随分気の長いことのようですが、ひとり導けば、確実にひとり分だけ、その輪が広まり、ひとり分だけその輝きが増すのです。とにかく、それがわれわれの本業なのですから、お互いさまシッカリがんばろうではありませんか。 (昭和48年05月【躍進】)...
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...報恩感謝 一 信仰生活をしておりますと、宗教は心の問題であるというので、とかく自分の実際の行動を客観視できないで、ただ有り難いと思っていればよいのだと安易に考えがちであります。しかし、内心でほんとうに有り難いと思うならば、それが行動の上に現われるはずなのであります。物事に対する感謝の気持ちがあるならば、それが直ちに感謝の行動にならなくてはならないのであります。立正佼成会の創立当時、私どもは入会して間もない初心のかたがたに妙・体・振ということを説いたのであります。妙は心であり、体は姿であり、振というのは身の振り方、行動であると説いたのであります。すなわち心で有り難いと思うならば姿にこれが反映し、そしてさらに行動に発展し、つまり口で言うことも体を動かすことも振であり、この妙・体・振の三者が一つになるか否かによって幸、不幸が決まるのである、と教えたのでありますが、ほんとうにこの報恩感謝の気持ちが宗教の要諦となるのであります。 (昭和33年02月【佼成】) 報恩感謝 二 立正佼成会の練成道場に出かけた青年達は、みんな有り難がって帰ってくるということでありますが、特別なことを教えているわけではありません。 たとえば、生まれてからこうなることができたのは、なんのおかげなんだろうとか、今まで何を考えて君は勉強をしてきたのかとか、親に対する感謝の心がなかったのではないかとか、そういう問いかけに対して、自分のことを正直にすすんで告白する。そうすると、いろいろなことがはっきりしてきますから、みんなもだんだん一生懸命になり、真剣になてお題目を唱えるようになるのであります。 そのうちに、自分はこれまでなんのたしにもならずに、親のすねばかりかじってきたが、親というものはほんとうに有り難いものなんだ、ということがわかって、だれもがみんなの前でありったけのことを発露するようになります。そうして気持ちがきれいになっていくと、この程度の懺悔の仕方ではまだまだ足りない、とそれまで持っていた自分の罪悪感に、次から次へと気づいて「かつてこんな間違った考えを起こしたことがある」「こういう罪も犯そうとした」と、みんながどんどん口に出す。また、出せば出すほど、気持ちはますますきれいになってきます。ちょうど曇った眼鏡と同じで、たくさんゴミがついていると案外気づかないものなのですが、いつも手入れをしてきれいにしておくと、何かのおりにゴミがついたということがすぐにわかるのであります。 しかし、中には全然拭いたこともないような、ほこりまみれの眼鏡を平気でかけている人もいます。そういう人は、そのほこりの上にまたゴミがついても気がつかないのです。人間の心も、それとまったく同じだと言えるのであります。 (昭和42年03月【速記録】) 報恩感謝 三 感謝の念ですが、供養はこれによって始まるのだと言っても、過言ではありますまい。まず、自分はどうしてここに生きているのか……それを考えてごらんなさい。父母・祖父母、そのまた以前の無数の先祖のかたがたがあってこそ、人間としての尊い生をうけることができたのです。それだけでも、文字どおり「有り難い」ことではありませんか。 しかも、私どもは縁あって仏法にめぐり遇うことができました。開経偈に「無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇たてまつること難し」とありますように、これまた非常に「有り難い」ことなのです。それは、いったいだれのおかげでしょうか。自分自身の業力のみではとうてい達しうることではなく、これまた先祖のかたがたのなされた善業が大いなる因縁となっているのです。 そういうタテのつながりから、今度はヨコの関連へと目を向けてみますと、私どもがこうして生きているのは、太陽・空気・水・土・あらゆる動植物・地球上に住むすべての人間のおかげであることがわかります。直接には関係がないようでも、思いを深くしてあらゆる存在のかかわり合いを探っていってみますと「この世の万物・万象が自分の生命を支えているのだ」ということがハッキリと目に見えてくるはずです。ですから、私どもは「生きている」と言うよりは、「生かされている」のです。天地の万物に生かされているのです。この真実を心の底にしっかりととらえることができれば、どうしても天地の万物に感謝せざるをえなくなるのです。 感謝する、これほど美しい行為がありましょうか。感謝すれば、みずからの心もなんとなく温かになります。感謝された相手もうれしい気持ちになります。その心の交流を第三者が見ていても、実に和やかな感じがするものです。つまり、感謝の交流こそが平和の原点なのです。 心が素直であれば、感謝はおのずから生まれます。そして、感謝することは、自分をも高め、人をも幸せにし、世の中全体をも明るくするものだということを、常に忘れないでいたいものです。 (昭和51年08月【佼成】) 報恩感謝 四 生きているということが、たんに呼吸をしているというだけでは無意味です。毎日仕事で忙しくしていると“たまにはゆっくり休みたい”などと思うものですが、ほんとうは忙しくても働けることに感謝しなければなりません。ささやかながらもみずから仕事をすることによって、他のために役立つと言えることこそ生きる喜びなのです。新しい医学がたんに生命を延長するだけでなく、年をとっても働ける若さをいかに保つか、という研究に向かっているのも当然のことでしょう。 (昭和41年12月【佼成新聞】) 私どもお互いさまに信仰を持ち、信仰に生きる者が忘れてならないのは感謝の心です。神さまが私どもに〈みせてくださる〉お手配に対して有り難く感謝をする。また、すべてのものに対して深く感謝する。それができるようになれば、人さまとの間でもお互い同士が感謝し合って、生きていけるようになるのであります。 (昭和46年01月【速記録】) ご法の精進には、喜びがなければなりません。奉仕をしているんだ、自分は精進しているんだ、という気持ちではなく、自己中心だった自分も、ようやく、人さまのために奉仕をさせていただこうという気持ちに転換できた、有り難いことだ、というような心の持ち方がたいせつなのです。そうでないと「人間として、この世に生まれてくることは、たいへん難しいというのに、今、私はこうして生かしていただいている。また仏法に出遇うことは、たいへん難しいと言ってあるのに、今、私はこうして仏法を聞かせていただいている。ああ、有り難いことだ」という心にはなかなかなれないものです。その心がないと、いくら精進しているようでも、心の中はいつも不平不満に満ちていることになります。そういうことでは、“豊かな心”ではなく、喜びのない“貧しい心”の精進になってしまいます。 (昭和47年12月【佼成新聞】) 報恩感謝 五 喜びや感謝は、具体的にはどんなところからわいて来るのでしょうか。私は思うのです。自分が人間として生まれ、人間として生かされているという事実を、あらためて深く見つめ、その因縁を考え直してみるところからわいて来るのであると思います。それを見つめ、考え直してみますと、まず、一番身近な親や祖先のおかげということが頭に浮かんできます。 日蓮聖人のご遺文の中に「我が頭は父母の頭、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。たとえば種子と果子と身と影との如し」というお言葉があります。まことにそのとおりで、本来は久遠の本仏によって生かされているのですけれども、具体的な人間としての自分の存在はまさしく父母・祖先から生じているのです。本会でまず第一に親孝行と先祖供養をすすめるのも、こうした深い根本道理に基づいているのです。 次に、生かされている喜びと感謝は、共に生かされている人間仲間と、すべての生物・無生物にも向けられねばなりません。多くの人がこの喜びと感謝に徹してこそ、人間社会に真の平和がもたらされるのです。たんなる理論や主張だけでは、とうてい平和などやってくるものではありません。また、多くの人がこの喜びと感謝に徹してこそ、人間と自然との共存関係も回復できるのです。ただ「人間が困るから自然をたいせつにしよう」と考える程度では、ほんとうに自然と仲よしになることなどできはしません。 こう考えてきますと、人々を“生かされている喜びと感謝に徹せしめる”唯一の文化現象である宗教がどんなに大事なものであるかが、しみじみとわかってくることと思います。そして、多くの人々に正しい宗教にはいることを勧めることが、どんなに尊い行為であるかが、ほんとうにわかってくると思うのであります。 (昭和59年07月【佼成】)...
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...求道心 一 私は自分の体験からしても、好奇心こそは新しい世界を見い出し、新しい天地を開くために欠くことのできないものだ、と信じています。 と言えば、皆さんがたは、現実の問題として、せっかく最高の法華経の教えにはいっていながら、他の教えに好奇心を持って心を動かしてもいいのか、という疑問を起こされるかもしれませんが、法華経とか仏道というものは、そんなチッポケなものではありません。自分と、人さまと、世間を幸せにするものごとであれば、すべてが法華経であり、一切が仏道そのものなのです。ですから、好奇心というものも、そんなに狭く考えてはいけないのです。(中略) 好奇心は求道のスタートに過ぎません。バネの効いた踏み切り板のようなものです。踏み切っただけではなんにもならないわけですが、しかし、その時点において、あれこれと考えたり、方法論とかなんとか右顧左眄するのは、かえっていけません。踏み切り板のバネの勢いに任せて、素直に飛び込んでみることです。 私もそうでした。私は時々思うのです。自分は単純な男なんだなあ……と。単純だからこそ“これだ”という道を発見するとためらいもなく、その道一筋に走り、それに幸福感を覚えながら、ここまでやって来たのだろう……と。人間、あんまり複雑だったり、深刻だったりすると、遂に、幸せになることはないのではないでしょうか。 しかし、突っ走ることは単純でも、すべて〈道〉と名のつくものは無限であり、深遠であり、それだけに、先へ歩んでいく過程もたいへん複雑・微妙でかぎりなく味わい深いものです。ですから、進めば進むほど、もっと奥を知りたい、もっと先をきわめたいという気持ちが津々とわいてきます。こうなったらしめたもので、求道の心が、いよいよ決定したのだ、と言うことができましょう。 (昭和47年11月【躍進】) 求道心 二 私の場合も、海軍から帰って結婚し、(中略)長女の病気が縁で天狗不動の信仰に入り、そこで、師範代までになったわけですが、自分には、いっこうわけがわからないのに、私が加持祈祷をすると、先生よりもずっと効験あらたかで、病人がドンドン治んです。実に不思議なんです。ところが、その不思議と妥協して、それが自分の力だと甘く考えてしまっていたら、きっと普通のいわゆる“拝み屋”で終わったことでしょう。 ところが、私は小さいときから数学が好きだったのもそのせいだと思うのですが、法則というものがわからないと承知できない性質なんです。不思議と言っても、今の時点で人間にわからないだけのことで、必ず何かの法則によって起こるはずだ……と、こう考える。すると、その法則が知りたくてたまらなくなる。もちろん、おいそれとつかめるはずはないので、八方模索するわけです。その模索がなんとも言えないほどおもしろくて、楽しくて仕方がない。姓名学も勉強してみました。これには一応の法則があって、その法則によって鑑定すると、実によく当たります。しかし、姓名判断の法則が人の運命を左右するのならば、なぜ左右するのかという、もう一つ奥の法則があるはずだ。いわば天地の法則があるはずだ……と、こう考えざるをえないのです。そこで、また暗中模索が始まるわけです。 この暗中模索も、やはり求道のたいせつな過程なのです。 模索の渦中にある期間は、どっちを向いてもお先まっ暗で、八方塞がりの感があります。ですから、若い人は自暴自棄になって、とんでもないことをしでかしたり、つい求めるものを投げ出してしまったりするのです。 ところが、暗中模索も求道の過程という、しっかりした信念があると、その苦しみに耐え切ることができます。それどころではなく、模索する苦しみが一種の楽しみに変わるのです。苦しみと言い、楽しみと言っても、心の持ち方次第なのであって、同じことが、どのようにでも変わるのです。(中略) 〈求道の苦しみも即楽しみ〉これですよ。 (昭和47年11月【躍進】) 求道心 三 真剣に道を求めれば、必ず与えられます。そして、道を求める修行そのものが、楽しくて楽しくて仕方がなくなるものです。これが求道の真骨頂です。 もちろん、永い間にはいろんな心理の動揺やかげりはあります。(中略)道を求める心が強ければ、一時的な心の動揺やかげりなど、すぐケシ飛んでしまうもので、問題ではありません。 (昭和47年11月【躍進】) 仏道は、素直な心でそれに入れば、こんな入りやすいものはありません。しかし、奥はなかなか深いのです。一つの山の頂上に登りついたかと思うと、その向こうにもっと高い峰があります。増上慢の人にはその姿が見えませんが、謙虚で熱心な人にはより高い峰がなんとも言えない美しさで呼びかけてくるのです。そこで、勇躍してその峰をよじ登ります。するとまた向こうにもっと高い峰がそびえているのです。 このようにして、真の仏道修行者は、いつも新しい楽しみと勇気をもって、深く深く教えの山へ分け入っていくわけです。一番奥にある最高峰こそ仏の悟りであり、そこまではなかなか到達できそうにもありません。しかし、その峰の尊く美しい姿にあこがれ、それをめざして進むことに言いしれぬ喜びと生きがいを感じ、もはや決して後もどりしない心境にたち至ったとき、すでにその人は目覚めたのだと言うことができましょう。 皆さん、このことをしっかり胸に刻んでおいてください。毎日毎日、より高い峰を発見し、毎日毎日、新鮮な希望と歓喜を持って向上の道を進んでいくのが、仏道修行なのです。ですから、いつも初心のときのようなみずみずしい、弾んだ気持ちで、ご法に精進していただきたいのです。 (昭和44年06月【佼成】)...
