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『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
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庭野日鑛2代会長 ブラジル教会発足10周年記念式典
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庭野日鑛2代会長 ブラジル訪問
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庭野日鑛2代会長 ブラジル訪問 市内散策
【写真】
ブラジル教会発足10周年記念式典
【写真】
佼成新聞 1981年7月17日 ブラジル教会で発足10周年
【機関紙誌】
庭野日鑛2代会長 部分的核実験禁止条約改正会議でスピーチ
【写真】
庭野日鑛2代会長 ホーマー・A・ジャック氏らと懇談
【写真】
佼成新聞 1991年1月11日 日鑛先生 国連へ
【機関紙誌】
法華三部経の要点78
【機関紙誌】
法華経を説きひろめることが最高の人生
法華三部経の要点78
法華経を説きひろめることが最高の人生
1
...法華三部経の要点 ◇◇78 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経を説きひろめることが最高の人生 大慈・大悲の心を持とう 第四の「誓願安楽行」についてはこう説かれています。 まず「仏法が忘れ去られようとする末の世において法華経を受持する菩薩は、在家・出家の人びとに対して、その人びとの幸せを願う大きな心(大慈)を持たなければならない」とあります。これはもう解説の要はないでしょう。 次に「みずからの人格完成ばかりのために仏法を学び、世の人のために仏法をひろめる努力をしない人(菩薩に非=あらざ=る人)に対しては、どうしてでもその人を救いたいという大きなあわれみの心(大悲の心)を起こして、つぎのように決意しなければなりません」とあります。 それはどういう決意かといいますと、「このような人たちは、仏の方便・隨宜の説法(それぞれの人と場合に即したケース・バイ・ケースの説法)の真意が法華経に集められ、結晶されて説かれていることを知らないのだ。それを聞こうともしないし、したがって覚えることもない。尋ねようともしないし、したがって信ずることもない。しかし、たとえ今はこの法華経の教えを聞かず、信ぜず、理解しなくても、もし自分が最高の悟りを得たならば、どんな土地にいようとも、神通と智慧の力をもってそのような人たちを導き、この教えにはいらせずにはおかない」という決意であるべきだ……というわけです。 「入信即布教者」これぞ菩薩 この誓願の中でひとつ気になるのは、「もし自分が最高の悟りを得たならば」という前提です。当時はそれぐらい法華経を理解し布教するというのは難しかったのでしょう。見宝塔品に「須弥山(しゅみせん)を手に取って他の世界へ投げるよりもこの法華経を説くことは難しい」というような「六難九易」の法門が説かれているぐらいですから。 しかし、現在は事情がたいへん違ってきています。とくに大乗相応の国といわれている日本では、聖徳太子このかた人びとの魂の底に法華経精神が深く沈んでいますし、また一般に教養のレベルが高くなっていますから、それほど難事ではなくなっています。また、法華経のくわしい解説書も市販されていますし、その他の文書布教の媒体もそろっています。ですから、昨日法華経に触れた人でも、ほんとうにその教えに感動を覚えた人ならば、今日からでもそれを人に伝えることも可能になってきました。ですから、当時と違って「入信即布教者」――これが現代の菩薩の条件であることを、ここであらためて知ってもらいたいと思います。 最後に、以上の四つの安楽行を成就する人は、神々が必ず守護されるであろうと説かれています。とくに「人あり来って難問せんと欲せば、諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し、能く聴者をして皆歓喜することを得せしめん」という一節、これはわたし自身がつねに体験してきた事実です。菩薩である会員の皆さんも、しばしばそういう実感を得られていることと思います。ほんとうにありがたいことです。 とにかく、至上の真理の教えである法華経を説きひろめることこそが人生の最も価値ある行いであることを、ここで再認識いたしましょう。 ...
