そういう意味では、親子の間柄の方が夫婦の間柄よりも浅いんですね。親子は一世ですから。親との関係というものは体をもらったという関係だけで、今世と過去世という二代にわたってるんじゃあなくて今世だけなんですから。
ところが、お導きの親子関係、主従の関係というものは三世だから、前世の、そのまた前の世からしての因縁があったと、こういうわけです。そういう前の前の世からの因縁があってこそお導きを頂けるということになるんですね。ですから不思議に導きの子供というのは、よく見てみますとまったく自分の性格とよく似たところがあったり、自分と同じ因縁の持ち合せがあったりするんですね。ですから、親子や夫婦でも話し合えないようなことでも、信仰上の親子だと懺悔が楽にできる。心の中から本当のことが吐ける。こういうことになるわけであります。やはり、本当のことを吐くから、正直に自分の過去を全部告白するから、どういう方法をとったら真の因縁の解決になるかが分かって幸せになるわけなんですね。やはり仏教は「佛種は縁に従って起ると知めす」なんです。
そして、因縁というものはどういうふうになってるかと言うと、それは善因は善果、悪因は悪果ということなんだ。だから、今世の出会いというものをよい方に行くようにしていけばよくなっていくし、悪い方に行ってしまったら悪くなっていく。
どんな人と出会ってみても、出会いの中からすばらしい方向に転換させる道というものは必ず発見できるものなんです。お経をしっかりと読ませて頂いてみると、仏教をずうっと勉強してみるというと、不思議なくらいに、どなたとでも仲良くいける。
今日は中国から、仏教の方もキリスト教の方もおい出になっておられますが、仏教の方は、特に日本の仏教は中国から伝わってきたものですし同じ思想ですから、「これはこういうことだ」とお互いにすぐ分かります。では、キリスト教の方とは教えも異なるので分り合えないかというと、たしかにキリスト教と仏教では違う気がするのですが、よくよくお経を読んでみますと、法華経の21番の如来神力品には「通一仏土」と説かれている。この地球という一つの乗り物、一仏乗という乗り物にですね、私共は前の前、そのまた前の世から、ずうっと因縁があって、この一仏乗の乗り物である地球上に生まれてきたんだと。しかも今の時代にこうして生まれ合わせているということ、これを考えてみると、もう前世からなるべくしてなっているのであります。今世はちょっと因縁がですね、先にキリスト教の方にお導きを受けたために、たまたまキリスト教の方に入っているんだと。あるいはまた、仏教の方に入っているんだと。
これはもう、ちょっとの差であって、そういう差はね、根本的な差ではないわけなんだ。根底にはみな仏性を持って、この地球という仏さまの乗り物に一緒に乗り合わせていることに違いはないんですね。