ところが、こちらは全然忘れてしまっているようなことでも、真心でやらせてもらったことは、みなさんが恩に受けて、そして今度こちらが行った時には──われわれもあの時のようにお返しをさせてもらいたいんだと──こういう気持でですね、宗教者から返ってきたんですね。そのお言葉を聞いて、ほんとうにそれはもう、お布施のご功徳というものは実に貴いもんだなあ──とつくづく感じたしだいなんです。提婆達多品に「布施を勤行せしに身心倦きことなかりき」──布施さえ勤行しておれば、信心のかなわんことはないと、こうおおせになっております。
まあそういう意味で、目連尊者にとってお困りのお母さんであったなあと思えるわけです。自分の子だけ偉い人にしようと思って──。今、教育ママだなんていいますが、それだけではいかんのです。教育ママは、それだけの意味があるわけです。
目連尊者のような立派な人を産んだお母さんですから、われわれ以上にあかぬけた立派な心持ちをもっていたに相違ないんです。ところがその人がほんとうのギリギリのところで何をしたかというと、世のため人のためということよりも、わが子のためという考えのほうが強かったと。そこのところが餓鬼道に落ちて苦しんでいる本なのですが──その姿を神通力でごらんになって、目連尊者がびっくりしたと、物語はこうなっておるわけであります。
これはやはり、みな仏さまのお慈悲によって、仏さまの大慈大悲によって、目連尊者のような神通力をもって、ご先祖さまの状態をごらんになったという一つの話にのせて、われわれに教訓をたれておるのだと思うのであります。