それに対してお釈迦さまは、あまりにも自分の子供を立派に育てようと思うあまり、他の子供との間に差を付けた。自分の子供は確かに立派に育てたけれども、他の子との間に差別を付けた。その罪によって地獄の一劫に落ちたんだと。そして、そこから救い出すにはどうしたらいいかと言うと、インドには雨期というものがある。もう、毎日毎日雨が降って、日本の梅雨なんてものではない。そうなると、もう外に出られないから精舎の中に集まって修行をなされる。三千人ものお坊さんがいらっしゃったということでありますが、これも別に三千とか三千とか、決まった数を言うんではない。たくさんのお坊さんという意味なんです。そういうように、たくさんのお坊さんに集まって頂いて、お母さんのご成仏を念じて頂く。そうするならばお母さんは極楽に行けるだろうと、こういう結びを下さった。
そこで目連尊者は、さっそく山海の珍味をお供えして、三千人のお坊さんに拝んで頂いた。そうしたらお母さんが極楽に行けたと。
これも、神通第一という目蓮尊者だからなんですね。神通力のない人では、自分のお母さんが霊界でどうなっているかなど分からないし、地獄から極楽へ行ったのかどうかも分からない。
このお盆というものも、現在の私共を救い下さるための偉大な方便なんですね。この方便を、嘘も方便だなどと言って悪用して、何を言っても方便だなどとごまかしているような人もいる。方便ということも、妙なことに使われると、そういうようなことにもなりかねない。
しかし、方便ということもないと、機根の低い者はとても仏教には寄りつけないんです。私共の教団の中にもいろいろの機根の方がおります。話を聞いていっぺんに分かる人と、なかなか分からない人がある。よく分からない人にはお盆というような方便もなければならない。まあ、これが盂蘭盆会の起こってきた因縁でございます。
佼成会でも総供養というようなことで、過去帳にあるご先祖さまを全部読み上げてご供養いたしますが、同じようなことがお釈迦さまの時代にも行なわれていたわけであります。