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法華三部経の要点60

阿難は後世の仏教徒の恩人

1 ...法華三部経の要点 ◇◇60 立正佼成会会長 庭野日敬 阿難は後世の仏教徒の恩人 常随の侍者・説法の記憶者  授学無学人記品に進みます。この品で阿難・羅睺羅をはじめ学・無学のお弟子二千人が授記されますが、「学」というのはまだ学ぶことが残っている人、「無学」というのはもはや学ぶべきことの無くなった一人前の声聞のことです。  ところで阿難には、われわれ後世の仏教徒が深く感謝しなければならぬ三つの功績があります。  その第一は、お釈迦さまの晩年の二十数年のあいだ常随の侍者としてお仕えしたことです。それまで二、三の者が侍者となったのですが、あまり思わしくなく、長老たちが最後に阿難に白羽の矢を立てたのでした。  阿難は純真で優しい性格の人でしたので、心からまめまめしくお仕えしました。お釈迦さまが背痛という持病に悩まされながらも八十歳という高齢まで布教の旅をお続けになったことには、阿難の一分の隙もない忠実なお世話がずいぶん寄与していることは否定できますまい。  第二には、いつもおそばにいただけに世尊の説法をほとんど残らず聞いており、しかも素晴らしい記憶力でそれを正確に覚えていたことです。ですから、仏滅後にその教えを確かめる大会議が開かれた時、「経」については阿難が誦出者となり「わたしはこのように聞きました」(如是我聞=にょぜがもん)と前置きしてお説法のとおりを述べ、一同が「そのとおりだった」と合点したらそれが正式に認められ、後世にまで伝えられたのです。阿難の功績の最大のものと言えましょう。 女性修行者の道を開いた  お釈迦さまの養母として赤ちゃんの時からお育てした摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)は、かねてから世尊のもとで出家したいという望みを持っていましたが、何度お願いしても許されませんでした。しかし、どうしてもその志を捨てることができず、夫の浄飯王が亡くなったのを機に、ビシャリ国におとどまりの世尊のもとへ参って必死に歎願することを決意しました。すると、夫たちの出家によって同じ思いを抱いていた多くの貴族の婦人たちもご一緒したいと言い出しました。  婦人たちは黒髪をおろして青々と剃り上げ、粗末な衣をまとい、はだしでカピラバスト城を後にしました。夜は野宿する苦しい旅を続けたのち、ようやくビシャリ国の精舎の前にたどりついた時は、立っていられないほど疲れ果てていました。  知らせを聞いて門前に出て来た阿難は、その決意を聞くとさっそく世尊のもとへ参って代わりにお願いいたしましたが、「女人が厳しい戒律のもとで道を修めるのは非常に難しい。また、男子の修行者たちに悪影響を及ぼす恐れがある」として断固お許しになりません。  「お言葉を返すようですが、世尊のみ教えは男子だけに門を開かれているのでしょうか」「そうではない。真理というものは、人間界の者にとってはもとより、天上界の者にとっても真理である。ましてや男女の差別などあるはずがない」「それならば、女人の出家をとどめることは不当ではないでしょうか」  といったやりとりの後、もとより慈悲深いお釈迦さまですから、ついに女人の出家をお認めになりました。阿難こそ真の意味のフェミニストであり、後世の女性にとっても大恩人であるわけです。  そのような阿難が、なぜ後輩である五百品の大勢の仏弟子たちよりあとに、ここでようやく授記されたのでしょうか。その理由については次回でいろいろと考えてみることにしましょう。 ...

法華三部経の要点61

身近の人の教化の難しさを

1 ...法華三部経の要点 ◇◇61 立正佼成会会長 庭野日敬 身近の人の教化の難しさを 羅睺羅の偉さは密行  お釈迦さまの実子羅睺羅も、この授学無学人記品でようやく授記されます。その授記のおことばに「羅睺羅の密行は 唯我のみ能く之を知れり」とあります。  密行という語には二つの意味があります。第一は、戒律のどんな細かい条項でも、そして人の見ていない所でも、それをキチンと守って違反することがないこと。第二は、ほんとうは菩薩の境地に達していても、へりくだって、あたかも一介の声聞であるかのように振る舞うことです。  われわれ在家信仰者の行持としてこれを解釈すれば、第一に、ただひとりでいる場合でも、知らない人ばかりの群衆の中でも、つねに良心的に振る舞い、ささいなことでも正しい道にもとづいて行うこと。第二に、自分はどんなに高い境地に達していても、人びとに接するときには驕ったり、偉ぶったりせずに交わり、仏さまの教えをその身を通して示していこうという心構えです。  羅睺羅はお釈迦さまの実子でありながら、それを鼻にかけることなど微塵(みじん)もなく、黙々として修行し、見えないところで徳を積んでいました。それは、幼くして出家せしめられた羅睺羅を舎利弗に預けて厳しい養育を頼まれたお釈迦さまの方針が実を結んだわけです。その成長ぶりを少し離れた所から見守っておられたお釈迦さまの、人の子の親としてのお気持ちがほのかに察せられるおことばが、前出の「唯我のみ能く之を知れり」なのです。 なぜ授記を遅らされたのか  前回に阿難の人間性のすばらしさとその功績について述べましたが、その阿難も、この羅睺羅も、いわゆる十大弟子の中にはいっていたのです。ついでですから十大弟子の顔触れを紹介しておきましょう。舎利弗(智慧第一)・目犍連(神通第一)・摩訶迦葉(頭陀=ずだ・質素生活第一)・阿那律(天眼第一)・須菩提(解空第一)・富楼那(説法第一)・迦旃延(論議第一)・優波離(持律第一)・羅睺羅(密行第一)・阿難(多聞第一)。  このように十大弟子の中にさえ入れられている羅睺羅や阿難が、なぜずっと遅れて、学(まだ学ぶべきことが残っている見習いの声聞)たちと一緒に、授記されたのでしょうか。それがこの品の大事な要点だと思います。  お釈迦さまのみ心のうちを拝察しますと、二人とも現身のお釈迦さまにとって血のつながりの濃い存在であることに、かえって修行のためのマイナスの要素がかくされていることを、人びとにお示しになるために、わざと授記を遅らされているのではないかと思われるのです。  阿難の場合は、二十数年間いつもおそばにいて、お食事の世話からご用便の始末までしていました。水浴をなさるときは背中をお流ししました。そうしますと、仏としてのお釈迦さまの偉大さと、肉体を持つ人間としてのお釈迦さまのお姿がまじり合って、ほかのお弟子たちのような純粋な帰依が困難になるのはやむをえません。  羅睺羅の場合にしても、父親がいくら偉い人でも、肉親以外の人があたかも神さまのように仰慕しているのと同様な気持ちにはなりきれないでしょう。甘え心もぜんぜん起こらないとは言い切れません。まことに微妙な心理の問題がそこにあるのです。  そのことから、われわれは大きな教訓をくみ取らなければなりません。というのは、妻とか、夫とか、親とか、子といったいちばん身近の者を教化することの難しさです。そのためには行住坐臥によほど気をつけて、いい手本を示すことに心がけねばなりますまい。いわゆる「後ろ姿で導く」ことです。それができれば、逆に身近の者ほど導きやすいということもいえるのです。                                                       ...

