開祖さまご法話テキスト『一心』 1980年 盂蘭盆会式典
ご承知のように、この盂蘭盆会といいますと、お釈迦さまのお弟子の中で神通第一と言われる目連尊者の話からきています。その目連尊者が亡くなった自分のお母さんが死後どのような状態であるかということを神通力でご覧になった。必ずお母さんは極楽にいるだろうということで、まず極楽をご覧になったのですが、どこにもお母さんは見えないわけです。そこで、次には地獄の方をご覧になると、餓鬼道に堕ちてお母さんは苦しんでおられ、目連尊者はビックリしてしまったわけです。あんな素晴しいお母さんが――と信じられない思いでお釈迦さまにお尋ねしたところ、お釈迦さまは、生前に自分の都合ばかりを考えていたためにそのようなところへいくことになったと。
目連尊者のお母さんは非常に目連尊者をかわいがってくれたお母さんなんですけれど、自分の子供だけは勉強ができるようになってもらいたい、自分の子供だけはいい学校に入れたい、立派な人間になってもらいたい、という、今で言う〝教育ママ〟なんですね。これはだれでも思うことなのですが、大乗仏教の教えから言うと、わが子だけというのではなく、自分の子も人の子も同じように立派な人になってもらいたい、と願うことが大切なのですね。
そこで目連尊者は、お釈迦さまに、どうしたらお母さんが成仏できるかとお尋ねしますと、ちょうど雨安居の時でしたので精舎に三千人のお坊さんが集まっており、この聖者にご供養をさせてもらいなさい、そのご供養の力によってお母さんは極楽の修行の場に出られるであろう、ということになりました。
そこで目連尊者は蓮の葉を使ってご馳走を並べて、三千人の聖者の方々にご供養を申しあげたのです。その功徳によって目連尊者のお母さんは地獄の一劫から救われることができた、というわけです。
毎年お盆の十五日に、生前のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんを偲んで、真心をもって霊界の方々にご供養を申しあげる、ということの起こりは、ここにあるというわけです。
ご承知のように、この盂蘭盆会といいますと、お釈迦さまのお弟子の中で神通第一と言われる目連尊者の話からきています。その目連尊者が亡くなった自分のお母さんが死後どのような状態であるかということを神通力でご覧になった。必ずお母さんは極楽にいるだろうということで、まず極楽をご覧になったのですが、どこにもお母さんは見えないわけです。そこで、次には地獄の方をご覧になると、餓鬼道に堕ちてお母さんは苦しんでおられ、目連尊者はビックリしてしまったわけです。あんな素晴しいお母さんが――と信じられない思いでお釈迦さまにお尋ねしたところ、お釈迦さまは、生前に自分の都合ばかりを考えていたためにそのようなところへいくことになったと。
目連尊者のお母さんは非常に目連尊者をかわいがってくれたお母さんなんですけれど、自分の子供だけは勉強ができるようになってもらいたい、自分の子供だけはいい学校に入れたい、立派な人間になってもらいたい、という、今で言う〝教育ママ〟なんですね。これはだれでも思うことなのですが、大乗仏教の教えから言うと、わが子だけというのではなく、自分の子も人の子も同じように立派な人になってもらいたい、と願うことが大切なのですね。
そこで目連尊者は、お釈迦さまに、どうしたらお母さんが成仏できるかとお尋ねしますと、ちょうど雨安居の時でしたので精舎に三千人のお坊さんが集まっており、この聖者にご供養をさせてもらいなさい、そのご供養の力によってお母さんは極楽の修行の場に出られるであろう、ということになりました。
そこで目連尊者は蓮の葉を使ってご馳走を並べて、三千人の聖者の方々にご供養を申しあげたのです。その功徳によって目連尊者のお母さんは地獄の一劫から救われることができた、というわけです。
毎年お盆の十五日に、生前のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんを偲んで、真心をもって霊界の方々にご供養を申しあげる、ということの起こりは、ここにあるというわけです。
新しい宗教が急速に伸びて、新宗連という連合体ができ、世界宗教者の平和会議がもたれるようになりました。この新宗連の考え方というのが、まず〝宗教協力〟であり〝信教の自由〟そして〝政教分離〟、最後に〝国民皆信仰〟という四本の柱に表われているように、かつてみられなかったほどのものです。
国民すべてが信仰をもつべきである、ということ。そのためには「信教の自由」と「政教分離」がなければならない。政治が宗教にかかわりをもつとなると、弾圧されたり、政府に反対する宗教ができてきたりする。太平洋戦争の始まった当時というのは、思想の統制がなされ、言論の自由が許されない。そして宗教が最初に弾圧されるということになってしまう。戦後の自由な思想で、自由なことが言えるような時代に生まれた人には理解できない面が多いでしょうが、立正佼成会が生まれた昭和十三年ごろは、経済も思想も皆一つに統制しようというふん囲気の中にあり、とても〝信教の自由〟とか〝政教分離〟というようなことは考えられなかったわけです。日本の神社だけを皆でお参りしましょうということで、仏教でさえ〝廃仏毀釈〟などと言われて、排斥された時代だったわけです。