法華三部経の要点79
【機関紙誌】
佼成会会員は現代の地涌の菩薩
法華三部経の要点79
佼成会会員は現代の地涌の菩薩
1
...法華三部経の要点 ◇◇79 立正佼成会会長 庭野日敬 佼成会会員は現代の地涌の菩薩 人間の教化は人間の手で 従地涌出品に入ります。 世尊が安楽行品の説法を終わられますと、この娑婆世界以外の国土から来ていた菩薩たちが、「わたくしどもは世尊の滅後もこの地にとどまりまして、この教えを説きひろめたいと存じますがいかがでしょうか」と申し上げます。 それをお聞きになった世尊は、「お志はありがたいが、その必要はありません。この娑婆世界にはずっと昔から無数の菩薩たちがおり、法華経を説きひろめる役目はその人たちがやってくれますから」とお答えになります。その瞬間、大地に無数の割れ目ができ、そこから、ほとんど仏に近いような吉相を具えた菩薩たちが無数に湧(わ)き出してきたのです。その菩薩たちは、一人で一千万人の弟子を引き連れている者もあれば、百万人から一万人までの弟子を従えている者もあり、千人ないし百人、あるいは五人・四人・一人の弟子を連れている者もありました。 その中の指導者格である上行(じょうぎょう)・無辺行(むへんぎょう)・浄行(じょうぎょう)・安立行(あんりゅうぎょう)という四大菩薩が世尊の前に進み出てごあいさつを申し上げますと、世尊はずっと前からの知り合いのように親しそうにそれにおこたえになりました。 その様子を見ていた弥勒菩薩をはじめとする娑婆世界の菩薩たちは不思議でたまりません。弥勒菩薩が「いったいこのりっぱな菩薩方はどういう因縁の方々でしょうか」とお尋ねしますと、世尊は「わたしが悟りを開いてから教化した者たちで、これまで娑婆世界の下の虚空に住していたのである。しかも、さらに真実のところを言えば、はるかな昔からわたしが教化してきた者たちなのである」と答えられます。いよいよわからなくなりました。 これもお釈迦さまの一つの方便で、次の寿量品で仏の本体を明らかにされるその前提としてこういう不思議なことをおおせられたわけなのです。仏さまそのものについては寿量品までの宿題として、大地から湧き出してきた菩薩とはどんな人たちであるかをあらまし説明しておきましょう。 大地を潜り抜けてこそ菩薩 世尊は「この菩薩たちは娑婆世界の下の虚空に住して悟りの境地を楽しんでいた者たちである」とおおせられています。ということは、法華経の根底である「空」の悟りに安住し、その悟りを人間世界救済のために発動せずにいた人たちのことなのです。たとえば、「人間の本質は平等な仏性である」ということを心底から悟ってはいるのだけれども、内にその悟りを楽しみ、どの人を見てもそんな気持ちで眺めているだけの、円満ではあるが行動力に欠けた人です。 ところが、どんな聖者でも、賢者でも、そうした内心の悟りに安住しているうちは、世の中を救う力とはなりえません。どうしてもいっぺん大地をくぐり抜ける必要があるのです。すなわち、現実社会の生活を体験し、煩悩の汚れと濁りの中であえいでいる大衆の中に飛び込み、その苦しみ悩みにジカに触れてみる必要があるのです。これが地涌の菩薩にほかなりません。立正佼成会会員の皆さまも、まさにこの地涌の菩薩なのであります。 つまり、この世ではじめて仏法に触れたようですが、じつは過去世において仏さまの教えを聞いており、その仏縁によってまたこの世でも法華経に遇いたてまつったのです。「はるかな昔からわたしが教化した者たちである」というお言葉は、このように受け取っていいと思います。 ...