法華三部経の要点62

感動と慣性が人を大成させる

1 ...法華三部経の要点 ◇◇62 立正佼成会会長 庭野日敬 感動と慣性が人を大成させる 感動なくして向上なし  法師品に入りましょう。この品も非常に大切な章です。まず冒頭に「わたしの滅後にこの法華経の一偈一句でも聞いて一念にでも隨喜する者があったら、その者に成仏の保証を授けよう」とおおせられています。「一念も隨喜せん者」とは、一瞬のあいだでも心から「ありがたい」と深く感動する人ということです。  この感動ということが信仰のうえばかりでなく、世間でひとかどの人物となるための重大な踏み切り台となるものですから、ここでじっくりと考えてみることにしましょう。  わが国最初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士が理論物理学の道へ進まれたのは、旧制高校生時代に来日したアインシュタイン博士の講演を聞いて感動したのが、そもそものきっかけであることは有名な話です。  ガンジー翁がサチャグラハ(非暴力不服従運動)によってインドの独立を達成したのも、もともとは一冊の本を読んで感動したことに始まっているのです。今から約百五十年前、アメリカにデーヴィッド・ソーローという哲人がいました。ソーローは人里離れた湖のほとりの小屋で、自給自足の仙人のような生活をしていました。ところが当局はかれに税金を課したのです。かれは税金を納める理由はないと拒否し、投獄までされましたが、自説を曲げることなく『非暴力反抗』という本を書いて闘いつづけたのです。  ガンジー翁が読んだのはその本でした。そして、それに示唆されてサチャグラハ運動を起こしたのです。たった一冊の本を読んでの感動がインド数億の民衆を救ったのでした。 初隨喜を伸ばすエンジンは  あるものごとを見たり、聞いたり、本を読んだりして感動を覚えても、それをそのままにほうっておいたのでは、けっして大きな実は結びません。感動(信仰でいえば一念隨喜=初隨喜)は心に一つの方向を与えたものですから、その方向への動きを伸ばしていかなければならないのです。それが修行です。  物理の法則に慣性というのがあります。物体がある方向へ動き出したら、ずっとその運動を持続しようとする性質が慣性です。心もそれと同じで、ある方向へ向かって動き出したらそれを持続しようという性質があるのです。しかし、車もエンジンの力を借りなければ大地の摩擦で次第に止まってしまうように、心にもエンジンの力が必要なのです。そのエンジンこそが修行なのです。  法師品には、そのエンジンを五つに分けて説いてあります。すなわち、受持・読・誦・解説・書写です。受持の受というのは、教えを深く心に信ずることで、つまり帰依することです。持というのは、その帰依の心を固く持ちつづけることです。読というのは経典を読むこと。誦というのは声を出して読むことと、それをそらんじる(暗誦する)ことをいいます。  解説というのはひとに解説してあげることです。これはもちろん教えを説きひろめるためのものですが、同時に教えに対する自分の理解を深めるためにもおおいに役立つのです。ひとに説いてあげるためにはどうしてもしっかり勉強し直す必要があるからです。書写というのには二とおりの意味があります。一つは経典の一字一字をていねいに書き写すことによって自身の信解(しんげ)を深めること。一つは、文書その他のメディアを通じて教えを広宣流布する行為です。  これらの修行をたゆみなくコツコツと続けることによって、最初に起こした感動(初隨喜)はその慣性によってまっすぐ成仏の方向への進行をつづけていくのです。これは、世間一般のものごとのうえにおいても人を大成におもむかせる、あるいは大事業を達成させる不可欠の要件なのであります。よくよく心得ておきましょう。                                                       ...

法華三部経の要点63

法華経行者こそ真のエリートである

1 ...法華三部経の要点 ◇◇63 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経行者こそ真のエリートである 人間という語の重大な意味  法師品の次の要点は、こう説かれていることです。「法華経の一偈でも受持し、読誦し、解説し、書写し、この経巻を仏と同じように敬い、さまざまに供養する者は、前世において無数の仏を供養し、そのもとで悟りを得た者であるが、衆生が苦しんでいるのを哀れに思うがゆえにこの人間界に生まれてきたのである」。 経文には「衆生を愍むが故に此の人間に生ずるなり」とあり、後の偈にも「清浄の土を捨てて 衆を愍むが故に此に生ずるなり 当に知るべし是の如き人は 生ぜんと欲する所に自在なれば」とあります。  この人間というのは、ヒトとか人類という意味ではなく、人と人との間、すなわち人々がたくさん住んでいる社会を言うのです。大漢和辞典を引いても、「人間」の項には①人の世、世間、俗界。②人。人類。俗に誤っていふ。とあります。  これはたんに辞句の解釈の問題ではありません。人の生きざまの上にとって実に重大な意味を持っているのです。というのは、人は決して単独に生きているのではなく、あらゆる人、あらゆる動物・植物、あらゆる自然環境と関連し、相互依存の上に生きているのだが、その中で最も濃密な関係は人と人との関係なのだ……という真実をこの語は含んでいるのです。われわれが何気なしに使っているこの「人間」という言葉を、この機会にじっくりとかみしめてみることが大切だと覆います。 エリートには責任がある    さて、冒頭にかかげた経文を玩味しますと、この世で法華経に縁のあったわれわれは、前世において無数の仏さまのみもとにおいて修行し、すでに仏の悟りを得た身であったのに、悩みを抱えて苦しんでいるこの世の人々を見るに見かねて、それまで住んでいた安楽世界(清浄の土)を捨てて、わざわざ汚濁に満ちたこの娑婆世界に生まれてきたのだ、ということです。  なんというスバラシイことでしょう。なんという有り難いことでしょう。あなたが今どんな境遇にあろうとも、あなたは真の意味のエリートなのです。選ばれた人なのです。俗には、一流大学を出て、政界・官界・大企業などで活躍している人物をエリートと言いますが、それは永遠のいのちの世界の中ではホンの一瞬に過ぎないこの世のエリートであって、いま法華経を信じ、行じているあなたこそが本当のエリートなのです。  どうか絶大なる自信と誇りを持って頂きたい。社会的には恵まれない境遇にあろうとも、あなたは「仏さまに選ばれた人」なのです。このあとの経文にも「当に知るべし、是の人は則ち如来の使(つかい)なり。如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり」とあるではありませんか。  ただし、選ばれたからには必ず責任が伴います。経文にも「衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり」とあるように、この法華経を広く説きひろめ、しかもさまざまに説き分ける(分別する)こと、これがわれわれの責務なのです。  この「分別」ということに特に留意しなければなりません。時代が変わり、国や民族が異なれば、生活様式も異なり、環境も変わります。社会風潮も違ってきます。それなのに、千遍一律にワンパターンの説き方をしたのでは、人を引きつけることもできないし、「なるほど」と納得させることもできません。ですから、この「分別」ということが不可欠になってくるのです。  いずれにしても、人に説かなければ、人を導かなければ、「如来の使い」とは言えず、真のエリートとしての責務も果たし得ないのです。それこそが、われわれがこの世に生まれ出た一大事なのです。                                                       ...

法華三部経の要点64

象徴の尊さ大切さ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇64 立正佼成会会長 庭野日敬 象徴の尊さ大切さ 経巻の中に如来の全身が  法師品の説法でお釈迦さまは、「薬王菩薩よ。法華経が読まれ、書かれ、説かれる所、そしてその経巻の安置されている場所には七宝の塔を建てよ。ただし、その中に仏舎利(ぶっしゃり=仏の遺骨)を納める必要はない」。その理由は、「此の中には已に如来の全身います(経巻の中には仏の全身が宿っているからだ)」とおおせられています。  また、ずっと前のほうに「仏を罵る罪よりも、法華経を受持し読誦する者を罵る罪のほうがはるかに重い。仏をたたえる功徳よりも、法華経の持経者をほめたたえる功徳のほうがはるかに大きいのだ」ともお説きになっておられます。  お釈迦さまはそんな私のないお方なのです。病身の老弟子バッカリを見舞いに行かれたとき、バッカリが「世尊にお目にかかりたくてたまらなかったのですけれども、こんな体で長い間くやんでおりましたから……」と申し上げると、「いや、いや。やがて死んで腐るわたしの肉体を見る必要はないのだよ。わたしを見るというのは法を見るということなんだよ」とおおせられました。  私心というものが微塵(みじん)もなく、法(真理)をこそ第一とお考えのお方だったのです。「此の中には已に如来の全身います」の一句には、世尊の悟られた正法の全ぼうが尽くされているという意味はもちろんですが、こうした無私の正法尊重のご精神もこめられていることを知るべきでしょう。 象徴が人を神仏に近づける  それにしても、「経巻所住の所に塔を建てよ」とはどういうことでしょうか。よく「仏像や仏塔を拝むのは偶像崇拝だ」と言う人もありますが、それは一方的な決めつけであって、われわれは帰依の対象である「見えざる仏」の象徴として拝むのです。  この象徴というものが、われわれ凡夫にとっては非常に大切なものなのです。偶像否定のプロテスタントが多数の国であるアメリカにおいても、大統領の就任式には聖書に手を置いて誓いのことばを述べるではありませんか。  また、アメリカの法廷では、聖書に手を置いて、正直な申し立てをすることを誓います。そうすることによって心が神に近づくからです。聖書は考えようによっては一種の「物」です。しかし、物ではあってもただの物ではない。真理の書であり、神の象徴なのです。われわれが拝む仏像も、仏塔も、そして法華経の経巻も、まさにそれなのです。  ついでですが、ブッシュ大統領就任式の際のことばを思い出しましょう。  「私は大統領として最初に行うことは祈ることである。『天にまします父よ、我々は頭を垂れ、あなたの愛に感謝します。今日をあらしめた平和と、その平和の継続を可能にする信仰を共有できることに対する我々の感謝を受け入れたまえ。(中略)正しい力の使い方がただ一つあります。それは人々に奉仕することであります。神よ、我々にそれを想起せしめよ。アーメン』」  長々と引用しましたが、その理由はほかでもありません。政治の基底となるものは正しい信仰でなくてはならぬという認識を持ってもらいたいためです。政教分離は、制度の上では必要でしょう。しかし、正しい宗教が真理に帰依し、真理を行うものである以上、政治も経済もこれがバックボーンとならなければならない。それがないと必ず腐敗します。  すこし脱線しましたが、これは大切な脱線だったと思います。ともあれ、象徴としての仏像などを礼拝し、供養することは、神仏に近づく正しい、そして賢明な手段だということを、ここのくだりから悟っていただきたいのであります。                                                       ...

