和合僧を敬うことが先祖の成仏に
しかし、これは我々のような強情なものが地獄に落ちないで極楽に行くようにという仏さまの大慈大悲なんです。ですから、我々は今世においてできる限りの努力をしていかなくてはならない。
今日の私共に菩提心を起こさせるために、目連尊者のお母さんを地獄の一劫に浮かび上がらせて、この方は娑婆にいた時に、地獄で苦しまなければならないような因縁を積んだ。しかし、三千人のお坊さんに成仏を念じて頂いたら、その法力によって極楽に行けた。こういう事実を見せて、仏さまを供養することはいかに尊いことであるか。僧宝、信仰の仲間ですね。和合僧の仲間や自分を導いて下さった因縁ある方々。そういう方々を心から敬うということは、いかに尊いことであるか。こういうことを教えて下さっているわけであります。そして、そのことはご先祖さまにご成仏して頂けることに直接つながっている。こういうわけであります。
佼成会ではお互いに合掌し合って、一生懸命で菩薩行をさせて頂いておりますが、これは仏さまと同じ気持ちになりましょうということなんです。みんな仏さまになられる方なんだと、その人の仏性を拝んで。
よく、人間を拝んで何になるんだなんて、理屈を言う人がある。ところが、佼成会ではどなたでもお互いに拝み合う。それは、なぜかというと、どんな人でも、仏道を行じていけば最後には必ず成仏する人だからなんです。その拝み合いが、その人はもちろん回りの人もだんだんと浄化して、最後にはみんなが仏になっていく。こういうための修行なんです。そのことをお釈迦さまは盂蘭盆会という行事を通して教えて下さっているわけであります。ですから、今日ご参拝に来られた方々は、こうしたことをしっかりと再確認して頂きたい。こう思うのであります。
今日はまた、信者の方々だけではなくして、長野教会と越後川口教会から、未会員の先生方がたくさんご参拝にいらっしゃっていると伺っております。まあ、私共の修行などというものは、昔の僧侶さん方のきつい修行に比べたら、それこそ畳の上で妻子を持ってやっているんですから、たいして難しい修行ではない。真心で家中が拝み合って、さらに隣近所の方々も拝んでいく。私共のそうした行動が、周りの方々にも影響を及ぼしまして、今日は会員でない方までが、しかも長野や越後川口といった遠路からもご参拝に来られた。
越後川口と言いますと、私の在所のすぐ側でございます。ですから、十日町の菅沼の、あの山の中で猿と一緒に育ったようなやつの会なんかに参拝に行けるかなんて、普通なら言ってもちっともおかしくないんです。ところが、そういうところからもはるばるお参りに来て下さった。今日は、そういうありがたいご功徳も頂いているわけであります。これは、実にたいへんなことなのであります。