法華三部経の要点80
【機関紙誌】
釈尊は今も生きておられる
法華三部経の要点80
釈尊は今も生きておられる
1
...法華三部経の要点 ◇◇80 立正佼成会会長 庭野日敬 釈尊は今も生きておられる 求めればどこにでも示現 方便品第二と共に法華経の二本の柱の一つとされている如来寿量品第十六に入ります。なぜそんなに大切な章であるかといいますと、ここで仏さまの本体を初めてハッキリと示されるからです。当時のインドの大衆は、仏さまといえば現在法を説いてくださっている釈迦牟尼世尊とばかり思っていました。ところが、じつはそうではなく、世尊が入滅されるということは、根本の真理(真如)そのものである法身の仏(本稿66回参照)と一体になられることであり、必要とあらばいつでもどこにでも示現してわれわれを教化してくださるのだということを、ここでハッキリとお説きになったのです。 このことは、現実のわれわれにとってじつにありがたいことです。釈迦牟尼世尊は今も生きておられて、われわれが熱烈にその教化を求めれば必ず救いの手を差し伸べてくださるというのですから。そのことは「衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に一心に 仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず 時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず」という偈文によって明らかです。 この霊鷲山というのはインドの特定の山ではなく世界のあらゆる場所であることは、これも偈文の「餘国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば我亦彼の中に於て 為に無上の法を説く」によって明らかです。 このことが寿量品の要点の第一であり、このことを心の底から信じられれば、ほんとうにこの上ない救いを得られるのであります。 仏様の分身に会う有り難さ この霊鷲山がインドのある特定の山だけをさすのでないのと同様に、世界中の至る所に示現されるお方もまた特定の応身仏としての釈迦牟尼世尊だけなのではなく、法身仏となられた釈迦牟尼世尊の分身であるさまざまな仏さまであることにも留意しなければなりません。見宝塔品に「釈迦牟尼仏の所分の身の百千万億那由他恒河沙等の国土の中の諸仏、各各に説法したまえる」とあるように、お釈迦さまの分身は十方世界のあらゆる所で法を説いておられるのです。それが寿量品の要点の第二です。 わたし自身の信仰体験からしても、法華経に導いてくださった新井助信先生も釈迦牟尼世尊の分身だったに相違ありません。また、わたしの宗教協力の精神をいよいよ確固たるものにしてくださった教皇パウロ六世もやはりそうでありましょう。 そのほか、清水寺の大西良慶師、比叡山の山田恵諦師、中国佛教協会会長の趙樸初師、アメリカのユニテリアン・ユニバーサリスト協会会長グリーリー博士、イギリスのカンタベリー大主教だったラムゼー師等々、わたしにとっての釈迦牟尼世尊の分身は数えきれないほどです。佼成会の信者さんの体験説法を聞いていて「ああ、この人もやはり仏さまの分身だなあ」と感ずることがしばしばあります。 現世で触れ合った方々だけでもこのとおりです。ましてや、前世に、前々世に、長い長い過去世に会いたてまつることのできた分身仏は、経文にあるように無量百千万億でありましょう。こう考えてきますと、自分の身の幸せをつくづくとかみしめざるをえません。皆さんも、どうかこのことに深く思いを致して頂きたいものです。 ...
法華三部経の要点81
【機関紙誌】
衆生ほんらい仏なり
法華三部経の要点81
衆生ほんらい仏なり
1
...法華三部経の要点 ◇◇81 立正佼成会会長 庭野日敬 衆生ほんらい仏なり 仏の世界は常住不滅 寿量品のもう一つのありがたさは、仏さまの世界の常住不滅とその美しさ安楽さを説き示してくださっていることです。すなわち、偈の中にこう仰せられています。 「衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり 園林諸の堂閣 種種の宝をもって荘厳し 宝樹花果多くして 衆生の遊楽する所なり」 「劫尽きて」というのはこういうことです。古代のインドでは、一つの世界が成立し、継続し、破壊し、次の世界が成立する経過を四つに分けて考えていました。 成劫(じょうこう)――地球のような天体が成立し、そこに植物や動物などの生命あるものが生まれる時期。 住劫(じゅうこう)――その世界が大体そのままの形を保って続いていく時代で、現在はその時代に当たります。 壊劫(えこう)――破壊期です。まず生命あるものが死滅してゆき、つぎに大地がこわれ、一切が無に帰する時期。いま地球はこの心配をかかえています。 空劫(くうこう)――形あるものが一切なくなった時代。 