法華三部経の要点65

こだわりのない心で人に対せよ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇65 立正佼成会会長 庭野日敬 こだわりのない心で人に対せよ 衣・座・室の三軌  法師品の要点中の要点は「わたしの滅後にこの法華経を説く時は、如来の室に入り、如来の衣(ころも)を着、如来の座に座して説きなさい」と教えられた、いわゆる衣(え)・座・室の三軌でありましょう。その三軌を「如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり」と解説なさっています。  ただ概念的に「大慈悲心を持て。忍耐せよ。空の悟りを基本にせよ」とおっしゃるのでなく、部屋・衣服・座席という具体的な物に即して説かれたところに、人々の心を把握しておられるお釈迦さまの説法名手ぶりがよく現れています。前回に「象徴」の大切さを強調しましたが、ここにもまたそれが巧みに用いられているのです。  如来の室というのは大広間です。そこには大勢の人が入れます。大慈悲心の象徴です。衣服は寒さを防ぎ、外傷から身を護ります。妨害・中傷・悪口など、説法者に加えられるマイナス行為に動揺しない忍耐心の象徴です。座というのは座席です。座席はどっかと腰を落ち着けている所ですから、つまり「空」がすべての説法の不動の座標となるべきだということの象徴です。説法者はこの三つの心構えの上に立って法を説けと教えられているわけです。 空の原理からが入りやすい  さて、その三軌の中の慈悲は感性に関するものです。柔和忍辱の心もおおむね感情の問題ですから、それを持とうと思っただけではなかなかその通りにできるものではありません。そこで、理性的な現代人にとっていちばん入りやすいのは最後の「空」という仏法の基本原理でありましょう。  空といっても、それを完璧に解説するには一冊の本が必要なほど難しい問題ですが、現実のわれわれの心がけとして煮つめてみますと、結局「現実の姿にこだわらない」ということに帰すると思います。すべての人は仏性をもち、久遠の仏さまに生かされている存在ですから、現象に現れている姿にこだわることなく、どの人にも同じ気持ちで対する、そういった態度こそが「如来の座」であり、それはひとりでに慈悲の心にも、柔和忍辱の心にもつながるものだと思います。  福沢諭吉が少年のころ、知能の遅れたチエという若い女性がよく彼の家へやって来ました。諭吉の母親は快くそれを迎えて庭に座らせ、髪のシラミを取ってやってから、何か恵みものをして帰らせるのを常としていました。  諭吉は母親が取ってやったシラミを庭石の上に乗せて小石でつぶす役目をさせられるのが毎度のことでした。汚いし、臭いし、いやでたまりません。ある日、「母上、胸が悪くなりました。やめさせてください」と言いました。すると母親は、「情けない人ですね。チエはね、シラミを取ってもらうと気持ちがよくなることを知っているんですよ。しかし、自分ではシラミが取れないから、こうしてやって来るんです。チエができなければ、できる人がしてあげるのが当然ではないですか。同じ人間ですもの」と、こんこんと言い聞かせました。  後日、「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」という不滅の名言を残した福沢諭吉をつくったのは、母親のこうした「諸法空」の心であり、それに基づいた家庭教育だったのです。  衣・座・室の三軌は決して別々の徳目ではなく、密接につながっているのです。ですから、いちばん入りやすい「現象の姿にこだわらず、人と人とを差別しない」という「空の座」から出発すれば、ひとりでに「慈悲心の室」にも入り、「柔和忍辱の衣」を着ることもできるものと思います。 ...

法華三部経の要点66

多宝如来は真理そのものだが

1 ...法華三部経の要点 ◇◇66 立正佼成会会長 庭野日敬 多宝如来は真理そのものだが 宝塔には如来の全身います  見宝塔品に入ります。この品には初めから終わりまで不可思議な神秘的なシーンが展開されますがその一つ一つが重大な意味を持っていますので、どうしても解説の必要がありましょう。  前の法師品の説法が終わるやいなや、目の前の地上に、さまざまな美しい宝に飾られた光り輝く大塔がこつぜんと浮かび上がりました。そして、その宝塔の中から大音声(だいおんじょう)が響きわたり、「善哉、善哉。釈迦牟尼世尊は、すべての人間が平等に仏性を持つことを見通す智慧(平等大慧)に基づき、すべての人に菩薩の道を示す教え(教菩薩法)という、もろもろの仏が秘要として護ってこられた(仏所護念)妙法蓮華経をお説きになりました。まことに説かれる通りです。すべてが真実です。実に素晴らしい」と賞賛し、証明されるのです。  一同はその荘厳な情景に言い知れぬ感動を覚えるのですが、大楽説菩薩という人がお釈迦さまに「どういうわけでこのような美しい塔が地中から湧き出し、このような大音声が響きわたったのでしょうか」とお尋ねします。するとお釈迦さまは「この宝塔の中には如来の全身がおられるのである」とお答えになります。  如来とは「真如(しんにょ=根本の真理)から来た人」のことですから、つまり、この塔の中には宇宙の真理の完全なすがたがあるというわけです。 真理の現れは自由自在  宇宙の真理(真如)の完全なすがたと言っても、われわれ凡夫にはどうもピンときません。そこでお釈迦さまは、それを多宝如来という人格を持った仏さまとして説かれたのです。はるかなむかしに多宝如来という仏さまがおられ、その仏さまがまだ菩薩の時代に「自分が仏となったのち、いずれの世界ででも法華経が説かれるならば、その説法会の前に大塔を出現させ、その教えの真実を証明し、賞賛しよう」という誓願を立てられた……とお説きになりました。  このように、根本の真理という目に見えないものに人格を与えますと、凡夫にもなんとなく信仰の焦点が定まってくるからです。  キリスト教では、創造主である無形の絶対神に対しても「天にましますわれらが父よ」と言って祈ります。これも、「天にまします神」つまり、目に見ることのできない神を「父」という言葉で象徴して、人間にとってよりわかりやすく表現したものです。いずれにしても宗教信仰においては、信仰の対象を心にしっかりとつかみとるということが、なによりも大切なことだからです。  ここで、一つ心得ておきたいことがあります。仏教では「三身一体(さんじんいったい)」といって、法身仏(ほっしんぶつ=根本の真理である真如そのものである本仏)と、報身仏(ほうしんぶつ=法身がわれわれに理解できるような人格をそなえられた仏)と、応身仏(おうしんぶつ=真如に基づいて衆生教化のためにこの世に出現された仏、つまり釈迦牟尼仏のこと)とはもともと一体であるとしています。すなわち、『妙法蓮華経』を説かれたお釈迦さまこそ、この三身をそなえられた仏であり、その現れは自由自在であるということです。  このことを心の底にしっかりとつかまえることができてこそ、この品に充ち満ちている神秘的な出来事も腑(ふ)に落ちることと思います。                                                       ...

法華三部経の要点67

法華経は全真理を統合した経典

1 ...法華三部経の要点 ◇◇67 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経は全真理を統合した経典 部分的な真理は散在するが  宝塔の中に真理の全身である多宝如来がおられると聞いた大楽説菩薩が「ぜひ多宝如来の仏身を拝みとう存じます。世尊の神力をもってどうぞ拝ませてください」とお釈迦さまにお願いします。するとお釈迦さまは「多宝如来は、十方世界に散らばっておられる諸仏の分身をことごとく呼び集めたうえでないと身をお現しにならないのである」とおおせられます。  このことにも重大な意味があるのです。世の中には真理の教えはたくさんあります。哲学もそうですし、科学もそうです。道徳も人間の道を教え、文学も人生の真実を伝えています。しかし、それらは真理の部分部分を明らかにしたものです。それに対して法華経はあらゆる真理を統合した経典です。  ですから、法華経が真実であることを証明しようとするならば、どうしても全宇宙に散らばっている真理の部分部分の教えを一ヵ所に集めたうえでなければ証明できないわけです。  そこでお釈迦さまは、まず十方世界の真理の教えをことごとく呼び集め、またご自分の分身をも呼び集められました。それを見とどけられたお釈迦さまはスーッと空中におのぼりになり、宝塔の頂上の前におとどまりになりました。  そして右手(智慧の象徴)でギーッと宝塔の扉をおひらきになりますと、その中に、多宝如来があたかも禅定に入ったかのように身動きもせず座しておられるのです。梵語の経文からの訳には「あたかも瞑想を完成したかのように、四肢が痩せ身体は衰えて玉座に座り」とあります。  ということはつまり、真理は尊いものではあるけれども、ジッとしているだけでは意味がないということにほかなりません。真理はそれが動き出し、多くの人びとのために説かれ、理解され、そして活用されてこそ意義が生じてくるということが、多宝仏の右のようなお姿に象徴されているのです。 行動こそが決め手である  玉座の中央に座っておられた多宝如来はおん身を半ばおずらしになり、「釈迦牟尼仏よ。どうぞこの座におつきください」とおおせられました。釈迦牟尼仏はすぐ宝塔の中にはいられ、多宝仏と並んでお座りになりました。このことを「二仏同座」といい、見宝塔品の要点中の要点といっていいでしょう。  二仏同座は何を意味するかといいますと、真理そのものと、真理を説く人とは同格であり、同じように尊い存在であるということです。前にも申しましたように、真理はだれかによって説かれ、理解され、活用されてこそ意義が生じてくるものだからであります。  法華経は、多宝如来が大音声を発して言われたように、すべての人間が平等に仏性を持っていることを説き、その仏性を顕現するための菩薩行を教える経典です。  そのことは、方便品の「万善成仏」の法門から説き始められています。子供が遊び半分に砂の上に仏さまの絵を描くという素朴な行為ですら、成仏の因となるとあります。その行為によって仏性が育てられていくわけですから。  譬諭品の『三車火宅の譬え』では、羊の引く車や鹿の引く車や牛の引く車を求めて門の外へ走り出るという行動こそが救われにほかならない、と説かれています。信解品の『長者窮子の譬え』でも、窮子が二十年間もコツコツと汚い所を掃除する働きをつづけたからこそ長者(仏)の後継ぎになれたのだ、とあります。  われわれ今日の信仰者にとっても、その道理はまったく不変です。行動こそが大事なのです。だからこそ、法華経信仰者を特に法華経行者というのであります。                                                       ...