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...在家仏教の精神 一 一「仏教の歴史は古い。しかし、今までの仏教のあり方は、お釈迦さまのご本意を顕していなかった。いや、時代的にどうしても顕すことができなかった。今こそ、いよいよその時代がやってきたのだ。われわれはほんとうの仏教の黎明期に生まれ合わせたのだ」という認識を、われわれひとりひとりが、腹の底にズシンと音がするほどうち込まねばなりません。すべてはそこから始まるのです。 これまでにも在家仏教がなかったわけではありません。その典型がいわゆる妙好人に見られるように、心から仏法を信じ、明け暮れ仏さまを念じ、その教えのとおりに美しく正しい人生を送った庶民は、数多くいました。 それなのに、なぜ仏教が社会全体を浄化し、正していくことができなかったのでしょうか。その最も大きな理由は、信仰の横へのひろがりとつながりに欠けるところがあったからです。 どんなところが欠けていたかと言いますと、まず第一は、信仰に対する態度の積極性であります。おおかたの信仰者が自分自身の心の救いに安住し、それを他へおよぼす努力に消極的であったことです。朝夕ご仏前でおつとめをし、お寺参りも欠かさず、身を正しく保ち、まわりの人々にも慈悲をかけ、そして心安らかな一生を終わる……そういった信仰態度にとどまった人が大部分でした。それだけでも立派なことには違いありませんけれども、しょせんは二乗的な信仰であり、そこからは広く世を救うエネルギーは生まれてこないのです。 第二は、組織の弱さです。仏法によって広く社会を救おうという努力をした人もいなくはなかったのですが、それはきわめて散発的なものにすぎませんでした。なぜならば、そのような信仰者の組織が力強く育たなかったからです。強い組織ができると、為政者がその力を恐れて、必ず弾圧を加えるか、あるいは去勢してしまい、その正しい発達を許さなかったのです。 このようにして、横へのひろがりとつながりに欠けていたために、在家仏教は永い間ぬるま湯につかったような状態を続けてきたわけです。 (昭和40年12月【躍進】) 在家仏教の精神 二 今や時代は変わりました。信教の自由も、結社の自由も、憲法で認められています。正しい信仰であるかぎり、今後政治によって弾圧を受けることはありません。この点においても、いよいよ在家仏教の新しい夜明けが始まりつつあると言ってもいいのです。 このような歴史を振り返ってみることによって、これからの在家仏教のあり方はおのずから決定づけられることと思います。一言にして言えば、横へのひろがりのエネルギーに満ちた信仰です。横へのつながりの強靱な信仰です。言葉を換えて言えば、正法弘通の菩薩行に貫かれた在家仏教です。これなくして、どうしてお釈迦さまのご付嘱に添いたてまつることができましょうか。 わが立正佼成会の存在価値はここにあるのです。われわれこそ、在家仏教の新しい時代をつくる開拓者であります。新しい夜明けの先頭を走る選手であります。(中略) 開拓者に苦労はつきものです。おのれ(自我)を犠牲にすることなくして開拓はできません。しかし、「自分は未来を開きつつあるのだ」という自覚さえ持っておれば、その苦労がかえって楽しみとなるものです。おのれを犠牲にすることが、かえっておのれを高める修行になるものです。 私自身のことを振り返ってみましても、若い時代には、自分の商売と菩薩行とを両立させて、ヘトヘトになるまでやったものです。夜も二、三時間ぐらいしか眠らないことが、どれだけ続いたかわかりません。そんなときは、俗な言葉で言えば、まったくヤケノヤンパチ気味で、ただもうがんばるよりほかありませんでした。 しかし、そのころのことをあとで振り返ってみますと、実に心が明るく、楽しくなってくるのです。なんとも言えない、いい気持ちなのです。充実した人生の喜びとでも言いましょうか、これが菩薩行の醍醐味だなと、つくづく思うのであります。 私は、何も特別な人間ではありません。田舎出の普通の青年でした。ですから、私のしてきたことが、皆さんにできないはずがないのです。どうか皆さんも、ここで決定を新たにして、新しい時代の担い手となっていただきたいのであります。 (昭和40年12月【躍進】) 在家仏教の精神 三 過日(注・昭和47年)、京都で清水寺の大西良慶先生にお会いしてきました。大西先生は昨年、普門館に来られて説法してくださっていますが、今年九十八歳の高齢を迎えられながら、かくしゃくとしてお元気でいらっしゃいます。 先生は、私どもの教団の建物に「普門」という言葉が使われていることをたいへん気に入られて「仏教は普門でなくてはならない。“あまねく門”というその言葉どおりに、どんな階級の人も、どんな思想の持ち主も、またどんな考え方を持った人でも、このあまねく門から入ってきて観音さまのみ心に触れてほしい。そうすれば人々の心も皆清浄になって救われることだろう」と喜んでくださいました。 また、このたび、お目にかかりましたおりには、日本の仏教の現状を嘆かれて「日本の仏教がこんなに衰微したのは法要とか、葬式ばかりをやる儀式仏教になってしまったためだ」と言われ、「その点、立正佼成会は人間仏教だ。だからそこでは仏教が生きている。生きているから、あなたのところにはあんなに大きな建物ができたのだ」と言ってくださいました。そして、「大きな建物ができるのには、もちろんそれだけの背景があるのだけれど、過去の宗教は大きな建物ができると、そこでだいたいがストップしてしまって、それ以上前進しなくなるし、むしろ後退する恐れさえあるのだが、あなたのところはそうじゃない。生きている人間仏教だから、人々もどんどん増えていく。今、最も大事なのはその人間仏教を弘めることだ」と、励ましてくださいました。 その大西先生のお言葉を借りますと「奈良の大仏さまや法隆寺など大きなお寺は、みんな時の天皇さまが仏教に目覚められて、国の力でお建てになった。それを、立正佼成会の場合は、創立して三十余年にしかならないのに、しかも民間の力であれだけのものをつくりあげたのはたいしたものだ。日本に仏教が入ってきて以来、その仏教のために大事業を成し遂げたのは、あなたが三人目で、それもこれまでの二人は天皇さまだから、民間人としては初めての大事業だ」ということになるのです。しかし、私はその過分なお言葉に、すっかり恐縮したのでありますが、申すまでもなく、私ひとりの力など微々たるもので、大西先生からそのようなおほめにあずかりましたのも、ひとえに皆さまのおかげであります。 信者の皆さんが、〈人間仏教〉を真の〈在家仏教〉として、生活即仏教、仏教即生活ということを実践されているから、仏教が生活の中に生き、それによって一つの大きな事業をここに成就することができたのであります。 さて、大西先生は「自分はもう余生いくばくもないが、仏教の一切のことは、あなたにお願いする」とまで言ってくださいました。そして「真の仏教を世の中に弘めていくのは容易なことではないし、そのためには人をえなければならない。だから、仏さまからご使命を受けた者がこの世に出て来て法を弘めるのである。また、そういう人でなければ弘めることができないという因縁にできているのだから、どうか長生きしてほしい」とおっしゃられたのであります。 先生が言われますように、世界をほんとうに平和な寂光土にしていくためには、まず在家の者が仏教を体得しなければなりません。どんなにお寺さんの宗教が盛大になっても、私どもが〈人間仏教〉〈在家仏教〉の精神に立脚して、教えを生活に生かしていかないかぎり、仏教の持つほんとうの意義を果たすことはできないのです。 お釈迦さまは仏・法・僧の三宝を非常に尊ばれました。そして、お釈迦さまの時代から言われてきましたのは、なかでも最も重要な役割を果たすのは僧宝である、という解釈ですが、私どもはこれを拡大解釈いたしまして、この教団に入ってこられる皆さんがたによる僧伽ということだけにとどめず、万民を僧伽の一員としてこの僧宝に加え、仏さまのみ教えを基盤にした生活をともに続けていきたい、と願っているのであります。 (昭和47年【求道】増刊号) 在家仏教の精神 四 在家の仏教徒として修行を成就するためには、まず第一に家族の理解と協力が必要になるというところに、ご法ただ一点ばりではとおらない問題があるように思います。ですから、家庭の主婦のかたの場合でしたら、やはりダンナさまの気持ちを理解して、協力してもらえるところまでもっていかないと、お役もほんとうに務められるということにならないのであります。 ですから皆さんは“在家仏教の精神に立脚して人格完成の目的を達成するため……”という会員綱領をよくかみしめることによって、家族のかたがたに満足してもらえるように努め、協力者になっていただけるよう精進しなければならないのです。 実は先日、結婚式にお招きいただく機会があって、新郎新婦に一言はなむけの言葉を差しあげたいと、家を出る前に、「人生と仏教シリーズ」として刊行された本の中から、水野弘元先生の書かれた『人生の道しるべ』を読ませていただいたのですが、その中に非常にいいことが書かれておりました。それは、こういう話なのです。──お釈迦さまが修行なさって、非常に得々としたいい気持ちになっておられると、天の神さまが“汝が最もたいせつなよりどころにしているものはなんだ”と問いかけてこられた。そのとき、お釈迦さまはどう答えられたかと言いますと、私の考えたこととは違って「子どもだ」とおっしゃったと言います。そして天の神さまが“それでは、汝にとって一番たいせつな、最高の友達はだれか”とたたみかけて聞くと「妻である」と言われたというのです。なるほどなと思いました。 私がこれを読んで思い出しましたのは〈在家仏教の精神に立脚する〉という会員綱領のくだりであります。これも家庭の奥さんとともに次の世代を背負ってくれる者を、よりどころにしたものであって、お釈迦さまもまたこの考え方のとおりのことをお答えになっておられるのです。在家の私達がこの精神をほんとうに持ってごらんなさい。自分と同じ心を子ども達が継いでくれる。そしてお釈迦さまが人生の最高の友達は、と問われて「妻である」と答えられたように、奥さん達みんなが、自分にとっての最高の友はうちの主人だと、こう言われるようになれば、女房はどんなことがあっても、ついてきてくれるんだと信じられるようになります。また、そうならなくてはならないのであります。信仰はこのように常にぐらつきのない磐石のものでなくてはなりません。不退転の信仰でないと、寂光土の建設といっても、砂上の楼閣のように一角から少しずつ崩れていく、もろいものになってしまいます。こうした点が、在家仏教の精神に立脚した信仰を固めていくうえでの、最も大事なところです。 (昭和47年【求道】増刊号)...
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...在家の出家 一 結婚して夫を持ったり、妻を迎えたりしても、また、その夫婦がいくら仲よくちんちんかもかもでも、“在家の出家”の修行をする者にとって少しの邪魔にもなりません。むしろ円満な家庭でないと、ほんとうの信仰にならないと言っていいでしょう。 では“在家の出家”とはどういうことかと言いますと、心をあまり世俗的なものに傾けてしまわないということです。今の世の中にひしめき合っているいろいろな問題を考えてみますと、そのどれもが欲に満ちております。物質欲もそうですし、名誉欲もそうです。そのような五欲の追求が一番の災いになっています。人類が苦しんでおりますのも、たどってみると源にあるのはその欲なのです。お釈迦さまはそれを「諸苦の所因は貪欲これ本なり」と、一言で言い尽くされましたが、五欲の満ち満ちたもの、それを貪欲と言うのです。 その意味からも、われわれ在家の出家者が目覚めなければならないのは、貪欲に陥っていると、自分自身の目がくらんでしまって、心を清めることのできないまま、ますます苦しい方向に追い込まれていくということであります。七仏通戒偈の“自浄其意”という教えもこの貪欲の戒めにあてはまるものと言えましょう。 (昭和49年09月【速記録】) 在家の出家 二 金儲けをすればするほど、欲というものは次々に拡大し、そのため苦もそれに従って増え続けていきます。ところが、信仰を持ったうえで、物事の解釈をするようになりますと商売も繁盛し、また繁盛すればするほど回りの人達のことを考えるようになります。たとえば会社ですと、社員全体が幸せになるように福祉の充実を考えるようになる。そしてなるべく給料などもよくして生活をうるおわせてあげようと努力をするでしょう。社長がこういう考えでいると、社員達もこの社長がいなければ、そしてこの会社がなければ自分達も安定した生活を送れなくなる、と一生懸命になって忠勤を励みますから、社長は多くの協力者を得ることができ、その会社はますます発展していくようになるわけです。 皆さんはもうすでに、このようなことはご自身で体験しておられることと思いますが、仏さまは私どもの問うところすべてに“こんなにご守護をいただいてもいいのだろうか”と思うほどに、お手配をつけてくださるわけです。私が常に耳にしておりますのも「こういうお手配をつけていただきました」「こんなお慈悲をいただきました」という皆さんの喜びの言葉であります。 在家の出家というそのような心の持ち方を、菩薩道とも言いますが、これを菩薩道と言わずに、人間道と呼んでも一向に差し支えありません。このことは、人間として生きていくうえできわめてあたりまえのことなのですが、その心をなかなか持ち続けられないのが、私達凡夫であります。 (昭和49年09月【速記録】) 在家の出家 三 お釈迦さまが教えを説かれますと、インドでは、そのご威徳を慕って出家する人達がどんどん増えて、たいへんな騒動が起こりました。お釈迦さまは、お父さまの浄飯王の後継ぎとしての地位を捨てて、出家されたのでありますが、お城に羅睺羅というご子息を残していかれました。 浄飯王は、出家されたお釈迦さまに代わって、お孫さんにあたるこの羅睺羅王子を後継者にしようと考えられて一生懸命に育てられたのですが、どうにか独り歩きができるようになったところへお釈迦さまが悟りを開かれて郷里へ帰ってこられました。そこで奥さんであります耶輸陀羅妃は羅睺羅に、お釈迦さまにこうお願いするように仕向けました。「さあ、お父さまに遺産をくださるよう、お願いしなさい」羅睺羅がそのとおりにお釈迦さまにおねだりをしますと、お釈迦さまは「私の子どもなら、私の歩く道を一緒に来なさい」と言われたまま、さっさと後も振り向こうとされずに行かれてしまいました。はるばる遠くまで連れてこられたものですから、羅睺羅は重ねて“遺産をいただきたい”と催促したのですが、お釈迦さまは「私はこうして乞食をしながら法を弘めている。遺産はその法だけなのだから、私のあとについてきなさい」と言われて、息子さんを出家させてしまわれました。 力を落としたのは、後継ぎを失った浄飯王でしたが、同時に町の人々も、お釈迦さまのご威徳にひかれて次から次へと出家するようになって、騒ぎはますます大きくなりました。そこで、浄飯王はお釈迦さまに「親子や兄弟など、身内の人達にとってたいせつな人が出家する場合には、六親が賛成したときだけにかぎって欲しい」と申し入れられたと、お経に書いてございます。 お釈迦さまもこのことを受け容れられて、「それでは、そういうことにいたしましょう」とおっしゃったと申します。つまり、あまりにも大勢の人が出家するものですから、困り果てた浄飯王は、ついに妥協案を出されたわけでありますが、それもお釈迦さまによって、出家というそれまでになかった方法がとられたので、世間も騒いだのでありましょう。 立正佼成会は在家仏教ですから、そのような問題は関係のないことであるかと言えば、そうではありません。立正佼成会で現在、道場に出てきておられるのは一家の主婦のかたが全体の七〇%から、八〇%を占めておりまして、それも三十代から五十代にかけての働き盛りのかたが大部分です。私はそのことについての世間の圧迫をすでに感じております。「一家の主婦を、毎日道場に集めて勝手な説法をしている庭野という男は、まったくけしからん奴だ」と、道理のわかっていない世間の人達から言われることを、百も承知しているのです。 ところが、そういうかたが道場に来られて、だんだんと修行をしてみようという決定をしますと、やがて毎日毎日、道場へ出かけて行かないと、どうも落ち着かない、というようなことになってきます。もちろん昔から“てんから和尚にはなれない”と申しますように、きょう決定してすぐにそういう心境になれるものではありませんが、これからは真に人間らしい行ないをしていこう、そして毎日道場へ出かけて行って、一時間でもいいから説法を聞かせていただき、皆さんと一緒に修行を続けていこうと心を決めますと、そこは不思議なもので、お手配がついてくるのです。たとえば、初めはいろいろと都合があって、とても毎日は出て来られないのですが、十日に一度、一週間に一度と、道場に出る回数を重ねておりますうちに、それが三日に一度になり、一日置きにと、だんだんピッチがあがってきて、出かけて行ってたとえ短い時間であってもお話を聞いて来ないと、気持ちが落ち着かなくなってくるものです。また、そういう生活を続けてみると、こんどは朝から晩まで道場に出ていても家の中が困らないように、お手伝いさんを頼むことができるようにもなってくる。あるいはご主人が、家のことは心配しなくてもいいから、修行を続けなさい、と言ってくださるようにもなってまいります。これはもう実際に実践を続けて、初めて“なるほどそうなのか”と、わかることなのであります。 (昭和33年04月【速記録】) 在家の出家 四 私どもが日常「出世」という言葉を使いますときは、いわゆる立身出世という意味で用いるのが普通です。また、釈尊がこの世に出られた目的と使命が、法華経には説き明かされているという意味から、この法華経をもって、釈尊出世の本懐経であるといった言葉を用いることがあります。このように「出世」という言葉には、俗世間で言う栄達、成功、立身出世といった意味と、ただ今申しましたように、迷いの衆生を救うために真理を開き、示し、悟らせ、入らしめる目的をもって、人間釈尊として、この世に誕生されたという意味の出世とが、考えられます。 ところが、北大教授の古田紹欽博士はこの「出世」について、きわめて有意義な解釈をされています。古田博士はこの「出世」という文字を「世に出る」と読むか、あるいは「世を出る」と読むかによって、その意味が大きく違ってくると言われるのです。なるほど、出世について、これは「世を出る」とも読めますし、「世に出る」とも読めるわけです。 これを頭において、釈尊のご生涯をながめてみますと、たしかに釈尊の境遇は、シャカ族の国の太子として何不自由のない生活に恵まれたものでした。それにも拘らず、真の悟りを求めて俗世間を出られました。つまり「世を出る」ことをまず実行されております。そうして、一切の執着を断って修行をされた結果、無上菩提を得られたわけですが、それを以てたんに“吾ひとり悟れり”といった自己満足に安住されず、再び「世に出」られ、五十余年のあいだ衆生済度のために法を説き続けられたのです。 このように、古田博士は釈尊の生涯において二とおりの出世があったと言われるのです。したがって、釈尊が世を出られたのも、たんに現実生活に倦怠をおぼえられたとか、嫌悪を感じて世を出られたのではなく、迷いの衆生をなんとしても救いたい、それにはまず自分自身が、真理を探究しなければならないという慈悲心と、求道心から世を出られたことがわかります。こうしてみると、釈尊が世を出られたのも、実は世に出て衆生を救わんがための前段階であったことがわかるのです。 つまるところ「世を出る」のも「世に出る」のも、意味は異なるものの、実は不二のものであって、別々では、出世の真の意味とはならないということが理解されましょう。けだし「世を出る」だけでは在家仏教の本質から離れることにもなり、また一方「世に出る」ことだけを指導するのでは、低級なご利益信仰に堕する懼れが多分にあるわけです。 とかく仏教が隠遁的なもの、厭世的なものと、誤解されがちなのも、しょせん出世を「世を出る」ものとだけ解釈して、肝心のその後に続くべき「世に出」て「我等と衆生と皆ともに仏道を成ぜん」という菩薩道が忘れられているからにほかなりません。 (昭和37年10月【佼成】) 在家の出家 五 日蓮聖人が“天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得べきか”と申されたように、まず私達が、目先の利害打算にとらわれることなく一意専心、ご法の研鑽に励み、続いてその法を社会生活に如実に生かすという順序をふむのが正しいと言えましょう。(中略) すなわち出家について増谷文雄博士は、家庭というものは人間の最後のよりどころと言うか、いわば人生の幸福を表わす代名詞みたいなものである。その家庭を棄てて出家をするということは、人生の幸福に背を向けたこと、言い換えれば否定したことになる。そこでこの点だけを見た場合、出家というのは、まことに寂しい世捨人の響きがするけれども、釈尊をはじめ先哲が、家を棄ててまでも全精神を集中して追求したものは、正しい人間生活、よりよい人生を建設するにはどうすればいいかということでした。だから出家という言葉をわれわれは、たんに家を棄てて山にこもるという意味だけにとるべきではない。そこには“よりよい人生と社会を建設するという意味が含まれている”といった意味のことを言われました。 たしかに、私達が住むこの世の中は、誘惑や憎悪、抗争、煩雑な人間関係といったものにつつまれています。したがって個人的に心の平安を求めようとすれば、世間を離れて山にこもりたいという気持ちになるのは当然かも知れません。しかし、それがたんなる現実逃避になるか、脇目もふらぬ修行のための出離になるかが問題なのです。そしてほんとうに修行して真理に目覚めた者であるならば、諸法無我ということも、愛他の精神も、社会的自覚も身についていなければならないはずです。そうであるならば一度は出離した世間に再びもどり、衆生と共に悩み苦しみながら、互いに導き、導かれていくというところへ到達するのがほんとうでしょう。 俗世間から出世間(世を出る)そして出々世間(再び世に出る)という段階をふんでこそ真の菩薩であると言えるのです。(中略) 自分自身のことを申して恐縮ですが、私も、ほんとうに人間の救われる方法はないか、といろいろな信仰を遍歴し、最後にこの法華経に遇うことができたのです。それからというものは、それこそ一時は貧乏をして質屋通いをしながらも、ひたすら法華経の研究と自己の修行に没頭いたしました。その私の姿は、あるいは傍から見ると「信仰に熱心のあまり、どうかしてしまったのではないか」と言われるくらいのものだったのです。その求道生活は、まさに世間にありながら、本質的には世を出た生活でした。 こうしてすべてを投げうっての修行を経て、私は法に対する絶対の信念と、仏教の深大な哲理を学ばせていただき、それによって今日、皆さまがたと手を携えて現実生活に法を活用し、よりよい社会の建設の一端を微力ながら担わせていただいているのです。これこそ在家仏教を標榜する立正佼成会の本然の姿であると確信しております。 (昭和37年10月【佼成】)...
