開祖さまご法話テキスト『求道』 1982年 盂蘭盆会

  •    盂蘭盆会のおこり

     皆さん、本日はようこそご参拝下さいました。お正月がちょっと過ぎたばかりのような気がしているうちに、もうお盆になってしまった。こういうことであります。今、陰で説法を伺っておりましたが、今年の前半は核兵器廃絶・軍縮の署名運動を、それこそ目紛(めまぐる)しく展開されまして、後半はまた、さらにお導きに頑張ろうという熱の入った説法であったわけであります。
     皆さんご承知のように、現在、青少年の不良化ということが大きな問題になっております。いつの時代でも子供の教育ということは大事なことだったんですね。二千五百年も前の、お釈迦さまの時代にもこの問題があったようでございます。
     今日は盂蘭盆会でありますが、このお盆というものが起こってきた因縁、どういうことで始まったのかと言いますと、お釈迦さまの十大弟子に、神通第一と言われた目連尊者という方がいらっしゃった。なにしろ神通第一と言われるような方ですから、人さまの心の中はもちろん、霊界まですべてお見通しなんですね。
     その方のお母さん。まあ、そういう立派な方を産み育てたお母さんですから、すばらしいお母さんだったんですね。ですから目連尊者は、霊界ではさぞかしいいところにいるだろうと、こう思って神通力を持って霊界をずうっと探された。極楽を探してみてもいらっしゃらない。天上界の方かなと思って探してみてもいらっしゃらない。そこで、だんだんと下の方を見ていくというと、地獄の一劫に、それこそ身窄(みすぼら)しい姿で苦しんでいたというんですね。それを見て目連尊者はビックリした。
     まあ、特に男性は、自分のお母さんは最高だと思って誇りを持ってるものですから、おそらく目連尊者も誇りに思っていたと思うんです。そうでなければ、霊界のお母さんのことまでそんなに心を砕かないはずですから。
     なぜ目連尊者のお母さんのような人が地獄の一劫に落ちてしまったのか。まあ、分かりやすい言葉で言うと、教育ママだったからなんですね。教育ママのハシリが目連尊者のお母さんだったと言っても過言でないと思うんです。日蓮尊者のお母さんも、自分の子供を立派な人に育てようと、一生懸命で教育した。教育するのにはお金もかかります。金もうけも一生懸命でやったんでございましょう。お金もたくさんかけて勉強をさせて立派な人に育てた。そんなお母さんが、どうして地獄の一劫に落ちて苦しむことになったか。この不思議であります。
     そして、目連尊者は、どうしてお母さんが地獄の一劫に落ちなければならなかったのか。それを救うにはどうしたらいいのか。それをお釈迦さまにお伺いをした。まあ、佼成会の言葉で言うならば結んで頂いたわけですね。

  •    盂蘭盆会のおこり

     皆さん、本日はようこそご参拝下さいました。お正月がちょっと過ぎたばかりのような気がしているうちに、もうお盆になってしまった。こういうことであります。今、陰で説法を伺っておりましたが、今年の前半は核兵器廃絶・軍縮の署名運動を、それこそ目紛(めまぐる)しく展開されまして、後半はまた、さらにお導きに頑張ろうという熱の入った説法であったわけであります。
     皆さんご承知のように、現在、青少年の不良化ということが大きな問題になっております。いつの時代でも子供の教育ということは大事なことだったんですね。二千五百年も前の、お釈迦さまの時代にもこの問題があったようでございます。
     今日は盂蘭盆会でありますが、このお盆というものが起こってきた因縁、どういうことで始まったのかと言いますと、お釈迦さまの十大弟子に、神通第一と言われた目連尊者という方がいらっしゃった。なにしろ神通第一と言われるような方ですから、人さまの心の中はもちろん、霊界まですべてお見通しなんですね。
     その方のお母さん。まあ、そういう立派な方を産み育てたお母さんですから、すばらしいお母さんだったんですね。ですから目連尊者は、霊界ではさぞかしいいところにいるだろうと、こう思って神通力を持って霊界をずうっと探された。極楽を探してみてもいらっしゃらない。天上界の方かなと思って探してみてもいらっしゃらない。そこで、だんだんと下の方を見ていくというと、地獄の一劫に、それこそ身窄(みすぼら)しい姿で苦しんでいたというんですね。それを見て目連尊者はビックリした。
     まあ、特に男性は、自分のお母さんは最高だと思って誇りを持ってるものですから、おそらく目連尊者も誇りに思っていたと思うんです。そうでなければ、霊界のお母さんのことまでそんなに心を砕かないはずですから。
     なぜ目連尊者のお母さんのような人が地獄の一劫に落ちてしまったのか。まあ、分かりやすい言葉で言うと、教育ママだったからなんですね。教育ママのハシリが目連尊者のお母さんだったと言っても過言でないと思うんです。日蓮尊者のお母さんも、自分の子供を立派な人に育てようと、一生懸命で教育した。教育するのにはお金もかかります。金もうけも一生懸命でやったんでございましょう。お金もたくさんかけて勉強をさせて立派な人に育てた。そんなお母さんが、どうして地獄の一劫に落ちて苦しむことになったか。この不思議であります。
     そして、目連尊者は、どうしてお母さんが地獄の一劫に落ちなければならなかったのか。それを救うにはどうしたらいいのか。それをお釈迦さまにお伺いをした。まあ、佼成会の言葉で言うならば結んで頂いたわけですね。

