「無」こそ信仰の真髄
六波羅蜜の最後に「智慧」というのがあります。「智慧」という字の「智」の場合には「差別」のほうです、知識があるから白いものは白い。黒いものは黒い。冷たい。あたたかいとかいうことは智があるからいろいろのことがわかるわけでございます。「慧」のほうはどうかというと「平等」ということなのです。一方は差別。一方は平等。この二つが完全に調和をしたところが智慧なのです。
唯物主義なんていうのは、物だけを見ているのですから一方的になり金をためればよくなるだろうと思う。金などためたら苦労の種になるんです。
日本は、かつてドルがなかった時代。十年前十八億ドル、基本通貨がドルの時代ですから、いまはドルが値打ちがなくなったけれども。そういう時代に十八億ドルぐらいあればなんとか日本の経済が……二十億ドルなくちゃほんとうじゃないのを十八億ドルだというようなことをいったことを私は記憶をいたしております。それがどうです。いま百八十六億ドルできている。十倍以上になっているわけです。このままいくと二百億ドルになるといわれています。アメリカから因縁つけられるのは金持ちになったからです。貧乏人はけんかをするけれども、金持ちはけんかをしないという、昔からの原則があります。いまわれわれが平和問題を考えてもまことに自然であります。とにかく百八十六億ドルもあるんだから、「ソ連で北方のいろいろな問題があったら油田のほうに融資を二十億ドルぐらい欲しがっているから貸してやってもいいよ。中共とおつき合いしても、一時建設のため、十億ドルの立替は、つらくもなにもない」――外交的な辞令をいっておけば、向こうはありがたがって喜んで受けると思う。
一方アメリカの力のあるほうは、日本に対して、毎年毎年四十億も、五十億も黒字になるというのに知らぬ顔で、自分のほうのつらいときに「なんとかしてくれ」というようなことで、「制限、制限」といって自分のほうの商社をうまくやろうという政策をやっておりながら、今度は黒字になったのだから、少しはアメリカの気持にもなってくれというんだけれど、そういうことはかまわずに商社がもうけて、どんどん残してくれれば、それだけ国の力がつくんだというような顔をしているから、これでは政府が無責任だというので、いろいろ外交で責められているということなのです。
私どもは問題を差別ばかり見てはいかぬのです。なぜみんなが悩んでいるかというと、みんな金持ちになって物には困らないけれども、安心できない世の中である、前途に対して生きがいというものがない。年寄りの問題。子供の教育はどうだとか、なかなか国の中のいろいろな状態を見るというと、まことに安定できないようであります。こうゆうことは、かつて妙佼先生がご在世中「まず捨てなさい」の一言で、人間まことにきれいさっぱりとしたいい心になれるのであります。あるうちは物にとらわれて、きれいな気持ちにはなれないのです。