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...仏法と生活 一 「信仰はなんのためにするのでしょうか」と言う素朴な質問を受けたら、なんと答えますか。「もちろん、ほんとうに幸せになるためです」と答えるでしょう。さらに「ほんとうに幸せになるには、どうせよ、と仏教では教えているのですか」と問われるかもしれません。私ならば、ためらうことなく「天地の道理を知り、それに従って生きることです」と、答えるでしょう。 今ここに、一つの問答をかりに設定してみたわけですが、たまには、このような、信仰の原点に立ち返って基本的な心構えを振り返ってみるのも、たいせつなことだと思うのです。 (昭和49年02月【佼成】) 仏教のご法門は、偉大なる釈尊が、すべてのものを一つも漏れなく生かしているところの宇宙の真理を把握され、悟りを開いて説かれた教えであります。平易に言えば、人間を基盤とし、人間の幸せのために説かれたものでありますから、どなたでも仏法を学びその法則に従い、実生活にこれを用いられるならば、“その福量るべからず”で、必ず、万人がほんとうに幸せになることができるのでございます。 たとえば、四諦の法門、八正道というご法門は、私どもが日常生活を正すための教えでありますから、したがってこれは、いつでも、どこでも、だれでも通用するものであります。何も特別に宗教の時間を設けたり、仏教の言葉を使ったりしなくても、常にこれを用いていればすべての悩みが根本的に解決されていくのです。(中略) 人間は物質のみで幸福になれるものではありませんし、また、他を批判し、いかに論じてみても、決して根本的に解決されるものではありません。目の前の現象にだけとらわれていては、かえって苦をかぎりなく深めることになってしまうのであります。 仏さまは、私どもの両の眼は、外向けに人を批判するためにそなわっているのではなく、自分にふりむけ、自分の心の中を見るためにあると申されました。眼の前に見せられるすべてを〈自分〉ととって法門の鏡に照らして見れば、すべての出来ごと、由来が明確に見えてくるのであります。 (昭和40年08月【佼成】) 仏法と生活 二 道元禅師が支那から帰られたとき、待ち受けていた人達に、「私はから手で帰ってきた」と言われたそうでありますが、私は禅師のこういうところが、宗教家として実にすばらしいところではないかと思いました。「すべてのものはあるがままだ。一日を過ごして日が暮れると夕食を食べて寝て、あす夜が明けると起きる。そのように五年間暮らしただけで、なんにも持ってこない」と。あたりまえのことを、あたりまえに、心の中になんのわだかまりもなく、正しくご法にそった生活が、毎日あたりまえにできる。これは、やさしいようで、なかなか難しいことであります。 それから、また「衣食に道心なし、道心に衣食あり」という言葉があります。物に道の心はなく、人が道の心になったところに、自然に物は恵まれ、豊かになると言うことであります。 信仰とは、その人の努力と信じ方がたいせつであり、功徳は目に見えずとも、このような法の精神にそって生きるところにおのずから生じてくるものです。信仰を持つ人と持たない人の違いは、信仰を持って三年、五年と経つうちに、ふと、自分の考え方が変わったなあ、と感じられるときがありますが、そのときは諸法の実相で心が変わっただけ、いつのまにか環境が変わって豊かになっている、その変化にあります。それが、仏の慈悲というものでもあります。 (昭和40年08月【佼成】) 仏法と生活 三 「信仰者は法を下げてはならない」と言う幹部さんの話を、皆さんはよく耳にされると思います。法華経の中には「この法を持つ者」とか「この法を受持する者」など、いろいろな言葉が出ていますが、この法華経を持つ者は、それがどんな場合であっても、常に法を高くし、法を下げてはならないのです。たとえば、きょうはしゃくにさわることがあって腹を立ててしまった。ふらふらしていてよろめいてしまった、というようなことになると、そのたびに法を下げてしまっているわけです。そういうとき「これではいかん」とぴしっと自分を律しなければいけません。いつでも仏法に恥じないことを踏み行なっていくんだ、という決定をもって、善と悪とをいつもちゃんと振り分けていなければならないのです。そして、悪の方へはたとえ一歩でも足を踏み入れまいと決定する、これが不退転であります。 (昭和39年06月【速記録】) 仏法と生活 四 「末法」ということについて久保田正文博士は、「人々の生活基準たるべき法──つまり、釈尊の教えが人々に忘れられてしまった状態を言うのだ」という表現をしておられました。 したがって現代の人々の言動を支配するもの、言い換えれば価値判断の基準となるものは、損になるか得になるか、自分の名があがるか否か、あるいは敵か味方かという、極端と言うか、きわめて相対的なものの考え方、処し方をしているように見受けられます。 釈尊もすでに予言されているように、末法になると人々は自己主張に急で、お互いに言い合って相争うようになるということであります。なるほど、先に述べました久保田博士の言葉ではありませんが、人々の言動の根源と言うか、生活基準から仏法が失われてしまっている今日であれば、人々は自分欲中心になってものを見、考え、発言するわけですから、おのずから利害関係を生じて衝突が起こるというのも当然の帰結、因果関係であると言わねばなりません。 そこで自己主張もさることながら、現代において一番たいせつなことは、相手の言うことに耳を傾けるという謙虚と寛容の態度であると言われるのも当然であると思われます。(中略)相手の発言を謙虚に、そして寛容の心をもって聞くと申しましても、そこに話し合う者同士としての共通の地盤がなければなりません。では、その共通の地盤と言うべきものは何かということになりますが、まず第一に、自分達は自己中心になりやすい凡夫である、という反省心を持つことであり、次に真理という共通の地盤に立つということでありましょう。この地盤に立って語り合い、話を聞き、そして協力していく、ということがたいせつなのです。 (昭和39年09月【佼成】) 仏法と生活 五 仏法を説く者は、とくに観普賢菩薩行法経のなかに示された「結使を断ぜず、使海に住せず」ということを忘れてはなりません。すなわち私達は結使、つまり煩悩をおこしやすい社会生活を営みながら、しかも煩悩の海に没しない。そして妄想などに迷わされない(使海に住せず)ということがたいせつなのです。一切の俗世間から、わが身を深山に隔絶してしまっては、人さまをお救いすることはできません。ゲーテでしたか、“涙と共にパンを食べた経験のない人や、毎夜、悩みぬき床の中で泣きあかしたことのない人には宗教がわからない”というふうなことを言っております。そのように人さまを救うには、人々の苦しみ、悩み、喜びを肌に感じて知っていなければ、人々に密着した法を説くことはできません。ここに、在家にあって法を護持する者の使命と意味があるわけです。煩悩に惑溺することなく、仏法を己の基準とし、人々の胸に法の燈をつけていくということが望ましいのです。これこそが在家仏教徒の行き方、あり方であるわけです。 仏法を基準とした明るい生活、しかも煩悩の海に没しない正しい生活、そして多くの人々に正法を伝える力強さ、この明るく正しく強い精神こそ、在家仏教徒の基本的なあり方であると信じます。 (昭和39年09月【佼成】) 仏法と生活 六 宗教の世界は、日常生活の世界よりはるかに広い、無限の世界です。その無限の世界を学び、知り、そこに自分のいのちの無限さを発見するのが信仰であります。そして、その悟り・信仰体験というものを、狭い日常生活の世界に圧縮し、噴出させ、生き生きと働かせるというのが、ほんとうの信仰者の生き方なのであります。 日常生活の一部を割いて信仰する、というような本末転倒の考えを持つからこそ、生活と信仰とが遊離してしまうのです。これは非常にたいせつなことですから、この機会によくよく思索し、認識を新たにしていただきたいと思います。 (昭和41年01月【躍進】) ご承知のとおり、仏教では「願」を総願と別願の二つに分けて説いています。総願とは全仏教徒が懐く共通の願いです。“自分が悟ることによって人々のお役に立ちたい”という根本的と申しますか、最も基本的な願いです。いわゆる「四弘誓願」によって代表されるところの願いです。 この総願に対して、別願とは、各自の性格、才能、職業に応じて具体的に人々のお役に立ちたいという願いです。芸術によって、医学によって、法律によって、または物理科学によって、というように人おのおののお役によって、世の人々のためになりたいという願いです。こうしてすべての人達が、まず正しく総願を立て、次いで別願を立て、立てたからには一意専心、法則どおりに法を中心として努力するところにこそ、すばらしい社会が築かれるわけです。 (昭和37年10月【佼成】)...
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...家庭成仏 一 立正佼成会が“家庭の成仏”ということを叫んでいるゆえんは、家族のひとりびとりが自分の責任において正しいことをし、正しく考え、相手の立ち場をよく理解し合って、ほんとうに温かい心でお互いの責任を果たしていく、という自覚を求めることにほかなりません。行住坐臥、家族がともに生活している家庭では、収入にしても一家で分け合って暮らしていますように、お互いが共同責任を持ち合っています。家庭というワクの中で、朝から晩まで一緒に生活しているのですから、ご主人は奥さんを、奥さんはご主人を、親は子を、子は親を、という関係の中で、相対的なつながりを考え合って生きていかなければなりません。家族のうちのひとりが、自分に都合のいいことばかりを考えているようでは、家庭の成仏はおぼつかないのであります。 ですから、家庭成仏と口で言うのは簡単ですが、実はこれがなかなか難しいのです。家の中ではどうあろうと、外に出るときだけ、まじめなかっこうをし、まじめなことを言っておれば、他人の前はそれでとおるでしょう。ところが、いったん家に帰って来るとたちまち夜叉になったり、悪魔に変わったりする人が多いのです。 ご法にはいればもう当然のことですが、自分のひざ元にあるものを成仏させたいという気持ちは、だれもが持っています。しかし、実際問題として家族を導いて教化することは容易ではありません。ガミガミ言えば反感を持たれてしまうし、“まあいいや”ですませると中途半端になってしまいます。そこはやはり方便力をもって、あるときは強くきびしく説き、あるときは愛情をこめてやさしく説いて導くことが必要になってきます。家庭を成仏に導くには、まず自分自身が大慈悲心をもって説かないかぎり困難なのであります。 (昭和35年11月【速記録】) 家庭成仏 二 私ども立正佼成会の僧伽では「下がる」ということをよく説きます。これは、決して形の上だけへりくだったり、譲ったりするのではありません。実は、この「下がる」ということが心の中の我を捨てることなのです。我を捨てて相手の存在価値を拝むことなのです。「わたしが」「オレが」でなく、「あなたがあればこそ」「お前のおかげで」と考えることです。そうすれば、その思いは必ず形の上に現われてきます。これがほんとうの「下がる」ことなのです。 ご主人が勤めから帰って来たとき、「この寒いのに一日中ご苦労さまでした」と心から思う。すると、ひとりでに熱いのを一本つけざるをえなくなる。ご主人は笑顔で食卓に向かう。その、お父さんの笑顔を見れば、子ども達も自然と傍へ寄っていく。そこにだんらんが生じます。そうしただんらんの雰囲気があれば、子ども達も明るい、素直な性格に育ってくる。こういう成り行きになります。 つまり、まずだれかひとりが菩薩になることが必要なのです。だれかひとりが菩薩になり、ほんとうの意味の「下がる心」を持てば、「和」は自然に醸成されてくるものなのです。それは「下がる心」「拝む心」が人々にそなわっている仏性を磨き出してくれるからです。そうして、仏さまに囲まれている自分を発見することができたときに、この世がそのまま極楽浄土になるのです。 その極楽浄土は家庭においてこそ、最も容易に醸成できるものなのです。そして、そこを基地として、職場へ、地域社会へと、その「下がる心」による「和」を次第に広げていったとき、この社会全体が極楽浄土と化していきます。これが私達の社会浄化の働きかけにほかなりません。 だからこそ、立正佼成会では、「家庭の成仏」を非常にたいせつに考え、何よりもそれをめざして精進しているのです。まず、ひとりが家庭での「下がる」実践に徹し切ることによって家族の心がしっかりと和になった、その喜びをもって立ち上がらなくてはならないのです。 (昭和52年04月【躍進】) 家庭成仏 三 どうすれば家庭成仏が得られるかという問題について話を進めてみましょう。家庭成仏というのは世間で言うような夫婦や親子がたんにうまくいって、明るい家庭ができた、というようなお粗末なものではないのです。そのような方法、技術によっては“家庭の成仏”は得られません。それではせいぜい“家庭のだんらん”程度のものです。私達の求めている家庭成仏というのは、立正佼成会というその名が示すように、私達の個々の生活が正法(正しい仏教の法則)によって家庭はもとより、広く、社会一般と交わることによって得られるのです。日蓮聖人が唱えられた“立正安国”と言うのは、正しい法によらなくては国は安泰にならないということですが、やはり家庭成仏も正しい法の交わりによらなくてはできないのです。家庭内で奥さんがご主人にサービスすることや、妥協することは家庭を円満にする一つの方法ではありましょうが、根本となる仏法を無視しては真の平和、永遠の楽土、心の安定というものは得られません。 日本の家族というのは、一家の中にお年寄りもいるし若夫婦もいるし、また同時に孫がいるという具合に、家族形態が〈大家族〉になっていますので、一家全体が和になるということの困難さを持っています。それゆえに、家庭の成員がおのおのの分をわきまえて、それを守っていかなくてはならないと思います。 先ほど正法という表現をしましたが、平易な言葉で言えば、各人がおのおのの分担をもち、その責任を果たすと言うことです。社会というものは、おのおのがかってなことをして責任を果たさなければ、絶対に調和のとれるものではないのです。したがって、正法がはいることによって、おじいさんはおじいさんの分、おばあさんはおばあさんの分、さらにご主人も、学校へ通っている子も、家族の全部がそれぞれの分をしっかりと果たすので、家庭の調和が成り立つのです。こうなると日本の家族制度がいかに複雑な面をもっていても、少しもわずらわしくはなくなります。むしろこの複雑な家族制度のために、私達は多くのご守護をいただいていると言えます。それはなぜかと言うと、アメリカのように国が裕福で、結婚すればすぐ別個に住宅を持って暮らせるような国では、男性でも女性でもお互いが好きであればすぐ一緒になってしまいますが、それではお互いに社会的な試練が得られないので、ふたりの間に少しでもつまずきがあったりすると、すぐに離婚してしまうという現象がおきてきます。日本のように両親がみたてて「こういう人ならば」というお嫁さんと一緒になるとすれば、自分の好みだけではなく、第三者から見ても立派な人が選べるので、家庭を持っても円満な夫婦になれるのです。したがって、正法によって家庭を立てるということは一見難しいことのようですけれども、他に類のない安定した家庭が得られるわけです。ですからアメリカは戦後の日本を見て、そこに、決して失われることのない家族制度のよさを発見したと言いますが、大和魂などというものも、この中から生まれたものなのです。お嫁さんひとりをもらうにもそのように厳選の結果、選ばれるのですから、それだけすぐれた家族ができるのです。 (昭和36年09月【佼成新聞】) 家庭成仏 四 今日、会員の多くの家庭は法によって救われ、今までにみられなかった家庭の和楽が得られたわけです。しかし、ここでヤレヤレと気をゆるめてはなりません。私達のご法精進の目的は「自分は救われたから、ここいらでもう止めておこう」などと、安易なところに落ち着いてはいけないのです。自分の家庭が救われたならば、次には他の家庭を救っていくことを考えなくてはならないのです。ところが、まだ仏法をよく知らないで、損得中心の気持ちから「よくなって有り難い」と思っている人は、ややもするとすぐにヤレヤレと懈怠の気持ちを起こしてしまいます。そこをもう一段、精進を進めて善悪中心のところまでいくと、自分が救われたら、次には「自分より困っている人も世の中に多いのだから、こんどはそういう人達を救っていこう」と常精進の心構えができるようになります。 同じ喜びにしても、損得中心と善悪中心の人とではこれだけ違います。ですから、もし皆さんがたの精進が「家庭が救われて有り難い」というところまできたならば、いつまでもそれだけのことに満足していないで、次に一段高い善悪中心のところへ進んでいくように心がけなければなりません。(中略)自分が救われたら他人を、また、自分の家が救われたら今度は他人の家を救うという気持ち──ほかならぬ菩薩道をいつも忘れてはなりません。ですから会員の皆さんが社会の模範となるような家庭成仏を実現し、「どなたでも立正佼成会の教えを実行なされば、家族はこんなによくなります」ということを、社会に広く訴えかけていってほしいと思います。それがなによりも社会に対する教化力となるのです。 (昭和36年09月【佼成新聞】) 家庭成仏 五 私達には使命があります。言うまでもなくお釈迦さまの教えを多くの人に伝え、世の中全体を平和な仏国土にするということです。そのためには、まず自分の家から、教えにそった平和な家庭を築き、その力を蓄え、その力をもって外に向かって働きかけていくことが肝要です。したがって、私どもは他の多くの人達と共同の立ち場でこの教えを生かしていくという安定した基盤を持たなければなりません。幸いに家中が喜んで帰依するという心になっているのですから、家族の中のだれかが八方の大士として社会に奉仕のできる態勢があり、その奉仕する人のエネルギーが家族の協力でいつでも補給できるのです。これが在家仏教の基本的なあり方であることを、この際しっかりと認識してほしいと思います。 (昭和38年07月【速記録】) ...