法華三部経の要点68

法華経行者は多宝塔である

1 ...法華三部経の要点 ◇◇68 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経行者は多宝塔である 日蓮聖人の阿仏房への手紙  前々回と前回には、多宝如来は真理(真如)そのものであることを書きました。ところが、それと同時に、経文にもありますように、どこででも法華経が説かれるならばその場に出現し、それが真理であることを証明する役割を持っておられるのです。ですから、古来「証明法華(しょうみょうほっけ)の多宝如来」とお呼びしているわけです。  と申しますと、われわれ在家の法華経行者とはまったくかけ離れた天上の存在のように思われるかもしれませんが、そうではありません。われわれが法華経に帰依し、身に行じ、そして人のために説くならば、われわれがそのまま多宝如来となるのです。これはわたしの独断ではなく、日蓮聖人がハッキリとそうおっしゃっておられるのです。  日蓮聖人が佐渡に配流されたとき、その地に阿仏房という熱心な念仏の信者がいました。元は武士で、順徳上皇が佐渡に流されたもうたときお供をしてここに来て、上皇没後は妻の千日尼と共にそのお墓を守ってここに住みついていたのでした。  日蓮聖人がこの島へ配流されたと知ると、念仏の大敵が来たとして殺そうと企み、庵室を襲ったのですが、かえって聖人に教化されて弟子となったのでした。そして、妻と共々怨敵の多い聖人をお守りし、夜中ひそかに食糧を届け続けたのでありました。そればかりか、身延へ退隠されてからも三度もはるばる佐渡からお見舞いに行ったほど尊信の誠を尽くしました。  その阿仏房が、手紙で、「多宝如来の宝塔はどのようなことを表しているのでしょうか」と質問したのに対して、聖人はこうお答えになっておられるのです。  「……末法に入って法華経を持(たも)つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若し然らば貴賤上下を択(えら)ばず、南無妙法蓮華経と唱うる者は、我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり。(中略)。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益(さいかくむやく)なり。(中略)。多宝如来の宝塔を供養し給うかと思えば、さにては候わず、我が身を供養し給う。我が身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給うて南無妙法蓮華経と唱え給う、ここさながら宝塔の住処なり。経に曰く、『法華を説く処あらば、我が此の宝塔其の前に涌現せん』とは是れなり……」と。 説かねば宝塔も意味がない  この中でも「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚無益なり」の一節をよくよく味読して頂きたい。「阿仏房がそのまま宝塔であり、宝塔がそのまま阿仏房である。学問的解釈や理屈づけは何の役にも立ちはしない」という意味です。つまり、「法華経の説かれる所には必ず宝塔を涌現させよう」という経文の言葉を素直に受け取ればいいのだ……ということです。  佼成会員の皆さんは、法華経にご縁を頂いた人であり、朝夕「南無妙法蓮華経」を唱えている人ですから、みんな多宝如来の分身です。お釈迦さまと半座を分けて並んで座れる資格を持つ人です。どうか、そのような自覚と誇りを持って頂きたい。  ただし、それには条件があります。宝塔は、ただそれが地上に顕現しただけでは意味がありません。中におられる多宝如来が大音声を発して、最高無上の教えである法華経の真実を証明されてこそ宝塔は生きて働くのです。皆さんも、人のために法華経を説き、わが身にそれを実践してその真実を実証してこそ、その尊い事実も生きてくるものだと承知して頂きたいものです。 ...

法華三部経の要点69

現実から理想へ理想から現実へ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇69 立正佼成会会長 庭野日敬 現実から理想へ理想から現実へ まず現実の大安心を  法華経は、すべての人間が仏となるという究極の理想を説きながらも、決して現実をおろそかにしていません。例えば信解品の『長者窮子の譬え』においても、父の長者(仏)が窮子(衆生)に「ずっとここで働きなさい。そうすれば賃金も上げてやろうし、米とか麺(めん)とか塩や酢など、日々の必需品は必ず供給するから、安心して働くがいい」と生活の保証をしています。つまり、信仰による安心(あんじん)の境地を説き、考えようによっては現世利益を約束しているとも受け取れるのです。  そうした理想と現実の絡み合いは法華経全巻に見られるのですが、この見宝塔品では、次に挙げる一節に見られるように、ひとまず理想への希求が説かれています。「爾の時に大衆、二如来の七宝塔中の師子座上に在して結跏趺坐(けっかふざ)したもうを見たてまつり、各是の念をなさく、仏高遠に坐したまえり。唯願わくは如来、神通力を以て我が等輩(ともがら)をして倶に虚空に処せしめたまえ」。  仏さまはわれわれよりはるかに遠い所にいらっしゃる、われわれもあの境地にまで達したいものだ……と大衆は願ったのです。するとお釈迦さまは、ただちに大衆を宝塔のある虚空へ引き上げてくださいました。つまり、理想への希求を承認してくださったわけです。  これから先、『嘱累品第二十二』までは虚空で説かれたということになっています。『序品』からこの『見宝塔品』までは霊鷲山で説かれたのですが、『薬王品第二十三』以降は虚空から再び地上である霊鷲山に戻って説かれたとされており、これを「二処三会」と言い、法華経の重要な教相となっています。つまり、信仰もまず現実の問題から入り、次第に理想の境地へと向かうけれども、理想の境地を体得したら再び現実に立ち返り、一段と高い次元で現実の諸問題を解決しなければならない。それが信仰というものの大筋なのだ……というのです。まことに完ぺきな構造の教えであると言わざるをえません。 教化・養成には二方針あり  この品にはもう一つの要点があります。それは最後のところにある「六難九易」の法門です。「須弥山を手にとって他の世界へ投げ移したり、足の指で大千世界を動かしたりすることは難しそうだがまだまだ易しい。わたしの滅後の悪世で法華経を説くことのほうがずっと難しいのだ」といったような、ふつうの見方からすれば正反対のことがいろいろ説かれています。  教義的に見ればさまざまな解釈ができます。例えば「あなたが確かな存在であると思っている心身は、空なのですよ」と説いてもなかなかわかってもらえない。それほど難解な真理なのだ。……といったような意味だという考え方もありましょう。しかし、それよりも、六難九易の法門は教化や養成の方法の一つだと考えたほうがより適切なようです。  おおまかに見て、教化や養成の行き方には二通りあります。例えば三味線を習いに来た人に、初めはやさしい曲から入らせて、「上手、上手」とほめながらだんだん難しい曲へと進ませていく行き方が一つ。もう一つは、専門家を志す人には「一人前の三味線弾きになるには二十年かかると思いなさい」と最初にドカンとおどかす行き方です。そう言われて逃げ腰になる人はしょせん専門家にはなれない人で、「よし、やってみせるぞ」と発奮し、覚悟を固める人こそがモノになるのです。難しいことは承知の上でけいこしているうちに次第にそれに引き込まれ、夢中になってしまうのです。  「六難九易」の法門も、この後者のように受け取るべきだと思います。法華経の信仰には専門家・素人の相違はないのですけれども、とにかく難信難解を承知の上で必死に取り組む人こそがその神髓を体得できるのだ……というわけでありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点70