  •  それに対してお釈迦さまは、あまりにも自分の子供を立派に育てようと思うあまり、他の子供との間に差を付けた。自分の子供は確かに立派に育てたけれども、他の子との間に差別を付けた。その罪によって地獄の一劫に落ちたんだと。そして、そこから救い出すにはどうしたらいいかと言うと、インドには雨期というものがある。もう、毎日毎日雨が降って、日本の梅雨なんてものではない。そうなると、もう外に出られないから精舎の中に集まって修行をなされる。三千人ものお坊さんがいらっしゃったということでありますが、これも別に三千とか三千とか、決まった数を言うんではない。たくさんのお坊さんという意味なんです。そういうように、たくさんのお坊さんに集まって頂いて、お母さんのご成仏を念じて頂く。そうするならばお母さんは極楽に行けるだろうと、こういう結びを下さった。
     そこで目連尊者は、さっそく山海の珍味をお供えして、三千人のお坊さんに拝んで頂いた。そうしたらお母さんが極楽に行けたと。
     これも、神通第一という目蓮尊者だからなんですね。神通力のない人では、自分のお母さんが霊界でどうなっているかなど分からないし、地獄から極楽へ行ったのかどうかも分からない。
     このお盆というものも、現在の私共を救い下さるための偉大な方便なんですね。この方便を、嘘も方便だなどと言って悪用して、何を言っても方便だなどとごまかしているような人もいる。方便ということも、妙なことに使われると、そういうようなことにもなりかねない。
     しかし、方便ということもないと、機根の低い者はとても仏教には寄りつけないんです。私共の教団の中にもいろいろの機根の方がおります。話を聞いていっぺんに分かる人と、なかなか分からない人がある。よく分からない人にはお盆というような方便もなければならない。まあ、これが盂蘭盆会の起こってきた因縁でございます。
     佼成会でも総供養というようなことで、過去帳にあるご先祖さまを全部読み上げてご供養いたしますが、同じようなことがお釈迦さまの時代にも行なわれていたわけであります。

  •  それに対してお釈迦さまは、あまりにも自分の子供を立派に育てようと思うあまり、他の子供との間に差を付けた。自分の子供は確かに立派に育てたけれども、他の子との間に差別を付けた。その罪によって地獄の一劫に落ちたんだと。そして、そこから救い出すにはどうしたらいいかと言うと、インドには雨期というものがある。もう、毎日毎日雨が降って、日本の梅雨なんてものではない。そうなると、もう外に出られないから精舎の中に集まって修行をなされる。三千人ものお坊さんがいらっしゃったということでありますが、これも別に三千とか三千とか、決まった数を言うんではない。たくさんのお坊さんという意味なんです。そういうように、たくさんのお坊さんに集まって頂いて、お母さんのご成仏を念じて頂く。そうするならばお母さんは極楽に行けるだろうと、こういう結びを下さった。
     そこで目連尊者は、さっそく山海の珍味をお供えして、三千人のお坊さんに拝んで頂いた。そうしたらお母さんが極楽に行けたと。
     これも、神通第一という目蓮尊者だからなんですね。神通力のない人では、自分のお母さんが霊界でどうなっているかなど分からないし、地獄から極楽へ行ったのかどうかも分からない。
     このお盆というものも、現在の私共を救い下さるための偉大な方便なんですね。この方便を、嘘も方便だなどと言って悪用して、何を言っても方便だなどとごまかしているような人もいる。方便ということも、妙なことに使われると、そういうようなことにもなりかねない。
     しかし、方便ということもないと、機根の低い者はとても仏教には寄りつけないんです。私共の教団の中にもいろいろの機根の方がおります。話を聞いていっぺんに分かる人と、なかなか分からない人がある。よく分からない人にはお盆というような方便もなければならない。まあ、これが盂蘭盆会の起こってきた因縁でございます。
     佼成会でも総供養というようなことで、過去帳にあるご先祖さまを全部読み上げてご供養いたしますが、同じようなことがお釈迦さまの時代にも行なわれていたわけであります。

  •    できることを説いてきかせる

     仏教というものは、もう疑ぐる余地がないようにお釈迦さまが説いて下さっている。四諦の法門というもの、八正道、六波羅蜜というもの、もう、どれを見ましても……。
     四諦の法門というのは、字を見ますと四つの諦めと書いてありますが、それは何かと言いますと、苦集滅道ということなんです。まず苦諦ということですが、これは人生は楽ではなく苦なんだということなんです。生まれてきたというのは楽をするためなどではない。
     ところが最近は、ひどいのになりますと「世界は二人のために」なんて勝手な考え方をしてる。これは地獄行きですね。(笑)そうではなくして、これから二人は世界のためにどのようにして働いたらいいか。これが本当の生き方だ。(拍手)
     苦というもの、これはもうしかたがないんです。もう生まれてきた以上、もう生老病死という苦は付いて回るんです。生まれてきちゃったから、だんだん年を取って老人になる。時には病気になる。最後には死にます。ですから、仏教の一番大きな問題というのは生死の問題なんですね。これが、もう極地なんです。生まれなければ何もなかったんだけれども、生まれちゃったからだんだん年を取る。時には患うこともある。最後には、もうどんな偉い人でも死ぬ。もう、これは決まっているんです。
     で、第一番目の苦諦ですが、これは苦を明らかにするということなんです。苦というものがどこから来たか、どうして起こってきたか。これが分からないから人間は勝手なことをしちゃうんですね。そして、それは自分自身が悪い因縁を積んできたからだというのが集諦なんです。なぜ〝集〟という字を書くかというと、因縁というものは寄り集まってできるもの、いろいろの関係があってできてくるものだからなんです。そして、その悪因縁を解決する。目連尊者のお母さんが地獄の一劫から極楽へいらっしゃったように、悪因縁を解決してその罪が消えると極楽に行ける。それが滅諦ということなんです。その滅諦のために道を説きたもう。それが道諦ということなんです。その道諦をさらに詳しく言いますと、それが八正道ということになるんです。

