全ページ表示

1ページ中の 1ページ目を表示
経典のことば(60)
立正佼成会会長 庭野日敬

仏種は縁に従(よ)って起る
(法華経・方便品)

あなたには深い仏縁がある

 世の中にはお寺や神社の前を通ってもそしらぬ顔をしている人がよくいます。お寺に入ることがあっても、建物や仏像を歴史的遺物、もしくは芸術品として鑑賞するばかりで、仏さまに向かって手を合わせることをしない人があります。
 そういう人は、前世においてほとんど仏教に縁のなかった人かもしれません。また、この世に生まれてからも、神棚や仏壇のない家庭に育った人でありましょう。
 それにくらべてわれわれは、こうして仏法を信仰し、朝夕ご宝前で供養し、そのうえ法華経を広めるために懸命の努力をしているのですから、よほど前生から仏教に深い縁があったことは確実です。それにつけて思い出されるのは、法華経の主題ともいうべき「授記」ということです。お釈迦さまが弟子たちに、「そなたは必ず仏となることができる」と保証されることです。
 その際にお釈迦さまは「これから何万年もの間、何千とも知れぬ仏に仕えて修行したのちに……」といった条件をつけられます。それを読みますと、あまりにも気の遠くなるようなその時間の長さに、ただぼう然とし、自分とは全く無関係の世界のように思い込みがちです。
 ところが、そうではないのです。その長い道程の中の今日、この瞬間こそが大事なのです。先にも述べましたように、いま仏法を一心に信仰しているあなたは、すでに何千年の間、仏道を修行してきた身かもしれません。とにかく深い仏縁を持つ身であることは確かです。
 そのことをしみじみと心にかみしめ、自分にそなわっている人間としての価値を改めて見直し、自信をもってこれからの人生を生きるべきだと思います。

美しい感動を呼び起こす

 では、どのような人生が最も価値あるものかといいますと、法華経の教えによるならば、己の仏性をますます磨き出すと同時に、他の人の仏性を目覚めさせてあげることに努力する人生です。そういう人を菩薩というのです。
 といっても、なにも難しく考えることはありません。標記のことばにあるように、「仏性はある縁に触れてこそ目覚めるもの」なのですから、日ごろの生活の中で、いつもそのような縁をつくることを心掛けておればいいわけです。
 例えば、評論家の草柳大蔵さんが実行しておられるように、レストランなど周囲に大勢の人がいる時は特に、食事の前後に合掌して拝む……という行為だけでもいいのです。
 それを見た人は、なんとなく「いいなあ」と感じましょう。その「いいなあ」という感じこそがたいへんな意義を持つものなのです。その瞬間に、その人の心の奥の奥にあった尊いものが、スーッと表に出てきたわけです。その尊いもの、それが仏性なのです。
 また、なにか困っている人を見かけたら、親切に手伝ってあげる。悩みを持っている人には愛情に満ちた優しいことばをかけてあげる。それだけでもいいのです。それを受けた人の心にはなんともいえないホノボノとしたものが芽生えるでしょう。「ありがたい」という気持ちで心が温まるでしょう。それが仏性の目覚めにほかならないのです。
 仏性の目覚めは、理屈や説教で起こるものではありません。ある美しい感動こそがそれを芽生えさせるのです。それが「仏種は縁に従って起る」の真義です。お互いさま、世の中を明るくするために、そうした縁をつくることに心掛けようではありませんか。
題字と絵 難波淳郎

関連情報