マイナスの力をプラスに変える

1 ...法華三部経の要点 ◇◇70 立正佼成会会長 庭野日敬 マイナスの力をプラスに変える すべてを投げ出して法華経を  提婆達多品に入ります。お釈迦さまは大勢の弟子たちに語り始められました。  「わたしは、はるかな過去世において一国の国王であったが、それに満足せず、無上の悟りを得るために全財産を投げ出し、妻子への愛着も断ち、自分の命さえ捧げてもよいとまで思っていた。そして四方にふれを出し、『もし、世の全ての人を救う真実の教えを説いてくれる人があったら、わたしは一生涯その人に仕えよう』といって師を求めた。すると一人の仙人が現れて、妙法蓮華経という最高無上の法を説いてあげようと言った。国王は、そくざにその仙人の弟子となり、水くみから、薪(まき)拾い、食事の用意までの万端の仕事をしたばかりでなく、師を休ませるために椅子(いす)のかわりとなる奉仕までした。そのような修行を長いあいだ続け、ついにその最高無上の法を得たのであった」  こう話されてからお釈迦さまは、驚くべきことを言いだされました。「そのときの国王とはもちろんわたしであり、仙人とは提婆達多である。私は提婆達多という善知識(善き友人)のおかげで、仏の悟りを得ることができたのである」  一同はあまりにも意外なお言葉に、ただあっけにとられていました。するとお釈迦さまは、さらに言葉を継がれ「提婆達多は無量劫の後に天王如来という仏となるであろう」と言われたのです。一同はますます驚き、疑問の私語によるざわめきさえ起こったのでした。 なぜ提婆は善知識か  無理もありません。提婆達多はお釈迦さまの従兄(いとこ)であり、長年の弟子でありながら、嫉妬(しっと)心と政治的野心が強く、時のマガダ国王アジャセに取り入って別派を興し、お釈迦さまにそむいた人間でした。そこまではまだいいとしても、三十一人の弓の名人たちに命じて矢を射かけさせたり、崖(がけ)の上から大岩を落としたり、象に酒を飲ませてけしかけたり、八度もお釈迦さまのお命を狙った大悪人だったのです。  そのような提婆達多を、なぜ過去世の物語にことよせて「自分に悟りを得させてくれた善き友人」とおおせられたのでしょうか。これを現実的に解釈すれば、煩悩にまみれた提婆の弱い人間性や、その煩悩のなすがままになしたさまざまな悪行が、お釈迦さまの悟りを深める機縁となったところが多々あったからだと思われます。  「お釈迦さまが菩提樹のもとでひらかれた仏の悟りはすでに完全円満なもので、それに付け加えるべきものは何もなかったはずだ」という説をなす向きもあります。しかし、それは、あまりにもお釈迦さまを神格化した非現実的な考えです。  お釈迦さまは、宇宙と人生のギリギリの真理を悟られた方ではありましたが、あくまでも人間であられました。人間であられたことが尊いのであって、それがわれわれ凡夫にとってまことにありがたいことなのです。なんとかそのみ跡をたどり、それに近づこうと努めることができるからです。  また、三十歳で菩提樹下において悟りをひらかれたお釈迦さまが八十歳でお亡くなりになるまで、最初の悟りに付け加えるものが一つもなかった、少しも進歩されなかったと考えるのは、かえってお釈迦さまに対する大いなる冒涜(ぼうとく)となるのではないでしょうか。  進歩・向上の機縁には「順縁」と「逆縁」があります。よき師・よき友・よき書のようなプラスの力に巡り合うのが順縁です。反対に、外部から受けるマイナスの力、もしくは自身がひき起こしたマイナスの状況、たとえば迫害・嘲罵(ちょうば)・不運・失敗というようなことがらに遭遇したとき、それを自らの成長の糧としてプラスの力に変える、そのマイナスの力を逆縁といいます。この「提婆達多が善知識に因(よ)る」というお言葉を、その逆縁の尊さを喝破されたものと考えるのも、われわれの人生に大いに役立つ受け取り方でありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点71

真の許しは仏性を認めること

1 ...法華三部経の要点 ◇◇71 立正佼成会会長 庭野日敬 真の許しは仏性を認めること 悟りの究極は仏性の認識  お釈迦さまは大悪人の提婆達多へも授記されました。天王如来という仏になるであろうと保証されたのです。これはいったいどういうわけでしょうか。  その理由には智慧と慈悲の二面が考えられます。ではその智慧とは何か。すべての人間には平等に仏性が具わっていることを認める透徹した理知です。  菩提樹の下でいわゆる仏の悟りをひらかれたとき、思わずこうつぶやかれたと伝えられています。「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな如来の徳相を具有す。ただ、妄想・執着あるを以ての故に証得せず」。  不思議だ。不思議だ。一切衆生はみんな仏と同じ徳を具えているではないか……という驚くべき発見、言い換えれば、すべての人間には仏となりうる本質(仏性)が具わっているのだ……という、これまでの人類だれひとり経験したことのない一大発見だったのです。  「それでは、なぜ多くの人間は仏の悟りを得られないのか。なぜお互いに争い合い、奪い合いして苦しみ悩んでいるのか。それは仮の現れである自分の心身を確かな実体であるかのように妄想し、その心身の楽しみに執着しているからにほかならない」。これがお釈迦さまの人間観の基底となるものであります。  提婆達多がそうでした。青年時代から、シッダールタ太子(後の釈尊)と張り合うほどの秀才で、武術の達人でもあったのですが、残念ながらあまりにも自己顕示欲が強く、したがって嫉妬深く、闘争・対立を好む人間でした。それで、つい身を誤ってしまったのです。しかし、お釈迦さまは透徹した理知をもって、そのような提婆にもちゃんと仏性が具わっていることを見通されたのです。 仏性を見れば自然と許せる  では、慈悲の面とはどんなことでしょうか。  お釈迦さまは無限の慈悲の持ち主でした。それは法華経譬諭品の「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり」という一語の中に尽くされています。すべての人間をわが子として大きく包みこみ、一人として冷淡に突っ放すことをされませんでした。自分の名前さえ覚えられない知恵遅れのシュリハンドクをも教団の一員として粘り強く教化されました。どうしようもないほどの暴れん坊でプレーボーイのカルダイをも追放されることなく、ついに家庭教化の名人にまで育て上げられました。  「愛とは許すことである」と言った人がありますが、お釈迦さまはすべての人を許す人だったのです。ご自分の命を何度も狙った提婆をも大きく許されたのです。それもただの許し方ではありません。普通の人間の許し方は、相手の悪に憤りや不満を覚えつつもそれを理性で抑えて許すのですが、お釈迦さまの許し方は、相手の本質である仏性を認めることによって、完全に、余すところなく許されるのです。だからこそ、成仏の保証まで与えられたのです。  それにしても、なぜいま突然そのような発表をなさったのでしょうか。これまで法華経の説法の中で授記されたのは、おおむね誠実な弟子たちでした。順当な授記だったと言っていいでしょう。ところが、そうした順当さは、ともすれば聴法の人たちの心に一種のマンネリズムを生ぜしめがちです。右の耳から左の耳へ聞き流し、自分自身のこととしてかみしめることをしなくなりがちです。  そこで、ここで突然「悪人成仏」という異常とも見えることを言い出され、強いショックを与えられたのではないでしょうか。後世のわれわれも、この提婆品に強いショックを覚え、「悉有仏性」ということを深く深く心にしみこませざるのをえないのであります。    ...