  •    できることを説いてきかせる

     仏教というものは、もう疑ぐる余地がないようにお釈迦さまが説いて下さっている。四諦の法門というもの、八正道、六波羅蜜というもの、もう、どれを見ましても……。
     四諦の法門というのは、字を見ますと四つの諦めと書いてありますが、それは何かと言いますと、苦集滅道ということなんです。まず苦諦ということですが、これは人生は楽ではなく苦なんだということなんです。生まれてきたというのは楽をするためなどではない。
     ところが最近は、ひどいのになりますと「世界は二人のために」なんて勝手な考え方をしてる。これは地獄行きですね。(笑)そうではなくして、これから二人は世界のためにどのようにして働いたらいいか。これが本当の生き方だ。(拍手)
     苦というもの、これはもうしかたがないんです。もう生まれてきた以上、もう生老病死という苦は付いて回るんです。生まれてきちゃったから、だんだん年を取って老人になる。時には病気になる。最後には死にます。ですから、仏教の一番大きな問題というのは生死の問題なんですね。これが、もう極地なんです。生まれなければ何もなかったんだけれども、生まれちゃったからだんだん年を取る。時には患うこともある。最後には、もうどんな偉い人でも死ぬ。もう、これは決まっているんです。
     で、第一番目の苦諦ですが、これは苦を明らかにするということなんです。苦というものがどこから来たか、どうして起こってきたか。これが分からないから人間は勝手なことをしちゃうんですね。そして、それは自分自身が悪い因縁を積んできたからだというのが集諦なんです。なぜ〝集〟という字を書くかというと、因縁というものは寄り集まってできるもの、いろいろの関係があってできてくるものだからなんです。そして、その悪因縁を解決する。目連尊者のお母さんが地獄の一劫から極楽へいらっしゃったように、悪因縁を解決してその罪が消えると極楽に行ける。それが滅諦ということなんです。その滅諦のために道を説きたもう。それが道諦ということなんです。その道諦をさらに詳しく言いますと、それが八正道ということになるんです。

  •  そして、正しい道に入るのには何が一番先かと言うと、正見なんです。正しく見ないでやっちゃうとダメなんだ。ただ見た、ちょっと見たからいいというようなことではなくして、正しく見ていく。そして正しく考えて正しく語る。そうしないで、うっかりしていると罪になることもあります。面倒と言えば面倒なんですけれども、きわめて分かりやすいですね。正しく見て、正しく考えて、正しく語っていくようにというのですから。その次が正行で正しく行じる。正しい行ないをしていくということです。その次が正命で正しい生活設計を立てる。そして、それを繰り返し繰り返しやっていく。それが正精進ということなんです。佼成会に入ると、朝夕ご供養などということが出てくる。だからたいへんだなあと、こう考えるのは懈怠の考え方。正精進ではない。正精進というのは、朝もお経をあげさせて頂いて有り難い。夕方もまたあげさせて頂いて有り難い。また明日もあげさせてもらいたい。こういう気持ちで毎日毎日繰り返していく。これを正精進というんですよ。
     で、次が七番目の正念ですが、ここから八正道も少し宗教臭くなってくる。目に見えない神さま仏さまを念じていくということですから、自分の念じていることに対して、神さま仏さまは必ずご照覧になっておられる。正しいことをして、正しいことをお願いしているんだから必ずかなうというこの念じ方。これが七番目の正念ということなんです。そうすると、最後の正定ということになる。意志が定まる。心の動揺がなくなったことを六波羅蜜では禅定と言いますが、この禅定と正定ということは同じことなんです。
     八正道も正しく見るということから始まる。ですからお導きをさせて頂くにも相手を正しく見ないといけない。この人にはどのように説いたら喜んでやれるかなと、こう考えて見ていくのが正しい見方であり慈悲なんです。そして、この程度のことならできるだろうということを、よく見きわめて話してあげる。できないことを言ってきかせたんでは、「それじゃあ佼成会には入会しないよ」と、こうなっちゃう。やはり、できる相談をしなくては……。

  •  そして、正しい道に入るのには何が一番先かと言うと、正見なんです。正しく見ないでやっちゃうとダメなんだ。ただ見た、ちょっと見たからいいというようなことではなくして、正しく見ていく。そして正しく考えて正しく語る。そうしないで、うっかりしていると罪になることもあります。面倒と言えば面倒なんですけれども、きわめて分かりやすいですね。正しく見て、正しく考えて、正しく語っていくようにというのですから。その次が正行で正しく行じる。正しい行ないをしていくということです。その次が正命で正しい生活設計を立てる。そして、それを繰り返し繰り返しやっていく。それが正精進ということなんです。佼成会に入ると、朝夕ご供養などということが出てくる。だからたいへんだなあと、こう考えるのは懈怠の考え方。正精進ではない。正精進というのは、朝もお経をあげさせて頂いて有り難い。夕方もまたあげさせて頂いて有り難い。また明日もあげさせてもらいたい。こういう気持ちで毎日毎日繰り返していく。これを正精進というんですよ。
     で、次が七番目の正念ですが、ここから八正道も少し宗教臭くなってくる。目に見えない神さま仏さまを念じていくということですから、自分の念じていることに対して、神さま仏さまは必ずご照覧になっておられる。正しいことをして、正しいことをお願いしているんだから必ずかなうというこの念じ方。これが七番目の正念ということなんです。そうすると、最後の正定ということになる。意志が定まる。心の動揺がなくなったことを六波羅蜜では禅定と言いますが、この禅定と正定ということは同じことなんです。
     八正道も正しく見るということから始まる。ですからお導きをさせて頂くにも相手を正しく見ないといけない。この人にはどのように説いたら喜んでやれるかなと、こう考えて見ていくのが正しい見方であり慈悲なんです。そして、この程度のことならできるだろうということを、よく見きわめて話してあげる。できないことを言ってきかせたんでは、「それじゃあ佼成会には入会しないよ」と、こうなっちゃう。やはり、できる相談をしなくては……。

