自分自身の努力次第で、どのようにでも幸せになれることを仏教では教えている
今井支部長さんのご説法を伺っておりまして、一つ気づいたことがありましたので、少し申し上げたいと思います。皆さん方はたいへんよく勉強しておられるけれども、方便というものは使い方で、ちょっとうっかりしていると狂いがでてしまう。方便というのは即真実につながるものなんですけれども、先程の今井さんの話の中に方便の使い方で間違いがありましたので、私の方から訂正をしておこうと、こう思います。それは何かというと、浅岡という家に生まれて、19画だから因縁が悪いなんて言っておりましたが、私はそんなことは教えた覚えはない。これは間違いであります。でないと、浅岡という人はみんな先祖代々因縁が悪いということになってしまう。そうなると私は庭野家で21画だから、庭野という家に生まれた人はどんなおかしな者でも、どんなに行いが悪い者でも幸せになってしまうということになる。これでは仏法が嘘になってしまう。苗字というのは先祖代々ずうっと伝わってきたものであり、浅岡であろうが庭野であろうが高橋であろうが、そんなことは因縁が悪いこととは関係ない。先祖さまに因縁がいいとか悪いとか言ってはいかんのです。要は、浅岡という先祖とのつながりが陰陽に入るか入らないかということが大事なんです。生まれてから付けられたところの名前が、苗字とどういう組み合せになるか、付けられた名前が何画であるか、そして、名前と苗字の組み合せが全体としてどういう組み合せになるか、どういう意義になるかというのが問題なのであり、先祖さまから頂いた苗字を見て因縁が悪いだなんて、そんなことはない。田中という苗字は9画だから因縁が悪いなんて、そんなことはない。田中という苗字の人だっていくらでもいい人はいる。ですから、苗字がどうだこうだということは問題にならない。ご先祖さまの苗字の画数を見て因縁が悪いなんて、そんなケチなことを私は教えた覚えはない。
ですから、今井さんは今日から浅岡という19画の悪い因縁は切れたと考えて頂いて、浅岡家のご先祖さまに対してお詑びと感謝を申し上げてほしいと、こう思うのであります。
苗字の方はそのままにして、名前の方をちゃんと付ける。やはり陰陽が大切ですから、陰陽に入るようにちゃんと名前を付ける。そして意義もよくて、総画もよくなるような名前を付ければもう間違いはない。