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経典のことば(62)
立正佼成会会長 庭野日敬

是の人は少欲知足にして能く普賢の行を修せん
(法華経・普賢菩薩勧発品)

ほんとうの豊かさと美しさ

 いわゆるサラ金地獄に苦しむ人が驚くほどたくさんいます。妻子を捨てて蒸発したり、一家心中をしたりという悲劇も後を断ちません。
 現在の日本人は、国の歴史が始まっていらい、最高の豊かな暮らしをしているというのに、どうしてこんな現象が起こったのでしょうか。ズバリ言えば、豊かさに心がゆるんで欲望にブレーキをかけることを忘れたからです。
 よりよい生活をしたいという欲望は人間として当然のものであって、自分の努力によってそれを達成していくことは生活のごく自然な進歩といえましょう。
 ところが、欲望というものはほうっておけばどこまでも肥大し、増長していくものであって、知性の足りない人はそれに歯止めをかけることをせず、もっともっとと、求めつづけるために、つい自分の努力の範囲外のものに手を出して、おしまいには身を滅ぼしてしまうのです。
 盆栽の松は、あまり葉を繁らせると根が弱り、そして枯れてしまいます。人間もそれと同じなのです。欲望の葉をいつもほどよく剪定(せんてい)していると、つねにすこやかに生きることができ、しかも美しく生きることができるのです。

人類生き残りのためにも

 標記のことばは「(法華経の教えを学び、受持し、実行する者は)ひとりでに世間的な欲望が少なくなり、満足することを知り、普賢菩薩のような行いを実行するようになるだろう」という意味です。
 普賢菩薩は理(真理)・定(じょう=不動の精神)・行(ぎょう=真理の実践)を司る菩薩といわれています。ですから、法華経をしっかり学び、身も保ち、それを実践する人は、自然と真理にかなった不動の精神を持ち、それを日々の暮らしのうえに実行する人となる。その結晶というべきものが、少欲知足(しょうよくちそく)の生活である……ということになりましょう。
 つまり、物質的な生活はほどほどにし、精神的に満ち足りた生活をするのが、ほんとうの豊かさである……ということなのです。たんに「豊か」であるばかりでなく、よく剪定した鉢植えの松のように、「美しく」さえあるのです。スガスガしい美しさです。これが法華経人間の姿なのです。
 このことは、個人の生き方の問題にとどまらず、じつは人類全体の生き方に対する重大な警告と受け取らねばなりますまい。
 現在の人類は、より安楽に、より早く、より豊かにという欲望にブレーキをかけることなく、石油系の燃料を濫費し、そのために上空をとりまく排ガスと炭酸ガスの厚い層が異常気象を引き起こし、大干ばつの原因となっています。しかも酸性の雨を降らせて草木を枯らし、それが森林の濫伐に追いうちをかけ、地球の砂漠化を急速に推し進めていることはご存じのとおりです。
 いまのうちに生き方の根本を「少欲知足」へと切り替えなければ、遠くない将来に人類総飢餓に陥ることは目に見えています。
 その悲劇から逃れるためには、せめてわれわれ法華経の信仰者から先に立って「少欲知足」の生活に徹し、そして一日も早く、一人でも多くの人にこの教えを説き広めていかねばなりますまい。それはたんなる「布教」ではなく、じつに「人類生き残りの道」にほかならないのです。
題字と絵 難波淳郎

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