ですから、その動き方も過去に因縁が、何か原因となるものがあったからこそ、今、またここで次の縁に触れるわけなんですね。因縁の因という字は、四角の中に大という字が書いてありますが、これは先天的な因、大昔から自分が何をしてきたかということを意味する因であります。そして、因縁の縁、この〝縁〟というのは今世の出会いということでありますが、その両方を合わせたものを因縁と、こう言っているわけであります。過去世からの因と今世の出会い、その二つがどういうふうにかみ合っていくかということ、これが因縁ということなんです。
ですから、私共にとっては、今の出会い、今世の出会いというのが一番大事なんです。過去世はもう過ぎ去ってしまったことなんだから、これはしようがない。過去世のことをくよくよ言ったってしようがない。過去の因縁がよかろうが悪かろうが、そんなことはかまわない。
私などは生まれた時の運命は大ばさみで50画ですよ。ですから、50歳ぐらいになるとですね、現在の私のように幸せにはなれない。まあ、50歳になったら、杖をついて、首へ袋をかけて、皆さん方のところを「おめぐみを願いたい」と言って歩くような、そういう因緑なんだ。
それが、途中で法華経に巡り合って転迷開悟して、自分の今世の出会いというものを大事にしてきた。どんな人と出会っても、みんなよい出会いになるよう努力してよい因縁にしてきた。ですから、どんな悪因縁の人でも、過去世はともかくとして今世の出会いというのを上手にしていけば、出会った人との関係をすばらしくなるようにしていけば、必ず悪因縁の解決がついていくわけです。
皆さん方に「お導きをしなさい」と言うのも、そういう意味合いがあってのことなんです。一番大切なことは出会いをよくしなさいということなんです。出会った人が、自分の知っている人であっても、たとえ知らない人であっても、今こうして出会うということ、これは過去世からの因があったればこそなんだと、この考え方が仏教の摂理であります。
過去世からの因があるからこそ出会うことになるんだというのですから、まあ、お導きということもですね、この線に沿ってよくよく考えなくてはいけない。
親子は一世、夫婦は二世、そして主従は三世というんだ。「つまらない女房をもらっちゃって損しちゃった、60年の不作だ」なんてブスブス言ってるオヤジがよくいますが、そんな愚かなことであってはいけない。60年の不作だと言ってみたってこれは、夫婦というのは今世だけじゃあなくして前世からの約束があって、二世の因縁があってもらったんだから、二世の契りなんだから、これはもうしようがない。