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ところが戦争後(ご)、まだ傷は決して西ドイツも治っておりません。相当、戦争の罪の深さは深い。東ドイツはやっぱり、これはあのソ連のほうで、まあ、わたしどもにこの見学させる場所1時間ぐらい、バスで見学させるその場所、表通りだけはたいへんによく繕って、きれいにしてあります。ところが、ちょっとこう裏のほうを見ますというと、これはまた人間はだいたい数が少なくてどんどん西ドイツに逃げてこられるってことですから、復興するはずがないんですよね。ですから裏のほう見るというと、これはひどい。これはどっちもですね、けんか両成敗(「りょうさいばい」と発音)という言葉をよく聞いてるんでありますが、まったくもうけんかをしてはならない、戦争しちゃならないっていうことをですね、あのドイツの東西(ひがし、にし)両方あそこの本当のまあ一つの線を引いて、鉄条網の大きな輪をこしらったりいろいろしてその、たいへんのまあその、現在でも、ま、戦争状態といってもいいと思うんであります。ベルリンの町のこの広い町にわざわざですね、バスの通るだけにただ5寸ぐらいの余裕だけでもって行くように広いバスが5台ぐらい並んで行ける道にですね、コンクリでもって、ずーっとこの、何枚もコンクリの5寸ぐらいの厚みの板をこう、コンクリートをこう重ねていく。そして、通れないようにこう道をしてですね、広い道をせまーくして、その一口(ひとくち)からして入って、入るというと、全部、この、ビザを取って、検査をして、え、それだけならまだいいんですが、全部バスで、ま、観光のわれわれはみんな入るわけですが、バスに乗ったそのバスの下のですねトランクまで開けてみんな検査してですね、だれかここへへえってやしないかっていうわけで、ただ、それほど警戒をして、それでしかもその、案内をするガイドがみんな変わっちまうん。
運転手からガイドはもうとにかく東ドイツから西ドイツに変わる時には、バトンタッチをしてそして、向こうの見学は、向こうのコースで東ドイツのほうで案内してくれると。ま、こういう状態でありますから、まあこの、戦争は致しましたけれども日本(にほん)は、幸いにして、国は二つにならなかった、38度線っていうようのものなかったと。この東、西のあのベルリンのようの状態がなかったと、ま、こういうこともわたしどもに大きな恵みを与えてくだすった。
 そりゃまあ日本(にほん)はそういう意味からいいますというと、戦争のつめ、もうほとんど治ってですね、どっからどこまで、まあ、いろいろの問題は非常に解決してる。どこを見ても戦争以前よりも非常に、ま、何回もわたしはもう全国布教で回っておりますけれども日本(にほん)の国は、非常にそういう点では恵まれている。

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