しかし、大乗仏教の精神というのはすべての宗教を認め、皆一仏乗であり、二乗、三乗というのは方便によってあるのだ、という素晴しいものです。法華経を読んでみると、菩薩でない声聞とか縁覚という段階の二乗でも、やはり成仏できるのであって、終極的には皆一仏乗である、というわけです。
『譬諭品第三』には「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す」とありますが、この短い文章の中に仏さまのお考えが全部入っているのですね。娑婆世界から宇宙まですべてをひっくるめた三界は『皆是れ吾が有なり』と。そして、その中の生きとし生けるものは皆『是れ吾が子なり』という。さらにこの娑婆世界は『諸の患難多し』で実に困難なことが多い。ところが、仏さまのみ心のとおりに「国土荘厳」「衆生利益」という考えをもって、この娑婆世界を平和な争いのない世界につくり変えていくような難儀なことをやろうとするものには、『唯我一人のみ能く救護を為す』。つまりは、私が皆を救ってやるぞ、自分が一人救い主であるぞ、ということを言い表わしているわけです。
ここのところをみますと、〝国民皆信仰〟というのは夢ではなく、皆、仏さまのみ心に私共の心が一つになれば、皆成仏でき、大ご利益を頂けるのです。〝衆生利益〟といったことの〝利益〟の最高のものは、それは〈成仏〉ということです。
では仏になるためにはどうしたらよいかというと、大変に困難なことを、喜んで人さまのために努力させていただくという菩薩行を実践することです。仏さまは菩薩道さえしっかり行じていくならば、私が必ず救ってあげよう、と約束されているのが、この『譬諭品第三』のこの言葉であります。
このことを信じられないと、いろいろのことが苦労になって、難儀なものとなり、もう面倒くさいから死んでしまう、というようなお粗末なことになるのです。佼成会の人には、そんな人はいないとは思いますが、世の中にはまだまだ何をとり違えたのか、泥棒したり、放火したりする人間が大勢いるのです。こういうお粗末な心の人間がないように〝国民皆信仰〟というのです。どうかそういう人が一人もないようにお導きをして精進していただきたいと思います。
(文責在記者)