  •  先程説法なされた渋沢さんなどは、お母さんは私の側で修行された方ですから、娘時代から佼成会の教えに沿ってやってきた人だ。そういう人と、昨日今日入ってきた人と同じように見て説いていたんでは、教えはなかなか浸透しない。
     朝夕のご供養が億却でなくなった。正しい考えで正しい行いをしていたら、こんなにも自分の心が爽かになり、何の心配もない心境になったと、そう言っても、それは一朝一夕でなったんではない。やはり何十年もいろいろのご苦労をお母さんがしてきて、その功徳によってそれが自分の身にも付いてきたんですね。そして、今は教会長として一生懸命でやっている。こういうわけなんですね。ところが、そういう人と入ったばかりの人と同じレベルで話したんでは無理がいく。そこで仏さまは〝万億の方便〟が必要なんだと、こう言ってるわけなんです。方便というのは嘘ではない。この人を真実へ導き入れるのにはどういう方法がいいか。どういうふうに話したら相手が分かって実行してくれるか。これを相手の機根に応じて考えていく。これを方便というんです。方便とは言っているけれども、本当は真実なんですよ。その人を救うための……。相手をよく見抜いて説いていく。これが方便力というものなんです。

  •  先程説法なされた渋沢さんなどは、お母さんは私の側で修行された方ですから、娘時代から佼成会の教えに沿ってやってきた人だ。そういう人と、昨日今日入ってきた人と同じように見て説いていたんでは、教えはなかなか浸透しない。
     朝夕のご供養が億却でなくなった。正しい考えで正しい行いをしていたら、こんなにも自分の心が爽かになり、何の心配もない心境になったと、そう言っても、それは一朝一夕でなったんではない。やはり何十年もいろいろのご苦労をお母さんがしてきて、その功徳によってそれが自分の身にも付いてきたんですね。そして、今は教会長として一生懸命でやっている。こういうわけなんですね。ところが、そういう人と入ったばかりの人と同じレベルで話したんでは無理がいく。そこで仏さまは〝万億の方便〟が必要なんだと、こう言ってるわけなんです。方便というのは嘘ではない。この人を真実へ導き入れるのにはどういう方法がいいか。どういうふうに話したら相手が分かって実行してくれるか。これを相手の機根に応じて考えていく。これを方便というんです。方便とは言っているけれども、本当は真実なんですよ。その人を救うための……。相手をよく見抜いて説いていく。これが方便力というものなんです。

  •    因縁の切り替え

     私は、皆さんにお導きをしなさいといつも要求する。なぜかと言うと、お導きをしてみないとですね、佼成会の教えが本当の仏教なのかどうなのか、有り難いのか有り難くないのか分からないんですよ。
     家の中がいつも揉めているとか、病人が絶えないとか、いろいろのご苦労があった。ところが、入会をして素直に先祖供養をし、一生懸命で菩薩行を行じた。そうしたら、今まで病気の問屋みたいな家がすっかり変わってしまった。
     お導きに歩いてみると、因縁の悪い家もある。まあ、因縁が悪いという言葉を使うと、皆さんはどうも気持ちがよくないだろうが、しかし、これはしょうがないですね。因縁の因という字は、四角の中に大の字が書いてある。これはもう、生まれながらに、先天から持って来ているもの、それを因というんです。ですから、因縁というのは、生まれながらに持ってきた先天的なもの〝因〟と、今世に自分が生まれてから今日までいろいろとやってきたこと、つまり、後天的なもの〝縁〟が一緒なったものなんです。ですから、私共が今世幸せでいるということは、過去からしていい因縁を踏んできているということになるわけなんですね。
     中には、努力は随分とするけれども幸せになれないという人もあるんです。ところが全然変わってないのかと言うとそうではない。心の切り替えをすると、不思議に幸せになってしまう。これが天台大師さまがお説きになった一念三千ということなんです。心の一番奥にある仏性ですね。この一念がピタッと……。この一念が、間違った一念を起こさないでピタッとなるというと、目の前の三千世界がみんな仏さまの世界と同じようにすばらしい世界になってしまう。だから自分の心の中をキレイにしていくことが一番なんだ。自分の心の中をスカッとさせる、仏性そのものにしていくということが……。ところが、人間の心には先天からの貪・瞋・痴の三悪という邪念があるんですね。これをちゃんと解決をして仏さまと同じ一念になるというと、目の前の三千世界が変わってしまう。

  •    因縁の切り替え

     私は、皆さんにお導きをしなさいといつも要求する。なぜかと言うと、お導きをしてみないとですね、佼成会の教えが本当の仏教なのかどうなのか、有り難いのか有り難くないのか分からないんですよ。
     家の中がいつも揉めているとか、病人が絶えないとか、いろいろのご苦労があった。ところが、入会をして素直に先祖供養をし、一生懸命で菩薩行を行じた。そうしたら、今まで病気の問屋みたいな家がすっかり変わってしまった。
     お導きに歩いてみると、因縁の悪い家もある。まあ、因縁が悪いという言葉を使うと、皆さんはどうも気持ちがよくないだろうが、しかし、これはしょうがないですね。因縁の因という字は、四角の中に大の字が書いてある。これはもう、生まれながらに、先天から持って来ているもの、それを因というんです。ですから、因縁というのは、生まれながらに持ってきた先天的なもの〝因〟と、今世に自分が生まれてから今日までいろいろとやってきたこと、つまり、後天的なもの〝縁〟が一緒なったものなんです。ですから、私共が今世幸せでいるということは、過去からしていい因縁を踏んできているということになるわけなんですね。
     中には、努力は随分とするけれども幸せになれないという人もあるんです。ところが全然変わってないのかと言うとそうではない。心の切り替えをすると、不思議に幸せになってしまう。これが天台大師さまがお説きになった一念三千ということなんです。心の一番奥にある仏性ですね。この一念がピタッと……。この一念が、間違った一念を起こさないでピタッとなるというと、目の前の三千世界がみんな仏さまの世界と同じようにすばらしい世界になってしまう。だから自分の心の中をキレイにしていくことが一番なんだ。自分の心の中をスカッとさせる、仏性そのものにしていくということが……。ところが、人間の心には先天からの貪・瞋・痴の三悪という邪念があるんですね。これをちゃんと解決をして仏さまと同じ一念になるというと、目の前の三千世界が変わってしまう。

