立派な人だから私はたくさんの信者がついていると思うと、わりあい信者がついていないわけです。ですから百万世帯なんていうのは全然ないわけです。
今度、大会の前夜祭で、佼成会の法座の基本姿勢はどういう教義を説くのか一つ話をしてもらいたいという問題が出たわけです。ところが発表する人がたくさんいるわけです。世界中から雄弁な人が集まって、頭のいい大学の総長や哲学者や、ドイツの哲学者なんか、とにかくすばらしい人たちが集まっているわけですから、私みたいに博士号のない人間なんていうのは一人もいないといってもいいくらいなんです。そういうところへ行って佼成会の法座の理念を説けというわけなんですよ。私はこの時ばかしに、よし、説きましょうと、いうので十五分で説けというわけで六波羅蜜を十五分でまとめて説いたわけです。そうしたらたいへんみなさんが感心をしましてね。帰ろうと思って玄関口に出てみますと、新聞記者だとか、どこそこの会長さんだとか、西ドイツの会長さんだとか、市の会長さんだとか、いうような人がぞくぞく寄ってきまして、なかなか帰してくれない。玄関口でつかまっちゃった、というほど求められました。
宗教の専門家で、哲学者である人が救いというものがどういう形でそこに出てくるか、大衆がほんとうに耳を傾けて寄ってくるということには、どんな法を説いたら寄ってくるだろうと、こういうことに真剣なんですね。二百軒か、三百軒の信者を持っている牧師さんが、若い者はついてこない。だんだん数は減っていくけど、新らしく開拓という場所はないという状態であり、佼成会へいってみると若い人がどんどん集まっている。世帯盛りの奥さん方がたくさんきている。どうしてあのように人が集まるのか、その秘訣をくみ取りたいということで、六波羅蜜の話しをいたしまして、まず欲を捨てること。これはいまの世の中で人間の悩みの種というのは欲というものが中心に出来ている。いま現在共産国は三分の一、神さまを認めないで、物の世界のほうの唯物論者がいるわけです。そういう状態の根源はというと人間みんな、共産党も、自由主義者も、自由主義者なんか共産党よりよけい欲が深いかもしれない。根底に欲というものがある。その欲をまず捨てなければ神の世界や仏の世界にいけないというのが、まず第一番の救いの道の一つの大事な法則なんです。
第二番目が驕慢の気持ちで、なんでも、おれがおれがでやっている。そういうことでなく神さまや、仏さまを認めて、ちゃんと一つの神の摂理とか、仏の法門とかいうものに基盤を置いて生活しようという、この謙虚な気持になることで、これが持戒です。
忍辱というのは、この世の中に遊びに出て来たのでなく、苦の世の中だ。だからこの世の中は骨の折れるところなんだ、そこで自分があらゆる困難を踏み越えて世界人類のために奉仕をさせてもらうという腹がまえをきめて、忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐えるというのが忍辱です。