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...「法座」について 一 法座は立正佼成会のいのちであります。神髄であります。世界中にこのような形態の、生きて血のかよった、打てば響くようなハツラツたる信仰活動をしている教団は類例がなく、諸外国の宗教学者達もこぞって感嘆しているところであります。 と言っても、これは私の発明ではありません。お釈迦さまがお弟子達を指導されたり、大衆を教化されたその方法を、現代的な形で受け継いだものであり、これこそ宗教の原点に立ち返った正しい道であると確信しているのであります。 (昭和45年03月【躍進】) 創立以来の永い年月に、本会の信仰のあり方にも、形の上ではさまざまな変遷がありました。しかし、その中においても不動のバックボーンとしてわが会の存在意義を支え、隆々たる発展に導いたものが二つあります。 一つには、法華経を所依の経典とすることであり、二つには、法座を信仰活動の最大の拠点としてきたことであります。 法華経を所依の経典とする教団はほかにもたくさんありますので、これはしばらくおくとして、法座こそは立正佼成会独特のものであり、宗教が真に生きて働き、現実に人々を救う稀有な場であるとして、世界の宗教家や宗教学者が絶賛してやまないものなのです。 (昭和50年03月【佼成】) 「法座」について 二 この法座という集会は、意図して組織したのではなく、自然に発生し、発展したものであって、そのことがたいへん尊い意義を持っているのだと、私は信じています。創立の当初は入信しようと訪ねて来た人には、まず、その姓名によって過去の因縁を判断してさしあげていました。 それがピタリピタリと当たるものですから、毎日、たくさんの人が私の店(当時は牛乳店を経営していた)に訪ねて来られました。過去の因縁を鑑定するばかりではなく、今後の生き方についても法に照らしてアドバイスしてあげましたので、つまり一種のカウンセリング(面談相談)の場がそこにでき上がっていったのです。 ところで、牛乳発達のために妙佼先生のお店(冬は焼きいも屋、夏は氷屋を営んでおられた)に行ってみますと、妙佼先生は非常に豊富な人生体験を積んだかたでしたので、今で言う人生相談を持ちかけてくる人がたくさん集まっていました。そこで私もそれに加わり、いろいろと相談に応じたものです。ほかにも会員のお宅にこうした人々が集まっていて、私の来るのを待っておられました。 このように、真剣に救いを求めて集まって来る人々に、こちらも真剣かつ無私の気持ちで対応し、法に示されたとおりをビシビシと言ってあげますので、その場はまことに熱気があふれ、火花が散るような様相を呈していたものです。それだけに、おもしろいほど結果(現証)が出ました。世間の人にとっては奇跡としか考えられないようなことが、日常茶飯事のように起こったのでした。 これが、法座というものの偽らざる発生の歴史です。 (昭和50年03月【佼成】) 私の牛乳店の二階にあった本部も、廊下まで座ってもまだ入り切れないという状態になりましたので、妙佼先生のお住居の隣に二十五坪の本部を建設することになりました。そして、昭和十七年の五月に落成したこの建物に、私も住居を移し、牛乳店を廃業するのやむなきに立ち至ったのでありました。 法座も、この本部で行われることになりました。初めは五日に一回だけだったのですが、それではどうしても対処しきれなくなり、次第に回数が増え、ついには毎日開かれるようになりました。そして、ますます驚異的な成果をあげるようになったのです。 (昭和50年03月【佼成】) 「法座」について 三 釈尊教団では、重要な定例行事として、布薩という集会が毎月二回持たれました。そのころインドで一般に行なわれていた斎日にならったもので、在家信者もこの日にはとくに行ないを慎み、清らかな生活をするように努めたのですが、比丘・比丘尼教団ではこの日を自己反省と懺悔の日としていました。 毎月、満月と新月の日にもたれるこの布薩という集会で、戒律の基本条項をひとりが三度ずつ朗読し、もしみずからが戒律にそむくことがあったと判断するならば、それをみんなの前で懺悔することになっていました。この布薩は、教団を教団として保っていくうえの根本をなす重大行事として、欠席するなどは断じて許されなかったのです。わが立正佼成会で行なっている法座は、この布薩をより在家的に、より菩薩行的に発展させたものと言ってもよく、これまた教団を教団として維持していくうえに、最も重大な行事なのであります。 (昭和41年02月【躍進】) 「法座」について 四 講師が演壇に立ち、大勢の聴衆に向かって話をする形式の説法は、いわば一方通行です。話の中に納得できないところがあっても、その場で質問するわけにはいきません。また、身につまされる話があって、そこのところをもう少し突っ込んで話してもらいたいという気持ちがコミあげてきても、それを要求するわけにもいきません。それゆえ、よしんば感動的な話を聞いても、もう一歩のところで心の救いにまで達しないことが多いのです。その点、法座はまったくの“自由通行”と言うことができるでしょう。 どんな意見を求めようが、何度同じことを質問しようが、だれもとがめはしません。得心がいくまで聞きだし、考え合い、説き明かす場なのです。こうして得心がいくからこそ、救いに達することができるのです。 (昭和50年03月【佼成】) お釈迦さまは、鹿野苑の初転法輪からクシナガラでご入滅されるまでの四十数年間に、八万四千(無数の意)の法門をお説きになったと言われています。その中で、法華経のように大勢の聴衆を前にして、宇宙と生命の法則とか、人生の根本道理といった原則的な事柄について体系的な大説法をなさったのはむしろまれで、たいていはお弟子ひとりひとりの疑問に解決を与えられたり、在家の人達の悩みや不幸を救うために一対一の現実的な指導をなさった、いわゆる対機説法であったのですから、そのみ教えはまことに無数であったわけです。初転法輪では、わずか五人の比丘を相手に中道・四諦・八正道の教えをお説きになりました。すると、五人とも悟りを開き、自由自在の境地を得ました。 次には、富豪の子としての贅沢ざんまいの生活に自己嫌悪を起こして悩んでいた青年ヤシャを救われました。その縁でヤシャの父も仏さまに帰依し、またその家に招かれて一族の者にお話をされますと、ヤシャの母も妻も即座に法にめざめ、在俗の信者としてほんとうの幸福な人生にはいりました。(中略) こういう例をあげれば、それこそ無数にあるわけですが、ともあれ、この一つ一つの教化のなりゆきをつぶさに観じていただきたいと思います。それらがとりもなおさず、法座にほかならぬことがきっと胸におちてくることと思います。お釈迦さまは決して紋切り型の説法をなさらず、相手の機根と、事情と、環境と、時期とにピッタリ合ったご指導(結び)を与えられ、現実にひとりびとりをお救いになったのです。これこそ法座のほかのなにものでもありません。 (昭和45年03月【躍進】) 「法座」について 五 第一に、法座は、信仰者同士の純粋な集まりです。 そこには、世間的なみえも、外聞も、はばかりも、一切ありません。みんながほんとうに素っ裸になれる、この世にただ一つの場であります。(中略) われわれの法座においては、みんなが世俗的な鎧を脱ぎ、殻をうち破り、素っ裸になって話し合い、心の泥(我)をさらけだすのです。みんなが、ほんとうの人間に立ち返るのです。ほんとうの意味の解放感を味わい、仏性のわきあがりをマザマザと自覚することができるのです。まことに、この世に得難い、貴重な場であります。(中略) 第二に、法座はまた菩薩行の場であります。同信の人達の懺悔を聞き、こちらも心の壁を取り払って、その悩みに同情し、仏法に照らし合わせて、それを払拭する手段をともに考えてあげる。そうすることによって、その人に人生の真の幸福をもたらしてあげる。これが菩薩行の神髄です。(中略) したがって、まだ仏法に触れない人を仏法に導くことは、現実面の救いよりももっと尊い菩薩行と言わなければなりません。けれども、ただ仏法に導いてあげただけでは、その菩薩行は完成されていないのであって、仏法によって魂の浄化・人間の改造にまで導いてあげてこそ、はじめてそれが完成されるのであります。法座は、その菩薩行完成の場にほかなりません。(中略) 第三に、法座は、僧伽の結束を固める場であります。法座において裸と裸の魂が触れ合い、融け合うことによってこそ、お互いが一心同体になれるのです。「一本一本の葦は立つことができないけれども、それが束になれば、立つことができるのだ」と、お釈迦さまはお説きになりましたが、その教え、すなわち人間の相依性を如実に体験できる場も、法座であります。 結束と言っても、決して外部の勢力に立ち向かうためと言うような、第二義的な結束ではありません。お互いが人間的に研鑽しあい、仏性を磨きだしていくための第一義的な結束です。そういう意味における僧伽ないし法座のもつ価値は、実に絶大なるものがあります。(中略) このように、法座というものは、われわれの魂を清め、心の自由自在を得、人生の真の幸福を得る場でもあり、また他の人を救う菩薩行をほんとうに完成させる場でもあり、また、お互いが研鑽し合いながら一心同体になり得る場でもあります。つまり、お釈迦さまのお言葉によれば〈聖なる道のすべて〉であるのです。 (昭和41年02月【躍進】)...
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...法座修行 一 法座には、不思議と同じ悩みや同じ因縁を持った人が同座するものです。また、そうした悩みから救われ、そのような因縁を断ち切った“卒業生”が、結果を報告に来たり、救われたお礼を言いに来ていることもあります。 さらに、まだ“卒業”にまで達しきれず、法座へ追加指導を受けに来ている人と居合わせることもあります。 そうした、各段階の同信者がひざを突き合わせて、なんの隠しだても飾りけもなく〈悩みを打ち明け、懺悔し、共感し、一緒に考え合う。救われた人は自分の体験を語り、途中でつまずいている人はその原因について意見を求める。最後に、リーダーである法座主が法の示すところに従って結論を出し、今後の方針を打ち出してあげる(結び)〉というこのような素っ裸の魂と魂のぶつかり合い、信頼と信頼との交流、それがすばらしい結果を生まないはずはないのです。 これが在家仏教の真のあり方であると私は確信しているのですが、中でも大きな特長は、リーダーが“先生”でなく“先輩”であることだと思うのです。先生ともなれば、なんと言ってもその間に若干の距離を感じがちです。ところが、卒業したての先輩ですと、まったく身近な存在であり、その体験談も、アドバイスも、そのままじかに心身にしみ込んでくる感じがするものです。(中略) しかも、ただ独りの納得にとどまるものではありません。法座にはいろいろな人が寄り集まっているわけですが、そのみんなの人が、ある人の悩みや体験を聞き、それに対するリーダーの結びを聞くことによって、それぞれに自分なりの心の収穫を得ることができるのです。いや、それより何よりたいせつなことは、そのある人の苦しみに対して心から共感し、同情を覚え、なんとか救いの手を貸してあげたいという気持ちになることです。こうした慈悲の念が自然にわき、行動となって現われ、そのような菩薩心・菩薩行の輪が次第に広がっていく……そこにこそ、法座の真骨頂があるのです。 (昭和30年03月【佼成】) 法座修行 二 二「人を救うには、どうしたらよいか」という仏教の本義に目ざめて法座に体当たりするなら、自分とは生活環境の異なった人の経験も、自分の生活の上に応用できるのです。 「年が違うから、かかえている問題が違うから、そんな人の経験は興味ないし、聞く必要もない」という考え方は、まだほんとうの宗教活動に結びついていないと言うことです。裏返して言えば、信仰生活に余裕がないことを証明しているようなものです。 若い自分はこう考えるのに、年長者はこう考える。なぜなのか。どこが違うのか。どこから食い違ってきているのか、などを知ることが、自己の人格を高める上にも、さらに信仰する上にも必要なのです。そこにこそその人自身の人間的な進歩があるのです。 同じ年代の者が、また、同じような生活をしている者だけが集まって話をしても、ウマが合って楽しいでしょうが、進歩は望めないと思います。 後輩の者は先輩の意見を聞き、先輩者は後輩の意見、後輩の状態を知る。そのために努力をする。そこに経典の「人のために説きしがゆえに、疾く、阿耨多羅三藐三菩提を得たり」というお言葉の意味があるのです。人間社会のあらゆる物事を吸収したいという切なる求道心があれば、おそらく、この声は反対になって出てくるに違いありません。私は若いころ、年寄りとか古いとか、ということを少しも思わずに「全体のよいところをとっていこう」と心掛けていましたから十七、八歳ごろから年寄りの話を聞き、ずいぶん大きなものを得たと思っています。 信仰は遊びではないのです。ただ“話が合うから”と言って、同じような人とばかり話していたのでは信仰者として失格ですし、人間としても堕落してしまうでしょう。 自分に満足できる段階で止まってしまうのでは、なんにもならないのです。いろいろな階層、階級の人と多く語り合うことによって、自己を高め、どんな人にも、どんな状態にも対処できる余裕と、人間的な幅を広げてほしいと思います。法座というものを仲よしグループのサークル活動と同様な受け取り方ではなく、より真剣に、そして謙虚に学んでほしいと思います。 (昭和37年10月【佼成新聞】) 法座修行 三 「是の処は即ち是れ道場なり」という言葉があります。会社にあっても、家庭にあっても、街頭であっても、そこがすなわち道場である、という気持ちで生活することが大事である、という意味で用いるのであります。たしかにどんな場所においても、自分というものが、求める心、道を学ぶ心をしっかり持っていれば、そこがすなわち道場であるとすることができましょう。ところが、「たまには道場にいらっしゃい」とか「法座に出てきなさい」と言われますと、「いや、是の処は即ち是れ道場なり、と説かれているのだから、何もわざわざ道場まで行く必要はない」という断りの言葉に利用されることがあります。しかし、いかに“即是道場”といっても、道場や法座で、いろいろと教えられ、鍛えられ、そのうえで、職場や家庭にはいってこそ、初めてこの言葉が生きてくるのです。 (昭和46年03月【佼成新聞】) 法座にすわり、他の人の話を聞くことによって、自分が一番正しいと思っていたものが“なるほどそういう考え方もあるのか”と、自分の狭い独りよがりの考え方を反省し、〈自分の考え〉という短い尺度を法というモノサシに当てはめて誤りを正したり、人の苦労を知って、自分の甘い考えや生活態度を省みたり、というように磨き合いの場が法座です。とかく人間というものは、自分の今までの経験に照らして、自分は物事がわかっているとか、間違ったことはしていないと思い込んでいますが、案外と独断や偏見に陥っているものです。タテとヨコの糸を順序よく織り成してこそ、よき布ができ上がるように、従来の自分の経験をタテの糸とすれば、ヨコの糸とも言うべき、人々の意見や知識をとり入れて、自己を高めることがたいせつであります。 (昭和43年04月【佼成新聞】) 法座修行 四 悟りというものは、一度悟ったらもう迷わないものだとか、木の葉の落ちるのを見たり、竹に小石が当たる音を聞いてパッと悟った、といった話を聞きますと、「卑小な自分など、とうてい悟るなどということはできない」と思い込んでしまいやすいのではないでしょうか。何か、よほどの天才的な能力がないと悟れない、と思い込みがちなのではないでしょうか。 それがまた、仏教をとっつき難いものにしているのではありますまいか。人間というものは、求める心と努力によって少しずつ悟り、向上していくものだと私は思うのです。白隠禅師も“大悟十八回、小悟は数知れず”と申されておりますが、これがほんとうのところでしょう。苦を直視し、あるいは、どうすれば人さまをお救いすることができるだろうかと悩み、法座でお話を聞くうちに“なるほど!”と思う──その積み重ねこそが、人生の悟りにほかなりません。 (昭和51年04月【佼成新聞】) 法座修行 五 ここで改めて強く要望したいことは、「みんなが無我になること」であります。日常生活の場では〈我〉をことごとくぬぐい去ることは困難です。しかし、同信者の純粋な、信仰的な集まりである法座においては、それが可能なのです。お互いが〈我〉をまったく投げ捨て、法のまにまに生かされているのだという任せ切った心境になったとき、宇宙の大生命(久遠実成の本仏)の生かす力はマザマザとわが身に発現するのです。 「常にここに住して法を説く」というお言葉のとおり、久遠実成の本仏はいつも私どもと一緒におられて、一刻の休みもなく見守っていてくださいます。ちょうどテレビの電波が、目には見えないけれども、私どもの身のまわりに充満しているのと同じです。ところがテレビの受像機に狂いがありますと、画像がチラチラしたり、音声が聞こえなかったりで、たしかにそこまできている電波を正しくキャッチすることができません。それと同様に、私どもの心が〈我〉でいっぱいになり、濁ったり狂ったりしていますと、仏さまの生かす力を完全に受け取ることができないのです。 法座においては、お互いに容易に〈我〉を捨て去ることができます。仏と法と僧とに身を任せ切った、大安心の境地に入ることができるのです。ですから、宇宙の大生命(仏)の生かす力はそのまま身に現われ、もろもろの悪や障りは消滅してしまうのです。しかも、そういった心境は一種の精神的習慣となって残りますので、日常の生活にもどっても〈我〉の発現がだんだん少なくなり、法に即した考え方や行ないが生活の本流となるために、宇宙の大生命(仏)の生かす力はスムーズに流れ入ってきて、その人はほんとうの幸せを得るわけです。わが会の創立以来、三十二年間に無数の人々が現実の救いを得た原理はここにあります。そして、この原理はいついつまでも、立正佼成会の生命として生き続けるでしょう。いや、生き続けさせねばならないのです。 (昭和45年03月【躍進】)...