  •  自分の悪業を消すためには施しということ、功徳を積むということが一番大事だ。先程申し上げた貪・瞋・痴の三毒というものでも、貪欲が一番最初に出てきますが、何でも一番最初に出てきたのが一番大事なんです。貪欲、欲ばりというものを捨てるというと、腹も立たなくなるし愚痴も言わなくなるんですから。ですから、まず最初の貪欲というものを抑える。そのためには、まず施しをすることなんですよ。この施しというのは貪欲のちょうど反対なんですね。人間の手も、何でも入ってもらいたいと思っているから全部内側を向いてる。(笑)だから施しをするんです。逆に手を外に向けて人さまに差し上げる……。自分の方に入れるんじゃあなくて、外に、人さまに差し上げようというんですから、まったく逆なんですね。この、まったく逆の行をすることによって、自分の欲しいものを人さまに差し出すことによって自分が幸せになっていく。因縁の切り替えができる、こういうわけなんです。
     もう本当に、仏教というのは、すべてお釈迦さまがご自身の体を通して体験され、かくすればかくなるということを体験してお説きになられたのですから、お釈迦さまのおっしゃるとおりに、お経に書いてあるとおりに実践すればどんな人でも幸せになってしまう。ですから、佼成会に入会をしてご先祖さまに対して朝夕ご供養させて頂いて、佼成会の活動を三年五年と正しくさせて頂いていると、いつの間にか病人があった家は病人がいなくなってるし、貧乏だった家計も豊かになってしまう……。

  •  自分の悪業を消すためには施しということ、功徳を積むということが一番大事だ。先程申し上げた貪・瞋・痴の三毒というものでも、貪欲が一番最初に出てきますが、何でも一番最初に出てきたのが一番大事なんです。貪欲、欲ばりというものを捨てるというと、腹も立たなくなるし愚痴も言わなくなるんですから。ですから、まず最初の貪欲というものを抑える。そのためには、まず施しをすることなんですよ。この施しというのは貪欲のちょうど反対なんですね。人間の手も、何でも入ってもらいたいと思っているから全部内側を向いてる。(笑)だから施しをするんです。逆に手を外に向けて人さまに差し上げる……。自分の方に入れるんじゃあなくて、外に、人さまに差し上げようというんですから、まったく逆なんですね。この、まったく逆の行をすることによって、自分の欲しいものを人さまに差し出すことによって自分が幸せになっていく。因縁の切り替えができる、こういうわけなんです。
     もう本当に、仏教というのは、すべてお釈迦さまがご自身の体を通して体験され、かくすればかくなるということを体験してお説きになられたのですから、お釈迦さまのおっしゃるとおりに、お経に書いてあるとおりに実践すればどんな人でも幸せになってしまう。ですから、佼成会に入会をしてご先祖さまに対して朝夕ご供養させて頂いて、佼成会の活動を三年五年と正しくさせて頂いていると、いつの間にか病人があった家は病人がいなくなってるし、貧乏だった家計も豊かになってしまう……。

  •    バカは休まずこそ正精進

     先程、渋沢教会長さんが「命がけで……」なんて言ってましたけれども、私は別に命がけでなんて、別に火の中に飛び込んだわけでもないし、水の中に入ったわけでもない。(笑)なにしろ国連で演説しろと言われても、「好きなことを言わしてくれるならやりますが、あれを言っちゃあいけない、これを言わなきゃあいけないというんじゃあイヤだ」などと言い出すような、横着で勝手な人間ですから、別に命がけだなんて……。火の中に飛び込んでいるわけでも水の中で暴れているわけでもない。当たり前のことを当たり前にやってるだけで……。
     歩むべき道を仏さまが筋道をたててちゃんと説いて下さっている。ですから、それを一緒に勉強して歩んで行きましょう。仏さまのおっしゃっているとおりに実践すれば、このように幸せになれるんですよと、皆さんにいろいろと説明して自分でも実践している。それだけなんです。それを聞いてまた、皆さんが素直に実行して下さる。
     やはり、宗教というのは実行なんです。信仰というのは経験の世界、体験の世界なんです。理屈を聞いているだけではとても分からないんです。毎日毎日、明けても暮れても実践なんです。それこそは、「バカは休まず」なんていう言葉がありますけれども、それこそが正精進ということなんです。それを続けているというと、知らず知らずのうちに仏さまが幸せにして下さっている。そういうものなんです。

  •    バカは休まずこそ正精進

     先程、渋沢教会長さんが「命がけで……」なんて言ってましたけれども、私は別に命がけでなんて、別に火の中に飛び込んだわけでもないし、水の中に入ったわけでもない。(笑)なにしろ国連で演説しろと言われても、「好きなことを言わしてくれるならやりますが、あれを言っちゃあいけない、これを言わなきゃあいけないというんじゃあイヤだ」などと言い出すような、横着で勝手な人間ですから、別に命がけだなんて……。火の中に飛び込んでいるわけでも水の中で暴れているわけでもない。当たり前のことを当たり前にやってるだけで……。
     歩むべき道を仏さまが筋道をたててちゃんと説いて下さっている。ですから、それを一緒に勉強して歩んで行きましょう。仏さまのおっしゃっているとおりに実践すれば、このように幸せになれるんですよと、皆さんにいろいろと説明して自分でも実践している。それだけなんです。それを聞いてまた、皆さんが素直に実行して下さる。
     やはり、宗教というのは実行なんです。信仰というのは経験の世界、体験の世界なんです。理屈を聞いているだけではとても分からないんです。毎日毎日、明けても暮れても実践なんです。それこそは、「バカは休まず」なんていう言葉がありますけれども、それこそが正精進ということなんです。それを続けているというと、知らず知らずのうちに仏さまが幸せにして下さっている。そういうものなんです。