法華三部経の要点72

「信」の力の偉大さ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇72 立正佼成会会長 庭野日敬 「信」の力の偉大さ 八歳の竜女がたちまち成仏  提婆達多品の後半は、海底の竜宮の娘でわずか八歳の竜女(りゅうにょ)が成仏するくだりです。海底の竜宮というのは、文明の中心地から遠く離れた島国と解すべきでしょう。したがって、竜女とは、そうした国や民族の幼女のことだと考えれば、つじつまが合います。  そういう場所に布教に行っていた文殊菩薩が、そこでは妙法蓮華経だけを説いたという話をしますと、多宝如来の侍者の智積菩薩が「その国にすぐに仏の悟りを得そうな人がいましたか」と尋ねます。「いました。八歳になる竜王の娘がそれです」と文殊は答えます。すると、たちまちその幼女が現れて、お釈迦さまをうやうやしく礼拝するのです。  それを見ていた舎利弗は、その娘に「仏の悟りというものは、計り知れないほどの年月、血の出るような修行をしてこそ到達できるものであって、もろもろの障りの多い女人のそなたがとうてい達しうるものではない」と言いました。  竜女はそれには答えず、手に持っていた三千大千世界にも値するほどの宝珠をお釈迦さまに捧げました。お釈迦さまはただちにそれをお受け取りになりました。すると竜女は智積菩薩と舎利弗尊者の方に向き直り、「お釈迦さまは、わたくしの捧げた宝珠をすぐお受け取りくださいましたが、わたくしの成仏はそれよりも早いのです」と言ったかと思うと、たちまち男子の姿に変わり、はるか南方の無垢(むく)世界という所で仏となって法華経を説いているありさまを見せました。  それを見た智積菩薩も、舎利弗も、その他の大勢の人々も、じっと黙りこんだまま深い感動をかみしめるのでありました。 素直な「信」が何より大切  八歳の幼女というのは、「幼子のような素直な心」を象徴したものであり、竜宮界というのは先にも述べたように文明の中心地から遠く離れた国を象徴しているのです。そして、三千大千世界にも値する宝珠というのは、「信」ということにほかなりません。  いつも言いますように、信仰というのは理屈ではありません。心と実践の問題です。純粋な心で仏さまの大慈悲心へ直入してしまうことです。そうしますと、その瞬間に宇宙の大生命ともいうべき本仏さまと溶け合い一体となる心境になれます。まことに「信」は三千大千世界に匹敵するほどの値打ちがあるのです。  科学時代に育ったわれわれは、仏教を学ぶに当たっても、どうしても頭での「理解」ということを先に立てがちです。仏教の教義はたいへん理性的なものですから、たしかに理解できるものですし、それも大切なことです。しかし、宗教であり、信仰であるかぎりは、理解ということだけで「信」の働きがなければ、その究極の境地、すなわち涅槃(ねはん)という大安心の境地に達することはできません。このことを、よくよく心得ておくべきでしょう。提婆品の後半の竜女成仏のくだりには、このことが教えられているのです。  ここで一言付け加えておきたいのは、真の男女平等を説いたのは世界中でこの法華経が最初であるということです。自由平等の本家とされているフランスでさえ、完全に婦人の参政権を認めたのが一九四六年(昭和二十一年)なのですから、ほんの最近のことです。そして、それは「権利」という人間に与えられた「権(か)り=仮」のものに過ぎません。それに対して法華経が認めた男女平等は、「仏になりうる」という人間のギリギリの本質における平等です。実に素晴らしいことではありませんか。  一つ気になるのは、男の姿に変わって成仏したということですが、それはおそらく当時のインドの大衆を納得させるために、そういった表現をしたのでありましょう。                                                       ...

法華三部経の要点73

世にもすぐれた二人の比丘尼

1 ...法華三部経の要点 ◇◇73 立正佼成会会長 庭野日敬 世にもすぐれた二人の比丘尼 母性愛が尊崇に変わって  勧持品に入ります。この品は二つの部分に分かれており、前半はお釈迦さまの養母であった摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)比丘尼と、かつて妻であった耶輸陀羅(やしゅたら)比丘尼が授記されるくだりです。  摩訶波闍波提は、お釈迦さまの生母摩耶夫人の妹で、お釈迦さまの誕生七日目に摩耶夫人が亡くなられたのち、浄飯王の二番目の夫人となり、生みの親にもまさるとも劣らぬ愛情をそそいで太子を育て上げた人です。その太子が出家されたときの悲歎は察するに余りがあります。  その後、実子の難陀(つまりお釈迦さまの異母弟)も、愛孫の羅睺羅もつぎつぎに出家し、夫の浄飯王にも先立たれたのですから、一国の王妃でありながら別離の悲しみを味わい尽くした人であるといえましょう。その出家のいきさつは本稿六十回に書きましたのでここには略しますが、とにかくお釈迦さまの女性のお弟子としては最初の人でした。  教養の高い、しっかりした人でしたから、在家のときは在家婦人としての務めを尽くし、出家しても比丘尼たちの統率者として信望を集めました。お釈迦さまも、比丘尼集団のことは一切この人に任せられたのでした。  摩訶波闍波提比丘尼は、お釈迦さまが年を取られてお体がずいぶん弱られたのを見ると、そのご入滅に会うことはとうてい忍び得ないという思いから、おいとまごいをしてビシャリ国に行き、そこで禅定に入ったまま入滅しました。その野辺の送りは、お釈迦さまご自身によって執り行われました。遺体をお釈迦さまと難陀・羅睺羅・阿難の四人がかついで寒林(かんりん=墓場)まで運ばれたといいます。立派に生き、立派に死んだ、婦人の鑑(かがみ)ともいうべき人でありました。 「道心の中に衣食あり」  耶輸陀羅尼は、夫の太子がとつぜん出家されたときは、身も世もあらぬほど歎き悲しまれましたが、すぐに気を取り直し、一子羅睺羅の愛育にすべてをささげました。  そして、一切の化粧を断ち、太子が褐色の衣を召しておられると伝え聞いては自分も褐色の衣を着、太子が一日に一度しか食事されないと聞けば、自分も一度に減らし、つねに夫と共にある心を忘れませんでした。  やがて、羅睺羅も出家し、舅の浄飯王も亡くなり、姑の摩訶波闍波提も出家してしまいましたので、自分もその後を追おうと決意し、ビシャリ国にいる姑の所へ行って比丘尼の仲間に入りました。  それから祇園精舎におとどまりのお釈迦さまの下へ行き、教えを受け、修行に励みました。祇園精舎には羅睺羅も住んでいましたので、その近くに住居を定め、お釈迦さまのお許しを得ては羅睺羅を見舞ったりしておりました。  生来おとなしい性格の人でしたので、比丘尼としての事跡にはあまり目立ったものは伝えられていませんが、しかしそのおっとりした人柄のせいか、在家・出家の多くの人たちに慕われていたようです。そして舎衛城の信者たちがわれもわれもと供養物をささげますので、王宮にいたときよりもかえって生活が豊かだったといいます。  しかし、耶輸陀羅比丘尼はあまりそれを喜ばず、かえって煩わしく思い、ビシャリ国に移ってしまいました。ところが、そこでもいつしか同じような状態になり、またまた居を移して王舎城のほとりに住むようになったと伝えられています。  清貧を好む人だったのでしょうが、それにしても伝教大師の名言「道心の中に衣食(えじき)あり」を絵に描いたようなことで、たいへんほほ笑ましく思われます。                                                       ...

法華三部経の要点74

我身命を愛せず但無上道を惜む

1 ...法華三部経の要点 ◇◇74 立正佼成会会長 庭野日敬 我身命を愛せず但無上道を惜む 仏に生かされていればこそ  勧持品の後半は、多くの菩薩たちが「世尊の滅後に法華経の教えを説きひろめます」とお誓いする力強い言葉に終始しています。まず、こう申し上げます。  「世尊、我等如来の滅後に於て、十方世界に周旋往返(しゅせんおうへん)して、能く衆生をして此の経を書写し、受持し、読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し、正憶念せしめん、皆是れ仏の威力ならん。唯願わくは世尊、他方に在(ましま)すとも遙かに守護せられよ」  この一節に、後世の法華経行者のなすべきことが尽くされています。そして、われわれ立正佼成会会員はそのとおりのことを実践しているという自負と自信を持っていいと思います。とくに「十方世界に周旋往返し(この世のあらゆる場所に何べんも行き来して)」というくだりは、立正佼成会が国中のあらゆる所ばかりでなく諸外国へも実質的な広宣流布を行っていることを宣(の)べているものと言ってもいいでしょう。  もう一つここのくだりで注目すべきは「皆是れ仏の威力ならん」という一句です。法華経は「自力」を重んずる努力主義の教えだといわれています。たしかにそれに違いありませんが、しかし、一面では、すべての衆生が仏さまに生かされていることを強調し、仏さまに帰依し恋慕渇仰(れんぼかつごう)することによってそのご加護を受けることをも力説しているのです。いや、宗教の信仰であるかぎり、神仏の存在を無視した「自力」のみの教えがあるはずはなく、「自力」の最右翼である禅宗でも、道元禅師などは「わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえ(家)になげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき云々」と言っておられます。  法華経でも、ここにあるとおり、われわれがなすあらゆる菩薩行は自分でやっているようでも、すべて仏さまのお力によるものだと説いているのです。 これぞ法華経行者の合言葉  この品の後半にある偈は、「勧持品二十行の偈」といわれ、日蓮聖人がここに述べられていることがひとつ残らず自分の身の上に現れてきたことによって「自分こそ末法の世に法華経を説きひろめる使命を持って生まれてきた者だ」という自覚を得られたということでも有名です。その中に次の一句があります。法華経にある数々の名句中の名句といってもいいでしょう。  我身命(しんみょう)を愛せず 但(ただ)無上道を惜む  「わたくしどもは命さえ惜しいとは思いません。ただ仏さまのお説きになったこの無上の教えに触れることのできない人がひとりでもいることが何より惜しいのでございます」  法華経に生き、法華経に死ぬ者の烈々たる心情です。人間よほど長生きしてみたところで百歳そこそこです。その一生を、ただ利己の欲のため、名誉のため、快楽のため、権勢のためにあくせくして過ごしてしまうのは、なんというもったいないことでしょう。  たとえただ一人でもいい、仏道に導いて幸せにしてあげる。ただ身のまわりの一隅でもいい、世の中を明るくし平和にする。それこそが、この世に生まれてきたことの真の意義です。ましてや、仏さまのお使いであるという意識をハッキリ持てば、一人でもこの教えに触れぬ人がいるかぎりジッとしてはおれぬという烈々たる意欲がわいてくるはずです。その意欲をそのまま実行に移して完全燃焼させることこそ、人間として最高の生き方と言っていいでしょう。  「我身命を愛せず 但無上道を惜む」。一日に何度でも、思い出すごとに口ずさむべき、法華経行者の合言葉であります。 ...

