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心が変われば世界が変わる
 ―一念三千の現代的展開―(20)
 立正佼成会会長 庭野日敬

成功への方向づけを心に

うまくいく有様を想像せよ

 前回に、自分の仕事や人生に自信をもてない人のために、二、三のアドバイスをいたしましたが、今回はもっと積極的な方法を伝授したいと思います。前回に、「八方塞がりの人は開き直れ」とアドバイスしましたが、では、開き直ったら具体的に心をどういう方向にもっていくのか……ということが問題になりましょう。
 前に述べたゴルフの例に即して言うならば、自分の打ったボールがフェアウエーのいい場所へ飛んで行くありさまを心に描くのです。あるいは、パットがスーッとカップの中へ吸い込まれて行くさまを心に描くのです。そうすると、不思議にうまくいくものです。仕事についても、人生万事についても、同じことが言えます。まず心の中に、うまくいったその場のありさまをアリアリと想像し、できればそこまでいくあらましの筋道を描いてみてから、事にとりかかり、あとは無心に体当たりしていけばいいのです。
 つまり、心を成功の方へ方向づけておくことが肝心なのです。心に成功へのレールを敷いておくのです。レールを敷けば、その上を走るのはごく自然のことで、外れるほうがおかしいのです。もちろん、人生のものごとにはいろいろ複雑な要素がありますので、自らの心の迷いや、外からの力によって、脱線することが往々にしてあります。しかし、とにかく大勢としては、成功の方へ進んでいくことに間違いはないのです。
 ですから、小さな脱線など気にすることはないのです。脱線したら、またレールの上に乗り直して、トコトコ走り続けたらいいではありませんか。前にも述べましたように、「七十日は生きられないが、七十年は生きられる」のです。

ほんとうの楽観的な生き方

 こういうのを(楽観的な生き方)と言います。ほんとうの楽観というのは、けっしてチャランポランではありません。無軌道ではありません。常に成功への軌道を心に描き、その軌道の上を明るくノビノビと進んでいく。ときどき脱線しても、絶望したり挫折したりはしない。また軌道を敷き直し、その上に乗って生きていく。これがほんとうの楽観的な生き方です。いつまでもナヨナヨしない、執着しない態度です。
 その(心に敷く軌道)は、できるだけ確かなものでなくてはなりません。頼りになるものでなくてはなりません。できれば、失敗するたびに敷き直すのでなく、確固とした地盤の上に敷かれた永久的なものでありたいものです。そうすれば、失敗しても、脱線しても、「自分にはこの軌道があるのだ。再びその上に乗っかればいいのだ」という安心感がありますから、こんな心丈夫なことはなく、こんな幸せなことはありません。そのような確固とした、永久的な、頼りになる(心の軌道)があるものでしょうか。あるのです。(宗教の信仰)がそれにほかなりません。

法華経の教えこそ大軌道

 私共が信奉している法華経は、じつは、そのような(ほんとうの楽観的な生き方)を万人にさせるための確固たる大軌道なのです。羅針盤なのです。それを支える地盤は「すべての人には平気な仏性がある」という真実です。その地盤の上に「歴劫修行によってすべての人が仏の境地に達せられる」という軌道が敷かれています。これほど心丈夫な、希望に満ちた軌道がありましょうか。
 信解品第四をごらんなさい。家出して迷いの世界を放浪していた典型的な脱線者である窮子も、いつしか仏の敷かれた軌道に乗って仏の家に近づき、そこでの長い長い修行の結果、ついに仏の後継ぎとなったではありませんか。
 化城諭品第七をごらんなさい。非常に困難な人生の道をたどる旅人たちが、一時は絶望に陥って引き返そうとしたのに、賢明なリーダーの導きによって、とにもかくにも軌道の上を進んで行ったために、ついには宝のありかにたどりついたではありませんか。
 「心を成功の方へ方向づけをしておくことが肝心である」と、さきに述べました。その方向づけがしっかりした不動のものであれば、それを(信)というのです。道というのです。そして、その(信)が固ければ固いほど、成功は保障されるのです。信仰というのは、このように、けっして日常生活から離れたものではありません。人生に密着したものなのです。人生を幸せな、明るい方向へ導くレールにほかならないのです。
(つづく)
 天人の頭部(アフガニスタン)
 絵 増谷直樹

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