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...法座主の役割 一 “法は人に因って貴し”と言われます。そしてまた立正佼成会の一番たいせつな修行は法座にあります。その法座を預かる皆さんが、この久遠実成のご本尊勧請の意義の大きさをしっかりと心にうけとめてこそ、法は世に輝き出るのであります。 現代の混乱にまき込まれて苦しんでいる人々のすべてが、心の奥底では救いの道を求めています。しかし、あまりにも物にとらわれた心は、なかなか正しい道に従おうとしたがりません。また理屈でいっぱいになった現代人の頭は、言葉を尽くして真理を説いても、それを素直に受け入れようとしないのです。 この人々を正しい法に導き入れることは、私達独りの才覚、独りの力ではとうてい不可能です。すべてご本仏のご加護によらねばなりません。ご本仏の力によって、相手の仏性と自分の仏性がふれ合う縁を与えていただけたことの有り難さをかみしめ、相手の人格を礼拝する心になったとき、初めてあなたの法を説く言葉が、そのまま仏さまの言葉として相手の心にしみ込んでいくのです。 そして、ご本仏にかわって法を説かせていただく心になれば、そこに自分の感情など一かけらもさしはさむ余地がないことに気づくはずです。自分の言葉が素直に相手に通じないとき、ご本仏の前で自分が正直になっているかどうか、じっと自分の心をみつめてください。自分がご本仏の慈悲をさえぎる絶縁体になってはいないか、よく反省していただきたいと思います。 法座は、すべての人が、それぞれ己の個性を生かし、自分の体験を素直に語り合い、意見を出し合って、初めて万法に通じ、あらゆるものを浄化し救っていく修行の場となるのです。 仏の智慧の象徴として釈尊の眉間から輝き出た白毫相の光が、皆さんの額からほとばしり出るようになるとき、現代社会に寂光土が出現するのであります。 (昭和43年03月【躍進】) 法座主の役割 二 命令や威光では、真底から人を動かすことはできません。肩書きで信者さんを教化しようとしてもだめなのです。教化の極致は言葉ではなくて行ないであり、一隅を照らすのは威光ではなくて、ひたすらその人を幸せにしてあげたい、幸せになってもらいたい、という慈悲の一念に裏づけられた率先垂範の自燈明・法燈明であります。 仏さまは口をきかれませんが、説かれたその教えは〈経典〉としてはっきりと伝えられています。ですから、経典を開くことによって、私達は仏さまがあたかも口をきいておられるように、そのお言葉を聞くことができます。そのお言葉を、足りないことばかりの多い私達ではありますが、仏さまに代わって人さまに伝えさせていただく、仏さまの慈悲、仏さまの教えをそのまま信者さんに聞いていただいて、心に歓喜の念をわき立たさせ、菩提心を起こさしめるのが、皆さんのたいせつなお役であります。 ですから、自我をまる出しにした教化の態度では信者さんの期待を裏切ることとなり、純真な信仰をも崩れ去らせる結果となるのは当然のことです。また、それでは仏さまの慈悲の光、仏さまの教えを伝えるどころか、かえって、仏さまと信者さんとの間の“妨げ”になってしまいます。 その点、自分がほんとうに仏さまと信者さんとの真の仲立ち役になっているかどうか、逆に邪魔な存在になっていたり、仏さまの光をさえぎったりしてはいないかどうかを、反省していただきたいものです。 宗教学は、机の上の書物を対象にしていても事が済みますが、信仰はそれとは違います。向かい合って対座している仏さまと信者さんとの間に入って、司会をさせていただき、とりもちをし、通訳の役目を果たす、その生きた仲立ちがあってこその信仰です。私はしばしば対談や、座談会に出席いたしますが、そうしたとき対談なり、座談会なりが成功するかどうかのカギを握っているのは司会者です。出席者の気持ちになりきって、それぞれの考え方を十分にくみとり、リードしていって初めて、話し合いの内容は実のあるものになります。皆さんの場合も同様で、あるときは信者さんがしびれをきらしてはいないか、話はすっかり理解されているかどうかに気を配らなければなりませんし、あるときは信者さんが何を言いたいかを推し量って、いろいろとはからい、心づかいをしなければなりません。それが、信仰の仲立ちである幹部の役目であります。 自分が主役で説いて聞かせるのだとか、命令さえしていれば教化できるといった考え方では絶対にうまくいかないことは、こうした自分の真のお役を知って初めてわかってくるのであります。 (昭和45年04月【求道】) 法座主の役割 三 「弘経の三軌」という教えが、法華経の法師品第十にあります。法を説き弘める者の三つの軌範、すなわち歩むべき三つの軌道を教えられたもので、〈如来の衣〉〈如来の室〉〈如来の座〉がそれです。そう言っただけではよくわかりませんが、まず〈如来の衣〉とは何かと言いますと、柔和忍辱の心であります。柔和な心でいるからには、人がどんなことを言おうと、腹を立てたような顔をしてはならないわけです。この場合の衣とは着物、すなわち外見ということです。相ということです。柔和な心と柔和な顔で道を歩むこと───それを、如来の衣と言うのです。 また〈如来の室〉とは大慈悲の心のことです。それは自分に向かってかける慈悲ではありません。周囲の人々に対して、一生懸命に慈悲をかける、それが二番目の〈如来の室〉です。最後の〈如来の座〉とは“諸法空の座”と言うことであります。「般若心経」の言葉を借りますと“色即是空”と言うことであります。形があっても、すべてのものは必ず空に帰すということです。 空というのは無ではありませんから“空即是色”となってそこにまた生まれてくるわけです。その理をはっきり理解し、自分のものにしきっていないと〈如来の座〉、つまり諸法空の座に坐すということにならないのです。 皆さんが受け持っておられる法座では、方便力をもって現象界のことをどしどし説いていかなければなりませんが、同時に、自分では仏教の根本の理である“色即是空、空即是色”という因縁所生の根底の座を、しっかり持っていなくてはなりません。その根底の座がぐらついているようでは、信者さんはついてこないのです。 入会して、少し努力したくらいではご利益はありません。功徳というものは、お経の中にありますように高原に井戸を掘るのに似ています。掘っても掘っても、初めのうちは乾いた土しか出てこない。ですから、果たして水は出るのだろうかと信じられない思いでいるわけですが、それでもどんどん掘り進んでいくと、ようやく湿った泥が出るようになって、地下水のあるところへ近づいているんだな、ということがようやく信じられるようになってくる。それと同じで、功徳の泉は一生懸命に努力を続けているうちにわいてくるのです。そこで、「なるほどこれは、まんざらでもないな」ということで、もっとやってみようと努力していると、今度はどんどん水が出てきて、「やはりこれでなくてはいけないんだな」と、確信できるようになるのです。 そこへいくまでが、なかなか容易ではないわけですから、信者さんの精進ができるように、水の出るところまで“井戸掘り”をともにしていく、伴い役が幹部の役目です。人間は独りで大きくなろうとしても、なかなか成長するものではありません。時間がかかり、成果も微々たるものです。ですから、どうしても伴い役がいるのです。ことに今のような末法の世の中に法華経を弘めるには、実生活をしながら、余暇をつくって人さまを教化する活動を積極的に続けていって、世界中の人達がみんな仏恩にあずかれるような状態を、つくり出していかなくてはならないのです。そのためにも自分が、不退転の信仰を確立して、日々の生活をとおして手本を示していかなくてはなりません。私達が節度をもって実行すべきことは、五種法師の修行として仏さまの示された「受持」「読・誦」「解説」「書写」であります。これは非常に大事な修行です。書写一つにしましても、観世音菩薩普門品でも如来寿量品でも結構ですから、できるだけ時間をつくって写経三昧に入って、この〈如来の座〉に坐して、何事にもとらわれのない、仏さまと直結をした不動の信仰を築いていただきたいのであります。 したがって、法座主の役割は、なかなかたいへんなことであります。立正佼成会がこれほどに発展してきましたのも、皆さんがそれぞれ立派にお役を務めてくださったからであり、また皆さんの先輩であるかつての法座主も皆さんと同じように、大安心の心で立派に法を説いてこられたからであります。この「なんとかして人さまを幸せにしなくてはならない、救ってさしあげたい」と思う心が大慈悲心です。これが〈如来の室〉です。重ねて申しますと「どうしてもこの人を、私と同じ境涯の腹がまえになさしめなければならない」というのが〈如来の室〉です。そうやってその人にほんとうの大慈悲をもって一生懸命に法を説き、その人が精いっぱいの修行をされた結果、「ああ、有り難うございます。おかげさまで、すべてのことの解決がつきまして、ほんとうに幸せな気持ちにさせていただきました」と言うことになれば、ほんとうの大慈悲心と言えましょう。こういう修行が立正佼成会の修行であります。 (昭和46年02月【求道】) 法座主の役割 四 以前、私はこんな歌をうたってみんなを笑わせたものでした。 佼成会の信者さんはのんきなもので 法座で聞かせりゃ なんでもそうだと思ってる ハハのんきだネ とにかく、普通では人の言うことを聞こうとしない人が、いったん立正佼成会の会員になると、皆さん、言いなり八兵衛になってしまう。それほどまでに、皆さんが信じてくださる。法座での話が、それを実生活に用いても少しの心配もないものですから、言われることを信じて付いてもいけるし、安心もしていられる。だからこれほどまでにのんきになれるわけなのです。 法座で先輩に結んでもらったんだから、もう間違いがない。そのとおりにやっていけばいいんだと、まあ、そういうことになると、自主性がないような気のする人もいるかも知れませんが、実はそうではありません。仏さまに帰依し、法に帰依する気持ちがあれば、まったくのんきになっていて大丈夫なのです。先輩に自分の悪いところ、持っている悩みを打ち明けて懺悔する、そしてそれはこうしなさいと結んでもらったら「はい、よくわかりました」と、すぐに実行する。こうなればまことにのんきなものです。なんでも結んでもらったとおりにやっていれば、ちゃんと結果が出てくるのです。 ですから、結んでもらう者の方がのん気でいられるほどに信じ込んでいて、法座で聞いたこと、言われたことをそのままに実行しようと決定しているのですから、結ぶ者の方がいい加減な結びをしてはなりません。人さまから何を聞かれても、いつ、どんな時でも法にかなった言葉が出てくるような修行を積むことを心掛け、〈五力〉つまり、(1)信ずること、(2)務めること、(3)意識をはっきり保つこと、(4)心を統一すること、(5)明らかな智慧をもつこと、という釈尊ご自身が得られた正覚を衆生が身につけ、体得する方法として教えられた道をきちんと行じていなくてはならないのです。 それがあれば、すぐに仏の智慧がわき出て「こうすればあなたは救われますよ。こういう心になりなさい」と、適切な結びをしてあげられるわけです。そして、相手がその気持ちになったら現証がすぐに出てくるのです。そのように現証がどんどん出てくるようになっているのが仏法です。とにもかくにも功徳が出るところまで相手を伴っていくには、話がよく研がれた刃物のようにサッと切れるようでなくてはいけません。それには自分をよく磨くことです。荒砥でかみそりを研いだだけではひげなどとてもそれるものではありません。しかし、その荒砥で研いで刃の状態をよくしておいてから、仕上げをかけると、ひげもすらすらそれる。それと同じで自分を磨くと同時に、努め励まなければならないのです。そのためには平穏無事に安住していないで、お導きもし、人さまのため社会のために世直しのお手伝いをする。その心意気で仏さまの本願を成就していく。そういう力を発揮しなければほんとうの大安心は得られません。そこまでいけば、おまかせしていて大丈夫です。仏さまはちゃんと護っていてくださいます。 大安心を得れば、この宇宙に満ち満ちている仏さまの力を、ちゃんと感じとることができるようになります。そこまでいかないうちは、つまりこちらの信力が完璧でなく、努め方が完全でないと、信ずることも、努め方もいい加減になってしまいます。これでは心は少しも清くならないし、当然、智慧を授かるはずもなく、志とは反対のことになります。そうなっては、仏さまの力が満ちあふれていても感じとることはできません。やはり善因には善果、悪因には悪果がもたらされてくるのであります。 (昭和50年12月【求道】) 法座主の役割 五 その人を「どのようにして救うか」という慈悲の心のない話は、相手の胸に響かないのです。法座主はその意味からも、しっかりと仏法の神髄を会得する必要があります。とかく、あまり法門を理解していない人にかぎって仏教用語を形式的に並べたがりますが、智慧のない知識では、人は救えないのです。 (昭和40年04月【躍進】) 自分のことを言うのはなんですが、六十歳を過ぎた現在でも私はできるかぎり本を読み、有益な放送を聴くようにしています。それは私自身の信念の裏づけともなり、私の説法の一つの潤滑油ともなり、私自身の向上の糧ともなるという意味で、私はそれをいつまでも続けたいと思っています。ところで、恵まれた環境の下で大学へ通っている青年に案外、そうした努力をしていない人が多いようですが、小学校しか出ていない私にとっては、まことにもったいなく思われます。法座でも、いつも同じことばかりを話していては「行ってもつまらない」ということになります。やっぱり、道場へしばらく出ないとおくれてしまうという気持ちに、信者さんがなるぐらいの活気ある法座にするには、幹部さんの勉強がたいせつです。 (昭和43年05月【佼成新聞】)...
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...「結び」と四諦の法門 一 お釈迦さまの時代にも、悩みを持った人々が、その悩みを解決するために、直接、お釈迦さまに結んでいただいて、それを実行し功徳をちょうだいしたものでした。その有様をたどってみますと、人々はお釈迦さまの前に来て、そのみ足をいただき、この悩みから脱け出す方法をどうかお教えください、結んでいただきたいとお願いをして、お言葉を聞いたのであります。み足をいただくという姿勢をとりましたのは、大導師であられるお釈迦さまのお教えのとおりに歩みます、という心の表われです。 こうして「あなたはこういう欲があるから悩んでいるんだ」「考え方がこうだから病気しているんだ」と結んでいただいて、それを有り難く受けて素直に実行していく。その結果、功徳をちょうだいした人々が、比丘・比丘尼として次々にお釈迦さまのお弟子になり、また、在家のまま帰依する優婆塞・優婆夷達が、ぞくぞくとふえていったのであります。 この〈結び〉ということについて、お釈迦さまは法華経の中で、自分は悟りを開いたとき一番最初に、五人の比丘の前で四諦の法門を説いたと言われています。〈苦・集・滅・道〉と言う、文字にすれば四つで表わされているのが、この「四諦の法門」です。 (昭和34年04月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 二 法座では、「こういうことで私は悩み苦しんでいるんです。解決するにはどうすればいいでしょうか」とまず問題が出されますが、これが四諦の法門で言う〈苦諦〉です。そして、その悩みを聞いた先輩のかたが「それにはあなたのところに、何かわけがあるのね」と、結んでくださるのが〈集諦〉です。そこであなたはひとつ、「一生懸命に菩薩道を行じなさい。お導きをして精進してごらんなさい」と言われて、それを真剣に実行していくと、家の中が円満になるとか、病気の人が治るとかして、気持ちも次第にせいせいしていく。そのさわやかな心持ちが〈滅諦〉であって、毎日一心に修行するのが〈道諦〉と言うことになります。 法華経の序品第一には「四諦の法を説いて、生老病死を度し涅槃を究竟せしめ」と説かれていますように世の中には四苦と言って生・老・病・死というさけることのできない人間の苦しみがあります。生まれてきて、何十年かたつうちにだんだんと歳をとって、しわが寄ってくる。ときには不節制をして病気にかかることもある。また病気には伝染するものもあれば、体内から出てくるものもあって、最後にはだれもが死んでいく。生あるものは必ず死ななければならないのですから、これは非常に悲しいことです。だからこそ人間は、あすのことはわからない、とお互いに言いながらも、一日でも多く生きていたいと願うのであります。 しかし、四諦の法門をよくわきまえ味わっていきますと、そんなことで何もくよくよしなくてもいいんだな、ということがわかってきます。なぜなら、生・老・病・死の原因と、そしてまた、そこには未来に向かっての約束がちゃんとあるのだ、ということを道諦によって悟らせていただけるからです。そこで、今、現在のこの喜び、この感激をこめて立派な家庭をつくっていこう、人さまともそのようにお付き合いをしていこうという気持ちになってくる。〈四諦〉とか、生きるべき道を説いた〈八正道〉の教えには、そうした理がはっきりと、そしてわかりやすく説明されています。 さて、その理をよく知って、だんだんと身につけていきますと、歳をとって老いていくことにしても、病むことにしても、何一つ苦しむ必要がなくなってきます。当然のことがくるんだと考え、だからそれを有り難く受けていこうという気持ちになってくるわけです。また、自然に自分の心持ちがそのように変わっていくものなのです。 (昭和34年04月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 三 法華経の中に「声聞を求むる者の為には応ぜる四諦の法を説き」とあり、また「辟支仏を求むる者の為には応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には応ぜる六波羅蜜を説いて阿耨多羅三藐三菩提を得、一切種智を成ぜしめたもう」と説かれてありますが、これはもうそのままに受けとって、この法門を説かれた仏さまのみ心を、そのとおりに了解していただきたいのであります。 では、「この立正佼成会では何を説いているのか」と、聞かれるかたもきっとあることでしょう。たとえば「輪の中に入って、修行しなさい」と皆さんに申し上げているのは“四諦の法門を説いている”ことにほかなりません。 「あなたは、苦しいのでしょうね。悲しがっていられるのですね。思い悩んでおられるんですね」と、心の底から呼びかけてくれる人が、そこにはいます。そして「その原因はこういうことなんですよ」と、聞かせてもらえます。そこで「なるほど、そうだったのか」と悟って、改めていけばそれまで抱えていた苦しみが解決してしまいます。そして「では八正道をこれから懸命になって行じなさい。人を色目で見たり、疑ったりしないで、正しい見方をしなさい。人さまの幸せになることを考えなさい。言葉にも気をつけなさい。そういう正しい考えをもって生きなさい」とこと細かく教えられます。それを素直に実践していくのです。これが立正佼成会の行であります。 とくに、お経では〈六根〉つまり、眼・耳・鼻・舌・身・意についての教えが説かれておりますが、「舌根は五種の悪口の不善業を起す」(注・仏説観普賢菩薩行法経)と言われて、妄語・綺語・悪口・両舌などを戒めておられます。災いは口から出る。偽りを言ったり、そしったり、人さまの気をもませたりするその口に気をつけなさい、と教えられているわけです。 こういうことを、一つ一つとりあげてお話をしておりますと、世間には「それじゃまるで、立正佼成会というのは修養会みたいじゃないか」などと言う人がいます。しかしそれで結構なのです。人間にとっては修養も大事なことです。そうやって絶えず修行を続けていくことが人間としての生きる道なのです。 (昭和34年06月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 四 自分にはどう悩みを解決すればいいか判断がつかないことがあるものです。そんなときは、遠慮したりする必要はありませんから、支部長さんに「実はこうなんですが、どうすればいいでしょう」と、素直な気持ちで、率直に結んでいただくのです。そんな場合、必ず問題をはっきりと投げかけて判断してもらうことがたいせつです。そうやっていくつかの問題を出しますと、支部長さんは慣れてもいるし、それに敏感ですから、聞いていて「あっ、それだ。それが悩んでいる原因ですよ」ということになります。そういうものが、きっと飛び出してくるはずなんです。 そして「それだ」と言われたところは、徹底的に懺悔をして、すっきりとした改め方をするのです。それが四諦の法門の中の〈滅諦〉です。そうして苦しみや悩みを解決してしまうと、これはもうすぐに極楽が招来します。「ああ、有り難いことだな」と思ったら、今度は道を行じなくてはなりません。四諦の法門は、苦・集・滅・道の四つが一つになって、初めてほんとうの法門になるのですから、「自分は幸せになったのだからこれでいい」と道を行ずることを忘れてはならないのです。また、法門というものは、その中の一つだけを考えていては〈道〉にならないのであって、これは四諦の場合も同じです。たとえば、人生は苦なんだと言うことだけを聞いて、「苦しみなんだから、しようがないじゃないか」とあきらめてしまったのでは、一歩も前に進んでいかないのであります。 「四諦の法門」に照らして、その人その人の悩みを解決するに当たって、その人の顔や姓名、現在の境遇など、どこからその手掛かりを導き出してもよいのです。最もこれは、この法門の極致がわかって初めてできることですが、その人のそのままのことが、どこかにちゃんと現われているわけです。多くの人の中にはその人が今どうして、なぜ苦しんでいるのか、原因はどこにあるのかを的確に教えてあげたとしても、もう取り返しがつかないと思ってしまい、自分から救われようとしない人もおります。 そこへいくと、立正佼成会の皆さんは素直で、“救われたい”と心から懺悔され、精進を重ねておられますので、そういうことはありません。しかし、大勢の人の中には、何もそんなにまでして救われたいとは思わない、などと言っている人もいるのです。しかし、不幸に陥っていくことがはっきりしているそれらの人達を、そのまま手放しにしておくことは、仏さまにはおできにならないのです。「われと等しくして異なることなからしめん」と言われているように、仏さまはそういう人達をも救って、自分と同じような境地にしてあげたいと願われているのです。そのためには過去の原因、要するに因縁をよく悟って、そこから目覚めて、正しい道を歩かなくてはならないということを教えられているのです。 (昭和34年07月【速記録】) 「結び」と四諦の法門 五 だんだんと修行が進みますと、大きな〈おさとり〉をちょうだいしても、じっくりと瞑想に入り、腹の中で思念できるようになります。すなわち、禅定な気持ちでいられるわけです。自問自答して「ははあ、なるほどこれだな」と自分で問題を発見し、解決して、滅諦の境地へ自分を持っていくことができるようになります。そうすると、もう迷いはなくなってしまい、むしろ何かがあることによって、かえって信心に倍の力がついてきます。このように輪がだんだん回り始めると、もうしめたもので、そうやって法輪を回していると、縁起の法則によって、輪がどう回るかがわかってきます。皆さんも、毎日この輪を回さなくてはならないのです。 仏教では教えを説き弘めるということを“転法輪”と言いますが、法座はその転法輪の最も象徴的な場です。皆さんに「法座に来て修行をしなさい」と言っておりますのは「輪になってみんなで法輪を転じなさい」ということなのです。自分が悟ったならば、悟っただけのことを隣の人に懺悔をして聞いてもらって、ぐるぐる回していくのです。その人が体験したことは隣の人にも当てはまります。そして、そのまた隣の人にも感応していく、という状態が転法輪の姿です。したがって、法輪というのは輪の修行、つまり法座の修行を積むと言うことです。皆さんはその輪の帯です。そうやって、お釈迦さまの悟りの内容が、どなたにでも広く適応され、回り続けていくから法輪を転ずるというわけです。 この経は「菩薩所行の処に住す」とお経にありますように、菩薩行実践のところに仏さまがおられるからこそ、法輪を転じ続けて人々に救いをもたらせていかれるわけです。「私は去年まで一生懸命にやったんだから、今年は休ませてもらおう」などと考えて、法輪の回転を止めてしまってはなりません。 都々逸の文句に「磨けど磨けど根が鉄ならば、ときどき地金のさびが出る」と言うのがありますが、そのさびの出る鉄も、引っぱられていつもガラガラ回っている車輪を見てもわかるように、回り続けている間は光っています。ところが回さずにいると、すぐにさびが出てしまいます。同様に皆さんも心のさびを取るには、不断の回転、つまり活動していかなければならないのです。家の中にじっとしていたのでは、どうしても法から離れてしまいがちです。毎日は来られなくても、三日に一度か一週間に一度は、法座に来て心のさびを取ってもらうことです。 法座には、ちょうど磨き粉を付けてさびを落とすような力があります。掃除ひとつにしましても、お当番の人は、ここは皆さんが心のさびを落としにくる道場だから、ということできれいにする。そのさびをいつもみんなで取り続けていこう、と心がけ合うわけです。これが修行の一番たいせつなところです。 このように、仏さまは悟りを開かれて、智慧の法門によって人類に光明を与えてくださったのであります。私どもに大きな慈悲、光明を投げかけられたその仏さまのみ教えをよく心に銘記して、どうか皆さんも法輪を回し続けていただきたいのであります。 (昭和37年12月【速記録】) ...