法華三部経の要点75

法華経伝道者の身の振る舞い

1 ...法華三部経の要点 ◇◇75 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経伝道者の身の振る舞い いつも柔和で落ち着いて  安楽行品に入ります。この品は、文殊菩薩が「後の世においてはどんな心がけでこの法華経を説いたらよろしいのでしょうか」とお尋ねしたのに対して、(一)身の振る舞い(身安楽行)・(二)言葉の使い方(口安楽行)・(三)心の基本的な持ち方(意安楽行)・(四)伝道者としての誓いと祈り(誓願安楽行)の四つに分けてこまごまとお教えになった章です。まず初めに、  「若し菩薩摩訶薩忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心亦驚かず、又復法に於て行ずる所なくして、諸法如実の相を観じ、亦不分別を行ぜざる、是れを菩薩摩訶薩の行処と名く」  とお説きになります。この一節に、誓願安楽行を除く(一)(二)(三)の基本が尽くされていますので、このくだりを解説しておきましょう。現代語に意訳しますと、こういうことです。  「もし法華経の伝道者が、いつも忍耐づよい境地におり、柔和な心を持ち、我(が)を張らずに正しい理によく従い、挙動に落ち着きがあり、つねに『すべてのものごとはもともと空である』という実相を観じて現象(法)にとらわれることなく、と同時に、目の前にある現象は起こるべくして起こったものであることをも認識して、現実を無視した判断や対処をする過ちをおかす(不分別を行ずる)こともないならば、それが菩薩としての正しいあり方である」  この一節の前半はまことにそのとおりで、できればいつもニコニコしていて、立ち居振る舞いがゆったりしており、怒りを表にあらわしたりせず、人に親しまれるような態度でおればいいわけです。  ところが、後半が問題です。つねに「空」を観じていることは普通の人にはなかなか難しいことです。ですから、こうすればいいのです。「空」の教えから導き出され、それを現実に即して説かれた「諸行無常(すべての現象は変化する)」という真理と、「諸法無我(すべての人・すべての物は相互依存、すなわち持ちつ持たれつで存在している)」という真理をつねに心に置いておればよいのです。これならば、自分も納得できるし、人をも納得させることができると思います。 利益を求める心を持たず  さて、この一節のあとに、いろいろな地位や職業の人に近づいたり親しくしたりするなということが説かれていますが、二十世紀の今日においては事情がたいへん違ってきています。そういえば、前の「勧持品二十行の偈」に法華経の行者がさまざまな迫害に遭うことが説かれていますが、日蓮聖人の時代まではそうであっても、現在はまったくそんなことがありません。時代の変化です。  こういった変化があることは、「諸行無常」の真理に説かれているとおりですから、経文の一語一句にこだわることなく、どんな地位の人であろうが、どんな職業の人であろうが、どしどし近づき、親しくし、仏道に導かなければなりません。  ただ、ここのくだりに「是の若(ごと)き人等 好心を以て来り 菩薩の所に到って 仏道を聞かんとせば 菩薩則ち 無所畏の心を以て 悕望(けもう)」を懐(いだ)かずして 為に法を説け(こういう人たちが素直な気持ちでやってきて、仏道について聞こうとするならば、なにものをも恐れはばかることなく、自信を持って、しかもなんら求める心を持たずに法を説きなさい)」と断り書きがしてあることを見落としてはならないのです。  ここのくだりでは「求める心を持たず」ということが特に大事であって、物質を求める心はもちろんのこと、偉く見てもらおうとか、名誉を得たいとか、そういった私心など一切いだくことなく法を説かなければならないのであります。 ...

法華三部経の要点76

和顔をもって法を説け

1 ...法華三部経の要点 ◇◇76 立正佼成会会長 庭野日敬 和顔をもって法を説け 批判についての慎み  法華経布教者の言葉の使い方(口安楽行)については、まず次のように説かれています。  「楽(ねが)つて人及び経典の過(とが)を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ。他人の好悪長短を説かざれ」  現代語に訳するとこうなります。「好んで人の欠点を掘り出したり、経典のあら探しをするようなことがあってはならない。また、教えを説く他の人たちを軽べつする気持ちを持ってはならない。他人のよしあし、長所・短所などをあげて批判することも避けなければならない」。  同じ法華経を説く他の人々に対してはもちろんのこと、仏教の他の宗派の人々や、他の宗教に対してもこのような心がけを持っていなければなりません。  批判ということも大切です。しかし、それは、政治とか、外交とか、技術とか、産業とか、文化とかいった現実的な問題において大切なのであって、信仰というその人ないしその民族の魂に深くしみ込んでいるものは批判の対象外のものなのです。もしそのタブーを犯すようなことがあれば、必ずそこに無用の争いが巻き起こり、その争いは根が深く、どこまで拡大するかわかりません。  人を批判したり、訓戒したりする場合も、その人の本質にかかわる言葉は絶対に慎まなければなりません。「大体おまえは頭が悪いよ」とか「あんたって冷たい人なんだから」といった言葉は、相手の胸にグサッと突き刺さり、いつまでも消えません。  批判や訓戒は、行為のうえに現れた事実そのものに即すべきです。よくない行為をした本人は、その事実を自分自身よく承知しているのですから、その行為についてしかられたり、注意されたりしても、余計な恨みをいだくことはないのです。この点よくよく心得ておきたいものです。 方便なくして人は導けない  口安楽行の積極面については、次のように説かれています。  「若し比丘 及び比丘尼 諸の優婆塞 及び優婆夷 国王・王子 群臣・士民あらば 微妙の義を以て 和顔にして為に説け 若し難問することあらば 義に随つて答えよ 因縁・譬諭をもつて 敷演し分別せよ 是の方便を以て 皆発心せしめ 漸漸に増益して 仏道に入らしめよ」  じつに細やかなご指導です。まず和顔を以て説けとあります。終始おだやかな態度で、できればニコニコ顔で説法しなさいというのです。  それも「微妙の義を以て」とあります。仏法の本義は、奥の深い、いわく言い難い微妙なものです。その深い内容を、だれの胸にもしみ入るように、わかりやすく説きなさい、というのです。その具体的な方法は次の一節に述べられています。  「もし難しい質問をしてくる者があったら、必ず仏道の本義にもとづいて答えよ。ただし、その本義を、あるいは実例(因縁説)をあげたり、譬えを引いたり(譬説)、さまざまな方法でおしひろめて説くことである。このように相手の機根にふさわしい方便を用いて、仏道に入ろうという心を起こさせ、その心をだんだんと強めるように指導して、いよいよ本格的に仏道に入るように仕向けることである」  この方便(たくみな手段)ということこそが大事なのです。法華経の二つの柱の一つとして「方便品」という章が設けられているほど大切なものです。この方便を身につけるには、何はともあれ人を導いてみることが第一です。試行錯誤もいろいろとありましょう。案外うまくいくこともありましょう。そうした体験の積み重ねによってこそ、ほんとうの方便が身につくのです。付け焼き刃は役に立ちません。とにかくお導きの実践こそが最高の道なのです。 ...

