法華三部経の要点 ◇◇7
立正佼成会会長 庭野日敬
注意深い観察のすすめ
かくすれば、かくなる
無量義経とは深く考えさせるお経だと前回に述べましたが、考えさせる宿題はなおも続きます。
「法の相(そう)是(かく)の如(ごと)くして、是の如き法を生ず。法の相是の如くして、是の如き法を住す。法の相是の如くして、是の如き法を異(い)す。法の相是の如くして、是の如き法を滅す。法の相是の如くして、能(よ)く悪法を生ず。法の相是の如くして、能く善法を生ず」
この「法」というのは「ものごと」という意味です。この一節のあらましの意味は、「ものごとの現在のあり方を見て、それがどう変化していくかを考えてごらん。どうすればどんな変化が起こるか、どうすれば悪い結果が出るか、善い結果が出るか、そこのところをよく観察し、考究してごらん」ということなのです。
この宿題が、妙法蓮華経方便品の「十如是」の法門につながり、天台大師の「一念三千」にもつながり、また、わたしがいつも言う「法華経とは、かくすればかくなる(こうすればこうなる)という教えだ」ということにもつながっているのです。だから、無量義経を読む段階でよく観察し、考えておきなさい、そうすればあとで「そうだッ」とはっきりわかるのですよ……というわけなのです。
注意力を集中せよ
そのすぐあとに、これまた重大な言葉があります。
「次に復(また)諦(あきら)かに一切の諸法は念念に住せず、新新に生滅すと観じ」という一節です。世の中のすべてのことがらは、一刻も元のままでいるものではなく、一瞬一瞬に生じかつ滅しているものだということをよく観察しなさい……というのです。
われわれがものごとをボンヤリ眺めていますと、それが一瞬一瞬に生滅しているようには見えません。しかし、真理に照らし合わせながら注意力を集中して観察しますと、それがよく見えてくるのです。
いま地球上の自然破壊や汚染が重大問題となっています。しかし、日々の生活をただ惰性的にやっていますと、その実態がピンときません。だから、相変わらず強い農薬を施したり、中性洗剤を使ったり、排ガスを撒(ま)き散らしたりしています。「これくらいなら……」とか「私一人が使ったくらい……」といった考えからです。
しかし、こういったものごとというものは、ある限界に達したとき爆発的な結末をもたらすものなのです。人類を危機から救おうと世界の知性を集めて結成されたローマ・クラブが先年刊行した警告の書『成長の限界』(大来佐武郎監訳・ダイヤモンド社)に、つぎのような譬え話が述べられています。
「池の睡蓮が毎日二倍に殖えて、その成長をとどめられることがないとしたら、三十日で池を完全におおいつくして、水の中の生物を窒息死させてしまうそうだ。しかし、睡蓮は小さなものだと思っていたので、池の半分をおおうまでは刈り取ることをしないでいたとする。いつ、その日が来るだろうか。答えはもちろん二十九日目である。その池の生物を救うのには一日しか残されていないのである」
なるほど。二倍、三倍と殖えて三十日目に池いっぱいになるのなら、二十九日目には池の半分を睡蓮がおおっている。それを、「まだ半分水面が見えている」と思って安心していると、翌日はアッという間に睡蓮は池を覆いつくしてしまうのです。油断大敵です。
誠に「念念に住せず、新新に生滅す」なのです。この教訓は、あなたの商売のうえにも、健康維持のうえにも、また子育てのうえにも、そのまま役立つものと思います。活用してください。