法華三部経の要点 ◇◇107
立正佼成会会長 庭野日敬
法華経は実践によって完成する
最後に登場の普賢菩薩
妙法蓮華経の最終章である普賢菩薩勧発品に入ります。この品は、東方の宝威徳上王仏の国から法華経を聞きにやってきた普賢菩薩がその教えに感激し、「のちの世にこの教えを受持する者があれば必ずそれを守護しましょう」と申し上げますと、お釈迦さまも「普賢菩薩と同じような行をなす者をわたしも守護しよう」とおおせられ、末世の法華経行者を励まされる章です。
法華経の初めのほうでは、菩薩の主役は「智」の文殊菩薩でした。中ほどでは「慈」の弥勒菩薩でした。そして、最後の結びで普賢菩薩が登場するのはなぜかといえば、真理を知る智慧にしても、一切の生きものに対する慈悲にしても、それを現実の生活に実践して初めてそれが救いとなり、幸せをもたらすのです。そこで、法華経のしめくくりとして「行(ぎょう)」の普賢菩薩が登場するわけです。
普賢菩薩は、六本の牙(きば)を持つ白い象に乗って出現されます。それはどんな意味を持つかといえば、象は目的地に向かって歩くとき、ゆくてをさえぎる樹木があればそれを押し倒し、岩石があれば足で転がし、まっしぐらに進んで行きます。
また、六本の牙というのは六波羅蜜を象徴しているのです。ですから、法華経行者が六波羅蜜を行ずるときに現れるさまざまな邪魔や障害をものともせず不退転の勇気をもってそれを乗り切っていかねばならないことを、この象の姿が象徴しているわけです。
法華経行者に守護を
といえば、普賢菩薩はいかにも実践を要求する「力」の象徴だけのように考えられるかもしれませんが、と同時に、たいへん慈悲深い菩薩でもあるのです。普賢菩薩を梵語ではサマンタバドラといいます。サマンタは「あまねく一切に」という意味、バドラは「幸福な」という意味です。それで、中国語には「遍吉(へんきつ=あまねく一切のものに吉祥を与える)」と訳されています。つまり、われわれを力づけ励まし、法の実践を勧めることによって、幸福をもたらしてくださる菩薩なのです。
その普賢菩薩がはるか東方の宝威徳上王仏の国から霊鷲山に来至して、如来の滅後においてはどうすれば法華経を身につけることができるのでしょうかとお尋ねしました。すると、お釈迦さまは、諸仏に護念せられ、もろもろの徳本を植え、正定聚(しょうじょうじゅ=正しい信仰に心を定めた仲間)に入り、一切衆生を救う心を起こすことであるとお答えになりました。これを「四法成就」の法門といい、非常に大切な教えですから、次回以降に詳しく解説しましょう。
そこで普賢菩薩は、「後の五百歳の末法の世にこの経典を受持する者があれば、わたくしはその者を守護し、修行を妨げる者をしりぞけ、また一句一偈でも忘れた所があればそれを思い起こさせてあげましょううんぬん」とお誓いするのです。普賢菩薩のすぐれた神通力で守護されたむかしの法華経行者の話は、さまざまな古典に述べられています。