さて、この四月、私はロンドンにおいて、一九七九年度のテンプルトン賞を拝受いたしましたが、その拝受の理由の一つに、多年にわたる宗教協力活動の推進ということがあげられておりました。ということになりますと、この受賞は世界宗教者平和会議の活動が正しかった、という神仏の証であると同時に、今後ますますいかなる困難にもくじけることなくこの道を前進せよ、との神仏の励ましであると私は確信いたすものであります。
さて、現代における宗教心の高揚を念願されるテンプルトン博士のお気持を生かすためには、私が頂戴しました賞金のすべてを平和会議の基金として差し出したいと存じます。人間のエゴ、国家のエゴ、階級のエゴ、いわゆる仏教で申しますところの貪欲こそが、この世のすべての苦の根源であり、不均衡・差別、憎悪、争いの根源をなすものであります。今日の世界に最も必要なものは愛の実践であり、それは利他行、慈悲行にほかなりません。それゆえに、私はまず自らが、このテンプルトン賞を差し出すことが当然ではないか、と思ったのであります。
ローマ・クラブのペッチェイ会長は、
「世界の傾向が現在のままであるならば、われわれは必ずや、あらゆる面において悲惨な事態に直面するに違いない。アメリカの農民は、いやアメリカだけに限りませんが、一カロリーの食糧を生産するために、インドの農民より石油のカロリーを百倍も多く消費している。今後二十年間に生まれてくる人々のために、われわれは中世の末から現在までにつくったものと同数の家屋、下水道、学校、病院等を新しくつくらなければならない。もはや、いかなる資本主義モデルも、社会主義モデルも、この課題に答えることは不可能である」という意味の警告を発しております。もはや、人類は戦争をしている余裕など全くないのであります。その意味で私たちは、今こそ宗教心を土台にした、新しいモデルの創造に取り組まねばならぬのであります。
世界はいまや偏狭なナショナリズムを超えて地域主義に、そして、やがては地球主義に向かわざるを得ないことは明白であります。しかし、そのためには人間の心がエゴから解放され、すべてはもちつもたれつの相関関係にあって、他から孤立して、存在するものは一つもないという、仏教の諸法無我の真理を認識し、愛に目覚めることなくしては、地球主義も世界共同体も成り立たないことは必定であります。
そして、今一つ申し添えたいことは、たとえ世界共同体が神仏の願いであったとしても、過去の長い年月にわたって搾取し、浪費してきた者が、今、資源の枯渇を前にしてろうばいし、単に乏しきを分け合うための便宜上の手段として世界共同体を主張するのであれば、それはあまりにも独善にすぎるのではないか、ということであります。従って、この反省を抜きにしては会議は始まらないということを認識すべきでありましょう。