ですからあの盂蘭盆会の物語を聞いて、大変におもしろく聞く者と、神通力であの世が見えるなんていうどうも目連尊者は偉いものだという、そういうこともありますけれども、そういうことはこれはお経を見ますると、あの六難九易の法門のところを読ませてもらうと、そういう神通力なんていうものはそんなのはだれでもできる。ところが、ただ一人の人のためにでもご法を説くことはなかなかむずかしいと、こうお経に説いてあります。
ですから皆さんがお導きをして、喜んで佼成会の活動に参加ができて、そして喜んでいられるような人を一人つくるということは、これはお釈迦さまが「なかなか大変だ」とおっしゃっているんだから、皆さんのようにたくさんの人をお導きした人は、それはもう仏さまの方からごらんになったら「善哉、善哉」と、もうおほめになっているにきまっている。仏さまの方からおほめくださるから、皆さんは幸せになっている。幸せになっていなさるから、よその人が見ると「佼成会の人は型があって、普通の人と違うようだ」と、こう言われる一つのゆえんだと思うんです。
自慢話のようなことになってしまいましたけれども、皆さんがいつもお読みになっているお経で、最後の普賢菩薩の四法成就というのがありますね。あれを読むというと、これは一番大事なことを例に、二十八番でおしまいですから結びの言葉として、普賢菩薩さまがあそこに唱えているんです。その第一番目に、「一には諸仏に護念せらるることを得」と。仏さまが「善哉、善哉」と守護してくださるんでなけりゃ、功徳は出て来ないんですよ。第一番に「諸仏に護念せらるることを得」と。「二にはもろもろの徳本を植える」と。人さまのために施しをする。だから施しをしなきゃだめなんです。体で施し、物で施す。心で施す。それは施しをするんです。その二にはもろもろの善根功徳を積むんです。
「三には正定聚に入る」。これはどうしても入会しなきゃだめなんです。どこかの教団に入らなきゃだめなんです。一人では怠けてしまうんですよ。教団に入ったから導きの親ごさんが責任をもってお手どりをしてくださる。怠けてちょっといやになったなあと思うと、迎えに来られる。うるさいなあと思いながらも、いろいろ言われるうちに当たる節がある。これは信仰に入らなければ、そういうことは全然だれも構わないんですよね。ところが信仰に入ったものだから、正定聚に入ったものだから、友達がいるからなかなか休ませてくれない。この三番目に「正定聚に入る」と。この三つ──「諸仏に護念せられ、もろもろの徳本を植え、そして教団に入る」この三つが救われる一番の原因なんですよ。