  •    欲もバランスが悪いと地獄行き

     譬諭品というのは実に長いお経なんですね。けれども、あまり長いと皆さん飽きちゃう。(笑)だから、私は三行ばかりにしてある。(笑)だから長くない。一番短くしてあるんだ。(笑)
     「今此の三界は皆是れ我が有なり……」とありますが、この三界というのはどういう界なのかと言うと、欲界・色界・無色界、この三つを三界と言うんです。これだって一番最初に出てくるのは欲界なんですね。娑婆はだいたい欲の世界なんですね。だからみんな欲が張ってる。戦争なんかが起こるのは、欲の世界で、みんな譲る気持ちがないからなんですよ。何でも自分の意見を通そうとゴリ押しするからなんですよ。欲があるからなかなか譲れないわけだ。
     色界の色というのは、もちろん色気という意味もありますが、本来は形になって見えるものという意味であります。私共は生きている間中は色気がある。昔の人が冗談のようによく言っていたことの中にもなかなかの真理があるんですね。「人間は灰になるまで色気はなくならない」と。そう言われるほど色気をなくすというのは難しい。年を取っても浮気したい人が多い。(笑)生きながらにして色気をなくするというところの行というものは、なかなかたいへんな行なんです。欲をなくするのもたいへんだけれども、浮気心をなくするというのもたいへんなんだ。
     次の無色界というのは、目に見えない世界なんです。心は目には見えない。じゃあ、ないのかというと、ないことはない。あるんです。あるんだけれども見えない。心とか精神とか霊界といったものが無色界なんです。目には見えない、つまり形のない世界だから無色界というわけです。
     それにしても、一番先に欲界が出てくるんですから、人間はいかに欲が深いか分からない。しかし、その欲を捨てればいいわけです。目連尊者のお母さんにしても、自分の子供を立派にしたいと思うあまり欲の方に走ってしまったんですね。欲のバランスが悪かったために地獄の一劫で苦しむことになったんですね。

  •    欲もバランスが悪いと地獄行き

     譬諭品というのは実に長いお経なんですね。けれども、あまり長いと皆さん飽きちゃう。(笑)だから、私は三行ばかりにしてある。(笑)だから長くない。一番短くしてあるんだ。(笑)
     「今此の三界は皆是れ我が有なり……」とありますが、この三界というのはどういう界なのかと言うと、欲界・色界・無色界、この三つを三界と言うんです。これだって一番最初に出てくるのは欲界なんですね。娑婆はだいたい欲の世界なんですね。だからみんな欲が張ってる。戦争なんかが起こるのは、欲の世界で、みんな譲る気持ちがないからなんですよ。何でも自分の意見を通そうとゴリ押しするからなんですよ。欲があるからなかなか譲れないわけだ。
     色界の色というのは、もちろん色気という意味もありますが、本来は形になって見えるものという意味であります。私共は生きている間中は色気がある。昔の人が冗談のようによく言っていたことの中にもなかなかの真理があるんですね。「人間は灰になるまで色気はなくならない」と。そう言われるほど色気をなくすというのは難しい。年を取っても浮気したい人が多い。(笑)生きながらにして色気をなくするというところの行というものは、なかなかたいへんな行なんです。欲をなくするのもたいへんだけれども、浮気心をなくするというのもたいへんなんだ。
     次の無色界というのは、目に見えない世界なんです。心は目には見えない。じゃあ、ないのかというと、ないことはない。あるんです。あるんだけれども見えない。心とか精神とか霊界といったものが無色界なんです。目には見えない、つまり形のない世界だから無色界というわけです。
     それにしても、一番先に欲界が出てくるんですから、人間はいかに欲が深いか分からない。しかし、その欲を捨てればいいわけです。目連尊者のお母さんにしても、自分の子供を立派にしたいと思うあまり欲の方に走ってしまったんですね。欲のバランスが悪かったために地獄の一劫で苦しむことになったんですね。

  •    和合僧を敬うことが先祖の成仏に

     しかし、これは我々のような強情なものが地獄に落ちないで極楽に行くようにという仏さまの大慈大悲なんです。ですから、我々は今世においてできる限りの努力をしていかなくてはならない。
     今日の私共に菩提心を起こさせるために、目連尊者のお母さんを地獄の一劫に浮かび上がらせて、この方は娑婆にいた時に、地獄で苦しまなければならないような因縁を積んだ。しかし、三千人のお坊さんに成仏を念じて頂いたら、その法力によって極楽に行けた。こういう事実を見せて、仏さまを供養することはいかに尊いことであるか。僧宝、信仰の仲間ですね。和合僧の仲間や自分を導いて下さった因縁ある方々。そういう方々を心から敬うということは、いかに尊いことであるか。こういうことを教えて下さっているわけであります。そして、そのことはご先祖さまにご成仏して頂けることに直接つながっている。こういうわけであります。
     佼成会ではお互いに合掌し合って、一生懸命で菩薩行をさせて頂いておりますが、これは仏さまと同じ気持ちになりましょうということなんです。みんな仏さまになられる方なんだと、その人の仏性を拝んで。
     よく、人間を拝んで何になるんだなんて、理屈を言う人がある。ところが、佼成会ではどなたでもお互いに拝み合う。それは、なぜかというと、どんな人でも、仏道を行じていけば最後には必ず成仏する人だからなんです。その拝み合いが、その人はもちろん回りの人もだんだんと浄化して、最後にはみんなが仏になっていく。こういうための修行なんです。そのことをお釈迦さまは盂蘭盆会という行事を通して教えて下さっているわけであります。ですから、今日ご参拝に来られた方々は、こうしたことをしっかりと再確認して頂きたい。こう思うのであります。
     今日はまた、信者の方々だけではなくして、長野教会と越後川口教会から、未会員の先生方がたくさんご参拝にいらっしゃっていると伺っております。まあ、私共の修行などというものは、昔の僧侶さん方のきつい修行に比べたら、それこそ畳の上で妻子を持ってやっているんですから、たいして難しい修行ではない。真心で家中が拝み合って、さらに隣近所の方々も拝んでいく。私共のそうした行動が、周りの方々にも影響を及ぼしまして、今日は会員でない方までが、しかも長野や越後川口といった遠路からもご参拝に来られた。
     越後川口と言いますと、私の在所のすぐ側でございます。ですから、十日町の菅沼の、あの山の中で猿と一緒に育ったようなやつの会なんかに参拝に行けるかなんて、普通なら言ってもちっともおかしくないんです。ところが、そういうところからもはるばるお参りに来て下さった。今日は、そういうありがたいご功徳も頂いているわけであります。これは、実にたいへんなことなのであります。

