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人間釈尊(46)
立正佼成会会長 庭野日敬

古い約束を忘れることなく

なぜ王舎城へ向かわれたか

 お釈迦さまがヴァラナシの近くの鹿野苑で五人の比丘に初めて法を説かれてから、その教えに帰依する人が続々と集まり、短時日の間に六十人ものサンガ(信仰者の団体)ができました。するとお釈迦さまは全部の弟子たちに「世の多くの人々の幸せのために布教の旅に出よ。ただし、同じ道を二人で行くな。一人ずつ違った道を遍歴して法を説くがよい」と命ぜられ(これを「伝道宣言」という)、ご自分もお一人で王舎城へと旅立たれました。
 ヴァラナシはその当時からたいへん栄えた町であり、修行者が集まる宗教の中心地でもあったのですから、そこに腰をすえておられれば教団の隆盛は間違いないはずなのに、なぜ六十人をバラバラに旅立たされたのでしょうか。
 もちろんその理由は、伝道宣言のお言葉にもあるように、あまねく世間の人々を救済するためだったのです。教団の繁栄といった私心など微麈ももたれなかったのです。
 では、なぜご自分は王舎城へ向かわれたのでしょうか。そのみ心の中をおしはかってみますと……。
 第一に考えられるのは、王舎城付近には六年間も苦行された村や、仏の悟りを開かれた記念すべき場所があり、そうした土地に対する懐かしい思いに引きつけられたのではないかということです。
 だが、もっとハッキリ推測されるのは、ビンビサーラ王との約束を果たされるためだった……ということです。本稿の十一回にも書いたように、出家直後のシッダールタ太子は王舎城近くの山中で修行しておられました。ビンビサーラ王はその人物を見込んで太子を訪れ、自分の片腕になって国政を見てもらいたいと要請しましたが、太子は――わたしは人間最高の道を求めて出家した身ですから――と言って断られました。そのとき王は、
 「では、最高の道を悟られたら、ぜひこの町に来てその教えを聞かせてください」
 と言い、太子は
 「はい。お約束しましょう」
 と答えられたのでした。
 その約束がお釈迦さまの脳裏に焼きつけられていたことは十分察せられるのです。

うるわしい心と心の再会

 さて、旅の途中で有名な宗教家優楼頻羅迦葉(うるびんらかしょう)と二人の弟およびその数百人の弟子たちを教化された世尊は、王舎城に着かれると城外の林中に足を止められ、優楼頻羅迦葉に命じて王を招請せしめられました。
 王は、かねて尊崇していた優楼頻羅迦葉がたちまち世尊に帰依したことを聞いて、新たな驚きを覚えながら、林中へやってきますと、世尊は数百人の新弟子たちに囲まれ、端然とお座りになっておられます。
 「おお、お久しぶりでございました、世尊。よくぞこの国へおいでくださいました」
 「あの時お約束したではありませんか。王もご健在でおめでとうございます」
 あいさつを交わされるお二人の再会は、世にもうるわしい光景でありました。
 それからお釈迦さまは、王のためにじゅんじゅんと仏法をお説きになりました。
 ――この世のすべてのものは因と縁との和合によって生ずるもので、独立した「我」というものはない。その「我」に執着するがゆえに苦があり、争いが生まれるのだ云々――
 王は心の底から感銘し、いよいよ帰依の念を深めました。そして、竹林精舎を建立したり、世尊が籠(こも)られる霊鷲山への登山道を改修したり、仏教の大外護者(げごしゃ)となったのでありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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