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...導きと手どり 一 「お導きをしてごらんなさい」と言われ、また、自分でもしてみたいと思ってはいるのだけれど、どう導けばいいのかわからないという、そういうときもあると思います。その場合はまずお経をよくかみしめて、じっくりと読んでみることです。じっくり拝読しておりますと、仏さまのお慈悲がどんな順序次第で流れているか、だんだんとわかってきます。その心で、慈悲心を持って、知っている人や、近所の人達にお話をしてみると、そこにお導きをする順序次第がちゃんとついてくるものです。 その心の奥の奥にあるもの、それは「お導きをさせていただこう、人さまを救ってあげよう」というほんとうの友情です。そうして「私達は仏さまのお弟子になることによって救われるんだ。しかし救われるためには、仏さまのみ教えを実行することがたいせつなんだ」ということを、相手にわかってもらおうと努力するのです。こうした気持ちに自分がなると、一度や二度、相手からはねつけられても、お導きが自然にできるようになります。「あの人をどうしても救ってあげたい」「あの人に幸せになってもらいたい」という友情があればこそのことです。ですから、お導きができないという人は、うわっつらの相手の人しか考えていないと言えるでしょう。 (昭和52年【求道】83集) 導きと手どり 二 お経の中に「人の為に説きしが故に、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり」というお言葉が出てまいります。お釈迦さまのようなかたでも、人さまのために法を説き続けたからこそ自分は成仏できたし、それを完璧なものにすることができたとおっしゃっておられるのです。 ですから相手から「うるさい」と言われても、なおその肩をゆすって「あなたも仏教の信仰に入りましょう」「あなたもご先祖のご供養をしましょう」「あなたも菩薩行に挺身しましょう」と、相手があきれるほどに呼びかけていこうとする心構えがなければ、人さまを導くということはなかなかできないものであります。 また、お釈迦さまが、「この経は持ち難し」と言われておりますように、あの「六難九易の法門」を拝読しますと、法華経はただひとりの人間に向かって説くことさえも難しい、と説かれております。富士山のような山を足の先に突っかけて、ポーンと三十三天まで投げ上げるようなことは易しいけれども、この法を持つことは難しいと説かれているのです。したがって、法というものはどんなに立派な学者が説いても、理論を口にしているだけでは救いもなく、広がってもいきません。学んだことを、行ないに現わして見せなければ、人もまたついてこないのであります。 (昭和52年11月【速記録】) 導きと手どり 三 お導きほど功徳のあるものはありません。お導きとは、仏さまの分身をつくることなのです。み教えによって救われた自分から、またひとり、またひとりと、人々の心の中にある仏性を発現して、「自分は仏の子である」と自覚した人をふやしていくのです。このように、仏さまの世界をつくるには、皆さんひとりひとりが仏さまの分身としての導きの子どもをつくらなければならないのです。それがなければ、仏さまの本願はこの地上に成就しないのです。ですから、大いに勇気を出して“われこそは世尊の使いなり”という気持ちで、あの人にもこの人にも、皆さんが仏の分身としての真心をこめて語りかけてください。このようにして、仏さまの分身であることを自覚して自分を燈とすることが自燈明であります。 仏さまは自分自身の胸の中にちゃんといらっしゃるのですから、どこからか助太刀が来なければ、導きができないなどということはないのです。まず、自分がほんとうの仏ごころになって、人さまに愛情をもって接すること、つまり自分の心に革命を起こせばいいのです。自分の心をまず改めてかかることです。それによって相手もちゃんと変わって見せてくださるわけですから、ひとりひとり間違いなくお導きができるのであります。 (昭和52年02月【速記録】) 導きというものは、どうしても歩き出さずにはいられない、という境地になったら、いくらでもできるものです。ですから、歩けとか、歩くなとか人に命令されてするのではなく、みずから歩き出すことが必要なのです。そこで、信者の皆さんが、このご法はほんとうに有り難いものであるかどうか、ということを体験をとおしてしっかり確かめたうえで、歩き出さずにはいられないという境地になってやっていただければ、たちまち信者さんの数は、現在の三倍や五倍になることでしょうし、そうなるのもわけないと思うのであります。 とにかく、今、現在でさえ発足してから二十二年の間に信者が二百万人にもなったというので、人は驚いていますが、私が妙佼先生とともにこの会を発足させたころ、まだ少なかった信者の人達がどんなに多くの人々を導いたか、その比率から言えば、今はとうてい及びもつかないのであります。 (昭和34年09月【速記録】) 導きと手どり 四 「立正佼成会に入会したけれど、お導きをしなさいと言われるから、骨が折れてたいへんだ」などと言っていたらとても成仏はできません。お釈迦さまは方便品第二の結びに「心に大歓喜を生じて、自ら当に作仏すべしと知れ」と言われておりますが、成仏するためには喜び勇んで人さまに接し、そしてお導きをしなければならないのです。自分が菩薩道を行じてこの道を進んでいけば、間違いなく仏になれるんだ、ということを自覚して、毎日毎日、繰り返して精進していかなければ仏にはなれないのです。この精進によって、大安心がえられ、幸せの訪れがあるのですから、自分独りさえも幸せになれないようでは、世界にも幸せがこないし、平和も訪れないということになります。 (昭和46年12月【速記録】) 導きと手どり 五 仏教の経典は、そのまま体験の世界です。ですから、自分で人を救うという体験を積まないと、入会はしてもなかなか救われません。中には入会早々に体験をされ、すぐに功徳をいただいた人もいますし、体験しても功徳の現われない人もいます。そこで「だれか知り合いの人でも、お導きしてごらんなさい」と言うと、不思議なことに、その人が持っているのと同じような性分を持った業障な人をお導きしてきます。さらに、相手の話すことを聞いていると、申し合わせでもしたように、どれもこれも以前、自分が考えたり思ったりしたことと同じことを言います。しかも、かつて自分が先輩に指摘されたことであり、今こうして自分の導いた人がかつての自分と同じことを言うのを聞くと冷や汗の出る思いをするものです。そこで、導きの子に「ああしなさい」「こうしなさい」と、自分の体験に照らして話しますと、言われた方がきちんと実行しようという気持ちになってくればその人はすぐに救われます。 反対に「ああだ、こうだ」「滑った、転んだ」と言って実行しようとしない人は一向に救われません。こういう人を二、三人お導きしてみると「なるほど仏法の縁起の法則は生きているんだな」ということがよくわかります。ですから、この体験を鏡として自分に功徳が現われてこないのは、気持ちが仏さまにぴったり張りついていないためなのだということが、はっきりわからせていただけるのです。そういうときは、自分で自分の心を改めることを真剣に考えて「あれかな」「これかな」と、思いあたることを一つ一つ吟味してみるのです。すると、自分の心のどこに救われない原因があるのか、ということがはっきりしてきて「ああ、そうだったのか」と気づきます。そこで初めて一つの解決がついて、縁起の有り難さがわかってくるのです。 ですから、手どりをしたことのない人には、何年たっても仏教はわからないのです。ひとりでもふたりでも導いて、体験を重ねていけば、自分の業障がそれをとおして見えてきます。そういうことで本会の活動として、“総手どり”と言うことをよく申しますが、それは仏性の開顕をみんなでしていこうという呼びかけなのです。 (昭和51年06月【速記録】) 導きと手どり 六 苦しみや悩みを持つ人が少なくなったので、手どりの手のやりばに困る、などと言うことはありえないはずです。そんな場合は、表面の浅いところだけを見るのでなく、人間の心のもう一つ奥を見るように心掛ければいいのです。また、現在のひとときの状態にばかり目を奪われず、時間に束縛されない長い目で諸行無常の相を見とおすように努めることです。 そういう精神的習性を身につけておれば、世の中には救うべき人がいっぱいいることが目に見えてき、また、どのように救いの手をさしのべていくべきかも、おのずからわかってくるはずです。要するに、目のつけどころの問題です。仏教徒と言うからには、普通の人より大きな目と永い目で、物事を見なければならないのです。 (昭和46年08月【躍進】) 筋道がハッキリしなければ、しっかり信仰ができないというような人には、法を説く人自身もほんとうにご法を確信し、安心立命の境地に立っていなければならないのです。人さまから何か言われると、その度ごとに気持ちがグラつき、自分の信仰に自信が持てないようでは、人に法を説き、導く資格はないのです。私どもは、どのような事態に直面しようとも、所依の経典の中に説かれた意義を正しく把握し、どこまでも澄み切った永遠性のある法華経を護持する不退転の決定心が必要なのです。そうかと言って、また信じない人は放っておいてもよいというのではなく、信じない人でもなんらかの方法によって、または何かの機会をとらえて、私どもの仏縁に結んであげましょう、というところへ行かなくてはならないのです。さらにまた、どんな機根の人に対しても、常に心掛けて正しいご法に積極的に導いてあげるということが宗教者としての責務であり、あの人はこのご法を信じないから無縁の人である、というような気持ちそのものは、自分の信仰に忠実ではないのです。 (昭和34年08月【佼成】) 導きと手どり 七 私事にわたって恐縮ですが、うちの家内は隣のお年寄りと、よく塀越しに話をしたり、台所などにも往来しているようですが、そのお年寄りが、こう言われるのだそうです。「お宅のだんなさまが朝晩あげられるお経の声を聞きますと、なんとも言えず有り難い気持ちになります。お経の聞こえる場所に住んでいることは幸せだあ……と、つくづくそう思うんですよ」と。 読経の声だけでも、そんな影響力を持つのですから、信仰のほんとうの喜びを知った人が、ぜひ、その喜びを分かち合いたいと、心から人さまに呼びかけ、人さまの手をとって差し上げるとき、それが相手を動かさないはずはないのです。ましてや同じ信仰を持ち、もう一皮剥きさえすれば……という状態にいる人は、一挙手一投足の労で驚くほどの結果が出ることに間違いありません。(中略) こうして、まず僧伽の中を、ご法のとおりに生きることが有り難くてならないという人でいっぱいにするのです。そうなれば、泉の水が自然とあふれ出していくように、その救いは、ひとりでに周囲の世界へしみ出してゆき、次第に社会全体を明るくしていくのです。内が満ち満ちていないのに、どうして外を潤すことができましょうか。 (昭和50年12月【躍進】)...
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...人見て法説く 一 既成教団を例に見てもそうでありますが、教団が大きくなりますと、とかく、すべてが機械的に、また形式に流れ、真摯な信仰態度が失われがちになります。また、ややもすると巧みな言葉で説法をする、人に聞かせるという点にのみとらわれがちになるのであります。しかし宗教家は上手に法を説くよりも、人さまに希望を持たせ、光明を与えるような話し方をするべきであると思います。人々に生きがいを感じさせるような言葉を吐くように、常に心掛けるべきであると思います。 (昭和33年08月【佼成】) 仏教では対機説法とか、“人見て法を説け”と申します。したがって、法を説く人はたいへんだと言うことになります。そこでほかの人に法を説く場合に忘れてならない心構えが一つあります。それは法を初めて聞く人、初信の人に理解できる話をすることであります。たとえば、小学一年生から六年生までの生徒を対象にした場合、六年生にしかわからない難しい用語を使って話をすると、一年生から五年生までの子ども達は、まったく内容を理解することができません。同様に、ご法のことはよく聞いてなんでも知っている人に向く話よりも、初めての人に話すような心構えがたいせつなのです。ご法のことをよく知っている人に残されている問題は、要するに“実践”だけなのですから、そうした人達よりも、初信の人に理解できる話をするやさしさが肝心なのです。 (昭和46年11月【佼成新聞】) 人見て法説く 二 この人になんとかして幸せになってほしいと願って、教えによって自分が体験したことを一生懸命に話します。そうやってひたすら話をしていると、相手もやがて納得する。そして「やっと納得してくれたな」と思ったとき、その人が救われていく。仏法とはそういうものです。 相手のために心をこめて、いろいろと体験を話すことによって、相手が幸せの方向に心を向けていくのを見ていると、この法は間違いのないものである。普遍の法則なんだということが、いっそうよくわかってきます。そこでさらにまた、お経を読ませていただくと、たとえば〈五戒〉にしても〈十善戒〉にしても、極めてあたりまえなことではあるけれど、それがあたりまえに行なわれていないことに気づきます。お釈迦さまは“われと等しくして異なることならしめん”と言われて、みんながもろもろの執著から離れて、生死を解脱しなさいと説いておられるのですが、それから二千五百年もたった今でも、それができずにいるのが、われわれ凡夫の姿であります。 しかし、凡夫だからそれができないのか、というと実はそうではありません。自分には仏法の法則はおぼろげにしかわかっていないし、自信もないけれども、人さまに「自分の体験はこうだった」「こういう人がこうなった」そして「お経にはこう書かれているそうだ」と、真心こめてその行じ方を具体的に話をすれば、結果としてお釈迦さまの説かれたことの証が出てきます。教・行・証がまさにそこに現われてくるわけです。教えを行ないに発展させていくとそこに〈証〉がはっきり出てくるということは、体験をとおして如実につかめることであります。したがって、それを続けることによって、法を説くことの自信がだんだんとわいてくるのであります。 (昭和41年03月【速記録】) 人見て法説く 三 私は、どこの布教大会へ行っても、必ず体験説法を真剣に聞くことにしています。いろいろな苦しみに耐え、困難を克服しながら、ご法に精進した結果「このように幸せになりました」という信者さんの説法を聞くときほど、ほんとうにうれしく思い、心から感動させられることはありません。今まで、ずいぶん多くの体験説法を聞かせていただきましたが、なんと言っても一番感銘の深いのは、ありのままに自分を語った説法です。名文調に原稿をまとめた“作文”は感銘が薄れます。率直に、飾り気なく、自分のほんとうの姿を、そのまま語ることがもっとも人を感動させるものであります。 (昭和42年09月【佼成新聞】) 体験説法をするにあたってたいせつなのは、自分の体験そのものを赤裸々に述べることです。「入会する以前の自分はこういうものの考え方をしていた」「自分の家庭は、こういう複雑な状態であった」「導いてくださったのはこういう名前のかたで、またこういう名の支部長さんや法座主任さん、あるいは幹部さんからご指導をいただいた」などの点も、正直にはっきり述べた方が内容が生々しく伝わってきます。 もっと具体的に言うと、莫然としたかたちで、法は有り難いとか、会長は有り難い、などと言うよりも「私は支部長さんからこういうご注意をいただいた」「主任さんから、こんなご指導をいただき、こういうことをこのように結んでいただいた」「それによって懺悔させていただき、このような気持ちになれたときにすばらしい結果をいただいた」と言うように、時間の流れを追って話をすると、聞いている人々の頭に、説法されるかたの体験がはっきり入ると思うのです。 (昭和39年04月【会長先生の御指導】) 難しい仏教語を、ずらりと並べたような説法では一般大衆にわかってはもらえません。ですからごく普通の言葉で自分のありのままを、少しの飾り気もなく感激のままに説法させていただくことが、なによりたいせつなのであります。 (昭和38年07月【会長先生の御指導】)...