  •    和合僧を敬うことが先祖の成仏に

     しかし、これは我々のような強情なものが地獄に落ちないで極楽に行くようにという仏さまの大慈大悲なんです。ですから、我々は今世においてできる限りの努力をしていかなくてはならない。
     今日の私共に菩提心を起こさせるために、目連尊者のお母さんを地獄の一劫に浮かび上がらせて、この方は娑婆にいた時に、地獄で苦しまなければならないような因縁を積んだ。しかし、三千人のお坊さんに成仏を念じて頂いたら、その法力によって極楽に行けた。こういう事実を見せて、仏さまを供養することはいかに尊いことであるか。僧宝、信仰の仲間ですね。和合僧の仲間や自分を導いて下さった因縁ある方々。そういう方々を心から敬うということは、いかに尊いことであるか。こういうことを教えて下さっているわけであります。そして、そのことはご先祖さまにご成仏して頂けることに直接つながっている。こういうわけであります。
     佼成会ではお互いに合掌し合って、一生懸命で菩薩行をさせて頂いておりますが、これは仏さまと同じ気持ちになりましょうということなんです。みんな仏さまになられる方なんだと、その人の仏性を拝んで。
     よく、人間を拝んで何になるんだなんて、理屈を言う人がある。ところが、佼成会ではどなたでもお互いに拝み合う。それは、なぜかというと、どんな人でも、仏道を行じていけば最後には必ず成仏する人だからなんです。その拝み合いが、その人はもちろん回りの人もだんだんと浄化して、最後にはみんなが仏になっていく。こういうための修行なんです。そのことをお釈迦さまは盂蘭盆会という行事を通して教えて下さっているわけであります。ですから、今日ご参拝に来られた方々は、こうしたことをしっかりと再確認して頂きたい。こう思うのであります。
     今日はまた、信者の方々だけではなくして、長野教会と越後川口教会から、未会員の先生方がたくさんご参拝にいらっしゃっていると伺っております。まあ、私共の修行などというものは、昔の僧侶さん方のきつい修行に比べたら、それこそ畳の上で妻子を持ってやっているんですから、たいして難しい修行ではない。真心で家中が拝み合って、さらに隣近所の方々も拝んでいく。私共のそうした行動が、周りの方々にも影響を及ぼしまして、今日は会員でない方までが、しかも長野や越後川口といった遠路からもご参拝に来られた。
     越後川口と言いますと、私の在所のすぐ側でございます。ですから、十日町の菅沼の、あの山の中で猿と一緒に育ったようなやつの会なんかに参拝に行けるかなんて、普通なら言ってもちっともおかしくないんです。ところが、そういうところからもはるばるお参りに来て下さった。今日は、そういうありがたいご功徳も頂いているわけであります。これは、実にたいへんなことなのであります。

  •    他の子もたしなめる

     今日は、お盆の起こった縁起というものを申し上げたわけですが、私共は自分の子供ばかりに愛情を注ぐのではなくして、自分の子と同じように他人の子供にも愛情を注いでいかなければならない。他の子供も不良になっちゃならないのですから、ちゃんと声をかけてあげる。間違ったことをしていたら窘め(たしな)てあげる。そして、信仰の仲間、少年部や青年部などのよき仲間に誘ってあげて、他の子供も浄化してあげる。こういう考え方になって頂ければ、みんなそろって極楽に行けることになるわけであります。
     ところが、現代人は自分の子供だけ偉くなるようにと、まあ、目連尊者のお母さんと同じ誤りを犯している。ご婦人というのは、どうしても自分の子供には執(とらわ)れやすいんですね。しかし、自分の子供に執われないで、自分の子供と同じように他人の子供も見ていかなければならない。このことを、お釈迦さまはお盆という行事を通して私共に教えて下さっているわけであります。ですから、そういう意味で、どうか青少年の育成ということもしっかりと考えて頂きたい。自分は信仰活動さえしていればいいんだ、大丈夫なんだというような考えではいけない。
     そして、子供たちは子供たちなりに友達の中を浄化していく……。そして、一人でも多くの方々をサンガに誘っていく。教えを聞いて頂ければ、仏教は合理的ですからみんな分かりますよ。今の若い人はみんな合理的でドライですから、一度聞けば必ず分かりますよ。
     若い人であればあるほど、子供であれば子供であるほど純粋ですから「なるほど、こういうふうにすれば幸せになれるのか」と分かって頂けますよ。みんなやりたいんですよ。やりたい人がたくさんいるのにお導きをしないでいるということになると、それでは謗法罪を作っていることになってしまう。
     法師品を読んでみまするというと、私共はそういう方々をお導きをさせて頂くと、過去世に誓願を立てて生まれてきたというんですから……。十万億もの諸仏を供養した、その功徳によってこの娑婆に人間として生まれてきたんだと説かれている。しかし、その功徳がずうっと続くためには今世もまた諸仏を供養していかなくてはならない。