新しい宗教が急速に伸びて、新宗連という連合体ができ、世界宗教者の平和会議がもたれるようになりました。この新宗連の考え方というのが、まず〝宗教協力〟であり〝信教の自由〟そして〝政教分離〟、最後に〝国民皆信仰〟という四本の柱に表われているように、かつてみられなかったほどのものです。
国民すべてが信仰をもつべきである、ということ。そのためには「信教の自由」と「政教分離」がなければならない。政治が宗教にかかわりをもつとなると、弾圧されたり、政府に反対する宗教ができてきたりする。太平洋戦争の始まった当時というのは、思想の統制がなされ、言論の自由が許されない。そして宗教が最初に弾圧されるということになってしまう。戦後の自由な思想で、自由なことが言えるような時代に生まれた人には理解できない面が多いでしょうが、立正佼成会が生まれた昭和十三年ごろは、経済も思想も皆一つに統制しようというふん囲気の中にあり、とても〝信教の自由〟とか〝政教分離〟というようなことは考えられなかったわけです。日本の神社だけを皆でお参りしましょうということで、仏教でさえ〝廃仏毀釈〟などと言われて、排斥された時代だったわけです。
しかし、大乗仏教の精神というのはすべての宗教を認め、皆一仏乗であり、二乗、三乗というのは方便によってあるのだ、という素晴しいものです。法華経を読んでみると、菩薩でない声聞とか縁覚という段階の二乗でも、やはり成仏できるのであって、終極的には皆一仏乗である、というわけです。
『譬諭品第三』には「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す」とありますが、この短い文章の中に仏さまのお考えが全部入っているのですね。娑婆世界から宇宙まですべてをひっくるめた三界は『皆是れ吾が有なり』と。そして、その中の生きとし生けるものは皆『是れ吾が子なり』という。さらにこの娑婆世界は『諸の患難多し』で実に困難なことが多い。ところが、仏さまのみ心のとおりに「国土荘厳」「衆生利益」という考えをもって、この娑婆世界を平和な争いのない世界につくり変えていくような難儀なことをやろうとするものには、『唯我一人のみ能く救護を為す』。つまりは、私が皆を救ってやるぞ、自分が一人救い主であるぞ、ということを言い表わしているわけです。
ここのところをみますと、〝国民皆信仰〟というのは夢ではなく、皆、仏さまのみ心に私共の心が一つになれば、皆成仏でき、大ご利益を頂けるのです。〝衆生利益〟といったことの〝利益〟の最高のものは、それは〈成仏〉ということです。
では仏になるためにはどうしたらよいかというと、大変に困難なことを、喜んで人さまのために努力させていただくという菩薩行を実践することです。仏さまは菩薩道さえしっかり行じていくならば、私が必ず救ってあげよう、と約束されているのが、この『譬諭品第三』のこの言葉であります。
このことを信じられないと、いろいろのことが苦労になって、難儀なものとなり、もう面倒くさいから死んでしまう、というようなお粗末なことになるのです。佼成会の人には、そんな人はいないとは思いますが、世の中にはまだまだ何をとり違えたのか、泥棒したり、放火したりする人間が大勢いるのです。こういうお粗末な心の人間がないように〝国民皆信仰〟というのです。どうかそういう人が一人もないようにお導きをして精進していただきたいと思います。(文責在記者)
しかし、大乗仏教の精神というのはすべての宗教を認め、皆一仏乗であり、二乗、三乗というのは方便によってあるのだ、という素晴しいものです。法華経を読んでみると、菩薩でない声聞とか縁覚という段階の二乗でも、やはり成仏できるのであって、終極的には皆一仏乗である、というわけです。
『譬諭品第三』には「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す」とありますが、この短い文章の中に仏さまのお考えが全部入っているのですね。娑婆世界から宇宙まですべてをひっくるめた三界は『皆是れ吾が有なり』と。そして、その中の生きとし生けるものは皆『是れ吾が子なり』という。さらにこの娑婆世界は『諸の患難多し』で実に困難なことが多い。ところが、仏さまのみ心のとおりに「国土荘厳」「衆生利益」という考えをもって、この娑婆世界を平和な争いのない世界につくり変えていくような難儀なことをやろうとするものには、『唯我一人のみ能く救護を為す』。つまりは、私が皆を救ってやるぞ、自分が一人救い主であるぞ、ということを言い表わしているわけです。
ここのところをみますと、〝国民皆信仰〟というのは夢ではなく、皆、仏さまのみ心に私共の心が一つになれば、皆成仏でき、大ご利益を頂けるのです。〝衆生利益〟といったことの〝利益〟の最高のものは、それは〈成仏〉ということです。
では仏になるためにはどうしたらよいかというと、大変に困難なことを、喜んで人さまのために努力させていただくという菩薩行を実践することです。仏さまは菩薩道さえしっかり行じていくならば、私が必ず救ってあげよう、と約束されているのが、この『譬諭品第三』のこの言葉であります。
このことを信じられないと、いろいろのことが苦労になって、難儀なものとなり、もう面倒くさいから死んでしまう、というようなお粗末なことになるのです。佼成会の人には、そんな人はいないとは思いますが、世の中にはまだまだ何をとり違えたのか、泥棒したり、放火したりする人間が大勢いるのです。こういうお粗末な心の人間がないように〝国民皆信仰〟というのです。どうかそういう人が一人もないようにお導きをして精進していただきたいと思います。(文責在記者)