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...大衆教化 一 私達は、ここで自分達に与えられた使命を新たに自覚すると同時に、“説かざる者の罪”を認識しなければなりません。 仏教はキリスト教よりも歴史は古いのです。法門には寛容の精神が中心に流れ、科学時代と言われる今日でさえ、その教えは決して無理がありません。だれにでも納得のできるいわゆる、いつでも、どこでも、だれにもあてはまる、この仏教の根本原理が、世界中で一億五千万の人にしか知られていないのです。五億を数えるカトリック信徒の三分の一でしかありません。このことは、“説かざる者の罪”と言えないでしょうか。 ちょっとけなされると、自信を失ってやめてしまったり、相手の方が威勢がいいとすぐひっこんでしまったのではいけません。また、人と会うのはおっくうだとか、いそがしくて話をする暇がないと考えている人がいたらすぐ改めなければなりません。 私達の使命は、まず、ひとりでも多く“仏教徒らしい仏教徒”を育成することにあります。 今その努力を怠ると、五年後、十年後に宗教がいかなる方向に向かってしまうか、それは明らかだと思います。現代の人達に、難信難解といわれる法華経を弘めるには、私達が現代的に仏教を解釈し、ひとりびとりが日蓮聖人のような“われ日本の柱とならん”の決意を持って、猛精進していかなければならないのです。 私達をおいていったいだれにそれができるでしょうか。私達は、自己の救いだけにとらわれていたり“立正佼成会のための立正佼成会”というワクにはまっていたりという時ではないのです。小さな信仰観や立正佼成会というワクから脱皮しなければならないのです。 今までの体験をもとにして、さらに学んだ教学を加えて、あらゆるところで私達は法を説かなければなりません。他人に燈を点じることがたいせつなのであり、そのことが、また自分の足もとをより明るく照らすことになるのです。「私は信仰者である」と大衆の中で堂々と根本道理を説くならば、必ず納得がえられるはずです。 “立正佼成会”のための会員、という観念を脱皮して、全世界にこの根本道理を伝えていく使命が私達にはあるのだということを、ここでしっかり認識していただきたいと思います。 (昭和40年10月【佼成新聞】) 大衆教化 二 私どもは大衆の苦悩に接し、その求めるものを与える活動を通じて、現代人の心の救いと、勇気づけを積極的に行なっていくべきだと考えます。その行動、つまり布教は宗教につきものであり、みずから信じ人をして信じせしめる布教こそ、信ずる者としての正義感、使命感の発露にほかなりません。(中略) 仏教は、世界のどの宗教よりも知性的であり、それだけに普遍的であります。しかも、仏教の智慧は慈悲に裏付けられていますから、理性と人間的な感情をともに満足させることができるのです。 しかし、物事の価値というものは、それが生きて働くときに初めて発揮されます。苦しみにあえぐ人に救いの手をさしのべようとせず、また何もしないのなら、尊い悟りも死物にすぎません。ましてや、仏教の智慧は、もともとすべての人々を救うのが目的のものですから、絶えざる布教活動の実践のなかにおいてこそ完成されるのです。かかる日々の精進の中で、初めて高い理想を持ち、ねばり強い実践力を身につけた正法弘通の闘士が育っていくのです。 布教は、あくまでも自己の修行の道であり、同時に自分を向上させ、幸せにする道であることを深く自覚し、釈尊の根本精神を真に生かそうとする大運動に参加していることに、深い歓喜の心を燃やしていただきたいと思います。 (昭和39年09月【躍進】) 大衆教化 三 私どもが外に向かって、大衆教化を掲げましても、私達の行動が、大衆が望み、また理想としているような状態で展開されていかないかぎり、その目的を果たすことはできないのであります。したがって、折伏などという独善的な態度をとったり、その場かぎりの勝手な行動をとったりすると、大衆はそれに服したような顔をしておりましても、結果としては、それに反発し、押し返そうとするようになると思います。 そうではなく、私達ひとりびとりの行動が、人間としての理想のかたちであり、大衆を集めて会合を開きましても、厳粛に会が運営され、あと始末まできちんとできるようになれば、信者でない人々も「なるほど、こうでなくてはいけない」「この立正佼成会のようなかたちであるべきだ」と思われることでしょう。そしてまた、人づくりの問題につきましても「理想は立正佼成会の会員のような人をつくりあげることだ」と言った声が、会員以外の人々から出るようになります。事実、そうした外からの評価が、私どもが進めている大衆教化に大きく役立っているのであります。 (昭和39年02月【速記録】) 大衆教化 四 立正佼成会の会員はおとなしい、というのが定評です。しかし、おとなしいということは気魄がないことではありません。行動力がないことではありません。常不軽菩薩が、いかなる迫害や困難にもくじけることなくひたすら礼拝行を続けた、あのすさまじいほどの気魄と行動力を内に秘めたおとなしさ、これでなければならないのです。(中略) ましてや、法華経を世に弘めるという仕事は、この世で最高の聖業です。なんの躊躇するところがありましょうか。ガムシャラにやってごらんなさい。バカになってやってごらんなさい。それが国を救う道であり、自分を救う道でもあるのです。 (昭和50年01月【躍進】)...
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...信者即布教者 一 私は毎年、三月五日を迎えるたびに「偶然とはいえ、絶好の季節に発足したものだなあ」と、つくづく感じます。三月初旬と言えば、まだ大気には凛とした厳しさが残り、天地は「清明」という言葉がピッタリに、澄み透っています。しかも、よろずのいのちをはぐくむ春の息吹が、爆発の力を秘めてどこかに動きはじめている。そんな季節です。 それにつけて、私は思うのです。「立正佼成会は常に“三月の会”であるべきである」と。と言うのはつまり、どんなに発展しようと、どんなに隆盛になろうと、決して春爛漫といった浮かれた気持ちに陥ってはならない。いつも「これからだ」という鬱勃たる発芽と成長の気力に満ち満ちていなければならない、ということなのです。 結成式を挙げたのは、昭和十三年のこの日、場所は中野区神明町にあった私の牛乳店の二階でした。 会員はわずか三十余名。ご宝前のあるその部屋は六畳しかありませんでした。もちろん、教団としての形はととのわず、教義も整然としたものではなく、ただほんとうの信仰を求め、現実に人を助けていこうという熱気に燃える同志の集まりでした。(中略) きのう入会した人は、きょうから布教者になり、その新発意の人さえすばらしい結果を生みだしますので、みんなはほんとうに無我夢中でした。純粋な、燃え上がるような気持ちで、求道と布教に猛精進したものでした。 私自身、妙佼先生を自転車の荷台に乗せて、一日に二十数軒の家をお導きに歩いたこともあります。思い出すたびに、総身の血が新しく躍るのを覚えます。 (昭和48年03月【佼成】) 信者即布教者 二 自分ができもしないのに、人さまに法を説くのはおこがましい、と考える人が多いようです。これは一応、最もなことのように思われます。日本人は永い間、中国の儒教の影響を受けてきているだけに、いっそうまた、そう考えがちなのですが、お釈迦さまが教えられているのはそれとは一段違うのです。 では、どう違うかと言うと、お釈迦さまは人間は皆一緒に、平等に生まれてきたのだから、ただ一事でもいい、自分が善いと思ったもの、信じたもの、しなくてはならないと思ったものを、一つ一つ体験しなさいと言われているのです。人のために説いてみなさいと教えておられるのです。また、そうやって、人さまに話をさせてもらってみると、教えられたことの意味がひとしおわかってくるのです。 これはある踊りの名人と言われた人の言葉ですが、「お師匠さんについて一生懸命習っても、それだけではなかなか覚えられない。覚えるためには、自分がまだ教えるほどの域には達していなくても、何も知らない人に手ほどきすることだ」と言われるのです。人に「教えてあげよう」と思ってやってみると、自分も踊り方を覚えることができると言うのです。おかしな話のようですけれども、〈教える〉と言うことはそういうものなのです。皆さんもやってごらんなさい。人に教えることによって、自分もほんとうにそれを覚え、身につけることができます。 ところが、妙なもので自分で覚えようとしてお師匠さんのところへ通っているうちは、ほんとうに覚えられません。なぜかと言いますと、人に教えようとするとどうしても自分のくせが出てきて、それに気づかされます。また、教えようとするには一貫性がなくてはなりません。何度踊っても、同じ型でなくてはならないのですから、足の踏み出し方、手の振り方をきちんと一つ一つ教えていかなくてはなりません。それだけに人の師匠になると、教えながら自分が完全に覚えてしまうのです。自分が人から習っているだけのときは、何日やってみても“こうだったか”“ここは手を四つ打つのだったっけ……いや、それとも三つだったかな”というように自信がないのですが、人さまに教えるにはそんなわけにはいきません。ここは歌が何拍子でどうなっているとか、足の開き方、手の出し方はどれくらいでないといけないとか、無意識のうちにも、念を入れて確かめてかかりますから、知らず識らずのうちに完全に覚えることができるのです。 (昭和41年04月【速記録】) 信者即布教者 三 因縁とは不思議なもので、お導きをしなさいと言われると、だれもが自分と同じような業障の人を伴って来るものです。そして、導いてきた人に、わかってもらおうと懸命になって努力する。自分が、わけのわからぬことを言っていたのでは、相手がますます混乱してしまいますから、まず自分が正しくならなければいけない。腹を立てたり、怒ったり、欲張ったりしないで、いつ、だれが見ても、自分は間違っていないんだ、ということをしてみせなければ、導きの子は言うことを聞いてくれません。ですから、自然に自分のすること、なすことをだんだんと吟味していくようになります。自己の内側に向かって、自分を吟味していくということになるわけです。 仏さまもこのことを、お経の中ではっきり言われています。それは常不軽菩薩品第二十に出てくる「人の為に説きしが故に、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり」というお言葉です。ひたすら人のために法を説いたからこそ、こうして仏の悟りに達することができたのだと、お釈迦さまは説かれているのであって、これこそは、法華経の特性と言っていいのではないでしょうか。 (昭和41年04月【速記録】) 理屈はあまりはっきりわかっていなくてもいいのです。人さまのためを思い、一生懸命になって、お導きをしていると、だんだん自分も向上していきます。そして人のために、人のためにと繰り返していいるうちに、家もしだいに繁盛するようになって商売もうまくいく。それに家の中が円満になって、そのうち家も建てられる、と言ったように、すべてが順調に運ぶようになって、そこに幸せが訪れるのです。このように“人さまのために”と言いながら、自分が成長しふくらんでいくのです。それは不思議なものです。 (昭和34年07月【速記録】) 信者即布教者 四 だれもかれもが「はいそうですか」と言って入会してくださるのなら、私どもは一つも苦労しません。初めは最も身近な親せきに目をむけてみましょう。どんな人でもひとりやふたりは親せきを持っているはずですから、まずその人達に「一度でもいいから道場を訪ねてみましょう」という気運を少しずつ作りだしていくことです。自分だけ救われればいいという欲ばった心をなくして、自分の体験をどんなことでも話していくことです。道場まではなかなかいけない、という人もいるでしょうから、その人には班の組織を活用して、班の人達に集まっていただき、新しい人を囲んで十人くらいのサークル(法座)を作ります。この人数がサークルの単位として一番いい数でしょう。そして新しい人達にまず自分の持っている苦しみ、あるいは疑問を出してもらって話をすすめていきます。この方法が一番初歩的で、ご法をわかっていただく早道だと思います。新しい人をなるだけ多く訪ね、親しくなっていくことがまずたいせつです。そして班単位で話す内容は次に道場へ出て来る必要のある話をし、信者さんが道場へ出て来られる道をつけておくことです。 (昭和38年01月【佼成新聞】) 皆さんは、ほんとうにすっきりした仏さまの子です。ですから、自分に仏さまがついているかぎり努力しただけのことは、ちゃんと結果に現われてくるんだ、という自信を持って毎日の生活を続けていけば、隣の人が「私も、あなたのやっている生きた信仰に入れていただきたいから、どうか連れて行ってください。実は私はこういうことで悩んでいるんですよ」と言って、やってくるようになります。そのとき、自分で説くことができればいいのですが、もし説けなかったら、少し慣れている話の上手な人のところを訪ねて、聞かせてもらえば、たちまち「今すぐからお仲間になりましょう」ということになるのです。 私なども全国を歩いて、宿屋に泊まるたびに、女中さんをずいぶん導かせていただきました。一晩泊まって翌朝帰るときになると「お弟子にしてください」と言って、みんな入会するのです。 私は宿屋に泊まると、接待の女中さんに「せっかくこうしてご飯をよそってもらったんだから、あなたとは切っても切れない深い縁があるんだ」と話しかけます。そこから、酒を一杯ついでもらうと「ああ、有り難い。あなたについでもらったおかげで、甘露のお酒をいただくことができます」と感謝しながら、だんだん話をしていきますと、「ぜひお願いします。入会させてください」と相手は身を乗り出してきます。食事をすませ、ひと風呂浴びて、あんまさんに来てもらうと、今度はそのあんまさんが「私もご本部に出かけて行きます」ということになります。今の時代は仏法の弘まる時期だと、お釈迦さまはすでに二千五百年も前に言われています。ですから、みんなで「仏さまの教えに従って幸せになりましょう」と会う人、会う人に働きかけてごらんなさい。自分の手に負えないようであれば、先輩の幹部さんに話をしてもらえばいいのです。自分でみんな仕上げようとするとなかなかたいへんですし、とくに、社会常識の豊かな人なんかは、なかなかめんどうです。しかし、おもしろいもので、そういう人を導くには、理屈をあまり言わない方がいいのです。その方が実際に導けるのです。 (昭和51年04月【求道】) 信者即布教者 五 仏さまの真似をして、仏さまの説法をいろいろなかたちで表現し、口で人さまに伝えようとしますと、自分が生まれながらにして持ってきた因縁がわかってきます。そして修行を続けて、心を改めていくと、自分が仏さまの子であって、仏性をちゃんと授けられているのだということが、いっそうはっきりしてまいります。 このことがよくわからないうちは、何か無駄なことをしているような気がするものです。最初のうちは、だれかから入れ知恵されたり、頼まれてやっているような気がするものですが、だんだんと実践しているうちに、自分の本心から発露されたものであり、自分が仏性をもっているからこそ、そうなるんだということがわかってきます。言い換えると、本然の仏性から自然にわき出してくるところの方便力なんだということに、気がついてくるのです。その段階ではまだまだ危なっかしい行者には違いありませんが、その危なっかしい行者が、人さまのために法を説き続けているうちに、やがて本物になってくるわけであります。 (昭和48年03月【求道】)...
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...後ろ姿で人を導く 一 お導きというものは、そのためにどう骨折りしなければならないかということよりも、皆さんの気持ちを、しっかりつかむことに尽きます。そうすれば、無理にこせこせしなくても、大地から泉がわき出すように、信者さんは次第にふえてくるものです。そのことからも、私ども立正佼成会のあり方が、宗教団体として、だれからも立派だ、と認められるようにまでもっていかなければなりません。そういう雰囲気を持った教団にしていかなければならないと思います。そうならないと、立正佼成会の目指している遠大な理想や、よさがすべての人にわかってもらえないのであります。 (昭和35年09月【会長先生の御指導】) 仏教の究極にまで進んでいきますと、法を説いた、行じたという問題よりも、心身一如して三宝帰依に徹していれば心はいささかも動揺することなく、慈悲と感謝に満ちあふれて、黙ってにっこり笑いかけるだけで、人さまを教化する力が備わるということになってまいります。したがって、個々の人格完成ができれば、教化の力はいくらでもわき出てくるのです。 そして、その人の心の中に仏さまのみ心がほのぼのと感じられるようになり、相手の顔を黙って見ただけで感化を与え、しかも礼儀にかなっていて、真心が通じて心を和やかにする、そうした人間性の改革がなければ、信仰者としても、宗教家としても落第であると言わなくてはなりません。 (昭和39年03月【会長先生の御指導】) お導きをするというのには、お導きをするその人自身が、周囲から見てほんとうに安心のできる人でなくてはなりません。仏さまに一切をおまかせして、力のかぎり生きがいを感じて活動している、と受けとられるようになることが大事なのです。 (昭和51年06月【求道】) 後ろ姿で人を導く 二 男というものは、どうも理屈が先にくると申しますか、理論倒れの感じがあります。ですから、だんなさまが先に精進を始めた場合、主人の権威をかざして奥さんをすぐにも教化できそうなものですが、それがなかなかできません。それは私も体験ずみですが、どうも男は頭で理解して、それを家の者に説教し、理づめで押しつけるようです。したがって、奥さんをはじめ家族に、かえって反発されるのではないでしょうか。その点、奥さんが先に入会して精進されているところは、例外もありますが、案外とご主人を教化される時間が短いというか、早いのです。それでは奥さんの話し方が上手なのか、と言うと決してそうではありません。まったく奥さんには筋のとおった論理というものはないのですが、一番肝心な慈悲があり、実践があるのです。この身をもって自分の生活態度の変わったことを示す回心が、ご主人の心を打つのです。 (昭和51年05月【佼成新聞】) 後ろ姿で人を導く 三 苦しみや悩みのない人が多くなったというのは、一応は喜ばしいことです。衣食が足りるようになってきたことの反映ですから……。しかし、そのもうひとつ奥を考えてみますと、今の時代に苦しみや悩みを感じないと言うのは、ちょっとおかしいのではないでしょうか。一歩外へ出れば交通戦争、いや外へ出なくても、さまざまな公害物質は空からも降ってくるし、食べものの中にも潜んでいます。それどころか、いつ核戦争が始まって何もかもおしまいになってしまうかわからない……という時代です。こんな時代に苦しみや悩みがないと言う人は(よほど高い悟りを開いた人は別として)、自分だけの小さな安逸を、それもホンのひとときのはかない平穏無事を楽しんでいるに過ぎないのです。 そんな人は、一身上に何か事が起これば、たちまち苦悶の淵へ落ち込んでしまうこと必至です。われわれが信奉し、布教している仏教の目的は、個人的に言えば、身の上にどんな事態が生じようと、取り巻く環境がどう変わろうと、あわてふためくことなく、ドッシリと落ち着いた気持ちで、自分自身の生き方(宇宙が自分に与えた存在価値)を生きいていけるような人間になってもらうことにあります。 法華経の教えの真髄を悟れば、事実そういう人間になれるのです。なぜならば、自分は宇宙の永遠のいのち(久遠実成の本仏)の分身であり、現象のうえでどう変化しようと、真実の自分は永遠不滅の生命である……という大自信を持つことができるからです。 (昭和46年08月【躍進】) 一隅を照らすもの──それは威光ではありません。一筋に人さまに幸せになってもらいたいと願う慈悲の一念に裏づけられた率先垂範の自燈明・法燈明であります。ですから教化の極致は、言葉にあらずして行ないです。 “後ろ姿で人を導け”と言うのもまた、そのことにほかならないのであります。 (昭和45年04月【求道】) 後ろ姿で人を導く 四 創立当時は、世間の信用など皆無と言ってよかったでしょう。牛乳屋のオヤジと芋屋のバアさんがやっている拝み信仰──ぐらいが周囲の評価だったと思います。ましてや、世の識者や報道機関などは、軽蔑や疑惑こそ懐け、好意をもって見守ってくれることさえ望めない状態でした。それだけに、会員の行持は実にまじめで、清潔でした。お導きや手どりに訪問した先では、座ぶとんはむろんのこと、お茶の一ぱいさえいただきませんでした。常に「仏道のために」という堅い信念と、「導かせていただく」というへりくだった態度を忘れませんでした。 そのころの思い出で深く印象に残っていることの一つに、今の長沼理事長さんの肥汲みがあります。妙佼先生の家も、布教活動が拡がるにつれて人の出入りが激しくなり、一日に四、五十人の人が訪れるようになりました。訪れる方は気のつかないことですが、水洗でない当時の便壺は、たちまち一杯になるのです。それを、妙佼先生の甥である今の理事長さんは、「便所がたまるのは、それだけ信者さんがふえることで、こんな有り難いことはない」とみずから進んで、黙々と糞尿処理の仕事をやっておられました。その後、出征されて二十一年に復員されてからも、当時の本部や教堂の便所を汲み、まだ残っていた戦時農園まで、天秤棒で運んでおられたものです。現在の会員のかたがたにとっては、にわかに信じ難いことでありましょう。 このように、内外ともに真摯な活動を続け、しかも、現実の功徳が目を見張るほどに現われますので、入会者はひとりでに急増していきました。私も妙佼先生も自分の商売を持っていることが不可能になり、また本部が私の家の二階などではどうにもならなくなりましたので、やむなく本部を建築したのですが、それもたちまち手狭になり、庭にムシロを敷きまわして法座を開く日々が続きました。仕方なく、ある航空機会社の練成道場だった百七十坪(約四五一平方メートル)の建物を買って移築しましたが、これも翌年には狭くなり、再び野外法座を開かなければならなかったのです。こんなことを繰り返していくうちに、いつしか大聖堂や普門館の建設にまで到達してしまったわけです。 (昭和48年03月【佼成】)...