  •    他の子もたしなめる

     今日は、お盆の起こった縁起というものを申し上げたわけですが、私共は自分の子供ばかりに愛情を注ぐのではなくして、自分の子と同じように他人の子供にも愛情を注いでいかなければならない。他の子供も不良になっちゃならないのですから、ちゃんと声をかけてあげる。間違ったことをしていたら窘め(たしな)てあげる。そして、信仰の仲間、少年部や青年部などのよき仲間に誘ってあげて、他の子供も浄化してあげる。こういう考え方になって頂ければ、みんなそろって極楽に行けることになるわけであります。
     ところが、現代人は自分の子供だけ偉くなるようにと、まあ、目連尊者のお母さんと同じ誤りを犯している。ご婦人というのは、どうしても自分の子供には執(とらわ)れやすいんですね。しかし、自分の子供に執われないで、自分の子供と同じように他人の子供も見ていかなければならない。このことを、お釈迦さまはお盆という行事を通して私共に教えて下さっているわけであります。ですから、そういう意味で、どうか青少年の育成ということもしっかりと考えて頂きたい。自分は信仰活動さえしていればいいんだ、大丈夫なんだというような考えではいけない。
     そして、子供たちは子供たちなりに友達の中を浄化していく……。そして、一人でも多くの方々をサンガに誘っていく。教えを聞いて頂ければ、仏教は合理的ですからみんな分かりますよ。今の若い人はみんな合理的でドライですから、一度聞けば必ず分かりますよ。
     若い人であればあるほど、子供であれば子供であるほど純粋ですから「なるほど、こういうふうにすれば幸せになれるのか」と分かって頂けますよ。みんなやりたいんですよ。やりたい人がたくさんいるのにお導きをしないでいるということになると、それでは謗法罪を作っていることになってしまう。
     法師品を読んでみまするというと、私共はそういう方々をお導きをさせて頂くと、過去世に誓願を立てて生まれてきたというんですから……。十万億もの諸仏を供養した、その功徳によってこの娑婆に人間として生まれてきたんだと説かれている。しかし、その功徳がずうっと続くためには今世もまた諸仏を供養していかなくてはならない。

  •  あっちでもこっちでも戦争が起こっているというような状態。そして、世界には核兵器が広島と長崎に落とされた原爆に換算して百三十万倍もあるという現実。
     しかし、核兵器を廃絶しようと私共が声を大にして訴えましたら、ようやく人々が目覚め始めてきました。核兵器は、作ったけれども使わないで凍結して、その費用は人類の幸せのために使っていくべきだと、こういう声がたいへんに大きくなってきたようであります。(拍手)ですから、核兵器の廃絶、これはどうしてもやらないと……。
     もし間違って使ったらどうなるか。地球は完全に破滅しちゃって、誰も生きられなくなってしまう。そういう恐ろしいことになってしまう。
     科学が進んだおかげさまで、私共は非常に調法している。ところが、恩恵ばかりかと思っているというと、こういう恐ろしい原爆というようなものもできてしまった。科学が進むということは、いい面もあるけれども恐ろしいことにもなってくる。それを上手に調整していくのが人間なんです。その人間の生き方、処し方、あり方を教えているのが仏教であります。ですから、どうかしっかりとお経を読んで頂きたい。そして、一人でも多くの人をお導きして仏教をお伝えして頂きたい。そして、再び核兵器などというような恐ろしいものを使うことのないよう、皆さまでしっかりと仏さまに念じていきましょう。(拍手)
     今日はお盆というお幸せのご縁に触れたわけであります。どうか、今日からまた仏道修行に一段と張りをかけまして、一人でも多くの人に幸せになって頂くようお導きに一段と力を入れて頂きたい。皆さま方のご精進を重ねてお願い申し上げまして、説法を終りといたします。有り難うございました。
    以上

  •  あっちでもこっちでも戦争が起こっているというような状態。そして、世界には核兵器が広島と長崎に落とされた原爆に換算して百三十万倍もあるという現実。
     しかし、核兵器を廃絶しようと私共が声を大にして訴えましたら、ようやく人々が目覚め始めてきました。核兵器は、作ったけれども使わないで凍結して、その費用は人類の幸せのために使っていくべきだと、こういう声がたいへんに大きくなってきたようであります。(拍手)ですから、核兵器の廃絶、これはどうしてもやらないと……。
     もし間違って使ったらどうなるか。地球は完全に破滅しちゃって、誰も生きられなくなってしまう。そういう恐ろしいことになってしまう。
     科学が進んだおかげさまで、私共は非常に調法している。ところが、恩恵ばかりかと思っているというと、こういう恐ろしい原爆というようなものもできてしまった。科学が進むということは、いい面もあるけれども恐ろしいことにもなってくる。それを上手に調整していくのが人間なんです。その人間の生き方、処し方、あり方を教えているのが仏教であります。ですから、どうかしっかりとお経を読んで頂きたい。そして、一人でも多くの人をお導きして仏教をお伝えして頂きたい。そして、再び核兵器などというような恐ろしいものを使うことのないよう、皆さまでしっかりと仏さまに念じていきましょう。(拍手)
     今日はお盆というお幸せのご縁に触れたわけであります。どうか、今日からまた仏道修行に一段と張りをかけまして、一人でも多くの人に幸せになって頂くようお導きに一段と力を入れて頂きたい。皆さま方のご精進を重ねてお願い申し上げまして、説法を終りといたします。有り難うございました。
    以上