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法華三部経の要点 ◇◇54
立正佼成会会長 庭野日敬

人間は前へ前へと歩まねばならない

安らぎの境地から菩薩行へ

 化城諭品の核心は何といっても題名になっている『化城宝処(けじょうほうしょ)の譬え』でありましょう。こんな話です。
 最高の宝を求めて、険しい、困難な道を旅する一行があった。ところが、その道程があまりにも長く、苦しいことが次々に起こるので、多くの人がへばってしまい、途中から引き返そうと言い始めた。その一行のリーダーは、智慧にすぐれ、その道の全貌を知り尽くしていたので、道の前方に一つの都城(城壁に囲まれた都市)を幻として現し、「あそこに行ってゆっくりしなさい」と言った。
 人々は大喜びでその中へ入って休息した。しばらくして疲れがすっかり治ったのを見すましたリーダーは、その幻の城を消してしまい「さあ、出かけましょう。宝のある所はもうすぐそこですよ」と励ました。みんなは新しい勇気をふるい起こして再出発したのであった。
 この譬えの古典的な解釈は、「仏になるための修行は大変長くて困難な道程なので、倦(あ)いたり疲れたりして退転する人が多い。そこで仏さまは声聞・縁覚という個人的な心の安らぎの境地を教え、そこから再出発して菩薩の道を進むことによって、究極の悟りへと達せしめようとするのである」ということです。法華経の精神をわかりやすく表現された譬えであります。

理想へ進む一歩一歩にこそ

 これをわれわれ在家のための教えとして解釈しますと、人間は常に前へ前へと進まなければならない。後戻りしてはならないということです。人生にはさまざまな困難や障害がつきまといます。ある目標へ向かって努力しても努力してもなかなかそれに近づけない。そこでつい挫折して自分の人生を投げ出してしまったり、ヤケを起こして堕落の道をたどり、破滅してしまう人もあります。
 動物心理学者によりますと、夏の虫は月がいくら明るく照っていてもその方へは飛んで行かず、誘蛾灯(ゆうがとう)――農薬の多用によって近ごろあまり見受けませんが――に向かってまっしぐらに飛んで行って自ら身を焼いてしまうのは、月へ向かって飛んでも明るさを増す感覚がないからだそうです。発達した頭脳と英知を持つ人間が、目標になかなか近づけないからといって、夏の虫と同じ行動をしていいものでしょうか。
 堕落の道はすぐそこにあって、だれでもたやすく行ける道です。理想ははるか遠くにあって、行けども行けども近づき難い感じがします。しかし、理想というものは、到達して初めて価値を生ずるものではなく、それへ向かって歩く一歩一歩にすでにその価値が存在しているのです。その一歩一歩に理想の何百分の一か何千分の一かが達成され、それだけ確実に自分が高まっていくのです。ですから、あせることもなく、くじけることもなく、コツコツと歩き続けなければならないのです。
 もちろんそうした緊張の連続では神経がもたない、挫折もしかねないという弱い一面も人間にはあります。その弱さに対処する妙策として、スポーツとか、山歩きとか、土いじりとか、カメラとか、バードウオッチングとか、その他の健全な趣味・娯楽によって心がホッと休まるひと時を持つことも大切です。坐禅や読経のような信仰の行によって我(が)をすっかり忘れてしまうのが、最高の安らぎであることはもちろんですが。
 そうしたひと時の休みは必要ですけれども、後戻りしてはならないのです。前へ前へと歩き続けねばならない。これが万物の霊長と言われる人間に与えられたさだめなのです。  


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