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...八万の大士 一 お釈迦さまの言われる八万の大士とはどのような人なのでしょうか。これは、真に現代社会を憂え、世の中を正しい方向に向けようと、在家の信仰者でありながら、身を粉にして努力する人達のことです。 (昭和43年10月【佼成新聞】) 八万の大士の自覚が徹底することは非常にたいせつで、現代はただ信仰していればよい、という時代ではありません。“三世諸仏の説法の儀式”ということの意味をしっかりかみしめてみますと、われわれが今日あるのは決して偶然ではなく、過去世からの宿縁によって、立ち上がらなければならないということなのであります。その自覚がはっきりすると“そんなにやらなくてもよい”とか“このぐらいでいい”というような気持ちではなく“我と等しくして異なることなからしめん”という仏の本願に立って不動の信仰を永続するようになるのです。 現代は、自分ひとりが幸せであればそれでよいという時代ではなく、みんなが幸せにならねば真の平和も、幸福もなりたたない時代です。ひとりでも極楽に行けぬ人間がいるうちには仏は悩む、という仏の心を心として、わかった者からひとりでも多く、八万の大士の自覚に立たねばなりません。 (昭和43年11月【佼成新聞】) 八万の大士 二 法師品第十の中で、八万の大士は「自ら清浄の業報を捨てて」と、この複雑多岐の娑婆に好んで生まれてくるのだとあります。それは世の中が物騒だというので悩んでいる人、迷っている人、苦しんでいる人がかわいそうでしかたがないから、みずから願って生まれてくるのだ、と説かれています。このように人類が滅亡してしまいかねないような悪世末法の世に、正法を弘めるために生まれてくるのであります。この八万の大士達は前世において、そのことをすでに仏さまに約束していると言うのですから今のような時代であれば、そういう人達がこの娑婆に出てこなくてはならないのであります。 そういうことになりますと、この八万の大士がお釈迦さまの前で約束申し上げたときに、何か目印になるようなレッテルを貼っておけばよかったのでしょうけれども、そのしるしがないものですから、それと見分けるわけにはいきません。したがって、みずからが“八万の大士のひとりである”と悟らなければ、「私は最近導かれたばかりで、凡夫でございます」と言っていたのでは、自覚には至らないのです。だれかに「おまえは前世から八万の大士なんだよ」と言われたとしても、「そんなこと、わかるものか」と言っていたら、自分も、世の中も一向によくすることはできません。 だれが認めてくれなくても、自分が今の世の中をながめて、「なるほど世の中のあり方はお釈迦さまの予言されたとおりだ」と気づき、み教えを繰り返し口に唱えてみる、人にも語りかけてみると、そこでまたお釈迦さまが言われたとおりの結果が出て、用いた人はすぐさま、仏果をいただくことができたということになってきます。そうなりますと「これは自分もいくらか八万の大士の孫ぐらいにあたるんじゃないか。そういう可能性もあるのじゃないか」と思えてくるのであります。そういう意味では私達は、みずから八万の大士になろうという、大誓願を立てなければならないのであります。 (昭和35年07月【速記録】) 八万の大士 三 皆さんの行く手には、あらゆる困難が待ちうけていると思います。幾度も幾度もつまずき、悩み、苦しむことでしょう。それが当然なのです。大いに疑問を持ち、大いに苦しんでください。苦しみのなかでこそ人は育つのです。幾多の困難を乗り越えて皆さんのひとりひとりに八万の大士(地涌の菩薩)になっていただきたいのです。地涌の菩薩とは、苦しみや悩みの多い現実の生活を経験し、その中で修行を積み、そして世俗の生活をしていながら、高い悟りの境地に達した人々のことを言います。 みずから苦しみや悩みを経験し、そこをつきぬけてきた人は、ほんとうの力を持っています。かかる人にしてこそ、人を教化することができるのです。それゆえ、皆さんは現実から逃避することなく、現実に根ざして、それに対処する勇気を養ってください。 (昭和39年07月【躍進】) ...
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...「教育」について 一 あなたはすでに仏法に触れ、人間というものを深いところでとらえられる習慣が多少なりともついていますから、すぐには答えないで、「さて……」と心のなかでしばらく考えてみられることでしょう。ところが、世間一般の人に同じ質問を発してごらんなさい。もし小学生の子をもつ親なら、すぐ「読み書き、算数を教え、それから理科や社会の知識などを与えて、一人前の人間として世に立てるようにすること」ぐらいに答えるでしょう。 一応正しい答えのようですが、実は一番たいせつなことを忘れた、五十点以下の答えなのです。一番たいせつなこと、それは何か。ほかでもありません。〈人間をつくる〉ことです。人間らしい人間をつくり、立派な人間をつくるということです。これこそ教育の究極の目的でなければならないのです。 (昭和42年09月【佼成】) 教育をどう定義するか──これはなかなか難しい問題ですし、いろいろなとらえ方があろうかと思いますが、私はこう定義してみてはどうだろうか、と考えております。「人間として円満な人柄であり、また完全な人格者に導くための基礎になる理性を養うこと───それが教育である」と。 お互い同士が人格の完成をめざして修行し合うことは、立正佼成会の目標ですが、人間、完成された域にまで到達するのは容易ではありません。ですから、まず土台になる理性を養うことによって、円満な人間、完全な人格者に育てあげる基礎づくりをすることが、ほんとうの教育のあり方ではないかと私は思うのです。 そのように人格の円満な、完全な人間をつくるという考え方で、教育の問題をとり扱っていけば、知育も徳育もそして体育も、おのずからそこに培われていくのではないでしょうか。 (昭和37年05月【速記録】) 「教育」について 二 教育は、押し込むことではありません。引き出すことです。それぞれの人間にふさわしい特性を引き出し、育てることです。また、すべての人間に人間らしい心を「起こさしめる」ことです。無量義経十功徳品第三に、「是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起こさしめ、殺戮を好む者には大悲の心を起こさしめ……」とあります。この「起こさしめること」が教育の真髄なのです。 (昭和52年04月【佼成】) 「教育」について 三 教育という文字の起こりを藤堂明保博士の『漢字語源辞典』によって調べてみますと、「教の」原字は「■」で、上の「メ」は交わる形だと言うのです。つまり「おとなが教え、子どもがそれを受けてまねる。おとなと子どもの間に交流が生まれる」、その姿を表わしたものだと言うのです。また「育」の字は「子を養い善をなさしむる」という意味なのだそうです。 (昭和52年07月【躍進】) 「おとなが教え、子どもがまねる」なんと言っても、これが教育の根本原理なのです。しかも、善をなさしめるように養う(養成する)、これが教育の根本方向なのです。 (昭和52年07月【躍進】) 「教育」について 四 教育の究極の目的は、人間を幸せにするためのものです。しかも、人間全体を幸せにするためのものです。 (昭和51年04月【佼成】) 何よりも、まず人間づくりをたいせつにし、人間と人間との結びつきを強く、こまやかに、そして温かくすることです。 (昭和51年04月【佼成】) 「教育」について 五 たんなるものしりは、やたらに多くの知識を単発的に知っているだけで、知識と知識のあいだにしっかりとした脈絡がありません。だから、それを活用する機会がほとんどないのです。(中略) また、たんなるものしりは、その知識に基礎理論や体験の裏付けがないために、応用が効きません。実地に役立つことはきわめてまれなのです。 それよりも、知識の量は基礎的なものをホンの少しだけでいいから、それをゆっくりとかみしめ、消化し、吸収して、完全に自分のものにすることこそたいせつなのです。また、そうする過程において養われるものの考え方の方向と、その力こそが一生涯役立つのです。 (昭和52年04月【佼成】) 「教育」について 六 学問は、それによって自分が高められ、社会に貢献するところがなければ価値はありません。そのような価値を発揮するためには、何よりもそれが身についていなければならないのです。 (昭和52年04月【佼成】) 素直な気持ちで大自然の法則に随順し、それぞれの人間に本来そなわっている価値をノビノビと伸ばすことを心がければ、次の世代は間違いなく健全に育っていくことでしょう。 (昭和52年02月【躍進】)...
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...学校教育 一 今の日本では「上の学校へ行けば行くほど、社会に出てからの収入が良く、生活が安定する」と言うのが、進学の最大の理由になっています。学校をエスカレーターのように考えているのです。ですから、乗っかってしまいさえすれば、あとはブラブラしていてもいいんだ、という気持ちになるのは当然です。 言うまでもないことですが、学校は“よい収入”や“安定した生活”を得るための道具ではありません。体を鍛え、心を磨き、知恵をはぐくんで、世の中のためになる人間をつくる道場なのです。このような、教育の目的を大きくはき違えているのが、今の日本の社会です。 目的をはき違えているうえに、方法論をも誤っているのです。自分自身の努力で階段を一歩一歩登って行ってこそ、身も心も鍛えられるのに、それを敬遠してエスカレーターに身を任せる傾向が濃厚に見受けられます。 (昭和49年08月【躍進】) 学校教育 二 人間らしい人間に育つためには、小学生は小学生らしく、中学生は中学生らしく、その心身の発達の段階において「らしく」生活することが必要です。「子どもはノビノビ育てよ」と昔から言われてきていますが、このノビノビと言うのは、つまり「らしく」だと思うのです。「らしくあればノビノビする」のだと思うのです。 〈楽しく遊びたい。飛んだり、跳ねたり、大声を出したり、思いっきり生命力を躍動させたい〉これが子どもの本性です。「らしさ」です。それも〈独りでやっているのではつまらない。仲間と一緒に群れをつくって遊びたい。勉強するのでも、友達と机をならべ、ノートを見せ合ったりしてやりたい〉これが子どもの本性です。「らしさ」です。その本性、その「らしさ」を生かしながら知・情・意をより高めていく。これがほんとうの教育だと、私は信じます。 (昭和52年11月【佼成】) 学校教育 三 近年、「胃潰瘍」や「十二指腸潰瘍」にかかる子どもがふえており、その八〇%とかが塾に通っている子どもであり、またその六〇%とかが学習塾・英語塾・音楽塾というように三つも四つもの塾に通っている、正確に言えば、通わされている子どもだと言うのです。 最も顕著な例は、血まで吐いた子どもの胃潰瘍が、塾をやめさせたらケロリと治ってしまったというのです。これなどは、異常な世相が子どもの身体を異常化した明瞭な証拠です。とすれば、心身一如の教えのとおり、それが精神の異常化を招かないはずはありません。実に恐ろしいことです。 (昭和52年11月【佼成】) 学校教育 四 戦後の日本人は、敗戦直後のみじめな生活体験から、何よりも物質生活の豊かさを願望する精神的習性がついてしまいました。(中略)しかも、戦後の日本に一番大きな影響を与えたのが、世界一〈物〉の豊かなアメリカの消費文化でしたから、ますますその傾向は助長されたわけです。原因は民主主義という思想の誤った受け取り方にあると思います。民主主義の基本である〈万民平等〉および〈人権尊重〉ということを、形のうえで杓子定規に解釈し、「先生も生徒も、親も子も、平等である」とか「子どもの心身に苦痛を与えるような教育は人権を侵すものである」と言ったような軽薄な考えが、自動車の排気ガスのように、知らず識らずのあいだに人々の頭にしみわたり、精神的公害を及ぼしていったのです。 そして、先生は〈人間をつくる〉ために生徒を人格的に鍛錬することを避け、したがって、生徒は先生を先生とも思わぬようになり、親は〈子を立派な人間に育てる〉ことを忘れてしまって、子は親をすっかりナメてしまうようになり、こうして学校教育も家庭教育もすっかり堕落してしまいました。 このような教育の堕落が、日本の社会をどんなに変えてしまったか、また、変えつつあるかは、お互いの周囲を見まわしてみればよくわかることと思います。多数の非行少年が発生し、性のモラルは腐敗し、賭博行為はほとんど公然と行なわれ、不特定多数の人間を殺すような非情な犯罪が続出し、もうけ第一のジャーナリズムが横行し、政治家は国民の利益よりも、まず党と自分のためを考えるのが当然のようになってしまいました。このままでいけば、いったい日本はどうなっていくのでしょうか、ほんとうに心配でなりません。 (昭和42年09月【佼成】) 学校教育 五 今日の教育の混乱の根は何か。家庭にも、学校にも、そして社会にも“学力第一主義”という悪風がしみとおって、心情とか情操とかを重んずる気持ちがまったく影を潜めていることです。学力第一主義は、つまるところ経済第一主義につながるわけですから、近年の日本の教育は単なる“経済人間”養成の場に堕してしまっているわけです。(中略) 情緒・情操のひからびた人間は、たんに人間らしさがないばかりでなく、今後は実務家(経済人間)としての価値も下落していくこと必至なのです。(中略) それならば、情緒を養い高める教育はどのように実践したらいいのか、ということが問題になりましょう。だれもがすぐ考えつくのは、道徳・音楽・造形美術・詩文の創作・文学鑑賞といった教科に力を入れることでありましょうが、──それももちろんたいせつなことですけれども──もっと根源的な一大事があるのです。ほかでもありません。教師が生徒や学生を引きつけるに足る人徳を、もしくは真底から生徒や学生のためを思う熱意を持っていること、これです。これを欠けば、たとえ百の方策を立てようと、千の教科を実施しようと、ほとんど効果は期待できないと思います。 このことについても法華経は、その“実践編”である流通分において、繰り返し繰り返し、徳と熱意の偉大なる力を教えているのです。仏性礼拝という一徳を貫いて、ついに多くの人々を傾倒させた常不軽菩薩、自己犠牲の尊さを身をもって示した薬王菩薩の前身、理想の現実化に挺身した妙音菩薩、真の智慧と大慈悲の権化である観世音菩薩、徹底した行を勧発して倦くことのない普賢菩薩……、それぞれに、ある強烈な一徳を身につけた人生の教師達を、人々が仰ぎ、慕い、あのようにありたいと願う、そこに強烈な魂と魂の感応が生ずるのです。 こういう、魂と魂との感応こそが、情緒を高め、養うのです。数学を教えようが、物理を教えようが、社会科を教えようが、その授業のなかで教師の魂と生徒の魂が火花を散らすような教育をすればいいのです。「見聞触知、皆菩提に近づく」であって、教科は何科でもいいのです。 (昭和48年04月【佼成】) 学校教育 六 文部省あたりでも指導方針を少しずつ切り替えつつあるようですが、戦後のお役所というものは四方八方に気兼ねをして、ズバリと思い切ったことのできない立ち場にありますから、この大河の流れのような世の風潮を大きく方向転換させることはきわめて難しいことと思われます。 ですから、なんと言っても国民自体の頭を切り替えることがたいせつだ、と言うことになります。切り替える、という言葉に語弊があるならば、もう少し深く人間というものを考え、人生というものを考え、人間社会というものを考えるように仕向けなければならないのです。そうすれば、教育も必ず本来の軌道に乗ってくるはずです。 それでは、いったいどうすればいいのか。私は、すべての人々が正しい宗教に目覚め、正しい信仰を持つようになることが、最も根本的な、しかも一番実効のある道だと確信しています。 (昭和42年09月【佼成】)...
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