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経典のことば(32)
立正佼成会会長 庭野日敬

右足を放せ。左足を放せ。右手を放せ。左手を放せ。
(阿育王経)

絶体絶命にどう処する

 南インドに一人の出家修行者が住んでいました。修行者とはいえ、自分の身を愛することにすこぶる熱心でした。温かい湯に入り、油を全身に塗り、いろいろと美食をあさっていましたので、身体はブクブク太っていました。仏さまの教えに思いをめぐらしたり、瞑想をしたりはするのですが、身を愛する心がつきまとって離れませんので、いっこう悟りの境地に入ることができません。
 だれか悟りを得られるような説法をしてくださる人はないものかと思いわずらっていたところ、中インドのマトゥラー国にウバキクタという世にも希な聖者がおられると聞き、はるばる訪ねて行きました。
 聖者は一目見て、この修行者の自身への執らわれの深さを見抜きました。そして言いました。
 「そなたがわたしの命令を絶対に守るなら、説法してあげよう」
 修行者は即座に答えました。
 「どんなことでも必ずお言いつけを守ります」
 そこで聖者は修行者を連れて山に入り、大きな木の下に行くと、この木のてっぺんまで登れと命じました。修行者がそのとおりにすると、聖者は、
 「右足を放せ」
 と叫びます。修行者が右足を空に浮かせますと、今度は、
 「左足を放せ」と命じます。修行者は左足も放しました。ところが今度は、
 「右手を放せ」
 と叫ぶのです。修行者は右手を放し、左手だけで必死にブラ下がりました。思わず下を見ると、いつの間にか真下に底知れぬ深い穴ができているのです。しかも、聖者は、
 「左手を放せ」と叫ぶのです。修行者は声をふり絞って言いました。
 「放せば穴に落ちて死んでしまいます」
 ところが聖者は、情け容赦もなく言いました。「さっき、どんなことでも命令を守ると約束したではないか。なぜ約束を守らぬ」。
 もはや絶体絶命です。そのとき修行者は自分の身を愛する気持ちがフッと消えて、思わず左手を放しました。気がつくと、彼は聖者の両腕にフワリと抱えられているのでした。大樹も、大穴も、聖者が神通力をもって造り現したものだったのです。そして聖者の説法を聞いた彼は、即座に悟りを開いたといいます。

あとは仏さまにお任せ

 なかなか禅味のある説法だと思います。求道という宗教上の修行ばかりでなく、人生の旅におけるさまざまな行き詰まりの打開についても、じつに貴重な真理を教えています。
 たいていの人が一生に一度か二度は、絶体絶命のピンチに立たされることがあります。その危機にどう対処するか、右か左かという決断がその後の運命を大きく変えるものです。「よし。裸一貫になって一からやり直そう」といったいさぎよい対処の仕方をした人は、たいていそこから新しい道を切り開き、かえって大きな成功をおさめるものです。いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」です。
 そうした大危機はともかくとして、小さな困難や行き詰まりは人生途上に絶えず起こってきます。そうしたとき、小さな利害や見栄(みえ)にしがみつくことなく、右足も、左足も、右手も、左手も放して「あとは仏さまにお任せします」という気持ちになれば、不思議にもフワリと軟着陸できるものです。これはわたしの八十年の経験から確信をもって言えることです。
題字と絵 難波淳郎

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