このたび第三回世界宗教者平和会議は、その主題に『世界共同体を志向する宗教』という題目を掲げました。そこで私は会議に先立って、いくつかの点について考えてみたいと存じます。
あらゆる宗教は、人間は神の子であり、仏の子であると申します。私は仏教徒でございますので、仏教的表現をお許し頂きますならば、仏陀は「今此の三界は皆是れ我が有なり、其の中の衆生は悉く是れ我が子なり、而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護を為す」と申されております。さらに、すべての宗教は世界の平和を希求し、人類を苦悩から救い、身心環境ことごとくを救済するという共通の願いをもっております。そして、私はすべての宗教は発生の場所や時代といった諸々の因縁によって、さまざまの宗教形態をとってはおりますが、神仏の説かれるみ教えは、人々の機根に応じて変化はあるにせよ、根本の教えは仏陀の説かれるごとく「語異なることなし、唯一にして二ある事なし」と、私は確信いたしておるものであります。従いまして、自己の宗教にどこまでも徹していけば、独善に陥るどころか、自ら他の宗教の本義に通じ合えるものと存じます。仏陀の悟りの本義は、ご承知のように諸行無常、諸法無我、涅槃寂静という三法印であり、表現こそ違え、私共宗教者としては、帰依三宝を離れては成り立たないのであります。従って、この真理を土台にした時、すべての宗教はお互いの人格を尊敬し、信頼し、異体同心となって、平和のために共に精進できるのであります。こうして、すべての宗教が神仏の真のみ心に直参した時、宗教の派閥エゴは自ら払拭されると思います。その時こそ、宗教は初めて、世界共同体を志向するに相応しい資格をもち得るのではないか、と私は考えるのであります。
もはや、アメリカやソ連といった大国の政治力、軍事力をもって平和のための条件や条約をいかに整えても、究極的にはすべての人間の心を聖なる心へ変えていかぬ限り、平和は実現し得ないと思います。その聖なる心への目覚めを促す働きかけこそが、現代の世界に生きる宗教者の最大の役割であり、それが神仏のみ心であると存じます。しかるに、宗教者自体が互いに反目し、争い、非協力の態度を改めないとすれば、それはまさに宗教者の罪であり、怠慢であると言わなければなりません。まず、宗教者自身が互いに調和への努力を示すこと、これが会議に臨まれる皆さまに対する私の願いであります。