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法華三部経の要点 ◇◇52
立正佼成会会長 庭野日敬

四諦・八正道は不滅の教え

人生苦を滅するには

 化城諭品には仏教の大切な法門が二つも説かれています。その一つは四諦の法門です。経文にはこうあります。
 「即時に三たび十二行の法輪を転じたもう。(中略)謂わく是れ苦・是れ苦の集・是れ苦の滅・是れ苦滅の道なり」
 「三たび十二行の法輪を転じたもう」というのは、四諦の教えを三とおりにお説きになったので、四掛ける三は十二で、十二行の法輪というわけです。
 「是れ苦」というのは、苦は人生につきものだということを諦(さと)れということです。とりわけ、老いること、病むこと、死ぬことの三つは絶対に避けられないものです。
 ですから、さまざまな苦を酒や麻薬やつまらぬ遊びなどで一時逃れにごまかしたりせずその現実を直視しなさいと教えられているわけです。吠(ほ)えかかる犬に背を向けて逃げようとすれば、かえって追っかけてくるものです。立ち止まって正面から見据えると、けっして飛びかかってはきません。人生のあらゆる苦もそれと同じなのです。
 「苦の集」の集というのは集起(じゅうき)の略で、苦をもたらすトラブルの原因は表面は一つのようでもその奥を見極めるとさまざま原因が集まっているのだ、ということです。
 そうした原因を取り除きさえすれば、人生苦というものは必ず消滅するものだというのが「苦の滅」の意味です。
 最後の「苦滅の道」というのは、苦を滅する道(というよりは苦を起こさない道というほうがいいかもしれません)は、ものごとを正しく見(正見)、正しく考え(正思)、正しく語り(正語)、正しい行いをし(正行)、正しい生活をし(正命)、自分の使命に向かって正しく励み(正精進)、心を常に正しい方向へ向けており(正念)、境遇の変化によって心を動揺させることなく正しく保っていること(正定)の八つの心構えです。
 この八正道は、鹿野苑で最初の仏弟子となった五比丘に対するご説法から、クシナガラで最後の仏弟子となったスバッダに対するご説法まで終始一貫しているのです。ですから、われわれは常に現実の自分の行為をこの八正道に照らし合わせてみることが大切なのです。

布教の三つのタイプ

 さて、この四諦の教えを三とおりにお説きになったというのは次のようなことなのです。
 第一に、「示転」といって、いまわたしが解説したように、教えをそのままの形でお示しになることです。
 第二に、「勧転」といって、教えの実践をお勧めになることです。示転で教えをお示しになっても、すべての人がすぐそれを自分の修行や生活の上に実践するとはかぎりません。ですから、お釈迦さまは言葉を尽くして「実践こそが大事であるぞ」とお勧めになるわけです。
 第三の「証転」というのは、実際の証拠をお見せになることです。教えを示され、その実践を勧められても、ふつうの人は「果たしてそれで救われるのだろうか」と疑念をいだくものです。そこで「ここに生きた証拠があるぞ」とその事実をお示しになれば、「なるほど。それではわたしも……」という気持ちになるものです。
 われわれ後世の布教者は、特にこの「証転」を大事にしなければなりません。紋切り型に教えを説き、口先だけでその実践を勧めてみても、人はなかなか動くものではありません。証転にこそ人を動かすエネルギーがあるのです。わたしが体験説法を重んずる理由もそこにあるのです。
                                                     

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