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心が変われば世界が変わる
 ―一念三千の現代的展開―(22)
 立正佼成会会長 庭野日敬

人間の心に入り乱れるもの

 さてそれでは(三千)という数字がどうしてできるかを説明しましょう。数学をひと通り学んだ人は、もう知っておられるでしょうが、読者の中には初心の人もおられることと思いますので、煩を厭(いと)わず解説していくことにします。通達している人も、復習のつもりで読んでいってください。

「一心に十法界を具す」とは

 まず「一心に十法界を具し」とありますが、この十法界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏という十の世界を言います。前の六つは迷いの世界で、六道・六趣または六凡と言います。普通の人間は、この六つの世界をグルグル回りながら生きているわけで、それを(六道輪廻(りんね))と言います。後の四つは悟りの世界で、四聖と言います。人間のほんとうの幸福は六道輪廻から離れて、この四聖の世界へ入ってこそ得られるものとし、仏教とはつまるところ、六道から四聖へ上昇する道を教えるものと考えていいのです。

心の中にある四つの悪趣

 さて、その六道とはどんな世界か。
 (地獄)とは、心が怒りに占領されている状態を言います。怒り狂っている時は、すべての人が敵に見え、すべての人に迫害を受けているような錯覚を覚えます。そこで、前後の見境いもなく自らの怒りを周囲にぶっつけ、人を傷つけ、事態をますます悪化させます。たとえ怒りをこらえていても、ガンガン頭痛がし、手足はブルブル震え、精神的にも肉体的にもたいへんな苦痛を覚えます。いずれにしても、怒りは、自他を共に不幸へ陥れるものです。このような状態が(地獄)なのです。
 (餓鬼)とは、貪り欲する心がとめどもなく起こってくる状態です。貪る心が強ければ、仮に欲しいものが得られても、もっとたくさん欲しい、もっと上のものが欲しいと、止まることがないのです。お金や物質だけではありません。名誉に対する貪欲もあれば、権力に対する貪欲もあります。他人の愛情や奉仕をむやみに求める貪欲もあります。こういう人は、満足するということがありませんから、いつも心の中は欲求不満でイライラし、しかも一言一行が賎しくなり、恥も外聞もなくなります。この状態を(餓鬼)というのです。
 (畜生)というのは、ただ本能のおもむくままに、衝動的に、やりたいことをやる、人間としての知性のない愚かな状態です。人間以外の動物は、自分の生命を維持し、自分の種族を残すためには、他から奪ったり、他を殺したりしても平気です。人間にも、衝動的に悪事を犯したり、しかもなんら反省の色もなく平然としている人がいますが、その点ではトリやケモノと同様で、人間として全く情けない状態と言わなければなりません。これを(畜生)というのです。
 (修羅)というのは、利己的な闘争心です。何事も自分本位に考え、それを押し通すためにはどんな無理でもする、という気持です。人間同士がみんなそういう気持になれば、必ず対立が生じ、衝突が起こります。その最大のものが戦争です。戦争こそ、人間にとって最も不幸な、悲惨な、愚かしい状態ですが、これはもともとエゴとエゴとの角突き合いから起こることを、再認識したいものです。

人間界に在ることの有難さ

 (人間)というのは、以上の四つの悪心をある程度もってはいるけれども、自制心によって、それをほどほどに抑え、バランスのとれた生き方をしている状態です。だから(平正(びょうしょう))という別名があります。この(人間)という言葉は、法華経から出たもので、たんなる(人)という意味ではなく、もともとは(人の住む所)(世間)という意味でした。人は孤立して生きているのでなく、人と人との間に生きるものだ、という真実が、この語の中に深く込められているのです。
 (天上)というのは、歓喜の世界です。歓喜といっても、信仰によって得られるような魂の喜びではなく、物質や肉体に即した感情の喜びです。つまり、迷いの上に一時的に出現した仮の喜びですから、何かイヤなことが起こったり、何かのきっかけで悪心を起こしたりすれば、たちまち地獄道へでも修羅道へも落ちこむ可能性があるわけです。
 しかも凡夫の六道から四聖の世界へ上るには、天上界からではなく、人間界からであるとされているのです。その意味は、考えればすぐわかることです。
 物質や肉体に即した歓喜の状態にある時は自己反省もなく、向上心もなく、いわゆる有頂天の状態にあるからです。それに対して、苦悩や失意や挫折感のある人間界では、「これでいいのか」「ここから脱け出すにはどうすればいいか」といった反省・解脱・向上の心がわいてきますから、かえって真の幸福と真の歓喜をつかむチャンスがあるわけです。
 ですからわれわれは、いま人間界に在ることを心からありがたく思い、いまのこの人生を大切に、魂の修行に励まなければならないのであります。
(つづく)

 仏頭(ガンダーラ出土)
 絵 増谷直樹

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