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法華三部経の要点 ◇◇26
立正佼成会会長 庭野日敬

向上は反省と下がる心から

反省にもとづく求道心こそ

 譬諭品は、前の方便品の説法を聞いて大歓喜した舎利弗の「今世尊に従いたてまつりて、此の法音を聞いて心に踊躍(ゆやく)を懐き、未曽有なることを得たり」という感激の言葉から始まります。
 なぜそれほど歓喜したかといえば、これまで自分は仏の悟りとはかけ離れた境地に低迷しているとばかり思って「終日竟夜(ひねもすよもすがら)毎(つね)に自ら剋責(こくしゃく)しき」と自分の至らなさを責めていたのが、方便品の説法で、仏さまの教えはただ一仏乗であって声聞も縁覚もなく、自分もたしかに成仏への道程にいることがわかったからです。
 ここで見逃してならないのは、舎利弗ほどの大秀才がつねに自分の至らなさを反省していたという事実です。釈尊教団では「智慧第一」とたたえられ、多くの経典に現れているように、お釈迦さまもつねに「舎利弗よ」「舎利弗よ」と呼びかけて法をお説きになっていました。その舎利弗がけっして有頂天にならず、威張ることもなく、いつも現在の自分を反省し、さらなる向上への道を求めていたわけです。これが譬諭品の第一の要点だと思います。
 ほんとうに偉くなる人は、必ずそうした精神的欠乏感ともいうべき、反省にもとづく求道心をもっているものです。イエス・キリストが「さいわいなるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり」と言われたのも、そこのところなのです。

心の素直な人は「下がる」

 舎利弗は、はじめ王舎城付近で世間の尊崇を集めていたサンジャヤという宗教家に弟子入りしました。わずか七日間(一説には三日間)で師の教えをすっかりマスターし、たちまち二百五十人の弟子を指導する師範代に任ぜられたのでした。それでも舎利弗は、より高いものを日夜求めつづけてやみませんでした。
 たまたま王舎城の街頭で立ち居振る舞いの見事に端正な一修行者に出会い、一目でその人に引きつけられてしまいました。そして、「あなたの師は何というお方ですか」と尋ねたところ「釈迦牟尼世尊と申す正覚者です」との答え。「その師の教えはどんなものですか」と問えば「この世のすべての現象は因と縁との和合によって生ずるとお説きになります」という答え。
――ああ、これこそ自分が求めていた最高の法である――と感動し、二百五十人もの弟子を持つ師範代の地位を惜しげもなく捨てて、お釈迦さまのもとにはせ参じたのでした。
 入門してほどなく、さきにも述べたように舎利弗はお釈迦さまの弟子の中で「智慧第一」となったのですが、それでもけっして増長することはありませんでした。こんな話があります。
 お釈迦さまの一行が王舎城から祗園精舎への旅の途中、ある精舎に泊まったときのことです。翌朝早くお目ざめになったお釈迦さまは、庭の一本の木の下で夜を明かしたらしい舎利弗をみつけられました。「なぜそんな所にいるのか」とお尋ねになりますと「昨夜は宿坊がいっぱいでございましたので」との答えです。若い比丘たちがわれ先にと部屋を占領してしまったのです。最長老の一人ですから、一声で部屋を空けさせることもできたのですが、舎利弗はそれをしなかったのです。その人格の崇高さにはただもう頭が下がります。
 人間、有頂天になればそれで行き止まりです。方便品の説法を聞かずに退席して行った五千人がそれです。また、信仰上のことだけでなく、「平氏にあらずんば人にあらず」とうそぶいた平氏一門もそれです。頂点を極めて間もなく平家は転落の一途をたどり、ついに滅んでしまいました。
 ともあれ、「智慧第一」の舎利弗が「終日竟夜毎に自ら剋責」したことを、われわれも時に応じて思い出したいものであります。
                                                       

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