この空劫が終われば、また成劫が始まり、住劫・壊劫・空劫と続き、こうして宇宙は永遠に新生と死滅を繰り返していく……というのです。そこで、前述の偈を現代文に訳せば「衆生の目から見れば、この地球が現在のような状態で存在する時代が終わって世界全体が大火に焼かれてしまうと見える時代が来ても、仏の国土は安穏で天上界の者や人間界の者がいつもたくさん集まって住み、楽しい生活を送っているのである。美しい花園もあれば、静かな林もあり、美しい建物がたくさんあり、それらは光り輝く宝玉によって飾られている。美しい木々には花が咲き乱れ、実が豊かにみのっており、その下で衆生が何の憂いもなく遊び楽しんでいる」。 不安と恐怖に充ち満ちたいまの世の中においても、この偈をよくよく味わえば、なんともいえない安らかな思いがわき上がってくることでしょう。その大安心が胸中に常住するようになれば、寿量品の説く至高の境地にはまだ達し得ないにしても、信仰者ならではの法悦の中に生きていくことができるでしょう。 われわれの本質は仏と共通 それでは、寿量品の説く至高の境地とはいったいどんなことでしょうか。それは、この現実の世界に現れた「応身の仏」釈迦牟尼世尊は、宇宙の大生命ともいうべき久遠実成の釈迦牟尼世尊(本仏)の示現にほかならず、その本仏こそ、不生不滅の永遠の存在であるというギリギリの真実を完全に悟ることです。 ところで、振り返ってわれわれ衆生の身の上を考えてみますと、われわれも仏になりうる仏性を持っているわけですから、われわれの本質であるその仏性も、やはり仏さまと同じく不生不滅であるということになります。それが法華経全体を貫く真実であることを、ここで改めてかみしめたいものです。 ...
法華三部経の要点82
【機関紙誌】
寿量品の究極は自由自在の人となること
法華三部経の要点82
寿量品の究極は自由自在の人となること
1
...法華三部経の要点 ◇◇82 立正佼成会会長 庭野日敬 寿量品の究極は自由自在の人となること われわれの仏性も不生不滅 前回に、われわれ衆生が仏さまと共通の不生不滅の仏性を持っているという真実について述べました。といえば、いかにも畏れおおい気がしますが、それはわれわれが「仏」という名にこだわり、仏といえばすぐ応身の仏のお釈迦さまを思い出すからでしょう。 ところが、この寿量品で明らかにされたように、仏というもののギリギリのところは、久遠実成の本仏にほかならないということなのです。 本稿49回にくわしく書きましたように、この宇宙は、百五十億年前のビッグバンによって生成したというのが定説となっていますが、その時に飛び散った放射線からさまざまな元素が生じ、それがさまざまに結び合って諸物質となり、もろもろの生命体となったわけです。 では、そのビッグバンを起こしたのは何かというと、それはもはや科学的に証明できるものではなく、学者たちもお手上げの状態です。ある学者によれば、それは宇宙意志ともいうべきものだというのです。宇宙意志といえば一種の「心」です。「根源のいのち」といってもいいでしょう。そういう存在を、ある民族は「神」と呼び、ある民族は「天」と呼びました。われわれ仏教徒はそれを「久遠実成の本仏」と呼んでいるわけです。 これも第49回の処で書いたことですが、一九八七年二月十四日に大マゼラン星雲中に発見された超新星の光の分析をしたところ、その元素の配列が人間の体を構成している元素の構成比と全く同じであることがわかったそうです。このことからも、人間が宇宙の星々と共通のいのちを持っており、宇宙の大生命ともいうべき久遠本仏の分身であることがわかるでしょう。 ですから、前回で解説したように「衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時」も、本仏さまの国土は安穏なのです。つまり、不生不滅であり永遠のものなのです。 したがって、その分身であるわれわれの本質の仏性も不生不滅で永遠のものなのです。現象としてあらわれている肉体は滅んでも、根源のいのちである仏性は滅びるということがないのであります。 久遠本仏の水中にいるわれら このことを心底から悟ることができれば、心はつねに自由自在であり、肉体や環境がどんなに変化しようと、泰然としておられるのです。徳川時代の名僧・白隠禅師は法華経によって悟りを開かれた方ですが、その著『坐禅和讃』の中でこううたっておられます。 衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水をはなれて氷なく 衆生の外に仏なし まことにこのとおり、われわれは久遠本仏という水の中に浮かんでいる氷のようなものなのです。氷だから水とは別物だと思っているのですが、じつは同じ水なのです。その真実を、ここで静かにかみしめたいものです。 ...
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