法華三部経の要点77

衆生とも仏さまとも一体感を持つ

1 ...法華三部経の要点 ◇◇77 立正佼成会会長 庭野日敬 衆生とも仏さまとも一体感を持つ 一切衆生への大悲の心とは  第三の、法華経布教者の心の持ち方(意安楽行)の教えですが、細かいご指導としては偈の最初にある「若し是の経を説かんと欲せば 当に嫉(しつ)・恚(ち)・慢・諂誑(てんのう)・邪偽の心を捨てて 常に質直の行を修すべし」という一説にまとめてあります。嫉はねたみ、恚は怒り、慢はおごり、諂はへつらい、誑はこじつけ、邪はよこしまな心、偽はいつわりの心です。このような心を持つことなく、つねに誠実で素直な精神で法を説きなさい、というのです。  もっと根本的な心の持ち方について、次のような名句が説かれています。  「当に一切衆生に於て大悲の想を起し、諸の如来に於て慈父の想を起し、諸の菩薩に於て大師の想を起すべし」  すべての衆生に対しては大きな哀れみの心を持ち、その苦しみを見てはわが身の苦しみと感ずるような心根(こころね)がなくてはならない。もろもろの仏に対しては、自分のやさしい父であるという気持ちを持たなければならない。もろもろの菩薩に対しては、自分の大切な先生であるという思いを持たなければならない……というのです。  これはもはや「理」でもなく「義」でもありません。心情の問題です。情緒の問題です。この一切衆生というのは、人間ばかりでなく、あらゆる動物をも、植物をも含みます。むかしの仏教修行者は、道を歩くときも小さな虫を踏まないように気をつけました。飲み水を漉(こ)す布をいつも持ち歩いていましたが、それは不純物を飲まないためではなく、水の中にいる小虫を飲み込んで殺さないためでした。二十一世紀を迎えようとする現在にこそいよいよそうした自然の生物に対する心づかいが必要になってきたのではないでしょうか。 仏さまと一体になってこそ  「諸の如来に於て慈父の想を起し」というのも、仏教徒にとって大切な心情です。仏さまを、何か自分を管理している厳しい存在のように思うのは間違いです。そのように思って身をつつしむのもいちおうはいいことでしょうが、それでは仏さまと対立していることになり、ほんとうの帰依とは言えません。仏さまをやさしい父のように思い、寿量品にあるように恋慕渇仰すればこそ、仏さまとの一体感が生じます。仏さまにしっかり抱かれているのだという思いが生じます。そうなったときにこそ、仏さまの生かす力が心身いっぱいに充ち満ちてくるのです。仏教徒ならではの法悦の境地であります。  「諸の菩薩に於て大師の想を起すべし」の菩薩というのは、同じ法華経を行ずる諸先輩はもちろんのこと、他の宗教の指導者の人びとを含むと考えなければなりません。教義や信仰の所作こそ違え、世の人びとを幸せにすることを願い、その手段に思いをこらすことは、どの宗教でも同じなのですから。  ここで思い出すのは、吉川英治先生の言葉です。  「自分以外の人はすべてわが師である」  こういう謙虚な心を持ち、触れ合うすべての人からなんらかの教えをくみ取ろうという積極的な気持ちを持っておられたからこそ、数々の名作を生み、国民的文豪と呼ばれるほどになられたのでありましょう。  いずれにしても、この「当に一切衆生に於て大悲の想を起し、諸の如来に於て慈父の想を起し、諸の菩薩に於て大師の想を起すべし」の一節は、みなさんぜひ暗記してほしいと思います。そして、時に応じてこれを暗誦していただきたいものと思います。 ...

法華三部経の要点78

法華経を説きひろめることが最高の人生

1 ...法華三部経の要点 ◇◇78 立正佼成会会長 庭野日敬 法華経を説きひろめることが最高の人生 大慈・大悲の心を持とう  第四の「誓願安楽行」についてはこう説かれています。  まず「仏法が忘れ去られようとする末の世において法華経を受持する菩薩は、在家・出家の人びとに対して、その人びとの幸せを願う大きな心(大慈)を持たなければならない」とあります。これはもう解説の要はないでしょう。  次に「みずからの人格完成ばかりのために仏法を学び、世の人のために仏法をひろめる努力をしない人(菩薩に非=あらざ=る人)に対しては、どうしてでもその人を救いたいという大きなあわれみの心(大悲の心)を起こして、つぎのように決意しなければなりません」とあります。  それはどういう決意かといいますと、「このような人たちは、仏の方便・隨宜の説法(それぞれの人と場合に即したケース・バイ・ケースの説法)の真意が法華経に集められ、結晶されて説かれていることを知らないのだ。それを聞こうともしないし、したがって覚えることもない。尋ねようともしないし、したがって信ずることもない。しかし、たとえ今はこの法華経の教えを聞かず、信ぜず、理解しなくても、もし自分が最高の悟りを得たならば、どんな土地にいようとも、神通と智慧の力をもってそのような人たちを導き、この教えにはいらせずにはおかない」という決意であるべきだ……というわけです。 「入信即布教者」これぞ菩薩  この誓願の中でひとつ気になるのは、「もし自分が最高の悟りを得たならば」という前提です。当時はそれぐらい法華経を理解し布教するというのは難しかったのでしょう。見宝塔品に「須弥山(しゅみせん)を手に取って他の世界へ投げるよりもこの法華経を説くことは難しい」というような「六難九易」の法門が説かれているぐらいですから。  しかし、現在は事情がたいへん違ってきています。とくに大乗相応の国といわれている日本では、聖徳太子このかた人びとの魂の底に法華経精神が深く沈んでいますし、また一般に教養のレベルが高くなっていますから、それほど難事ではなくなっています。また、法華経のくわしい解説書も市販されていますし、その他の文書布教の媒体もそろっています。ですから、昨日法華経に触れた人でも、ほんとうにその教えに感動を覚えた人ならば、今日からでもそれを人に伝えることも可能になってきました。ですから、当時と違って「入信即布教者」――これが現代の菩薩の条件であることを、ここであらためて知ってもらいたいと思います。  最後に、以上の四つの安楽行を成就する人は、神々が必ず守護されるであろうと説かれています。とくに「人あり来って難問せんと欲せば、諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し、能く聴者をして皆歓喜することを得せしめん」という一節、これはわたし自身がつねに体験してきた事実です。菩薩である会員の皆さんも、しばしばそういう実感を得られていることと思います。ほんとうにありがたいことです。  とにかく、至上の真理の教えである法華経を説きひろめることこそが人生の最も価値ある行いであることを、ここで再認識いたしましょう。 ...

法華三部経の要点79

佼成会会員は現代の地涌の菩薩

1 ...法華三部経の要点 ◇◇79 立正佼成会会長 庭野日敬 佼成会会員は現代の地涌の菩薩 人間の教化は人間の手で  従地涌出品に入ります。  世尊が安楽行品の説法を終わられますと、この娑婆世界以外の国土から来ていた菩薩たちが、「わたくしどもは世尊の滅後もこの地にとどまりまして、この教えを説きひろめたいと存じますがいかがでしょうか」と申し上げます。  それをお聞きになった世尊は、「お志はありがたいが、その必要はありません。この娑婆世界にはずっと昔から無数の菩薩たちがおり、法華経を説きひろめる役目はその人たちがやってくれますから」とお答えになります。その瞬間、大地に無数の割れ目ができ、そこから、ほとんど仏に近いような吉相を具えた菩薩たちが無数に湧(わ)き出してきたのです。その菩薩たちは、一人で一千万人の弟子を引き連れている者もあれば、百万人から一万人までの弟子を従えている者もあり、千人ないし百人、あるいは五人・四人・一人の弟子を連れている者もありました。  その中の指導者格である上行(じょうぎょう)・無辺行(むへんぎょう)・浄行(じょうぎょう)・安立行(あんりゅうぎょう)という四大菩薩が世尊の前に進み出てごあいさつを申し上げますと、世尊はずっと前からの知り合いのように親しそうにそれにおこたえになりました。  その様子を見ていた弥勒菩薩をはじめとする娑婆世界の菩薩たちは不思議でたまりません。弥勒菩薩が「いったいこのりっぱな菩薩方はどういう因縁の方々でしょうか」とお尋ねしますと、世尊は「わたしが悟りを開いてから教化した者たちで、これまで娑婆世界の下の虚空に住していたのである。しかも、さらに真実のところを言えば、はるかな昔からわたしが教化してきた者たちなのである」と答えられます。いよいよわからなくなりました。  これもお釈迦さまの一つの方便で、次の寿量品で仏の本体を明らかにされるその前提としてこういう不思議なことをおおせられたわけなのです。仏さまそのものについては寿量品までの宿題として、大地から湧き出してきた菩薩とはどんな人たちであるかをあらまし説明しておきましょう。 大地を潜り抜けてこそ菩薩  世尊は「この菩薩たちは娑婆世界の下の虚空に住して悟りの境地を楽しんでいた者たちである」とおおせられています。ということは、法華経の根底である「空」の悟りに安住し、その悟りを人間世界救済のために発動せずにいた人たちのことなのです。たとえば、「人間の本質は平等な仏性である」ということを心底から悟ってはいるのだけれども、内にその悟りを楽しみ、どの人を見てもそんな気持ちで眺めているだけの、円満ではあるが行動力に欠けた人です。  ところが、どんな聖者でも、賢者でも、そうした内心の悟りに安住しているうちは、世の中を救う力とはなりえません。どうしてもいっぺん大地をくぐり抜ける必要があるのです。すなわち、現実社会の生活を体験し、煩悩の汚れと濁りの中であえいでいる大衆の中に飛び込み、その苦しみ悩みにジカに触れてみる必要があるのです。これが地涌の菩薩にほかなりません。立正佼成会会員の皆さまも、まさにこの地涌の菩薩なのであります。  つまり、この世ではじめて仏法に触れたようですが、じつは過去世において仏さまの教えを聞いており、その仏縁によってまたこの世でも法華経に遇いたてまつったのです。「はるかな昔からわたしが教化した者たちである」というお言葉は、このように受け取っていいと思います。 ...